カッコいいってどういうことさ
日本車って一時期は白物家電と揶揄されるほどデザインがイケてないとはクルマ界隈ではよく耳にします。実際、そうだと思います。中流家庭向けのミドルセダンなんかが特にそう。いかにも人生に楽しみもないような疲れきった中年がイヤイヤ乗ってる哀愁を醸しだしてます。個人的な印象ですけど。
というか、作ってるメーカーがあえてその路線を狙ってデザインしてるとも考えられます。そういうデザインが大多数のニーズにマッチングしてるのかもしれません。
逆にスポーツカーにイイ歳した中年が乗ってると無理してるとか思われたり、若者がオープンカーに乗ってたら眉ひそめたりする国民性。いや、国民性かどうかは分かんないけど。でも、自分にしたってロードスターの屋根をオープンにして走る勇気はちょっとないかな? もしかするとロードスター自体、照れくさくて乗るのをためらうかも。イケてる車にはドライバーもイケてなきゃダメでしょ、とか気後れもしてしまうのです。
つまり、わざとカッコ悪いというか、無個性な白物家電カーにコダワリもなく乗るのがカッコいいって理屈ですな。人生は重荷を担ぐ如しじゃないけど、どうも人生はずっと我慢の連続、ってスタイルがカッコいいって感性なのかもしれません。そうなると個性なんてジャマなだけじゃん。
例えばジープとか昔のビートルとか、正直全然カッコいいとは言えないようなデザインでも、そのデザインにはちゃんと意味がある工業製品なわけです。それがカッコよさを醸し出してる。個性になってる。でも一部だけど、没個性をあえて狙った白物家電カーが日本ではよく売れちゃう。見た目が個性的な車は敬遠される。
それが綿密な市場調査の結果行き着いたデザインなら見た目が全然カッコよくなくても大多数のユーザーが求めてるってことで、商品としては正解なわけです。いくら個性的でカッコよくても売れなきゃ会社に損害出す害悪でしかありません。
見た目がカッコよくなくても中身、性能とか耐久性とか、そういう実質を俺は見てるのさ、という姿勢のアピールなのかもしれません。でも白物家電デザインの車に限って評論家には酷評されがちなこの不思議。逆に個性的で売れてない車の方が評価が高かったりするもんです。
なんだか自動車評論家を盲信する信者と思われそうですがそんなつもりはないんです。今まで乗り継いできた車なんて両手で数えられる程度の自分なんかよりその道の専門家の方がはるかに信頼できるって理屈です。その評価は多分間違ってはいないのでしょう。
実際、高評価の車を代車でちょっと乗っただけでも楽しかったし。まあ車の良し悪しなんて所有して何年も乗ってみないと自分のような素人には分かんないんでしょうけど。