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喉笛の塔はダミ声で歌う  作者: 翁まひろ
最終章 楽園の涯
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第五十二話 記憶の泉

 朦朧としたトマの意識が、だれかの声をとらえる。耳障りな甲高い声。大嫌いなくそじじいの声だ。

 バクレイユ・アルバス、信用ならないあの男。


「私の可愛い小鳥。こんなに弱ってかわいそうに」


 ぼやけた視界のなかで、バクレイユ博士とおぼしき人影が首を横に振った。

「抗生剤を注射しよう。安心したまえ、熱はすぐに引く。……ああ、それにしてもラクトの言うことを無視しておいてよかった。感じるかね? 君の喉にはまだ〈喉笛〉があるんだ。全部とりきらずに、欠片をちゃんと残しておいたからねえ。さあ、はやくまた〈喉笛〉を成長させておくれ。はやく私の役に立っておくれ」

 腕を掴まれた。右肩にちくりとした痛み。抗生剤を打たれたのだ。

「さあ、運べ運べ! そーっとだ。この鳥を傷つけたら許さないぞ、おまえたち」

 白衣姿の男がふたり、トマを両脇から抱え、引きずるように運んでいく。

 暗い廊下がゆるく弧を描いている。煤けたり、黄ばんだりした壁。等間隔にともった電灯が力なく明滅し、時々、ふつりと意識が途切れる。

 ああ、あのときみたいだ。トマはぼんやりとした意識の底で思った。

 あれからもう何年も経つのに、自分はまた抵抗ひとつできずに、〈喉笛の塔〉に連れていかれるんだ。


 熱に浮かされた頭に、古い記憶がよみがえる。

 むかし見た風景や、だれかと交わした会話が、次々と現れては消えていく。

 抗うこともできずに、トマはやがて眠るように、記憶の泉にその身をたゆたえた。

 

 ――――――……………

 ――――…………

 ――……


 十年前、死に物狂いでたどりついた「南の楽園」の名は、ランファルド大公国といった。

 丘陵地に栄えた都ランファルド市は美しかった。雲間から射しこむ太陽の光を燦々と浴びて、希望に満ちあふれて見えた。

 だが、ランファルドに到着してすぐ、トマとラクトじいじ率いるホロロ族の集団は、工場地帯の裏手にある薄暗くて汚い倉庫に押しこめられた。

 錆びたトタン屋根、壁は染みだらけで、床板は腐って大穴があいている。

「このおうち、天井から水が落ちてくる」

 トマがしげしげと天井を見上げて言うと、部屋の隅で不安そうに膝を抱えていた青年が、のろのろ立ちあがって近づいてきた。

「修理すればいいさ。不満はあまり口にしちゃだめだよ、ええと……トマ、だっけ」

 叱られて、心臓が跳ねあがった。青年は同じホロロ族の仲間だったが、魔導大国アモンでは貴族の屋敷にひとりで「飼育」されていたトマにとって、仲間という概念は馴染みのないものだった。仲間からの叱咤は、旦那さまの罵りと違うものだろうか、それとも同じものだろうか。

「水が落ちてくるなって、思っただけなんだ……」

 おどおどと答えると、怯えが伝わったのか、青年は困ったように笑った。 

「そうか。そうだよね。でも言っちゃだめだ。不満があるって、誤解されたらいけないから。いいね、トマ?」

 そっと諭してきた青年は「マシカ」と名乗り、素直にうなずくトマの頭を「いい子だ」と優しくなでてくれた。


 その倉庫にいたのは、ほんの数日だった。体を洗ったり、食べ物を与えられたり、消毒されたり、健康診断というものを受けたりして過ごした。

 そして次に案内されたのは、大昔に使われていたという囚人労働者のための地下監獄だった。

 暗さや黴の匂いには、わりとすぐ慣れることができた。ただ、割り当てられた部屋に格子がついているのが怖かった。

 もし外から鍵をかけられたら、自分はふたたび檻の鳥になる。本能的な恐ろしさから、トマは決して格子の扉を閉じようとしなかった。

 だが、そうした過去の恐怖も、同じ恐怖を抱える仲間たちとすごすうち、次第に薄れていった。まだ七歳と幼かったことも大きいだろう、トマは子供の順応力を遺憾なく発揮し、あっという間に地下での生活に慣れていった。


「おまえたちに仕事をやる。下水道掃除夫の仕事だ」


 ある日、不服そうに言ったのは、衛生局のフォルボス・マクロイ局長だった。

「感謝しろ、この私が手ずから仕事を教えてやる。しっかり覚えて、大公殿下に恩を返すのだぞ」

 口調こそ冷ややかだったが、仕事の教え方は丁寧で、質問をすれば理解するまで解説してくれた。人を見下しきった侮蔑的な態度ではあったものの、トマははじめて目の当たりにする「職人技」にすっかり感心した。

 正直に言って、下水道掃除夫の仕事はけっこう楽しかった。

 けっこう――いや、だいぶ。

 地下の迷宮は、道を覚えさえすれば、自由にできる広大な庭を持ったようなものだった。もちろん危険は山盛りだ。実際、仲間が死ぬことはよくあったし、トマ自身、ネズミにかじられた手が炎症を起こして、危うく指を落としかけたこともあった。

 工場地帯からは、定期的にソーダ状の毒物が排出された。ガスマスクをつけ忘れると、刺激臭に目がやられた。成分によっては皮膚がただれ、最悪、死に至ることもあった。

 地上で雨が降ると、下水道の水位が一気に増すので、地上に避難しないと溺死する恐れがあった。なのに、マンホールから顔を出すと、地上の連中は「ドブネズミだ」と顔をしかめるのだからいやになる。

「酸欠、メタンガス、爆発、雨、工場排水警報、腐乱死体、シアンガスには要注意……」

 命に関わることだから必死に頭に叩きこんだ。

 だが、身を守る術のない籠の鳥だった頃とは、なにもかもが違っていた。なにせ下水道で起きる事故の大半は、知識と知恵、経験によって未然に防ぐことができるのだから。


(おれは生きてる)


 生かされているのではなく、自分の力で生きている。

 その実感は、過去に感じたことがないほどの充足感を与えてくれ、トマはどんどん下水道掃除夫としての腕を磨いていった。

 そして一年が経つ頃には、トマは部屋の格子扉を閉めることができるようになっていた。

 檻の外に必要とされる場所がある。

 その実感が、檻への恐怖を忘れさせてくれたのだ。



「〈喉笛〉を提供すると、提供者本人だけでなく、家族、それに掃除夫全員に、特別ポイントが入ることになった。大公殿下のありがたいお計らいじゃ」

 下水道で働きはじめてから二年が経ったころ、ラクトじいじが集会場にみんなを集めて、そう説明した。

 ラクトじいじの首には鉄の首輪が嵌められている。刻まれた「1」の数字は、一番目に〈喉笛〉を提供した者という意味だ。

 トマはその首輪を見るたびに嫌な気分になった。

 首輪は誰かの所有物であるという証だ。ランファルドではそうではないのかもしれないが、少なくとも魔導大国アモンではそうだった。

「対象は、五十歳以上じゃ。対象となった者はじっくり考え、〈喉笛〉を提供するかどうか決めなさい」

 その日以降、首輪をはめた掃除夫が徐々にではあるが増えはじめた。彼らは、首輪をはめていない掃除夫を見ては、なにごとかを囁きあうようになった。

〈喉笛〉は塔に納めなければいけない――そんな有無を言わせぬ空気が、町全体に満ちていき、数日、また数日、〈喉笛〉提供を志願をする者が増えていった。

 同時に、断固として〈喉笛〉の提供を拒否していた掃除夫が、仲間に詰め寄られる姿もたびたび見かけるようになった。


「迷惑だなあ、ああいうの。協調性がないっていうかさー」

「〈喉笛〉なんて無用なもん、さっさとくれてやればいいのにさー」

「提供すりゃ、みんなにポイントが入るんだ。早いとこ済ませちゃえばいいのにさー」

 双子のアキとロフがけらけら笑って、トマに目をやった。

「トマはどうする? 近いうちに対象年齢が下げられるって噂、聞いただろう?」

「順番が来たらすぐに、〈喉笛〉を提供するよな?」

「この〈喉笛〉のせいで、おれたち、アモンで散々な目に遭ってきたんだ。こんなもん、さっさとなくしちまいたいよなあ?」

 トマは首を横に振った。

「おれは提供しないよ。ポイントもいらない」

 ええ!?とふたりが同時に非難の声をあげる。

「なんでだよ。〈喉笛〉がなくなったって、声がちょっと枯れるだけだ」

「おまえだって、ひどい目に遭ってきたはずだ。おれたちも、おまえと同じ〈天然物〉だからよくわかる」

「それに、トマの〈喉笛〉は上物だ。声を聞いてりゃわかる。きっとポイントもたくさんもらえる」

 畳みかけられるが、トマはかたくなに拒んだ。

「おれはいい。下水道でいっしょうけんめい働いて稼ぐから」

「嘘だろ!? 下水道で働いて手に入るポイントなんて微々たるもんだ」

「もっと広い部屋がもらえる。いい食事も食べられる。服だっておまえ、それ、いつ配給されたやつだよ」

「けど、アキ、ロフ。〈喉笛〉はホロロ族の魂なんだよ」

 トマは言って、自分の喉に触れた。

「これは、おれの魂なんだ。ぜったいに渡さない。もう誰かの好き勝手になんか、させない」

 双子は興が削がれた様子で肩をすくめる。

「変わり者だなあ、おまえは」

「ま、トマのそういうとこ、嫌いじゃないけど」

「おれたちだって好き勝手にされるのは、もうごめんだ」

「だからこそ必要なんだよ、ポイントが。稼いで、稼いで、稼ぎまくって、だれにも真似できないぐらいの富を得てやるんだ」

 くっくっと笑って、ふたりは頭の位置まで持ちあげた互いの両手をパンッと合わせて打ち鳴らした。


 トマの決意とは対照的に、日に日に首輪をする大人が増えていった。

「地上の連中は、そんなに〈喉笛〉が必要なの?」

「よくわからないけど、今度、電気自動車というものを開発するつもりらしいよ」

 マシカがガサガサに枯れた声で答える。

 マシカは町一番の別嬪と結婚することが決まっていて、「しあわせな家庭を築くんだ」と意気揚々、塔に〈喉笛〉を納めたあとだった。

 そのころの対象年齢は、二十歳以上。「これが最後だ」と長老会は言っている。

「また新しい乗り物? このあいだ、斜行トラムとかいう乗り物もできたんだろ?」

「そうだ。おれたちが〈喉笛〉を提供したおかげで、ランファルドはどんどん豊かになってるんだ。すごいと思わないか?」

「うーん……まあ……」

「あ、このあいだ、おれたちのことが新聞に載ったらしいぞ。ランファルドの資源枯渇を救った英雄、って書かれてたって!」

「へえ……」

 トマは浮かない顔で相槌を打つ。マシカは苦笑した。

「なんだよ、その顔。下水道にも、電気駆動の汚水回収車って機械を入れてくれるらしいよ。蟹みたいな形だそうだ」

「本当? ……そっか、蟹かあ」

 電気駆動の汚水回収車には関心があった。仕事の能率があがって、フォルボス局長も喜びそうだ。蟹型というのもいい。ホロロ族の「ホロロ」は「蟹」という意味らしいから親近感がわく。

 けれどやっぱり、マシカのように手放しには喜べなかった。

 なにか、心がざわついた。


 それから数か月が経った、ある冬の日のこと。

 ラクトじいじが、トマや、アキとロフを含めた何人かの子供たちを呼びだした。

 全員が、十歳前後の子供だった。


「これから、わしといっしょに〈喉笛の塔〉に行こう。よいな?」

 トマは首をかしげ、アキやロフと顔を見合わせた。情報通のふたりも事情を知らないようで、不満そうに下唇を突きだし、肩をすくめる。 

 電気駆動のトロッコ列車に乗せられ、連れていかれたのは、〈喉笛の塔〉監視所の地下だった。昔、一度だけ健康診断のために連れていかれたことがある。

 ガラス張りの昇降機に乗せられ、地上第二層で下ろされる。

 弧を描いて伸びる、無人の白い廊下。片側の壁にはガラス窓が並び、中庭にはめったに目にすることのない〈喉笛の塔〉が間近に迫って建っていた。

 なぜか、無性に逃げだしたくなった。

 広い部屋に通された。真っ白な室内には、着飾った人間が四人、椅子に座って待っていた。身なりから、貴族だとわかる。

 恐れが身を貫いた。貴族は怖い。貴族は自分を痛めつける存在だ。

(なにが始まるんだろう……)

 トマはうつむく。

 だが、すぐにキッと顔をあげた。

(なにが始まったって、抗ってやる)

 下水道で身につけた知恵と知識があれば、貴族どもがどんなふるまいをしてこようと冷静に太刀打ちできるはずだ。

 もう、魔導大国アモンにいた頃の、無知な籠の鳥だった自分とはちがうのだ。


「先だって、〈喉笛〉の摘出を十四歳以上と定めたのは、それ以下では手術に危険が伴うからではなかったのか?」


 貴族のひとりが言った。別の貴族が顔をしかめる。

「大人の〈喉笛〉はおおかた取りつくしたのだ、いたしかたない。私とて子供の喉を裂くのは抵抗があるが、大公殿下がお望みなのだ。――いや、バクレイユ・アルバスの望みと言うべきか」

「いまや殿下は、あの男の言いなりだからな。……まったく。せめてアラングリモ公爵が存命なら、まだ拮抗もできたろうに」

「我がドファール公爵家だけでは、力不足だと言いたいのか? ハウダウル伯爵」

「……い、いや、そういうわけでは……」

「静まりたまえ。では、我ら元老院は、今回の件、正式に許可を与えるのだな?」

「それしかあるまい。ポイントだかなんだか知らんが、すべての予算はドファール公爵、そちらが持つのだろう?」

 子供たちを無視して、低い声で話しあいが進む。

 やがて、貴族たちが、子供たちのそばに控えていたラクトじいじに目線を送った。

 

「はじめたまえ」


 ラクトじいじは部屋の隅に立っていた白衣姿の男たちにうなずいて見せた。

 男のひとりが、無言でトマの腕を掴んだ。別の男たちは、ほかの子供たちの腕を押さえる。

 体が動かなかった。下水道で身につけた知恵や知識はなんの役にも立たなかった。

 とっさに見上げたラクトじいじが黙ったままでいることで、トマも、ほかの子供たちも、動くことができなくなってしまったのだ。

 ひとり廊下に出されたところで、やっと抵抗することができた。

「はなして――」

 情けなくなるほど、小さな声だった。だが、それ以上の声は出なかった。

 せめてもの抵抗で、引っぱる腕に逆らって両足をつっぱねた。無駄だった。ずるずる引きずられ、ふたつ隣の部屋に放りこまれる。


 煌々と明かりのともった、真っ白な部屋。

 窓ひとつない部屋の中央には、白い手術台が置かれている。 

 そして――気づけばトマは手術台に縛りつけられ、白い天井を見つめていた。

 

「さあ、私の可愛い小鳥。おまえの〈喉笛〉を見せておくれ」


 バクレイユ博士が甲高い声で言って、耳当てを自分の頭に装着した。 

 鋭利なメスが視界に迫ってきた。体が動かない。麻酔の注射を打たれたのだ。

 抵抗できずにいるうちに、喉を裂かれた。

 麻酔のおかげで痛みはなかったが、喉から〈喉笛〉が取りだされた瞬間、頭がおかしくなりそうなほどの苦しみに襲われた。

 トマは身動きひとつできないまま、涙をこぼし、心のなかで叫んだ。


 ――やめて、助けて、苦しい、返して、持って行かないで。


「ああ……っ、なんと上質な〈喉笛〉だ! これひとつで町ひとつの電力を賄えるほどの力を秘めている! 素晴らしい、素晴らしい!」

 バクレイユ博士は感涙にむせびながら、〈喉笛〉をそっとガラスの容器におさめた。容器には「208」と刻印された鉄の輪が嵌められていた。

 博士がガラスの容器を胸に抱いて、いそいそと部屋から出ていく。

 裂かれた喉をそのままに放置されたトマは、縫合する係の者がやってくるまで、泣きつづけた。

 

 それ以来、すべてが変わってしまった。

 ひどく、いらいらする。声が枯れていることが辛くてたまらない。

 悲しいことがあったり、気持ちがめげたりしたときには、いつもこっそり歌っていた。けれど、かすれた声はもうトマになんの安らぎももたらさない。海辺の国にも二度と行けなくなってしまった。

 強制ではないと言ったのに。信じた自分がばかだったのだろうか。

 なぜ塔に連れていかれたとき、この体は動かなかったのだろう。


 ぜったいに奪われてはいけないものだった。

 守り抜かなければならないものだった。


 あれは、自分の魂だったのに――。 


 ――……

 ――――…………

 ――――――……………


 張り裂けそうな胸の痛みから逃れるように、トマの意識は覚醒した。

 視界に飛びこんできたのは、上方へと広がる筒状の空間。

 ここは――〈喉笛の塔〉の内部だ。

 恐怖が這いあがってくる。とっさに身を起こそうとするが、体が重くて、床に寝そべったまま身動きがとれない。

 焦りに歯をかたかたと鳴らしながら、手探りで武器になりそうなものを探す。


「……トマ、起きたのだね?」


 すぐそばで、慣れ親しんだダミ声がした。

 顔を声のほうに向けると、すぐそばでラクトじいじが変わり果てた姿で横たわっていた。

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