第16話 『因果応報』
硬いもの同士がぶつかる、軋む音が聞こえる。
ライアンは振り下ろされたウェアウルフの攻撃を、すんでの所で盾で受け止めていた。
「ぐ……」
だが悲痛な声と共に、ライアンの表情が歪む。
盾には大きな亀裂が入っていた。そしてその隙間から爪が食い込み、彼の手を貫いている。
「ちっ……本当に壊れるとはな。言う通りだったって訳か。いけ好かない野郎だったが、いい目をしてやがるぜ」
《グルァァァ!!》
唸り声を上げると、ウェアウルフはもう一方の手の爪を流れる様に這わせ、ライアンの足を切り裂いた。
「ぐああっ!?」
悲鳴を上げ、ライアンが膝をつく。
「っ!!」
─────助けなければ。
彼に渡された短剣に手を掛ける。
どうにか事態の好転に移そうとするが、動けなかった。
何故なら、ウェアウルフ。奴はさっきから俺しか見ていないからだ。
身体を炎が包んでも、今ライアンを切り裂いた瞬間も、コイツは必ず俺を視界に入れている。
「熱烈なファンにしても……過激派すぎんだろーが!」
その血のように赤い両目は、俺に「こちらに来い」と訴えかけているようだった。
ウェアウルフは変わらず視界に俺を捉えながら、動けないライアンにゆっくりと手を伸ばした。
『貴様!我が炎は……』
その行為を止めようと、エリスは杖を構えて魔法を行使する為に詠唱を開始する。
しかし─────、
《グルル……》
ウェアウルフはライアンの襟元を掴み、そして二メートルはあろう巨漢であるライアンを軽々と持ち上げると、彼の首に鋭い爪を突きつけた。
『光り……っ?!」
彼女は詠唱を止めた。
否、止めざるを得なかった。
まるで見せつけるかの様に、こちらにライアンを持ち上げているウェアウルフは唸り声を上げる。
この状況を説明するのは難しい事では無い。
「人質……初めて直に見たけど、最悪だな」
映画や漫画でしか見た事のない状況をいざ目の当たりにして、歯噛みする。
ウェアウルフはニヤニヤと笑みを浮かべている。
「っ……待っていろ、すぐに助ける!」
エリスはそう言うが、この状況はマズい。
下手に奴を刺激すれば、あの爪に容易く首を切り裂かれライアンは殺されるだろう。
(カガヤ!お前の力でどうにかならないのか?!)
(はあ?!どうにかって、この状況は無理だって……!)
エリスが焦った様に俺の能力で、事態の解決を求めてくるが、自分でも発動タイミングをいまいち把握できてない能力なのだ。助けたくてもそう簡単に助けられない。
「くっ……一か八か、ライアンと一緒に魔法で奴を吹き飛ばして……」
エリスが何やら物騒な打開策を提言しようとした時、ウェアはライアンの首元から爪を離した。
《グルル……》
唸りながら、言葉を発せない獣は俺を指差す。
その意味はすぐに理解出来た。
「代わりに俺を差し出せって、言いたげだな……」
ウェアウルフは肯定する様に唸った。
「馬鹿な、何故お前を……」
「……あいつは最初から俺が狙いだったんだ、と思う。あの広場から逃げ出した俺を追ってきたんだ」
(門番の人を襲ったのも、俺を誘き出す為の作戦だとしたら、コイツはかなりのやり手だな)
そんな事を考えながら、一歩ウェアウルフに足を進める。
「行くな!これは罠だ!」
分かっている。
「来るな!」
止める訳にはいかない。
二人の静止の声が聞こえるが、この足を止めるわけにはいかない。
「俺が行かなきゃダメなんだ」
徐々にウェアウルフとの距離が縮まる。
歩みを進める事に、唸り声が大きくなる。
そしてその距離が三メートル程まで近付いた時。
「う、おおっ!?」
ウェアウルフは邪魔だと言わんばかりに、ライアンを投げ飛ばした。そして風が吹いたかと思うと、俺の目と鼻の先に黒い壁がそびえ立っていた
否、それは壁ではなくて─────、
ゆっくりと見上げると、醜く口を歪めたウェアウルフは既に大きく手を振りかぶっていた。
「カガヤ!!」
エリスの悲鳴にも似た叫びが聞こえ、次の瞬間何かが刺さるような鋭い音が響き渡った。
◆
《ギ、ャアアア、アア!!》
悲鳴と共にウェアウルフは顔を抑えると、俺の側から飛び退いた。
「な……」
(何が起きた?)
俺はライアンを助けた事によって能力が発動すると思っていたのだが、頭の中にあの機会音声は流れていない辺り発動していない。
つまり俺の能力によるものじゃない。
(エリスの魔法か?)
振り返ってエリスの姿を確認する、杖こそ構えていたが驚いた表情を浮かべている辺り、彼女の魔法では無い。
なら─────、
「ハッハッハ!……やっと気持ち悪いニヤケヅラを崩しやがったな、犬野郎!」
声の方に目を向ける。そこには愉快そうに笑っているライアンの姿があった。
足から血を流して跪く彼の手には、先程ゴブリン達から奪い取った、石造りの粗末な短剣が二本握られていた。
《グァァアアア!!》
ウェアウルフは地面に両手を付いて咆哮する。その片目にはライアンが持っているのと同じ形状の短剣が突き刺さっていた。
「すげえ!な、投げたのか?!」
「感動してる場合か!カガヤ、早く逃げるぞ!」
そのプロダーツ選手さながらの正確なコントロールに感動しかけたが、エリスの声に正気に戻る。
「大丈夫か?!」
「なんとかな、傷は深くはねぇよ」
エリスはライアンの肩に手を回して助け起こしていた。一方目を潰されたウェアウルフは憤った様子で唸りながら顔を抑えているが、その指の隙間から俺に視線を向けている。
このままだと、すぐに俺の方に向かって来るだろう。
すぐに逃げようと、後ずさりした時─────、
その視線が、俺から別の物へと移り変わった。
その視線の先にある物に気が付いた瞬間、既に奴はその凄まじい脚力で駆け出していた。
「マジかよ!?」
急いで俺は駆け出した。
ウェアウルフが向かった先には、ライアンを担いだエリスがいるのだ。
先程までとは打って変わったスピードの突進に、エリスは杖を構え魔法で迎撃しようとしたが─────、
「ぐうっ?!」
ウェアウルフが腕を振るうと、エリスの肩に何かが刺さりその手から杖が落ちた。
彼女の肩に刺さったのはライアンが投擲し目を潰した、石の短剣だった。
エリスはその衝撃に倒れ込む。
ウェアウルフは自ら短剣を引き抜き、攻撃に使用したのだ。無理やり短剣を引き抜いた影響で、目から血を流しながらも奴は笑みを浮かべていた。
「頭おかしいってコイツ!」
悪態を吐きながらも、なんとか俺はエリスとライアンの元まで辿り着いた。
しかし状況は最悪だ。
「ぐうぅっ!」
エリスは倒れ。支えを失ったライアンもなんとか立ち上がろうとしているが、足の傷のせいで思うように動けない様だった。
未だに実力を隠していたウェアウルフは、その残忍な笑みを讃えて迫って来る。
(マズい、マズいマズい!!)
昨日の様にボロ雑巾の如く無残に殺されてしまう、そんな自分の姿が脳裏に浮かんだ。
(何か無いのか、何か……)
しかし、今手元にあるのは使った事も無い短剣くらいだ。これで抵抗した所で俺では五秒も持たないだろう。
「くっそ……」
無力感に打ちひしがれる俺を、その両手の爪で切り裂かんとウェアウルフは飛び掛る。
息を呑んで、背後の二人を庇うように立つ。
眼前に凶刃が迫る。
(せめて、二人だけでも─────)
俺は、人生の終わりを覚悟した。
しかし、その終わりは一向に訪れる事はなく。
「なんだよ、これ……」
気が付くと、周りの風景が止まっていた。
◆
ウェアウルフは空中で、爪の切っ先をこちらに向けたまま静止している。
後ろを向くとライアンとエリスも静止している。それだけでは無い、風に揺られた木々から落ちる葉すらも、まるで時間が止まったかの様にその活動を停止していた。
「一体、何が……」
【救済行為『庇う』を確認しました】
頭の中に機械音声が流れる。
どうやら、二人を庇った事が切っ掛けでこんな事態になっているみたいだ。
しかし、何とか助かった。
周りの動きが遅く見えるとか、そんな感じの能力が付けられたんだろうか。
【おめでとうございます。救済行為の実行回数が三回に到達しました。ボーナスとしてこれから救済行為の後、三秒間『時間停止』が付与されます。停止中は移動は出来ますが、他の事象への干渉は出来ませんのでお気をつけ下さい】
「時間停……え?」
いきなり色々とぶっ飛んだ内容を言われた気がした。
【疑問を確認しました。再び解説が必要でしょうか?】
「いや、ちゃんと聞こえてたけ……ど……え?」
【では加護を選んでください。現在解放されている加護は以下の三つです。『反射装甲』『無力化』そして『因、】
「待て待て待て!ちょっとタイム!」
当然の様に話を進めようとする声の主に抗議する。
【如何なされましたか?】
「え、あの、君、会話できんの?」
【肯定します】
「……お前……誰?」
【私は加賀屋様の能力『救済者』に付与されている人格機構です】
「せ、せいばー……?人格機構?」
【はい、救済者と書いてセイヴァーです】
いきなりの訳の分からない単語のオンパレードだ。頭痛が痛くなってくる。
「どうやって、俺に話しかけてんの?どこにいんの?」
【回答出来ません】
「それなら……えっと、この能力は誰かがくれた物なのか?」
【回答出来ません】
「また?!じゃあ、君の名前は?!」
【回答出来ません】
「全部駄目じゃん?!」
【肯定します】
「こいつ……!!」
どうやら、声の主について核心的な事は答えてくれなさそうだ。仕方無くもう一つの気になる事を質問する。
「……この世界って、もしかしてゲームだったりする?」
【否定します。この世界……マグナは貴方の居た世界の平行線上に位置する。実際に存在する世界です】
「そう、なのか?だとしたらさ、その現実に存在する世界で時間停止をしちゃってるのって、かなりヤバくない?」
【加護を選んでください】
「回答出来ませんですら無いのかよ?!」
【以下の三つの中から……】
もはや返事もしてくれない辺り、かなり聞いてはいけない部分に踏み込んでしまったらしい。
「待った待った!その……あのさ、君っていつ話しかけても返事する?」
【肯定します。しかし、加賀屋様以外に私の声は聞こえません。あまりお勧めは─────】
「ああ、別に大丈夫だよ。個人的に単純に話をしたいだけ」
【話を、したい?】
「そうそう!俺の能力……せいばー?分かんない事多いからさ。色々教えてくれよ、アイちゃん」
【……アイちゃん?】
「そう、AIっぽい女の子だからアイちゃん。どうかな?」
【意味が不明です。それにちゃんなどと、私は性別を述べた覚えはありません】
「ああ、ごめん。結構可愛い女の子みたいなイメージがあったんだけど。もしかして男だった?」
【…………否定します。時間停止を解除します】
彼女は僅かに怒った様子で会話を終わらせる。
「え、ちょ、待─────」
ふわりと空気が軽くなった気がして、全てが動き出した。
木から落ちる葉っぱも、それを揺らす風も、動き出す。
《グルルァァアアアア!》
という事は当然、ウェアウルフも動くわけで、
「カガヤ!」
悲痛な声が聞こえた瞬間。
俺の首に鋭い爪が迫り─────、
ウェアウルフの伸ばした手は、まるで木の枝の様に二の腕から折れ曲がった。
《ガ!?》
困惑するウェアウルフの首が切り裂かれ、血が吹き出した。
《ッ?!グ、ゴボ……》
突然の出来事にウェアウルフは咄嗟に手で首を抑えて出血を止めようとする。
しかし事態はそれだけでは収まらず、腹部が裂け内臓と共に血が溢れ出た。
黒い毛並みが赤く染まってゆく。
《ガ…………》
一瞬にして瀕死の重傷を負ったウェアウルフはそのまま崩れる様に両膝を付くと、やがてその目から光を失い、動かなくなった。
【言い忘れておりました。おめでとうございます。加護『因果応報』を入手致しました】
頭の中に流れる機械音声を聞きながら、俺はただ、呆然とその場に座り込んだ。