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喉笛の塔はダミ声で歌う  作者: 翁まひろ
最終章 楽園の涯
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第六十話 友の孤独

「なんでえ……?」


 オルグの声がした。

 振りかえると、講堂の隅にぽつんと立ちつくしていたオルグが、顔をこわばらせてジプシールとルゥとを見つめていた。

「ひどいよ、ジプシール。なんでそんなに簡単に、そっちの味方になっちゃうの?」

「オルグ――」

 声をかけたオースターをキッとにらみつけ、オルグはふとももの脇で拳を握りしめた。

「オースター。僕、言ったよね。叔父上はアモンの兵士に魔法の火で焼かれて死んだって。従兄上は片足をなくして、今も悪夢にうなされているって、言ったよね!?」

 オースターはなにも言えず、オルグの怒りで赤く染まった顔を見つめる。

「僕はその子に同情なんかしない。ぜったいにアモンをゆるさない。裏切り者のジプシールも、そいつらをここに連れてきたオースターのことも大嫌いだ!」

 静まりかえった講堂に、張りつめたオルグの声がわん……と響きわたった。

 ――「嫌いだ」と言われても、オースターの心が傷つくことはなかった。今、この場で誰よりも傷ついているのは、オルグだとわかっていたから。

 オースターはジプシールを振りかえる。

 ジプシールは恥じいるように顔を曇らせ、力なくうなだれていた。

 ジプシールは裏切り者じゃないよ、と言いたかった。

 だが、「裏切られた」と思うオルグの心の痛みもまた理解できた。

 オルグから見れば、さっきまで一緒になってホロロ族を拒絶していたジプシールの変心は、まさに裏切りとしか思えなかっただろう。あまりにも簡単に手のひらを返されたように感じたはずだ。

(簡単じゃなかったはずだ)

 ジプシールは優しい。空き教室での論争以降、ずっとホロロ族について悩んできたはずだ。決して安易に態度を変えたわけではない。

 それはきっと、オルグもわかっている。

 わかっていたって、わりきれない感情もあるのだ。

 ふいに、オルグが身をひるがえして講堂から出ていこうとした。


「オルグ。待って!」


 とっさに声をあげたオースターに、オルグは足を止めた。

「……いやだよ。どうせ僕の話なんか聞いてくれないくせに」

「聴くよ。約束する。ぜったい君をないがしろにしない。だからここにいて」

「嘘つき」

「嘘じゃない。君の意見を聞く気がないなら、はじめから君をここに呼んだりはしない。そうでしょう?」

 どんな言葉をかけたら、オルグの心を取りもどせるのかわからなかった。それでも無言で見送ることはできない。

 オースターは車椅子の車輪を必死に動かし、オルグの前まで向かう。

「たしかに、僕はホロロ族の境遇に同情している。けど、それを理解してくれるランファルドの民はほとんどいないと思う。オルグと同じように、僕に反発するだけだ。オルグの意見は、きっと市民の総意に近い」

「そのとおりだよ、オースター。誰も君になんか共感しない」

「うん。だから、君の声を聞かせて。君や市民の意見をもっと届けてよ。僕は知ってのとおり脳筋ちびだから、ホロロ族のこととなったらすぐに視野が狭くなってしまう。民の声も聞こえなくなってしまうと思う。そうならないよう努力するけど……それでももし、僕がそうなったら、オルグに止めほしい。ぶん殴ってでも、僕の目を覚まさせてほしいんだ」

 オースターは立ちつくすオルグの頑なな拳に手を伸ばし、そっと触れた。

「ごめん、うまく言えなくて。でも……お願いだ、オルグ。僕を見捨てないで」

 オルグは色の失せた顔をふいにゆがめた。

「見捨てるのは、君じゃないか」

「見捨てない」

 そこだけは力をこめて言う。オルグは怯んだように身じろぎする。触れた手がひどく冷たい。震えてもいるようだ。戸惑うオースターを見つめ、オルグはふいに唇をわななかせた。

「でも――僕、こわいんだ、オースター。〈喉笛の塔〉があんなになっちゃって、これからどうなるの。ランファルドはまさか滅びてしまうの? 僕たち……〈汚染〉に呑まれて死んじゃうの?」

 気弱な声音に、オースターはオルグの不安の根底にあるものを理解した気がした。


 怖いのだ。

 一夜にして、なにもかもが変わってしまった。

 昨日と地続きだったはずの今日は来ない。

 当たり前の日常はすでに失われ、これから先、ランファルドを待ち受けるものがなんなのかもわからない。

 それなのに、仲間だったはずのジプシールやオースターがさっさと自分の立ち位置を決めてしまったから、ひとり、取り残された気がして怖いのだ。


「僕も、こわい」


 オースターは、ぽつりと言う。

「すごく、こわい」

 母の言いなりに生きてきて、今、自分の意思ひとつで動いていることが、とてつもなく恐ろしい。ひとつ間違えば、ランファルド大公国は大勢の民とともに〈汚染〉に呑まれてしまうのだ。怖くないわけがなかった。

 振りかえると、遠巻きに見守っていたコルティスが自分と同じぐらい強張った表情をして立っていた。ジプシールもまた赤く腫れた瞳を床に向け、ぐっと唇を噛みしめている。

(みんなも怖いんだ)

 オースターはそのことにようやく気づいて、ふっと心をなぐさめられた気がした。

「いっしょに、いよう」

 オースターは言う。オルグはしばらく言葉をなくしていた。頼るべき存在の公爵家の人間が、そんな気弱なことを言って不安にさせないでくれよ、とは言わなかった。

 ただ、つないだ手にわずかに力をこめ、オルグは小さくうなずいた。




 ホロロ族には、講堂の真ん中あたりの床に、車座になって座ってもらった。

 オースターもラジェの手を借り、車椅子から床におりてあぐらをかく。すかさずコルティスと、遠慮がちなジプシールが両隣に座った。オルグだけはそれを拒み、講堂の後ろのほうに集めた長椅子のひとつにひっそりと腰かける。

「まず先に、〈喉笛の塔〉について、僕が知っていることを話します」

 オースターは自分が知っていることをすべて語った。

 北部の〈汚染〉がふたたび動きはじめ、すでに最北端の町ペラヘスナにまで届こうとしていること。このまま拡大速度が落ちなければ、いずれは首都にまで到達するということ。そして、〈汚染〉がホロロ族の悲鳴が生みだしたものかもしれないという事実隠すことなく伝えた。

 ジプシールは驚嘆していたし、長椅子に座るオルグに至っては驚きどころではない感情も抱いたようだった。

 だが、誰よりも驚いたのはホロロ族だった。

 ――本当は、講堂に集まったホロロ族の怯えきった表情を見たとき、「いっそこの事実は打ち明けないほうがいいのかもしれない」とも思った。ホロロ族にしてみれば「世界が破滅した元凶はお前たちだ」と責められるようなものだろう。これ以上の迫害を恐れるホロロ族にとって、それは死刑宣告にも感じられるはずだ。

 だが、オルグと話をして、揺らいでいた気持ちが定まった。

 すべてを伝える。

 オースター自身が言ったのだ。「これは〈喉笛の塔〉がなければ生きていけない、この国に生きるひと全員の問題なんだ」と。

 だから、ランファルドの民に伝えるなら、ホロロ族にも伝える。

(ホロロ族には自分たちが何者なのかを、きちんとわかってもらわなくちゃいけないんだ)

 わかったうえで、考えてもらわなくてはいけない。これからどうやって生きていくのかを。なにも考えず、ただオースターに守られて生きていくことを、オルグは――ランファルドの民は決して許さない。そうなれば、ホロロ族がランファルドの民に受け入れられる未来もまた来ないのだ。


「へえ。〈汚染〉がお仲間の叫びが生みだした魔力の副産物とはね。おっどろきー」


 ふいにアキが軽い口調で言った。

「……あんまり驚いているようには見えないけど」

 一気に力が抜けて、オースターはじと目でアキをにらむ。

「驚いてますとも。そんでもって、がっかり。オレとロフにその力があれば、とっくの昔にアモンを全滅させられたのにさ。そしたら俺たちもこんなみじめ人生を歩まずに済んだのに。ねえ、甘ったれのオルグ坊ちゃまもそう思わなーい?」

「許しなく僕の名を呼ぶな、汚らわしいアモンの魔法使いめ!」

 オルグが遠くから鋭く声を上げる。アキはふんっと鼻で笑った。

「甘ったれた、って言葉には反論しないんだ? 笑える」

 オルグが怒りにまかせて地団駄を踏んだ。うめくように文句を吐き捨てるが、アキはどこ吹く風だ。

 オースターはため息をついた。アキときたら、顔は土気色で、脂汗も止まらない様子なのに、ちっとも軽口をやめない。そのゆがんだ根性に癪ながら感心してしまう。

「で? ご主人さまのお望みは、塔を取りかこんでる〈汚染〉をどうにかするってことでよろしいですかあ?」

 アキがへらへらと言う。オースターはしかめ面でうなずいた。

「うん。夕刻にルピィの戴冠式がある。それまでに、喉笛の塔の〈汚染〉をどうにかしたい。どうにかできなくても、少なくともあの〈汚染〉は制御下にあるから安全だ、と民に知らしめたい」

 アキは軽薄な表情をふっと消しさり、悔しげに舌打ちをした。

「制御はできてるよ。見りゃわかんだろ。塔の〈汚染〉は、トマの奴がきっちり抑えこんでるよ」

「わかるの!?」

 オースターは目を見開き、アキのかたわらに座ったルゥに視線をやった。

 ルゥは真剣な眼差しで、こくこくとうなずいた。「自分にもわかる」という意味だろう。

「どうやって?」

「黙ることで、さ」

 息を呑むオースターに、アキは馬鹿にしくさったように鼻で笑いながら答える。

「トマが声をあげたら〈汚染〉が共鳴しちまうんだろう? だから共鳴が起こらないように黙ってるんだ。あいつはクソいい子ちゃんだからさー。〈汚染〉に力を与えないよう……〈汚染〉がランファルドを破壊してしまわないよう、じーっと声を殺して耐えてんだよ」

 やっぱりそうだったんだ、とオースターは息をついた。

 物見塔の屋上で、〈喉笛の塔〉と〈汚染〉の攻防を目にしたとき、オースターはルピィに「塔を囲う黒い手たちに力を与えないよう、声を殺しているのではないか」という当て推量を話していた。

「だから〈汚染〉がめちゃくちゃにキレてるわけ。トマが一発叫んでくれりゃ、その声から力を得られるのに。この忌々しいランファルドを滅ぼしてやれるのに。なのに、あの野郎は黙りこんだまま。だからトマが憎くて、たまらない。なんとしても叫ばせてやりたい。だから、ああして群がってる」

 けれど、トマは応じない。

 叫ばないよう、〈汚染〉に力を与えないよう、ひたすら沈黙している。


(今、ランファルドの首都は、トマに守られているんだ)


「けど、見たところ〈汚染〉は塔から追いだされたように見えるけど、中に戻れないのはなぜ?」

「さあ。トマが魔法で結界でも張ってるんじゃねえの?」

「結界……というのはどんなもの?」

「魔力の殻ってところか? 自分を殻で覆うことで、敵の攻撃を防ぐんだ。アモンの貴族なら赤ん坊でも使える基礎魔法。俺たちホロロ族にとっちゃ、それすら高等魔法だけど、今のトマなら簡単にできるはずだ」

 オースターは「今のトマ?」と首をかしげる。

「でも、トマはつい数日前に、新しく生じた〈喉笛〉を手術で摘出されてしまったはずだ。トマはもうほとんど魔力を持っていないはずだけど……」

「いいや。あいつ、まだ〈喉笛〉を持ってるぜ」

 アキの言葉に、オースターは目を見開いた。

「博士があいつの喉にまた〈喉笛〉の欠片を残しておいたんだろ。それが爆発的に成長した。トマはいま『黙ってる』けど、塔からはとんでもねえ魔力が放出されてるのを感じる。間違いねえよ」

 以前、ラクトじいじがバクレイユ博士に念押しをしていた。トマの喉から早々に〈喉笛〉を摘出するように、その際には決して欠片を残さないように、と。

 そして、バクレイユ博士は『わかった』と答えていた。

 博士は、平気で嘘をつく。


「あのー。アキ君だっけ? ちょっと聞きたいんだけど」


 口を挟んだのは、コルティスだった。アキは怪訝そうに振りかえり、「あ? 誰だ、てめえ」と柄悪く問いかえす。

 生粋の貴族ではないコルティスは無礼な態度など気に留めた様子もなく、「コルティスだよ」と素直に答えてから、忙しなく眼鏡のブリッジを指で叩いた。

「〈汚染〉はトマ君に叫んでほしいんだよね? 共鳴反応さえ起こせれば、力を得ることができるから。だから、ああやって塔の中のトマ君に襲いかかろうとしている。でも、トマ君は〈汚染〉を自分に近づけないように、魔法の殻をまとっている……ということで合ってる?」

「さっきから、そう言ってんだろーが。頭悪ぃな」

「失敬。人の話を要約したがるのは、学者風情の悪い癖でね。――で、北の防衛柵を突破した〈汚染〉は、塔を取りかこんでる〈汚染〉の動きと連動してる、と前にオースターは言ってたよね?」

「うん……確証はないけど、そう感じたよ」

「だとしたら、どっちの〈汚染〉も、極論、トマ君を目指して動いてるってわけだ」

 コルティスは眼鏡をノックしていた指を止めた。

 オースターはまばたきをし、ふいにコルティスの言わんとしていることを理解し、どきりとした。

 コルティスは興奮を隠しきれない様子で、ひきつり笑いを浮かべた。


「ねえ、もしかしてぼくたち、〈汚染〉を操る方法を見つけちゃったんじゃない?」

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