第29話 『闇夜の侵入者』
「あれ、人間だよ……な?」
恐る恐る横にいるエリスに問いかける。
見かけは人間だが、その口元からは歪な鋭い牙が覗いている。そして涎を垂らしながら徘徊する姿からは、およそ人間性というものを感じられない。
何方かと言えば《人》よりも《獣》と呼ぶのが正しい気がする。
「それに、あの目……まさか魔獣か?」
両目に光る鈍い赤色で、忌々しい狼の姿が連想される。
「いや……魔獣では無い、あれは人間だ。しかし奇妙だ。まるで魔力がおかしい、まるで別の何かが覆っているような……」
「覆う、なんだそれ?」
「ううむ……だが、いや……」
エリスがどうにも決めかねた様に唸っていると、男がこちらに近付いて来る。
「げっ……エリス、こっち来るぞ。あれ絶対襲ってくるパターンなんだけど」
「慌てるな、動きは早くはない。合わせてこちらも移動して、扉に向かうぞ」
そう言う彼女に従って、男がこちらに来たのと入れ替わる様に本棚の陰を移動する。
こんな潜入ゲームをした事があるから、動きに困惑はしない。しかし、だからこそ不思議に思う。
「お前の魔法でアイツを倒した方が早くないか?」
「それは駄目だ。本が燃えたらどうする」
「あー……」
当然の様に告げるエリスに、俺はそれ以上何も言えなかった。
◆
『閉じよ』
詠唱と共に、音もなく扉が閉まる。
特に変わった点は見当たらないが、なんとなく微動だにしなさそうな重みが増した気がする。
「これで奴は、暫くこの書庫から出れないだろう」
「アイツ……何なんだ?魔力を感じないとか言ってたけど」
「……分からん。真っ当な存在では無いようだが、この様子だと、多少考えた上で行動しているみたいだな」
エリスは歯噛みしながら言う、廊下には燭台の火が灯っていた筈なのだが全て消えていた。
今しがた明るい書庫の中で過ごしていたのだ。薄暗い廊下には月明かりが差し込んではいるが、この環境は目が慣れていない俺達には暗闇と同義だ。
「奴が単独行動だったのに救われたな」
「……?アイツ一人だけじゃないのか?」
「うむ、外を見てみろ」
彼女が指差している屋敷の庭園に目を向ける。
そこには、赤い瞳を携えた何十人もの人間達が徘徊している姿があった。
「B級ゾンビ映画かよ?!」
屋敷の中に居る俺達は、言うなればショッピングモールに籠城する生存者か。
「くっ……結界は破られたのか。侵入者はすぐに分かるというのに、さっきの騒動で気が付かなかった。私の失態だ」
「結界なんてあったのか?」
「屋敷を鉄柵が囲っているだろう。あれを壊そうとしたり触れたりすればすぐに分かる……って、おいおい……!」
外を覗いていたエリスは、まるで信じられないと言った様子で呟いた。何事かとその視線の先を見やる。
屋敷の出入口、森の道に続く巨大な門。
来るものを拒む鉄壁の門。
それが─────、
向こう側から、打ち破られていた。まるでトラックが猛スピードで突っ込んだようにひしゃげていて、片側の扉は歪にな形で地面に転がっている。
そして、その破られた扉の向こうに誰かが立っていた。
「……?」
黒スーツに白髪の人物。風貌から察するに男性だろうか。
彼は庭園周りで徘徊している人間達とは違い、門の向こう側から屋敷を眺めているだけだ。
暗いし遠いしで、顔がはっきりと見えない。
僅かに違和感を感じる。
「…………よし」
すぐさまスマートフォンを取り出し、カメラのズーム機能を使いその顔を確認しようと試みる。
「ん……またその道具か、何をするんだ?」
「ああ、ちょっとした確認だよ。これを使うと遠くにいる人の顔を近くで見る事が出来るんだ」
「そんな事も出来るのか?!見せてくれ見せてくれ!」
興味津々な様子で、エリスはグイグイと画面を覗き込んできた。
彼女を押しとどめながらも、破壊された門を画面の中心に収めて、拡大して─────、
「……ん?」
いない。
画面を中を探せども今の今まで門の前にいた人物の姿が、まるで見当たらない。
「どこにもいないぞ?」
どうなってるんだ、とエリスが不満そうに呟く。
「あ、あれ、おかしいな……」
そんな筈は無い。確かに門の所に居たのだ。
慌てて画面から目を離し、肉眼で確認する。
「……っ?!」
姿を消したと思われたその人物は、依然として門の前に立っていて─────、
悠然とこちらに手を振っていた。
気付かれた。
その事実に行き着いた時には既に遅かったようで、庭園に居た人間達の視線が一斉にこちらに向いた。
そして、屋敷のどこかからも絶叫にも似た唸り声が聞こえた。
「エリス……」
「……うむ」
考えていた事は同じだったらしく、お互いに目を合わせて頷く。
「「逃げるぞ!!」」
庭園の人間達が屋敷の玄関に向かって走り出したのと同時に、俺とエリスは薄暗い廊下を駆け出した。
◆
「警告だ、近寄れば攻撃する」
厳しい声色で、廊下の向こうに佇む三人の人間達にエリスは告げる。だが、彼女の警告は意味を成さず。彼等は俺達を視界に入れると唸り声を上げながら真っ直ぐ走ってきた。
『聞く耳は持たずか……我が炎は光りて爆ぜる!!』
炎が爆発した。彼等は俺達の元に辿り着く事は叶わず、エリスの容赦無い魔法によって焼かれ、吹き飛ばされた。
「ナイス!凄いな、余裕じゃん!」
相変わらず、異世界の魔法の凄さには感激させられる。
「いいや、よく見ろ」
エリスは吹き飛ばされた三人組を指差した。
彼女の魔法は炸裂し、その炎で普通ならば痛みで動けない程の火傷を負った筈だ。
だが彼等はピクリと一度動くと、手や顔に火傷を抱えているというのに、表情も変えず、悲鳴も上げずに平然と立ち上がった。
「マジか……何なんだよこいつら」
「考えるのは後だ、とにかく今は逃げるぞ」
「お、おっけー……」
エリスと共に走り出す。背後からはエリスの攻撃から復帰した人達が迫って来ている。
突き当たりの階段に差し掛かる、下の階層から階段を上がってくる複数人の足音が聞こえてくる。
「チッ……こっちにも回って来ているのか」
「ど、どうする?」
「奴等に屋敷を占拠されるのは癪だが、仕方ない。直ぐに脱出するぞ」
そう言って、彼女は颯爽と階段を上がって行く。
チラリと階段下を覗くと、十人以上の人間がこちらに視線を向けながら迫って来ていた。
「う、わ、ああああ!!」
背後に複数の気配を感じながら、叫び声を上げながら上階に向かって階段を駆け上がる。
「この部屋だ、急いで入れ!」
廊下をある程度進んだところで、エリスが扉を開いて叫んだ。
俺がなんとか部屋に転がり込むと、彼女は直ぐに詠唱する。
『閉じよ』
扉はギシリと音を立て、固く閉じる。
幾つもの唸り声が向こう側から響き、ドアノブが乱暴に動く。しかし、いつまで経っても彼等が部屋に侵入してくる様子は無い。
「安心しろ。これで奴等は解錠の魔法を使わない限り、部屋に入って来る事は出来ない」
「はぁはぁ……そっか……た、助かった……」
エリスの言葉に安堵して、息を切らしながらその場にへたり込んでしまう。
「はぁ、はぁ……あれ、本当に人間なのか?」
魔法を食らっても起き上がる、あの異常な耐久力。
俺が食らったら全治三ヶ月は固いだろう。
「分からん……だが、物取りの人間ではないのは確かだな」
そんな冗談混じりの彼女の言葉に呼応する様に、部屋の奥からガサリと物音がした。
「誰だ?!」
すぐさまエリスは杖を構えて臨戦態勢に入る。
だが、震えながら奥から姿を現したのは─────、
「うう〜……、命だけは助けて下さい〜……」
独特な話し方の白い服のメイド、カーラだった。
「「カーラ」さん!?」
「あれ〜?二人とも助けに来てくれたんですか〜、ありがとうございます〜!」
彼女は半泣きになりながら、そう言った。