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信玄の厠  作者: 厠 達三
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親孝行 中編

 最初、私はなにを言われたのかすぐには分からなかった。あまりにも唐突に、まるでいつもの頼み事でもするかのように、事もなげに言われたので理解が追いつかなかった。母の様子はいつもとまったく変わりがなかった。


 私は聞き間違いか何かと思い、思わず聞き直してしまった。


 だが、聞き直すも母はいつものように、遠い目で窓の外を眺めているだけだった。


 あれはやはり聞き間違いだと思い、また何事もなく数日が過ぎたものの、1週間も経たぬうちにそれはまた訪れた。母はまるで独り言のように、私を殺してくれと言ったのだった。


 私には予感があった。いつか母がそんなことを言い出すのではあるまいかと。前に言われた時も聞き間違いだと思ったのではなく、聞き間違いだと自分に言い聞かせたのだった。母の頼みが聞こえて聞こえぬふりをして、その頼みに蓋をしたのだった。


 だが、母はそれでは済まなかったらしい。今度は神妙な面持ちで、私に私を殺してくれとはっきり言ったのだった。


 私には冗談はよしてくださいよ、などとはとても言えなかった。冗談で済ませるにはあまりにも重い母の頼みだった。お母さん、そんなこと言うもんじゃありませんよ、と返すのが精一杯だった。だが母はなおも私に頼むのだった。もういいと。もう生きていたくないと。


 私にはもう世間一般の常識でその頼みを無碍にすることはできなかった。


 入浴が恥ずかしい、トイレも世話されるのが恥ずかしい。家事全般やってもらって生きる張りもない。そんな理由を並び立てたがもちろんそんな理由でないことは分かりきっている。


 恐らく母は私の身が心配だったのだろう。このまま自分が寝たきりで私に負担をかけ続けていたら私もすぐに後を追うことになる。最悪、共倒れになる、と。父の暴力に耐えかね、仕方なく子である私のもとに身を寄せていた母だったが、数年間は本当に幸せそうだった。畑を借りて毎日忙しそうに世話をしていた。今が私の春だとまで言って喜んでいた。それがわずか数年で足が動かなくなり、あっけなく寝たきりになってしまった。半年、1年ほどはまだ自分が再び動けるようになると思っていたのだろう。が、3年も過ぎるとそんなことは起こらないと嫌でも分かってしまう。そんな母が殺してくれと頼むのも無理からぬことだと思った。


 母は自分が生きる屍だと考えたのかもしれない。動くこともかなわず、ただ、私に世話されるだけの存在。私はそれでいい。生きる屍だろうがなんだろうが、生きてさえいてくれればそれでいい。だが、母は生きるのが辛いという。もう生きていたくないという。


「お母さん、私を人殺しにしたいのですか? そんなことをしては私が逮捕されてしまいます」


 こんな一般論で宥めるしか私にはできなかった。母は仰向けになったまま、涙を流した。


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