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喉笛の塔はダミ声で歌う  作者: 翁まひろ
最終章 楽園の涯
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第五十八話 クラリーズ学園の講堂

 クラリーズ学園の広々とした講堂に、三十人ばかりのホロロ族が集められた。

 衛生局のフォルボス局長に引き連れられてきた彼らは、怯えきった様子で石造りの重厚な堂内を見わたした。

 教壇を正面に、いつもなら整然と並べられている長椅子は、いまは講堂の後ろ側に寄せられている。そうしてつくられた空間に、ホロロ族は身を寄せあっていた。無意識に逃げ場を求めてか、その視線は何度となく入口の扉に向けられる。


 車椅子を壁ぎわにつけ、ホロロ族の様子を見つめていたオースターのもとに、フォルボス局長が近づいてきた。

「あなたには、言いたいことが山ほどある」

 挨拶も抜きに、そう言いはなつ。

 局長は下水道事業の発展のために、オースターに対して膝を折ったのだ。オースターが次期大公だったからこそ、彼はドファール家を裏切り、オースターについた。

 なのに、肝心のオースターが第一大公位継承権を放棄したのだから、言いたいことは山のようにあるだろう。あげく、ホロロ族をクラリーズ学園に連れてくる役目まで負わされ、その怒りはいかほどのものか。

 ――というわりには、局長の表情に怒りはなかった。オースターは戸惑いながらも頭を下げた。

「本当に、申しわけないことをしました」

 言い訳のしようはなかった。局長が示してくれた忠誠を、オースターは利用し、さらには裏切ったのだから。

「お加減は」

 短い問いかけに、オースターは顔をあげた。

「すこし無茶をしすぎました。――なんとしても大公の座を射止めたかった。ですが、医者から止められました。生まれながらに体に問題があって……騙し騙し生きてきたけど、騙しきれなかったようです」

 嘘と本当を織り交ぜて、自分の現状を伝える。 

 生涯、嘘をつきつづけると覚悟した。それでも心はやはり痛む。 

 だが、それを悔いるつもりはなかった。

 これは、だれかに無理やり歩かされた道ではない。

 ほかでもない、自分自身が選んだ道なのだから。

「正直に申しあげて、残念です」

 フォルボス局長の言葉に、オースターはうなずく。

「僕も残念です。あなたの目指すものは、僕にとっても理想でした。力になれず、本当に申しわけない。――けれど、友人であるルピィ・ドファールは立派な大公になります。あなたの下水道をないがしろにするようなことは決してない。ルピィなら、狂った九官鳥だって手玉に取れるでしょうから」

 フォルボス局長はひょいと眉を持ちあげた。

「そうは言いますが、私はドファール家を裏切った人間ですので」

「あなたが裏切ったのはドファール家の当主であって、ルピィ・ドファールではありません」

「同じではないとおっしゃる?」

「まったく」

 アラングリモ家とドファール家が対立する裏側で、オースターとルピィ・ドファールとは対立関係にないことを暗喩する。

「なるほど」

 フォルボス局長は黙考し、連れてきたホロロ族の集団を見つめた。

「公爵位を継いだのちは、元老院に参加されますね?」

 オースターは首をかしげる。

「……そうですね、多分。わかりませんが、通常どおりなら」

 そこまで考えてはいなかったが、ルピィは「かたわらで自分の治世を見守りつづけろ」と言った。公爵位の復位を約束してくれたのだから、おそらくそれは元老院への加入も意味しているだろう。

「では、今はそれでよしとしましょう」

 妥協的意見を述べるフォルボス局長を、オースターは驚いて見上げた。

「ルピィ・ドファールの命令で、ホロロ族をここまで連れてきた。ところが待ち受けていたのは、あなただ。どういう理由かは知らないが、おふたりが結託したことは想像がついていた」

 最初から局長の表情に怒っている様子はなかったのは、そう察しがついていたからだったのか。

「その良好な関係は、なんとしても保持していただきたい。次期大公殿下には、あなたから日々、下水道の重要性を説いていただかなくてはなりませんから。日頃、目に入らないものにこそ格段の注意を払うべきである、と」

 とことん下水道のことしか考えていない様子に、オースターはしみじみと感心し、そして小さく笑った。

「かならず」

 フォルボス局長は満足そうに「結構」と呟き、腕組みをした。

「ところで、ルピィ・ドファールに命じられ、ホロロ族を連れてきましたが、全員とはいきませんでした。地下水道の〈汚染〉の侵入経路を探るため、人員を割いておりますので」

 言葉どおりに、講堂に集まったホロロ族は三十人足らずだった。

「かまいません。今さらですが、ホロロ族は子供を含めると何人いるんですか?」

「二八三人です。ここ数日の生死は把握しておりませんので、数人の誤差はあるかもしれませんが」

 ではやはり、首輪の番号は単純な連番ではないのだ。

「集まってくれたホロロ族のなかに、長老や、〈天然物〉の方々はいますか?」

「長老がふたり。〈天然物〉はいません。そもそも生粋の〈天然物〉で生きている者はいませんよ。全員、死亡している」

 オースターははっとして、トマが言っていたことを思いだした。

(そうだ、〈天然物〉のひとたちは、以前、塔に侵入しようと試みていたんだ。〈アニアシの葉脈〉を見つけたのも彼らで、でもその配管はすごく狭くて、子供にしか行けないから、〈天然物〉の二世であるトマを仲間に引き入れたと……)

 そしてトマは言っていた。全員、すでに死んでいる、と。

 では、バクレイユ博士が「〈天然物〉」と呼んでいるのは、全員、二世以下なのだろう。

「二世のひとたちは、どれぐらいいるの?」

「50、51、115、178、208の五人ですね。115と178は来ていますよ」

 50、51はアキとロフだ。208はトマ。

 あとのふたりを探してみるが、〈天然物〉に外的な特徴があるわけではないので、見分けられなかった。

 ふたりの長老のうちのひとりは、すぐにわかった。〈喉笛の塔〉の内部で会ったひとりだ。そのほかには、ぬめり竜と交戦したときに会ったのか、記憶がある顔もちらほらとあるが……。

(マシカ)

 マシカがいた。奥方のモルと子供も一緒だ。こちらに気づいた様子はなく、頬のこけた顔を床に向け、ぼんやりとしていた。

「ルゥはいませんか?」

 子供は数人いたが、あの明るい少女の姿はない。

 ホロロ族を番号で呼ぶフォルボス局長だが、ルゥのことはオースターが何度か口に出したことがあるためか覚えたようだった。だが、答えは「いないようです」と曖昧なものだった。

「〈汚染〉の探索隊には加えていませんので、なぜここにいないのかはわかりかねる」

 オースターは顔を曇らせた。

(ルゥの無事を確認したかった)

 それに、トマにとってはホロロ族のなかでは唯一の味方だ。ここにいてほしかったが、しかたない。

「ほかにご質問がないようですので、私はこのまま〈汚染〉の探索隊の陣頭指揮に戻ります。かわりに伝達係があとで来ます。なにかあればその者に。では」

 必要最低限に告げるなり、フォルボス局長は颯爽と立ち去った。

 オースターは背後に控えていたラジェに目配せし、車椅子をホロロ族のほうまで押してもらった。


「今日は集まっていただいて、ありがとうございます」


 ぎくりと振りかえったホロロ族のうちの幾人かは、オースターを見て胸を撫でおろしたようだった。

 オースターを知らないホロロ族は固い表情のままだったが、耳打ちでオースターのことが広まると、彼らを取りまいていた緊張がわずかに和らいだ。

(よかった。これならすこしは落ちついて話ができるかも……)

 だが――マシカと目が合わない。さっきから一度も、あの心優しい青年は顔をあげようとしなかった。

 痛々しく包帯を巻いた姿は、崩落事故直後に比べれば回復して見えたが、うつろな瞳からは感情の火が失せてしまっているように見えた。

 オースターはできるだけ明朗な笑顔をつくる。 

「とつぜんで驚きましたよね。本当は僕が下水道に行けばよかったんだけど、このとおりで……だから、みなさんのほうに来てもらうことにしたんです」

 オースターは注意深く〈喉笛の塔〉にいた長老の表情を観察した。オースターに対して、トマ側の人間だとみなしての警戒心があったら厄介だと思ったのだ。

 だが、長老の表情もマシカと大差なかった。心ここにあらずといった様子だ。

 オースターは言いようのない不安を覚えた。

「それで、公爵さまはどのようなご用事で……」

 誰からともないためらいがちな問いかけには、張りつめた緊張がある。

「じつは、みなさんに相談にのってほしいんです。〈喉笛の塔〉がどうなっているか、ここに来るまでに、見ていただいたと思いますが……」

 地上に出てからの道程のどこかで、ホロロ族に〈喉笛の塔〉を見せるよう、あらかじめ指示してあった。

「わたしたちは、なにも知りません……っ」

 罰せられると思ったのか、誰かが口早に言う。

「大丈夫、ただ、話を聞かせてもらいたいだけなんです」

「なにも知らない。本当です。本当になにも知らないんです!」

 オースターは言葉をなくす。

 これは、かなりの難物かもしれない。もしかしたら〈喉笛の塔〉の現状を見せないほうがよかったかもとも思うが後の祭りだ。

(どっちみち、見せないことには話が進まない)

 オースターはマシカに目をやった。

「マシカ。怪我の調子はどう?」

 マシカは暗い表情のまま、首を横に振る。

「大丈夫です」

「どこか痛いところは……」

「大丈夫です」

 ――考えることをやめてしまったのだ。

 ふいにそれを察して、オースターはぞっとした。ホロロ族はずっと恐怖のなかを生きてきた。フラジアで捕虜とされ、実験体とされたおぞましい日々、凄惨をきわめた〈汚染〉からの逃避行、暗く湿ったランファルドでの地下生活……。その果てに、〈喉笛の塔〉の変貌を目の当たりにしたホロロ族は、きっとこう思ったはずだ。今また新たな恐怖が始まろうとしている、と。

 だから心の内に籠もることを選んだ。心を閉ざしさえすれば、もう恐怖を感じずに済むから。

 重たい沈黙がおりる。ホロロ族は身をこわばらせて黙りこむばかりだ。

(地上に連れてきたのは、まちがいだったのかな)

 どんな手段を使ってでも、オースターが下水道に行くべきだったのかもしれない。

 たとえ過酷な環境であっても、十年も地下に住んできた彼らにとっては、地下こそが「我が家」だ。下水道は彼らの領地で、だからこそ下水道にいるときの彼らは朗らかだった。

 一方、オースターのいる地上は、ホロロ族を支配する者たちの居住地。ただでさえ怯えているホロロ族を、こちらの領域に引っ張ってきてしまったのは間違いだったのかもしれない。

(どうしたらみんなを落ちつかせて、話ができるようになるだろう)

 今こそ一緒に考えたかった。ともに歩む未来のことを。けれど、これでは――。

 考えあぐねたそのとき、扉を開く音がした。ホロロ族たちが敏感に体を震わせる。振りかえると、コルティスが陽気に手を振りながらやってくるところだった。

「待たせたね、オースター。連れてきたよ」

 背後を疑り深い眼差しでついてきたのは、ジプシールにオルグのふたりだった。

「ありがとう、コルティス。ふたりも」

 笑みを向けるが、昨晩、オースターの大公就任を祝ってくれたときの笑顔はそこにはない。

 オースターがなにも言えずにいると、ジプシールのほうが怖い顔をして近くに寄って来た。

「病気のこと、よくも黙っていたな」

「……ごめんなさい。ずっと薬を飲んでいたんだ。なんとかできればと思ったんだけど、無理だった」

 ジプシールは黙ったままオースターの車椅子を見つめ、太ももの脇で拳を握りしめた。

「それならそうと、言ってくれれば……っ」

 ジプシールは最後まで言いきれずに歯噛みした。悲しみとも怒りともつかぬ感情で瞳の奥を揺らし、ふいに怒りの矛先をホロロ族に向けた。

「これはどういう状況だ。なぜあいつらがここにいるんだ」

「前に話をしただろう。ホロロ族に会ってほしいって。地上に連れてくるって約束してあった」

「そんな約束していない」

「うん。僕が勝手にしたんだ」

 ジプシールが顔をゆがめた。

「ああ、あれか。じかにホロロ族に会ってなお、あいつらを踏みにじって生きていく覚悟があるか考えろ、だったか。あいにくだが、なにも感じないぞ。満足したか、オースター」

 話をしてみてほしいのだ、と言い返したいところだが、ホロロ族の様子からして、誰もなにも本心を語らぬままで終わりそうだった。

 オルグを見れば、普段はおっとりしている彼も明らかに腹を立てていた。オルグにとって、ホロロ族は先の大戦の仇敵だ。無理やりホロロ族と会わされて怒っているのかもしれない。

「〈喉笛の塔〉を見てきただろう? ホロロ族のみんなは、もしかしたらあれを打開する術を知っているかもしれないんだ」

「知っていたとして、あれがああなったのは、こいつらのせいだろう!」

 激高するジプシールに、ホロロ族が一斉に身を引いた。ルゥとさほど年齢の変わらない男の子がさっと大人の後ろに引っこみ、怯えたように身を震わせる。 

 オースターは目を見開き、ジプシールを強い眼差しで見上げた。

「ホロロ族のせいじゃない」

 誰もに聞こえるように、はっきりと言う。

「彼らは十年もの間、不満ひとつ言わずにランファルドを支えてきてくれた。ホロロ族がいなかったら、僕らはいま生きていなかったかもしれない。ううん、生きていたとしても、痩せた体で木の根をかじり、ネズミを捕まえて食べ、かろうじて生きていただけだったかもしれない。それを、ここにいるホロロ族のみんなが助けてくれたんだ。

 いま、〈喉笛の塔〉に問題が起こっているとしても、それは彼らのせいじゃない。いいや、誰が悪いかなんかどうだっていい。いま考えるべきは、この問題にどう立ち向かうかだ。みんなで解決しなければならないんだ。これは〈喉笛の塔〉がなければ生きていけない僕たちの……この国に生きるひと全員の問題なんだから!」

 オースターがそれほど強い口調でジプシールをたしなめたのははじめてだった。

 そのせいだろうか、ジプシールはたじろいだ様子で言葉をなくした。なにかを反論しかけ、しかしすぐに口を閉ざす。

 ホロロ族を振りかえると、彼らもまた驚いた顔でオースターを見つめていた。

 ――きぃ、と扉の開く小さな音がする。

 一斉に振りかえる。衛生局の制服を着た局員が入ってくる。フォルボス局長から伝令役を命じられた人物だろう。

 そのあとにつづいて、さらにふたりの人物が講堂のなかに入ってきた。

 オースターは目を見張り、車椅子から身を乗りだした。

「ルゥ――」

 入ってきたのは、ルゥだけではなかった。

 ルゥの隣に立つ少年を見て、オースターは言葉を失った。

 見慣れない人物だった。いや、オースターはたしかにそれが誰かを知っている。ただ装いがあまりに変わっていたから、「どちらか」なのか、すぐにわからなかっただけだ。

 いつものカツラはない。短い黒髪は汗と泥、血で汚れ、見る影もない。豪勢だった衣装も、洗いざらしのシャツ一枚に、薄汚れた作業着のズボンに変わっている。


「アキ」


 それでもロフではなく、アキのほうだと判断がついたのは、添え木をあてて包帯をした右腕を、痛々しく肩から吊るしていたからだった。

 旧水道の闇のなか、オースターの目の前で、ぬめり竜の尾にへし折られた腕だった。

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