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喉笛の塔はダミ声で歌う  作者: 翁まひろ
第五章 終焉のはじまり
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第四十一話 闇の迷路

「どけ……!」

 オースターを蹴り飛ばし、アキが銃口をぬめり竜に向けた。

 だが、発砲するより前に、ぬめり竜の長い尾がアキを襲った。アキの体は横に吹っ飛び、壁に激突する。

 ロフがアキの名を叫んだ。天井に貼りついていたぬめり竜が床に着地し、横転したアキに襲いかかる。

「こいつ――っ」

 アキが半身を起こしざまに、引き金をひいた。爆発音が反響し、怪物の頭部が吹き飛ぶ。肉片がべちゃっと床や壁に貼りつき、頭を失った白い体躯がゆっくりと横倒しになる。

「わお、この銃ってやつすごいぞ、ロフ!」

「ドファールめ、皇太子相手だからって奮発したな、アキ!」

 アキが歓喜の拳をあげ、ロフが歓声をあげた。

 直後、胴体だけになったぬめり竜のしっぽが、びくんと痙攣した。最後の悪あがきか、鞭のようにしなってアキの腕をなぎ払う。

「……は?」

 強烈な力によって、ありえない角度に曲がった腕をぽかんと眺めるアキ。

「アキ……ちょっと――」

 そして、ロフがさらなる異変に気づいた。

 死んだ一匹とは別の個体が、二匹、壁の向こうから現れたのだ。

「はは……」

 ふたりは同時に乾いたダミ声で笑った。

「ここ、いつの間に、ぬめり竜の巣になってたのさ?」

 二匹が牙に覆われた口を大きく開いた。



 つんざくような絶叫があがった。

 悲鳴が、発狂したような笑い声が、液体の飛び散る無惨な音が反響する。

 ルゥが呆けたまま、その場に立ちつくしている。オースターは真っ青になりながら震える足を叱咤し、立ちあがった。床に転がっていた蓄電池式ランタンを拾いあげ、もう片手には工具の錐を掴んだまま、自失状態のルゥに近寄る。

 肩に触れると、少女はびくりと顔をあげた。


「ルゥ、逃げるんだ。道案内を。できるね?」


 ルゥの目の焦点がゆっくりとオースターに合う。やがて少女が小さくうなずき、オースターはその背をそっと押して歩きだした。

 ゆっくり足音を忍ばせ、ぬめり竜から遠ざかる。悲鳴はもう聞こえない。ただ、ガツガツと肉片を食らうような音だけがする。

 オースターが無意識に足を早めたときだった。

 ぬめり竜の咆哮がびりびりと空気を震わせた。


「――走れ!」


 ルゥが走りだした。オースターはその背を守るように後方を走る。

 びちゃびちゃと、ぬめり竜の湿った足音が迫ってくる。

 その音は、上から聞こえる。


 ――上?


 見上げると、一匹のぬめり竜が蜥蜴のように天井を這い、ふたりの真上まで接近していた。

 今にも飛び降りようという体勢だ。ぬめり竜の落下地点にはルゥがいる。オースターはとっさにルゥの背中を突きとばした。

 ぬめり竜が落下した。オースターはもろに体当たりを食らい、ルゥとは逆方向に弾き飛ばされた。

「……っ」

 床に打ちつけた上体をどうにか起こすと、ぬめり竜を挟んだ向こう側で、ルゥがふらふら立ちあがるのが見えた。


「ルゥ、逃げて!」


 声に反応し、ルゥに向かって突進しようとしていたぬめり竜が、鎌首をこちらに向けた。


「伝えて! トマに――身を隠せって!」


 もう一度、叫ぶ。

 足音は聞こえない。返事はあろうはずもない。

 ただ、眼前に立ちふさがったぬめり竜が口を開く、ねちゃっとした粘着質な音だけが響きわたった。


『弱点は、頭頂部だ』


 トマの声が脳裏によみがえった。

 オースターは立ちあがって錐を構えるが、手があり得ないほど小刻みに震えていた。倒せるわけがない。こんな状態で、たったひとりで、二匹のぬめり竜を倒せるわけが――、


『逃げられる状況なら逃げたほうがいい』


 オースターは錐を捨て、身をひるがえして駆けだした。


『あいつらは図体がでかい。人間にしか入れないような狭い管に逃げるんだ』


 すこし走った先で、地下水道は三本に分岐していた。

 立ったまま走れる二本に対して、一本は腰をかがめてやっと入れる程度の大きさだ。もっとも狭いその水路を選んで、身をかがめて中に入る。

 だが、オースターが簡単に入れたように、ぬめり竜もまた難なく後をついてきた。

 腰を折ったまま、さらに走る。さっきまでいた地下水道は床が平らだった。だが、この水路は水が流れやすいようにか湾曲していた。「前時代の旧水道」というアキの言葉どおり、水はない。だが、汚泥の堆積した底はひどく滑った。

 両側に迫る壁を手で押して、どうにか体勢を保ちながら、天井に頭をこすりつけるようにして走る。

 ふたたび水路が二本に分岐する。

 左に向かうのは、同程度の狭さの水路。

 右に向かうのは、円形の排水管で、その口径はオースターの肩幅程度しかない。

 そこに飛びこむのは勇気がいった。だが、迷っている時間はなかった。

 オースターは蓄電池式ランタンの持ち手を口にくわえ、四つん這いになった。排水管の暗闇へと頭からつっこむ。肩は通った。だが、内部は驚くべき狭さだった。全身を横たえ、両腕を使ってほふく前進するしかない。オースターはガチガチと鳴る歯を食いしばり、揺れる明かりだけを頼りに、全力で前へ、前へと這い進む。

 ぬめり竜が、すぐ足もとで咆えた。ぐっと右足を引っ張られる。ズボンの裾かなにかを噛まれたのだと知る。

 半狂乱になって虚空を蹴りとばすと、足が自由になった。オースターは死にものぐるいで腕を、足を動かし、排水管の奥へと進んだ。

 ――どれぐらい這っただろう。

 腕も、足も、棒のようだ。

 怪我した腕も、殴られた頬も、打ちつけたところすべてが、痛みよりも重さとなって襲いかかってくる。

 咆哮はすでに遠い。きっと入り口付近でひっかかって、入ってこられないのだ。

 それでも安心なんてできなかった。いつ、ぬめり竜がすり抜けてくるかわからない。体毛も鱗もない、てらりとした体。その気になれば、すぐにくぐりぬけられるのではないかとも思う。

 オースターは遠のきそうになる意識をふるいたたせ、重たい手足を動かし、ひたすら前へと這った。

 そしてついに、狭い排水管を抜け、別の空間へと這い出た。




 口から蓄電池式ランタンを離し、湿った床にうつぶせになったまま、浅い呼吸を繰りかえす。

 重たい頭をめぐらせ、くぐり抜けてきた排水管を振りかえる。

 ここを這ってきたなんて信じられない。それほど狭い管だった。ぬめり竜の声はすでにしないが、排水管には闇が詰まっていてなにも見えない。

 たぶん、あきらめたのだ。そう思うことにする。

 極度の疲労から、なかば投げやりにそう決めて、オースターは時間をかけて呼吸を繰りかえした。

 ようやく身を起こせるようになり、オースターは自分が今いる空間を観察した。

 闇だ。

 オースターは蓄電池式ランタンを手にとり、高く掲げた。鼠が一匹、足もとを走り去るが、人の気配はまるで感じない。気絶から目覚めたときにいた地下水道と似たような雰囲気で、立って歩ける程度には広いが、先は完全な漆黒に塗りつぶされ、見通せない。

(マンホールがあれば……)

 そこから地上に出て、助けを求められる。

 オースターは尽きかけた気力をふるいたたせ、壁を支えに立ちあがった。

 ふらふらと歩きだす。

 まっすぐに伸びた長い水路だ。マンホールはない。底知れぬ恐怖が喉元までせりあがる。

(ここに、マンホールはない。アキから逃げながら探したけど、それらしいものがひとつも見当たらなかった)

 ないのだ、旧水道には。だから、アキとロフはオースターをここに連れてきた。逃げ場所がないから。死体が発見される可能性も低いから。

 オースターは足を止めた。

 目の前で、地下水道は左右に分岐していた。

 どちらの穴にも、闇が詰まっている。


 ――だめだ。


 もう、動けない。

 どちらかの道を選ぶなんて、とてもできない。

 ぬめり竜から逃れても、迷ってしまっては二度と地下から抜け出せない。

 これ以上は、だめだ。

 全身が恐怖に浸食される。

 膝から力が抜け、オースターはその場にへたりこんだ。

(ルゥがきっと助けを呼んできてくれる)

 けれど、ルゥが無事かどうかはわからない。

 死んだぬめり竜のほかに、怪物は二匹いた。一匹はオースターについてきた。それはわかっている。だが、もう一匹は途中から視界に入らなくなった。あの一匹はルゥを追ったのかもしれない。

 どうしてルゥの背中を押してしまったのだろう。あんなに小さな女の子をひとりで行かせてしまうなんて。

 もし、ぬめり竜に食われてしまっていたら、自分を一生許すことができない。

 第一、ルゥはオースターがこんなところに逃げこんだなんて想像もしないだろう。

(けっきょく、ここで死ぬのか)

 泣き笑いのような声が漏れた。

 闇のなかでひとりぼっちになってはじめて、アキの吐いた言葉が心をえぐった。

(ルピィが僕を殺そうとした……)

 オースターは胎児のように膝を抱え、無気力に、目を閉じた。





 どれぐらい経ったろう。眠っていたとも、ただぼんやりしていたとも思える長い時間が経って、オースターは顔をあげた。

 今、誰かの声を聞いた気がした。

(きっと〈喉笛の塔〉の声だ……)

 ふたたび膝を抱え、オースターは自分の殻に閉じこもろうとする。

 けれど、なにかが死にかけの脳みそに「警告」を与えていた。

(右手が……熱い)

 右手首に視線を向け、オースターは顔をあげた。

 手首に巻いた飾り紐だ。それが力強く熱を放っていた。

(トマがくれた、ホロロ族のお守り)

 そっと握る。

 完全に消えたと思っていた気力が、わずかばかりによみがえった。

(そうだ、落ち着け。いくら使われていない旧水道と言ったって、無限につづいているわけじゃない。いつか、かならず出口に出会える)

 オースターは飾り紐を手首ごと握りしめ、ぎゅっと目を閉じた。

(勇気を出せ。ぬめり竜はもういない。明かりはある。できる。僕なら、できる)

 何度も何度も自分に言い聞かせ、オースターはついに蓄電池式ランタンを掴んで立ちあがった。

 体が重い。全身が痛い。立ちあがっただけで、膝が抜け落ちそうなほど疲れている。立ちくらみに襲われ、壁を支えにして呼吸を整える。大丈夫。大丈夫だ。

 オースターは歩きだした。

 のろのろとした歩みだったが、着実に。

 少し歩いた先に、錆びた鉄梯子があった。明かりを向けると、梯子をのぼった先に別の排水管が口を開けていた。

(地上に出たいんだから、上にいったほうがいい)

 梯子を見つけたら、手あたり次第にのぼってみよう。そうしたらきっといつか、地上に出られる。


 視界が真っ黒になった。


「……え?」

 息をのんだ直後、ふたたび明かりがつく。

 オースターは蓄電池式ランタンをまじまじと見つめる。

 いま、一瞬、明かりが消えた。そう思った直後、ふたたび明かりが消え、暗闇が全身を包みこんだ。

「や、やだよ、やだ、やめてよ……!」

 震える手のなかで、蓄電池式ランタンは点灯と消灯を繰りかえした。

 さんざん雑な扱いをしたせいで故障したのだろうか。オースターは正気をなくし、蓄電池式ランタンを力任せに振りまわす。

「お願いだ、明かりがなくちゃ、もうどこにも行けない、もうどこにも――」

 揺れる光が、手前を、地下水道のはるか先を、また手前を照らしだす。

 オースターは目を見開き、蓄電池式ランタンを振りまわすのをやめた。


 いま、なにか。

 なにか、そこに。


 死にかけの光を、地下水道のずっと先に向ける。


 ソレを目にした瞬間、全身の皮膚という皮膚があわだった。

 黒い手だ。

 地下水道の壁に、〈喉笛の塔〉で見た「黒い手」が貼りついていた。


「……なんで?」


 間の抜けた声でつぶやいた直後、地鳴りのような音が地下水道を震わせた。

 直後、明かりのなかで、どうっと水飛沫があがった。

 濁流だ。どこから流れこんできたのか、大量の水が「黒い手」を呑みこみ、そのままオースターがいる方へと押し寄せてくる。

 あまりに突然のことに、オースターは半狂乱に陥った。壁にあった鉄梯子を掴むが、下半身が激流に呑みこまれるまでは一瞬だった。

 最初の衝撃で、蓄電池式ランタンは水に流された。真っ暗闇のなかで、オースターはわけもわからずに悲鳴をあげる。

 ふたたび誰かの声が聞こえた。

 枯れた声だ。聞き覚えのある、必死の声。

「トマ……!」

 オースターは叫んだ。

「トマ! トマ! ト――」

 強烈な水の流れが、鉄梯子に絡めた両腕をあっという間に引きはがした。

 なすすべもなく、オースターの体は水のなかへと呑みこまれた。

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