第31話 『邪悪なる者』
《グゥゥウゥ……》
唸り声を上げながら眼前に迫る門番の青年、フィル。
その様相に元の面影は無く、明らかに正気ではない。
「フィル、お前……!」
エリスは彼の名を呼びながら、一歩後ずさりする。
その動揺した様子を見逃さなかったのか、フィルは彼女に飛びかかる。
「エリス!」
咄嗟に前に出て庇う。だが彼はそれにも動じず、誰かの血に濡れた手を凄まじい勢いで俺の首に伸ばしてきて─────、
《グォオ─────
ピタリと叫び声が途切れ、その凶行が行われる寸前に時間が止まった。
この現象の原因は分かっている。
勝手にポケットの中の電話が繋がり、スピーカーから機械的な声が辺りに響き渡る。
【救済行為『庇う』を確認しました。只今より三秒、時間を停止します】
「やっぱり短いなっ!!」
俺のスマートフォンを勝手に使い過ぎだと文句を言いたいが、今はそれどころでは無い。
一秒経過。
チラリと首の側に迫る手を見やる。その軌道から逃れる様にしゃがみ込む。
(俺の今有る能力の中で、彼を比較的安全に取り押さえる事ができるのは─────、)
二秒経過。
「アイ……『無力化』だ!」
【畏まりました】
三秒経過。
淡々とした言葉の後。電話が切れ、時間が動き出す。
─────ォォオ、ア、ガ?!》
フィルの唸り声が途中から再び開始され、俺の首元に繰り出された攻撃は空振りに終わり、彼は勢いそのままによろめく。その隙に彼の身体に飛びかかり、押し倒す。
《グォ……!》
どうやら『無力化』の効果はしっかりと効いているようで、彼はどうにか抵抗してはいるが、その力は弱々しくもはや赤子同然だ。
「あっぶね……」
どうにか能力は上手く効いているみたいだ、どうにかして彼の動きを封じなければならない。
「エリス、今の内に魔法で拘束出来るか?!ウェアウルフを捕まえた時みたいに!」
あの怪物を縛り付けた炎の縄ならば、人ひとり容易く取り押さえられる筈だ。
「あ……う、」
しかしエリスは、地面に跪いたまま、どうにか拘束から逃れようと暴れているフィルを、呆然と見つめているだけだ。
「っ……カーラさん!」
「はい〜!」
カーラは俺が声を掛けた時には既に走り出していて、近場の走鳥の停留場から、走鳥を繋ぐ為の縄を手にすると、手際良くフィルを縛り始める。
《グ、ア、アア!!》
彼はギシギシと音を立ててもがき、牙を剥き、縄を振りほどかんとしている。
しかし『無力化』の影響で力が入らないようで、その行為は意味を成さず。数秒後にはカーラの手によって腕と足を縛られ、完全に拘束された。
「完了です〜!」
「ありがとうございます、カーラさん」
攻撃が頭を掠めた感覚が残っている。なかなかギリギリだった。数秒の差に安堵の息を吐く。
「いいえ〜、フィル君……どうしちゃったんでしょう〜」
カーラは縛られているフィルの頬を突っつきだした。
この状況でも朗らかな空気感を消さない彼女の胆力には驚くばかりだ。
「フィルは今普通じゃない。あんまり近づくと……」
「この位、大丈夫ですよ〜!それよりも、カガヤさんは大丈夫なんですか〜?」
「あー、魔法使ったんで……ちょっと痛かったですけど、全くの無傷です!」
実際は時間停止のお陰で避けたので痛くも痒くも無かったのだが、傷一つ無いことをアピールする。能力については伏せておかなくては。
「それは何よりです〜、お嬢様は大丈夫でしたか〜?」
少し心配そうな表情で、カーラは未だに放心状態のエリスに声を掛ける。
「フィル……これでは、屋敷で見た奴等と同じではないか……。なんで……他の皆は……」
だがエリスはそれに返事をせず、頭に手を当てながら小さく呟いている。
「お嬢様〜……」
グイグイと服の裾を引っ張られて、やっとエリスは我に返ったようで顔を上げた。
「あ、ああ、すまん」
「本当に大丈夫かよ?」
「うむ、大丈夫だ。今は……とにかく、ダリアの所に向かおう。フィルの異常を話さなければならない。それから王都に知らせて─────」
エリスの提案を聞いている時、ふと村の中心に目を向けると、ゆらゆらと蠢く壁が目に入った。
「なんだ、あれ?」
その壁は徐々にこちらに迫って来ている。
《グルル…ぐぁ》
小さな唸り声、あれは壁ではなく─────、
「おいおい、マジかよ…………」
眼前に現れた壁、それは一礼に並んだ村人と旅人達の集団だ。まるで軍隊の様に隊列を組んで行進する彼等は皆、たった今拘束しちフィルと同じように、赤い瞳と鋭い牙を携えていた。
「皆……嘘だろう」
エリスは目を見開き、呟く。
カーラも、両手で口元を抑え驚愕している。
こちらに行進してきた群衆は、俺達と十メートル辺り離れた場所で立ち止まった。
そして─────、
「さっさと道を開けろ、我が眷属」
突如として聞こえた男の声。
彼等はその声に従い、横に動くと真ん中に道を開ける。
─────奥から誰かが歩いてくる。
黒いスーツに白髪の男。
あれは、屋敷の門で手を振っていた人物だ。
「お初にお目にかかる、紳士淑女諸君。さっきは遠方からの挨拶で済まなかったな」
彼は村人達の先頭に進み出た彼は、邪悪な笑みを浮かべて告げる。
「我は邪悪の樹。六番目の枝、
醜悪奸邪のカイツール
どうぞ、宜しく……」




