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喉笛の塔はダミ声で歌う  作者: 翁まひろ
第五章 終焉のはじまり
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第三十九話 危険な遊び

 シャリッ、となにかを削る音がした。

 耳元だ。

 続けざまに、シャリ、シャリ、と。

 なんの音だろう――思った直後に、頭皮を引っ張られる痛みを覚え、オースターは目を開いた。


「あ、目、覚めちゃいました? オースター様」


 目だけを上に向けると、かたわらにしゃがんでいたアキが、もともと細い目をさらにうっとりと細めた。

「まだ動かないでくださいねえ。すぐ終わりますから」

 そう言って、アキは右手に持った銀色の鋏を、オースターにも見えるように左右に揺らした。

 耳元で、ふたたびシャリシャリという音がしはじめる。

「……なにをして――」

 顔を上げようとした瞬間、側頭部を地面に押しつけられ、オースターは痛みにうめく。アキがため息をついて、耳元に顔を近づけ囁いた。

「動くなっつったでしょー、刃物扱ってんだからさあ。耳切れちゃったらどーすんの?」

 ダミ声で笑う。

「まあ、痛いほうが好きだってんなら、もっと乱暴に扱ってさしあげてもいいですけど? 俺もそっちのほうが楽しいし」

 なにを言っているんだ。なにが起きたんだ。オースターは痛む頭をフル回転させて、必死に記憶をたどった。


(〈死者の酒樽広場〉から地下におりた。そこで、フォルボス局長のよこしてくれた案内人と合流するはずだった……)


 そうだ、闇のなかに光を見つけたのだ。光に向かって歩いている途中で、誰かの声を聞き、振りかえった――そして気づけば、この暗くて湿った地下道に横たわっている。

(どこだ、ここ)

 明かりは顔のそばに置かれた蓄電池式ランタンだけのようだった。鼻をつくのは、下水の臭いではなく、猛烈なカビの臭い。広場からおりた地下水道とは雰囲気がまるで違う。気絶している間に、場所を移動したようだ。

 ふたたびシャリシャリと音がし、オースターの頬にぱらぱらと細かななにかが舞い落ちた。

 髪だ。

 アキが、オースターの髪を切っているのだ。

「なんで、僕の髪を切ってるの、アキ……」

 アキは「ええ?」と笑い含みに首をかしげた。

「だって、戦利品だもの。血で汚れる前に、もらっておかないと」

「戦利品――」

「そ。昔、ロフとふたりで決めたルールなんだ。『金髪』は俺の獲物で、『銀髪』はロフの獲物、ってね。そんで、ゲットした髪は手作りの装飾品にしよう、って」

 アキは地面に散らばった金髪を集め、その癖っ毛にうっとりと頬を寄せた。

「はじめてランファルドに来たときは驚いたなあ。この国の人間どもときたら、生まれながらに宝石みたいなんだから! 俺たちは残念ながら真っ黒に生まれてきたけど、やっぱり金髪とか銀髪とかにあこがれちゃうんだよねえ」

 毛束に頬ずりをするアキの金色のカツラが、蓄電池式ランタンの淡い明かりを受けて不穏に輝く。「金」と言っても、赤に近い金や、銀に近い金、ありとあらゆる種類の金髪が――大勢の人の髪の毛が混ぜこぜになったカツラだ。

 不安がじわじわと、水に濡れたインクのように広がっていく。

「オースター様にはじめて会ったときから決めてたんですよ。この黄金に輝く癖っ毛は俺のものだって。ちょっと短すぎて、カツラにするには足りないけど、ま、房飾りぐらいにはなるでしょ。――おっと」

 身を起こそうとしたとたん、脇腹を固い靴底で踏みつけにされた。

「ぐぅ……っ」

 アキではない、ロフだ。いつの間にか現れたロフが、無表情に肋骨をぐいぐいと踏みつけてくる。

 アキが唇をとがらせ、ロフの向こうずねをペシッと叩いた。

「ちょっと、ロフ! こいつは俺のもんだぞ、手ぇ出すな!」

「いいだろ、少しぐらい! 最近の獲物は金髪ばっかり……ずるいぞ、アキ!」

「ずるいってなんだよ、ロフ。前に三人連続で銀髪だったとき、俺、文句言った?」

「言った! しかも横取りされた! あの銀髪の女……せっかくとどめ刺さないで取っといたのに、俺がいない隙に、犯して殺しやがった!」

「えー、そうだっけー、覚えてなーい」


 このふたりは、僕を殺す気だ――。


 口喧嘩を始めるアキとロフから目をそらし、オースターは濡れた地面に手を這わせ、じりじりと二人から距離をとる。

(だまされたんだ。フォルボス・マクロイ――あの男に)

 双子には気をつけろと言ったくせに。

 地下水道事業に理解を示した者には敬意を払うと言ったくせに。

 その局長が、下水道の案内人にわざわざアキとロフを選んだ。

 一瞬見せた迷いはこれか。オースターを裏切ることに対して、わずかしかない良心が痛んだからだったのか。

 だが、黒幕は彼ではない。フォルボス・マクロイはただの仲介者にすぎない。

 仲介者がフォルボス局長で、殺人者がアキとロフなら、殺しを命じた者は――。

 ロフがすごい勢いで迫ってきて、地面を這うオースターの肩を蹴りつけた。先日の地下水道崩落で怪我したところの近くを蹴られ、オースターは悲鳴をあげる。

「おい、やめろって言ってるだろ、ロフ、俺はじっくり楽しみたいんだよ!」

「けど、アキ、こいつ逃げようとした!」

「逃げられるわけないだろう? なんでわざわざ旧水道まで来たと思ってるんだ。こいつは逃げられないし、案内なしにはここから出ることだってできない」

 アキは身をかがめ、腕を抱えてうめくオースターの背中をなでた。

「ここは打ち捨てられた、前時代の旧水道。保守点検の範囲外だから、掃除夫が入ってくることもない。誰にも邪魔されず、ゆっくりとこいつを”歌わせてやれる”」

 アキはそう言って、冷ややかな目つきでオースターを見下ろした。

「それに、死体は発見されないようにしろ、って厳命されてるしね。この間みたいに管に詰まらせるようなヘマ、二度としない」

「……くそ。つまらねえ」

「そこらを見張っててよ、ロフ。ぬめり竜が出たら厄介だからね」

 ロフはじろりとアキをにらみ、「わかったよ」とぼやいて、水路の向こうへ歩き去っていった。

「さあて」

 アキがオースターに向きなおる。


「僕を殺すよう命じたのは、ドファール家か」


 逃げ場のないオースターは声を張った。

 もちろん聞くまでもなかった。ドファール家以外でアラングリモ家の嫡子を殺す必要がある人間などほかにはいない。

(ルピィの父上だ。僕が皇太子に選ばれたとき、人目もはばからずに激怒していた)

 ドファール家の当主にして元老院にも籍を置く、ドファール公爵だ。

「はあ……それ、わざわざ聞く必要あります?」

 アキは言いながら、豪奢なコートの内ポケットから装飾過多な短剣を取りだした。

「俺たちはドファール家の飼い犬で、あんたはとっくにそれを承知だ。でもねえ、オースター様が悪いんですよ? ルピィ・ドファールから皇太子の座を奪ったりするから。あんなことしなけりゃ、ルピィ様だって『殺せ』とまでは言わなかったと思うよ?」

 息が止まった。

 オースターの震えに気づいて、アキはきょとんとする。

「あれ? 誰だと思ってました? 『オースターを殺せ』って命じたの」

 目の前がちかちかする。

 墓前にそえられた白い花が、頭を白濁に染める。

 胸がちぎれそうなほど痛む。

 オースターの動揺に気づいたアキは、ふと嗜虐的に笑った。

「はじめにオースター様を下水道に送りこんだのは、ルピィ・ドファールなんだ。もちろん、あんたを殺すよう命じたのだって……」

 オースターは身をよじって地面を蹴り、力いっぱい駆けだした。

「あはは。鬼ごっこか、そうこなくっちゃ!」

 手近な曲がり角に転がりこみ、前後もわからない暗がりのなかをがむしゃらに走る。何度も壁にぶつかり、転び、起きあがって、また壁にぶつかる。

 行き止まりだ。いいや、それすらわからない。なにも見えない。真っ暗だ。

 闇のなかで、オースターは呆けたように立ちつくした。


「なんだ、もっと逃げてくれないと」


 悲鳴をあげる間もなく肩を掴まれ、押し倒される。

 地べたに転がったオースターのうえに馬乗りになり、アキがけらけらと笑った。


「――見返りになにを求めた! また〈名誉市民〉のバッジでもねだったのか!」


 オースターはアキの体を押しかえしながら叫んだ。

「そんなかりそめの栄誉を手に入れてなにになる。安く利用されてるだけってことがわからないのか!」

「かりそめ?」

 頭に衝撃が走った。視界が真っ暗になる。視力が回復してはじめて、左頬のじんじんとした熱い痛みに気づいた。

 平手打ちされたのだ。

 けれど、いっさい手加減のない殴打は、平手打ちなんて生ぬるいものではなかった。

「ふざけたことぬかすなよ。利用したのは、こっちだ。アラングリモ家に皇太子の座を奪われたマヌケなドファール家に、俺たちが進言してやったんだ。”殺しちゃえば?”って」

 簡単でしょ、とアキは言う。

「今までだってそうやってきたんだ。邪魔な連中は、俺たちに排除させてきた。下水の闇に葬り、事故死とか、行方不明とか、適当な嘘でごまかして。なのに、アラングリモ家の嫡子となると、急に及び腰。ま、殺して真っ先に疑われるのはドファール家だから、慎重になるのも無理はないけど。

 とはいえ、もう大公も長くない。代替わりさえ済んじゃえば、有象無象に疑われたところで痛くもかゆくもない。それがようやく理解できたのか、や……っと”殺せ”って命じてきた。まったく世話の焼けるお貴族様だよ」

 鼻の奥から血が垂れてくる。

 痛みのあまりに言葉を発することも、身動きすることもできない。

「ていうかさー、〈名誉市民〉のバッジをあんたは笑うけどさー、アラングリモ家だって同じようなもんでしょー? 爵位を失ったばかりに、ドファール家からは格下扱いされ、名門貴族からは哀れみの目で見られ、元老院にすら参加させてもらえない。軽んじられないためには爵位が必要だ。だから、あんたは必死になってる。でしょ? 

 俺たちだって同じですよ。〈名誉市民〉のバッジをつけてるだけで、みんなが俺たちを恐れる。俺たちの言うことなら、なんだって聞く。そりゃそうだよね、俺たちに逆らうってことは、ドファール公爵家に楯突くってことなんだから。

 あんたを殺して、ルピィ・ドファールが皇太子の座に返り咲けば、俺たちの〈名誉市民〉のバッジはますます強い意味を持つ。かりそめ? そうかもね。でも、おあいにくさま、あんたがいなくなれば、その栄誉は本物になる。俺とロフは、大公家の犬になって、これからも殺して、殺して、殺しまくるんだ! そうなれば、もう誰も俺たちに逆らえない……誰も俺たちを軽んじたりしない!」

「――誰が、アキとロフを軽んじてきたの……」

 呟くと、アキは「はあ?」と顔をゆがめた。

「アモンの貴族? フラジアの軍人? それとも僕たちランファルドの人間?」

 殴られた痛みがじわじわと熱にかわっていく。鼻血をぬぐうと、痛みに浮かんだ涙が目じりから零れおちた。

「他人に軽んじられるのは苦しい。痛いし、傷つくよ。でも、だったらどうして……人に軽んじられる苦しみを知っているならなぜ、ホロロ族の仲間を軽んじたりするんだ。どうして実の妹であるルゥに暴力をふるえるんだよ! さっき話していた銀髪の女性のことだってそうだ。とどめを刺さないで取っておいた? 犯して、殺した、だって? 自分が軽んじられないためなら、ひとの心を、ひとの命を軽んじてもいいのか! ふざけるな!」

 アキが弾けたように笑いだした。

 腹を抱え、涙まで流して、声をあげて笑いころげる。

「嘘でしょ、本気ですか、オースター様。自分がもうすぐ死ぬってのに、顔も知らない他人のために怒ってんの!? ばっかじゃねーの!」

 苦しげに呼吸を整えながら、アキは凶悪に笑った。

「だから嫌いなんだよ、あんた。きれいごとばっか言って、その実、なんにもわかっちゃいねえ」

 ぐっと胸ぐらをつかまれ、引き寄せられる。

 鼻先が触れるほど間近で、アキは嘲り笑いながら口を開いた。

「いいこと教えてあげますよ、オースター様。俺たち、夜になると地上で出て、散歩と洒落こむんですよ。夜の散歩は最高なんだ。だって誰も知らない。自分の家の地下が、下水道とつながっているなんて。地下から高貴なる方々の屋敷に入りこんで、皆さまが寝ている隙に楽しませてもらうんだ。美しい絵画! きらびやかな装飾品! 美味な料理まで食べ放題。残飯ですけどね。

 最高なのは、寝室に美人の娘が寝ていたとき。なにせランファルドは美女揃いだ。健康的に肥えて、肌も白くて柔らかだ。なにより、金だの銀だの、きらきらした髪色がたまらない。ねえ、自分の家は安全だと信じきって安らかに眠る娘に、俺たちがなにをするか、想像できます?」

 耳元に口を近づけ、アキが囁く。

「歌わせてやるんです。優しく揺さぶり起こして、自分が危機に瀕してることをしっかり理解させてやってからね。歌う唄はなんでもいい、俺たちが気に入るように歌えたら命だけは見逃してやる……そう約束したら、たいてい震えながら歌いだすんだ。家人の眠りを妨げないように、小声でね。ああ、そのときのひどい声ったら!」

 オースターは戦慄した。

「この……人でなし……!」

「そう? 俺たちがアモンの貴族にされてきたことに比べたら可愛いもんだけど?」

「アモンの変態貴族がやったこととランファルドのご令嬢方とに、いったいなんの関係があるって言うんだよ……!」

「ないよ。関係ない。ただ、俺たちも味わいたいだけさ。俺たちを軽んじてきた連中が、俺たちを軽んじるたびに感じてきただろう優越感を。

 アモンの貴族に飼われてたとき、いつも不思議に思ってた。どうしてあのひとは俺たちを嬲るとき、楽しそうにほほえむんだろうって。俺たちが泣きながら歌うのを聴くあの人の顔は、これ以上ないぐらいに幸せそうだった。あの顔が、俺たちはうらやましかった。俺たちも幸せになりたい。俺たちもあんな風にほほえみたい。どうしたら、ああなれるんだろう……考えて考えて考えて、そしてはじめて人を殺したとき、やっと理解した! これだ、って!」

 突きとばされ、ふたたび湿った地面に押し倒される。抵抗する間もなく短くなった髪をわし掴まれた。

「さあ、そろそろ始めましょうか。オースター様には特別に選ばせてあげますよ。どっちがいいです? 嬲られて殺される男コースか、犯されて殺される女コースか」

「ふざけるな、離せ……っ」

「じゃ、質問を変えます。さっきまでの話を聞いてて、オースター様はとっさにどっちの死にざまを想像しました? 嬲られて殺されるほう? それとも……」


 アキが幸せそうにほほえんだ。


「ねえ、どっちだった? アラングリモ家のお嬢さま」

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