第17話 『厄介』
眼前に迫っていたウェアウルフは突如として重傷を負い、首から血を吹き出し息絶えた。
恐らく、奴は自分に何が起きたのか理解する事すら出来ずに終わりを迎えただろう。
他者を襲う化物になど同情などしたくはないけれど、少しだけ気の毒に思った。
「倒した、のか」
いつの間にか隣に立っていたエリスは、彼女は肩に刺さった短剣を引き抜きながら溜息混じりに告げる。
「って、おい!抜いたら血が……」
こういう身体に刺さった異物は血が出たり、傷が広がったりで、すぐには抜かない方がいいと聞いたことがある。
しかし、エリスはずいっと引き抜いた短剣を俺に見せつけた。
「構わん、むしろ抜いてしまった方が良い……ほら」
引き抜いた短剣には紫色の液体が塗られていた。
これはまさか─────、
「毒……?」
「うむ、毒だ。ゴブリン達は武器に毒を使うんだ」
「初耳なんだけど……ていうか、それってヤバイんじゃねーの?!」
「なぁに、心配するな。まだ軽い吐き気と目眩がするだけだから……」
そう言った瞬間、ぐらりとエリスの身体が倒れた。
「エリス!」
手を握って引き寄せ、咄嗟に身体を支える。その手に触れて分かる、エリスはかなりの高熱だ。
「エリス嬢、カガヤ……すまねぇ。ゴブリンの武器を使って、逆に奴に利用された……俺の失態だ」
負傷した足を庇いながら起き上がるライアンも、かなり顔色が悪い。傷から流れる血の量を見るに彼も早く処置しないと危険だろう。
「失態じゃないよ、あの攻撃が無かったら俺は死んでたし。とにかく、今はすぐに村で診てもらわないと……俺がエリスを背負って行く、まだ歩けそうか?」
「なんとかな……ちとキツいが文句は言ってらんねぇ」
ライアンがよろめきながら一歩一歩進んで行くのを見守りつつ、意識を失ったエリスを背負って歩く。
チラリと後ろを振り返り、ウェアウルフの死体を見やる。
「アイちゃん」
小声で彼女の名前を呼ぶ。
【如何なされましたか?】
「お、来てくれた。名前気に入った?」
【否定します。しかし名前を名付けて下さった手前、無視は出来ません】
「それはそれは、優しさに感謝しなきゃな」
少し不機嫌そうな機械音声が頭の中で流れる。
どうやら呼び名はもう少し改良を加えた方が良さそうだ。
「俺の能力について、質問良いかな」
【はい。加賀屋様の能力についての質問でしたらいくらでもお答えします】
「オッケー、じゃあ質問だ。さっきの『因果応報』って、どんな能力なんだ?」
何度体験しても原理が不明な脳内の声との会話の中で、俺は魔狼を屠った自らの力について質問する。
【『因果応報』とは……今現在、外敵が加賀屋様に加えようとした攻撃行為。及び過去に外敵が加賀屋様に与えた傷害の結果を一度だけ、全て外敵に送り返す能力です】
「え、俺の能力強過ぎ……?!」
「おお?なんか言ったか、カガヤ?」
「あー、いや!何でもない、ちょっとびっくりしただけだから!」
「はぁ?」
ライアンは訝しむ様な表情を浮かべたが、すぐに前を向いて歩き出した。それを見て安堵の息を吐く。
異世界に来たとはいえ、脳内の女の子と会話をしてたなどと、流石に説明がはばかられる。
ライアンと少し距離を空けてから、再びアイとの会話に戻る。
「ごめんごめん、中々声の塩梅が難しいな」
【加賀屋様、私は声に出さずとも思考するだけでのコミュニケーションも可能です】
(流石に嘘でしょ?)
【否定します。真実です】
「うわ、真かよ……」
いよいよ現実離れしてきた。
知らない間に宇宙人に頭を改造されたと言われても、今なら信じてしまうだろう。
【質問は先程の能力に関する事で、終了でしょうか?】
(ああ……うん)
【畏まりました。では加賀屋様、また何か御用がございましたらお呼びください】
そうして、頭の中は静寂に包まれた。
これは厄介な能力を手に入れてしまったのでは無かろうか、常に頭の中を覗かれてるような気分だ。
(下手にいやらしい事とか考えらんないな……)
【加賀屋様のプライバシーは侵害致しませんので、御安心下さい】
「あー、そりゃどーも……」
やっぱり厄介な能力だ、そう思った時。
がさり
近くで、草を掻き分ける音が聞こえた。
「カガヤ……今の聞こえたか?」
振り返ったライアンは神妙な表情で問いかける。
今、自分達は茂みから離れた場所を歩いていた、つまり他の誰かが近くにいるという事だ。
「まさか……」
死んだと思っていたウェアウルフがまだ生きていて、自分達を追ってきたのでは無いか。そんな最悪の考えが頭をよぎる。
(アイちゃん!俺って感知の能力とか持ってないの?!)
【持っていません】
ぴしゃりと取り付く島もなく否定される。
今の状況は最悪だ。ライアンは負傷してエリスは気絶している。
俺も能力があるから多分大丈夫だが、二人を同時に守れるかは怪しい。ウェアウルフでなくとも、ゴブリンが現れてもかなりピンチだ。
再び草掻き分ける音が聞こえる。
今度は更に近く、俺の右隣の茂みからだ。
息を呑む。ライアンも臨戦態勢に入り、その茂みを見つめている。その手にはゴブリンから奪った毒の短剣が握られていた。
「……誰かいるのか?」
茂みに向かって俺が声を掛けると、ゆっくりと音の正体が姿を現した。
「マジで言ってんのかよ、コイツ!」
《…………》
全身から夥しい血を流す狼、ウェアウルフがそこに立っていた。
「目の色が……変わってる……?」
血の様に赤い目は濃い緑へと変色していた。焦点が合っていないあたり、まともに俺達が見えていない筈だ。
だというのに、身体をぎこちなく
「カガヤ!逃げろぉ!」
ライアンが短剣を投擲する。
しかし、ウェアウルフは折れた左手をまるで盾を扱う様に、わざと食らい防いだ。
「くそが!まだそんなに動けるってのかよぉ!」
ライアンが声を荒げる。
確かに、まだ動ける事には驚くが、
(何か、おかしくないか?)
こちらに詰め寄る動きに違和感を覚える。
目の色が変わってから、ウェアウルフは釣り糸に吊るされた人形の様な、ぎこちない動きになっている。
《…………》
もはや唸り声を上げることの無い、抜け殻の様なそれは、凶悪な爪が備わった右手を俺とエリスに向かって振り上げ─────、
『脚力強化』
詠唱。
ぐしゃり、と乾いた音と共にウェアウルフの頭が吹き飛んだ。
頭部は回転しながら近くの木に衝突し、粉々に砕け散った。
《─────》
支えを失った様に、ウェアウルフの身体はうつ伏せに倒れ、今度こそ動かなくなった。
「は……」
自分の口から声が漏れる。
ウェアウルフの居た場所にもう一人誰かが立っている。
「少し、遅れてしまった様ですな」
白い髭を蓄えたまさに執事といった風貌の壮年の男は、俺の背負うエリスを見て、悲しそうに告げる。
「不肖セバス、エリスお嬢様の呼び掛けに応じ参上致しました」
◆
何処かに存在する薄暗い城。
その廃墟同然の城の内部にある大広間。そこの中心にはボロボロになった玉座がそびえていた。
その玉座の上に男は一人、目を瞑って座っていた。
「─────フゥ」
溜息と共に彼が目を開ける、緑色の瞳が暗闇に輝く。
「情報通り……転移者の姿は確認出来た。上出来だ、オズ」
その声に返事をしながら闇の中から現れた男。
痩せぎすで色白の、弱々しく不健康な印象を受ける彼は、玉座に座るローブの男に向けて苦笑いを浮かべた。
「あまり良い結果とは言い難いです、予想外の邪魔も入りました」
「ふ、貴様に予想出来ない事柄があるとは……にわかには信じられんな?」
「過大評価はお止め下さい。それよりも─────」
「分かっている。さあ仕事だ、誰かいるか?」
玉座の男は辺りに広がる闇に向けて呼びかける。
「……いるぞ」
闇の中から楽しそうな声で誰かが返事を返す。
「貴様以外には、誰もいないのか?」
「ああ、皆それぞれ……この世界を観光中だ」
「観光……か。全く、呑気な奴らを呼んでしまったな」
頭を抑え、玉座の男は項垂れる。
「まあとにかく、貴様に仕事を任せる。九十七番の扉を使え、目標は分かっているな?」
「ああ、勿論だ。脱走した転移者の確保だな。現地の人間はどうする?」
「─────お前の判断に任せよう」
「ククク……了解、早速向かうとしよう!」
楽しげな笑いと共に闇の中で何かが蠢き、消えた。
「オズ。彼奴が目標を殺さぬよう、見張りを頼めるか?」
「ええ、いいですよ」
オズと呼ばれた男はそう言うと、同じように闇の中に歩みを進め、消えた。
その様子を見送りながら、白いローブの男は溜息を吐いて深く玉座に腰掛けた。
「転移者が居た森、背負われていた娘……ふ、偶然にしては恐ろしい事だ……」