第28話 『着信中』
「お前の中に、あの黒い……得体の知れない魔力の塊は入っていった」
そう言って、エリスは俺の胸の辺りを指差した。
「入っていったって……どういう事だ?」
「言葉通りの意味だ。奴はお前の胸部を貫き、そこから体内に入っていったんだ」
「……それってヤバくない?」
飛びかかってきて体内に侵入してくるとは、一体どういう了見なのか。
凶暴な宇宙人ならともかく─────、
「体調に異常は無いか?」
「ああ、うん」
「なるほど。少なくともすぐには悪影響を及ぼさないようだが、良い事態でも無さそうだな。左手の甲を見てみろ」
「左手?」
言葉に従って、自分の左手の甲に視線を落とす。
そこにはローマ数字の「Ⅲ」に似た紋様が刻まれていた。
「なんぞ、これ……」
タトゥーを入れた覚えは無いし、油性ペンで落書きしたわけでもない。
「見当もつかないが、お前の中に奴が入り込んだ後に浮かび上がった紋様だ。今の事態に関係しているのは確かだな」
「……ちょい待ち、情報量が多くなってきた」
「気持ちは分かる。とりあえずこの本に何か手掛かりが書いてないか……」
エリスは机の上で開かれたままの黒い本を慎重に取り上げ、異常が無いのを確認してからパラパラとページを捲りだした。
それを見て、ある事に気が付く。
「─────白紙?」
さっき見た時は色々と文字が記されていたはずだが、
「だな……どうやら本に記された文字の一つ一つ、全てが封印魔法だったみたいだ。かなり精巧に造られていたというのに、奴に全て食い破られ、白紙になっている」
「この本って、エリスのお母さんが持ってた本なんだよな」
「うむ。だが……あんな奴を封印しているというのは、私も今初めて知った。お母様は一体何を……」
彼女は腕を組んで考え込み始めた、実の娘が詳細を知らないのなら正直お手上げだ。
しかし、俺にはもう一人(?)の心強い協力者がいるのだ。
(アイちゃん、今俺の身体の中に入っているモノの詳細って分かるか?)
自分の頭の中に住まう、機械的な口調の女性。
彼女に現状の分析を試みてもらう為に、頭の中で俺は俺が名付けた名前を呼ぶ。
【────、─】
しかし、その返事は帰って来ず。代わりに頭の中に僅かなノイズが流れるだけだった。
「……アイちゃん?」
思わず口に出して名前を呼ぶ。
これまでは、呼ぶと必ず返事をしてくれたのだが─────、
「どうしたんだよ、アイちゃん」
「あい……?それは一体、誰の名前だ?」
焦って名前を呼ぶ俺を、エリスは怪訝な表情で覗き込んでくる。
「昼に話しただろ?能力を使う時に声が聞こえるって、その声が聞こえなくなったんだよ!」
「ああ、あの救済行為が云々の話か。今の状況で聞こえなくなったというのは……悪い兆候なのは明らかだな。もしかしたら既にお前の身体の中は、あの黒い奴に支配されているのかも……」
「いやぁー!?怖い事言わないでくれよー!」
「うわっ、や、やめろ!涙目で抱きついてくるな!」
「そんな事言わずにー!どうにかしてくれ、よ……?」
恐怖に怯えながらエリスに泣きついていると、ポケットの中で何かが震えた。
「離れ……って、どうした?」
「いや、スマートフォンが……」
「すま……何だって?」
疑問に首を傾げるエリスはとりあえず置いておいて、ポケットからスマートフォンを取り出した。
画面を見て、俺は目を見開いた。
着信中なのにも驚いたが、それだけでは無い。
『人格機構』
発信者の名前には、端的にそう記載されていた。
どこかで聞いたことのある名前からの着信。
俺は恐る恐る、震える指で応答ボタンを押して耳元にスマートフォンを当てる。
【加賀屋様。ご無事そうで何よりです】
電話の向こうからは相も変わらず淡々とした、機械的な声が聞こえてきた。
◆
「おーい、一体何をしてるんだー?」
エリスは電話に応答している俺の服をグイグイと引っ張ってくる。
「ち、ちょっと引っ張るな!俺も状況に付いてけてないんだよ!」
俺だって状況の説明をしたいのは山々だ、だけど今は電話の向こうにいる彼女に話を聞いた方が早い。
スピーカーをオンにして、机の上に置く。
「アイ、なんで電話越しに?」
【申し訳ありません。不慮の事態が起こりました】
「おお?!声が……ど、どこにいるんだ?」
【これは……、初めましてエリス=エイメルン様。私は加賀屋様の能力『救済者』に搭載された人格機構、仮名をアイと申します。以後お見知りおきを】
「あ、ああ……丁寧な挨拶痛み入る」
わざわざ仮名と注釈する辺り、やっぱり名前は気に入っていないのだろうか。
「んん〜?裏側は何も無いし……どうなってるんだこれは」
初めて電話を体験するエリスは、スマホ手に持って色々な角度から声の主であるアイを探し始めた。
「そんで、不慮の事態って何が起きたんだよ」
【はい。その事なのですが……加賀屋様の中から追い出されてしまいました】
声のトーンを下げて言うアイは、若干落ち込んでいるようにも思える。
彼女の「追い出された」という言葉が意味するのは─────、
「それってもしかして……」
【詳細は不明です。しかし、異常が発生した時に感じた魔力は真竜種の物でした】
「真竜種……?」
「真竜種とは竜族が神として崇めている生き物だ。遥か昔に滅びたとされているが─────、」
エリスは電話から離れると、先程一緒に読んでいた本を捲り始め、何体もの竜が描かれたページを見せてきた。
「お前は本を開く時に、闇の竜とかいう名前を口にしただろう。それは恐らく……」
そして、その中で一際巨大な黒い竜を彼女は指差した。
「この竜だ、名前の記載は無いが《闇》とだけ記されている」
「あの本には確か……闇の竜の心臓を封ずる。とか書いてあったんだけど、」
【その闇の竜の心臓は現在、加賀屋様の内部に存在していると考えられます】
「そのようだな。カガヤから僅かに……今までに無い得体の知れない魔力を感じる」
「えー……」
病気も気からとは良く言ったもので、自分の中に別の存在いると言われると突然気分が悪くなってきた。
【しかし、今は特に加賀屋様の体調に異常をきたしてはいないようなので、問題は無いでしょう】
「いや、気分が悪くなってきたんだけど。吐き気も……」
【気のせいです】
俺の病弱アピールはバッサリと、見るも無残に切り捨てられた。どうにも厳しい風当たりに本当に風邪を引いてしまいそうだ。
「ま、まあともかく、明日一度ハイルマンに診てもらおう」
「エリス、お前は本当に良い奴だよ……」
俺を慰めるエリスの言葉に感激してしまう。
「何を大袈裟な事を……って!また頭を撫でようとするんじゃない?!」
がっしりと触れる寸前で手を受け止められる。完全に隙を突いたと思ったのだが、失敗したようだ。
「くっ……たった数回で耐性をつけるなんて、やるな」
「ふざけてないで早く離れろ、まったく……」
エリスが溜息混じりに文句を言った瞬間。
ガチャリ、と─────、
扉が開く音がした。
「今のは……」
この部屋。書庫の出入口の方から聞こえたその音は、誰かが書庫の中に入って来たことを指し示していた。
確か、セバスとレイスの二人は村に行くと手紙に書いてあった。
だとしたら、残っている人物は消去法で考えればメイドのカーラだけである。
「悪い、アイ。一回電話切るぞ」
【畏まりました、加賀屋様、エリス様。またお会いしましょう】
「う、うむ。アイ殿、また会おう」
エリスの返事を聞いてから電話を切り、会話を終了する。
(俺が異世界から来たこと知っている人以外には、アイの事とか話しづらいからな……)
スマートフォンを仕舞い、入って来たカーラに声を掛けようと口を開く。
「カー……むぐ」
口元に指が押し当てられて、俺は行き場を失った言葉を飲み込んだ。
「待てカガヤ。これは、違う」
「違うって……何がだよ」
小さな声で話す彼女に合わせて、小声で疑問を投げかける。
「家の使用人は私の部屋に用がある時、必ず三回扉を叩くんだ。今……それは聞こえなかった」
深刻な表情で語るその様子に、何故だか背中に冷たいものが伝う。
「ぐ、偶然だろ?」
「それは……見てみれば解る事だ」
エリスは忍び足で本棚に近づくと、その隙間から向こう側を覗き始めた。それに追従して俺も隙間から覗き、部屋に入って来た者の姿を伺う。
「当たりだな……侵入者だ」
書庫の中心に佇む男は、その赤い瞳をギラギラと光らせながら低い唸り声を上げていた。