第32話 『醜悪』
「邪悪の樹、六番目の枝。『醜悪奸邪』カイツール」
そう名乗りを終えると、彼は不機嫌そうに顔を顰めた。
「は~……ドクめ、全く面倒な名乗りを義務付けてくれる。まあ、それっぽいから悪くは無いが……」
彼は誰かに文句を呟くと。頭を掻きながらさも当たり前のようにスタスタとこちらに歩いてくる。
「貴様!それ以上近付くな!」
こちらに迫る得体の知れない人物に向かってエリス杖を構え、警告する。
「カイツールとかいったか?貴様が、屋敷を襲った奴らや村の皆を操っているのというのは……何となく分かった」
「正解だ!察しが良く、聡明な娘だ。非常に好ましい……良ければ今度、一緒に食事でも─────」
『我が炎は焼き穿つ!!』
小さな炎弾が打ち出され、カイツールの足元に穴が開く。
「余計な事は口にするな。貴様が何者かはこの際どうでもいい。今すぐに皆を元に戻せ、次は当てる」
エリスの冷静な言葉の端々からは、隠し切れない程の怒りが感じ取れる。
「ふふ、フ」
しかし、魔法という凶器を向けられ、殺意も向けられているというのに彼は堪えきれないといった風に邪悪な笑みを零す。
「元に……戻す?クク、ハハハッ!!」
「何が可笑しい?!」
「いや済まない。余りにも君が平和過ぎて……クク。その純粋さに溶けてしまいそうだ。なぁ、お前達」
《ハッハッハッ》
《アハハハハハ》
《ヒヒヒ、ひひ》
背後にいる人々は、彼の言葉に反応して大声で笑い出す。
異常だ。彼等は表情を全く変えていない。
《ククククク》
後ろで縛られているフィルも無表情で笑い出す。
その顔からは、元の人格など微塵も感じられない。
まるで人形が見えない糸に釣られ、辻褄を合わせで無理矢理動かされているようだ。
「─────、ぅ」
そのなんとも言えない歪な様相に、気分が悪くなってくる。奴は一体どうやって彼等を操っているのか、必死に思考を巡らせるが一向に分からない。
(アイに聞くか?いや、今スマートフォンを今取り出せばどうなるか……)
というのも先程から奴、カイツールは笑ったり巫山戯た態度を取っているが、瞬きを一度もせずに俺達の動向を伺っている。
「かいつーる、でしたか?一体全体なんでこんな事するんですか、皆を早く戻して下さい〜!」
カーラが一歩前に出る。
カイツールは、彼女の言葉に笑うのをピタリと止めた。それにシンクロする様に周りの村人も笑うのを止める。
「ふむ、仕方ない。そこまで言うなら元に戻してやろう。誰がいいかな……」
彼は周りの人々を見回し、何かを思い付いた様に頷く。
「よし、そこの男にしよう」
そう言うと彼は指差した。エリスとカーラの間を抜けて、指し示されたのは─────、
縄で縛られ拘束されている青年、フィルだった。
彼は未だに、ギシリと音を立てて縄から逃れる為にもがいている。
「操られていて、しかも縛られていては可哀想だからな。我なりの優しさだ」
「戯れ言を……誰のせいでフィルを縛る羽目になったと……!」
カイツールの巫山戯た言動にエリスは憤り、周囲に火の粉が舞い始める。
「ハハハ、そう熱くなるな。そら、今解放してやろう」
彼はパチン、と指を鳴らした。
《ゥう……」
すると小さな呻き声と共に、フィルの瞳の赤色は薄まり、口元から覗いていた牙も収縮し、全てがみるみるうちに元に戻る。
そして─────、
「エリス、様?」
「……!!フィル、無事か?!」
エリスは彼が言葉を聞いて、直ぐに側に駆け寄る。
「ああ、フィル。もう大丈夫だ、すぐに縄を解いてやる」
「すみません、僕が……村の皆を襲って……エリス様にまで……」
彼は辛そうに表情を歪める。
どうやら、あの状態でも意識はあったようだ。
だとすればより一層タチの悪い話だ。見知った相手を手にかける光景を主観で、ただ見続けるなど考えるだけで恐ろしい。
「気にするな、お前のせいじゃない」
「ありがとう……ござい、ます」
フィルは、焦点の定まらない目でエリスの方を向くと安心したように笑う。
「待っていろ、すぐに皆も─────」
グシャリ
エリスの言葉の途中で奇妙な音が鳴った。
彼の胸元から赤い剣が突き出された
「か、ふ─────」
鮮血が飛び散り、彼は吐血する。
「なんだ、これは」
エリスの問いに答えられる者はいない。何が起こったか分からなかった。
そして、胸から突き出た赤い剣は困惑する俺達を嘲笑うかのようにドロリと溶け崩れて消えた。
「な……」
突然の出来事に何も言えなくなる。
「フィル?」
エリスは力無く呟く。
異変に気が付き、こちらを振り向いたカーラはその凄惨な光景に口を抑えている。
「貴様、何をした?」
エリスはカイツールに問いかける、しかし彼は何も答えない。ただ俺達の方を相変わらず見つめている。
「……っ!カーラ、すぐに止血を!!」
「は、は、はい〜!!」
カーラはすぐに服の裾を破り胸部に押し付ける。
しかし、肺に穴を開けたであろう傷からは空気の抜ける音と一緒に夥しい血が溢れ出て来る。
無理だ、応急処置では間に合わない。
「ま、魔法!治癒魔法は使わないのかよ?!」
「無理だ。この傷を処置出来る程習得しているのは、この村ではハイルマンしか……」
「じ、じゃあ俺を治療した時に使った万能薬は?!」
「あれは、お前に使ったので最後だ!」
「マジかよ……!」
「カガヤ、お前の能力でどうにかならないか?!」
「む、無理だ!そんな能力じゃない」
激情の波、混迷の隙間。
「……き、り……ま」
「!!」
首から血を流すフィルが何かを呟いた。
それに気が付いたエリスは、すぐに彼に近寄る。
「フィル、しっかりしろ!死ぬんじゃない!」
「………好きで……す。エ……リス様」
「え……」
「カガヤさ……エリスさ……を守って下さ、いね」
「……おい、なんだよそれ!」
フィルは返事をすること無く、薄く笑った。
彼の身体から力が抜け、瞳から光が消えた。
「─────」
死んだ。それが分かった、俺は知っている。
彼女の最期の姿と同じだ。
身体から、致命的な何かが消えている。
「はは……おい、フィル、私が好きだと?馬鹿な……冗談だろう?なぁ、冗談だと言ってくれ……」
呼びかけられても、揺すられても、彼は反応を示さない。彼の首から漏れ出る血はじわじわと地面を赤く染める。
「ぷ、くは、くっくく」
笑い声が聞こえる。
嘲り、罵り、人を小馬鹿にするような、
心の底から嫌悪感が湧く醜悪な笑い。
「これは失敬、殺したら死んでしまった!」
カイツールは楽しげに口を開き、牙を剥く。
「しかし幸運にも、彼は最期に想い人へ言葉を伝えられた。これで彼は思い残す事も無く……この世から解放された訳だな。ハ、ハッハッハハハハ!」
身体が怒りで熱を帯びた気がした。
コイツが、この醜悪な生き物が一分一秒でも生きているのが許せない。
「お前……ッ!!」
一歩勢いに任せて足を踏み出したと同時に、熱が辺りを包み込み、火の粉が周囲に舞う。
それはまるで、フィルを手向けるための花の様に美しく、怒りに満ちていた。
「……こんな私を好きなどと、こんな我儘な女の何処が良かったんだか、ふふ……全く分からない。だがな一つだけ理解したよ─────」
フィルの虚ろに開いた瞳を優しく閉じると、エリスはゆっくりと立ち上がる。
「貴様は必ず殺さねばならない、という事だ」
火の粉が唸りを上げて渦巻いた。