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喉笛の塔はダミ声で歌う  作者: 翁まひろ
第四章 〈喉笛の塔〉監視所
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第三十八話 天秤の傾き

 出会った所員に体調不良による退所を告げ、出してくれた送迎の電気自動車で霧の町に出る。ケーブルカーの最寄駅まで回してもらうことを考えるが、運転手に「送電トラブルで動いていない」とすでに知っていることを指摘され、自分がまだ冷静さを取りもどせていないことに気づく。

(だいたいケーブルカーでどこに行こうって言うんだ。下水道の鍵は、もう衛生局に返してしまったのに)

 冷静になれ。

 両頬を叩き、オースターは行き先を官庁街に変えた。

 霧に呑まれた街に、異変はなかった。乳白色の世界を、時おり、ゆったりと歩く人の姿が見られる。

 ここ首都に、〈汚染〉は到達していない。

 オースターは確信する。


 やはり、あの〈汚染〉は〈喉笛の塔〉で生まれたのだ。




 車を下り、官庁街の隅にある簡素な建物に入る。受付の制止を無視し、オースターは奥の部屋へと足早に向かい、その扉を開けた。

 デスクに広げた地図を眺めていたフォルボス・マクロイ衛生局局長は、ちらりと視線を上げ、眉をひそめた。

「どうかされましたか、殿下。控えめに申しあげて、見るも無惨なありさまで」

「あなたは以前、アラングリモ家に忠義を尽くすと約束した。それは今でも変わりないか」

 局長は眉間にしわを刻んだ。

 ため息とともに地図から身を起こし、手にした指示棒の先でデスクを打つ。

「曲解しないでいただきたい。地下水道事業に資金を提供していただけるかぎり敬意は払う、と申しあげただけだ。それに、あいにく今は下水道の復旧作業で忙しい」

「大したことを頼む気はない。トマを今いる場所から、すぐに移動させてほしい」

 局長が怪訝そうにする。オースターは重ねて言った。

「ホロロ族の長の目に止まらぬ場所にだ。できれば、地上のどこかに――あなたの屋敷にでも匿ってほしい」

 局長の端正な顔が盛大にゆがむ。

「私の下水道を破壊した罪人を、屋敷に匿えと? ご冗談を。だいたい殿下は、職場体験学習先を〈喉笛の塔〉に変更されたのでは?」

「匿えないなら、トマを独房に放りこんで。鍵をかけ、その鍵は合い鍵も含めてルゥに預けるんだ。僕がいいと言うまで、誰にも開けさせるな」

「……いったい、なにをなさるおつもりか」

「詳しく話す気はない。今すぐ地下のホロロ族に、僕が言ったとおりの命令をだせ」

 値踏みするように目を細める局長に、オースターは詰め寄る。

「なにを迷う必要がある。アラングリモ家が、今もこれからも、衛生局に対して潤沢に資金の提供をすると約束しているんだぞ」

 局長は指示棒をデスクに放って、壁にかかった受話器をとりあげた。取り次いだ誰かに、オースターが言ったとおりのことを命じる。

「ご満足ですか?」

 受話器をおろすと、局長がさも邪魔だと言わんばかりの口調で言った。

「では、お引きとりを。私は忙しい」

「もうひとつ。下水道の鍵を貸してほしい」

 一瞬、局長が沈黙する。

「なぜです」

「詳しく話す気はないと言ったはずだ」

「下水道に行くおつもりならば、忠告申しあげる。鍵があっても道案内がいなければ、地下の暗がりで迷子になるだけだ」

「――トマに会いたいんだ!」

 冷静に話していたつもりだった。なのに、つい発した言葉は焦りに震えていた。

 局長はたしかに指示を正しく伝えたろう。

 だが、それでは安心できない。独房に入れさせたのは、あくまでも時間稼ぎだ。

(すぐに下水道に行って、トマを助けださないと)

 下水道の崩落事故以降、ホロロ族にとって、トマは災厄をもたらす危険人物となった。

 それはバクレイユ博士が長老に対し、トマ以外のほかの〈天然物〉も連れてくるよう命じたときのやり取りからもわかる。バクレイユ博士が「208番だけでもいい」と言ったら、長老はあきらかにそれに従う気配をにじませたのだ。

 ――長老は、トマだけを差しだすつもりだ。

 そうとなれば、南京錠も鉄格子もなんの守りにもならないだろう。

 長老が「トマをバクレイユ博士に差し出せば、我々は自由になれる」と声高に説けば、数百人のホロロ族は喜んでトマを独房からひきずりだす。南京錠を壊し、鉄格子をへし折ってでも。あるいは、鍵を持ったルゥをむりやり捕まえてでも。

 暴徒と化した民衆ほど恐ろしいものはない。

 それは、かつて領地を所有し、民を統治したアラングリモ公爵家の血に刻まれた教訓だった。

(ぜったいにそんなことはさせない)

 オースターは震える拳を握りしめた。

 そんなオースターを、局長は黙ったまま見つめてくる。

 その目が、一瞬、迷いに揺れた。

 なにを迷ったのか――オースターは瞬間的に不安を覚えた。

 けれどオースターには、そのことをちゃんと考えるだけの気持ちの余裕がなかった。

「……案内人を地下によこしましょう。〈死者の酒樽広場〉に行ってください」

 紙切れに手書きの地図を書いてよこす。

「そこは崩落事故の現場だけど……」

「ホロロ族が作業中ですから、案内人の手配をつけやすい。お急ぎなのでしょう?」

 案内人と落ちあう場所の詳しい説明を受け、オースターはそれを制服のポケットにおさめた。

 ようやく、わずかながらに安堵する。

 少なくともこれで地下に行く手立てはできたのだ。

「ありがとう。……助かります」

 いったん去りかけたオースターは、足を止め、フォルボス局長を振りかえった。

 局長のホロロ族に対する態度は許しがたい。それに「地下水道のためならばなんでもする」と豪語する局長を信頼するのも無理な話だ。ドファール家と、アラングリモ家。より多くの金貨を皿に積み、天秤を傾けたほうに服従する――その節操のなさを信じることなどできるはずがなかった。

 それでも、この状況で頼れる相手がいるのは心強かった。

 局長は目を見開いた。瞬間的になにかを言いかけ、口を開く。

 だが、けっきょくは口を閉ざした。ふたたび地図に視線を落とすと、わずらわしげに手でオースターを追い払った。




 濃霧のなか苦労して辻馬車をつかまえ、たどりついた〈死者の酒樽広場〉には人気がなかった。工具店を探し、皮の手袋や長靴、縄、先端の曲がった鉄の棒など思いつくかぎりの工具を買う。

 例の崩落現場は広場の中心にあった。枯れた噴水池そばの地面が広範囲に陥没している。大穴の周囲にはロープが張られ、「立ち入り禁止」の立て看板が立てられていた。

 ぎりぎりまで近づいて穴を覗いてみるが、瓦礫の山が見えるだけだ。作業中だというホロロ族の姿は見あたらない。

 オースターは霧の広場を歩きまわり、花壇のそばに「目当てのもの」を見つけた。

 マンホールの蓋だ。


 ステップは八段で終わった。

 蓄電池式ランタンを点灯させると、記憶に馴染んだ地下水道が光の輪のなかに現れた。

 事故の影響か、作業灯が点いていない。暗い。

「誰かいる?」

 声が反響する。応答はない。まだ連絡が届いていないのかもしれない。だとしたら、少し待つ必要がある。

 オースターは焦る気持ちをおさえこんで、その場で待ちつづけた。

 ――どれぐらい待っただろう、ふと遠くにかすかな光が見えた。

「誰か! そこにいるの!?」

 光が揺れる。ランタンの明かりだ。

 オースターは声を張りあげた。

「オースター・アラングリモだ! フォルボス局長がよこしてくれた案内のひと?」

 答えるように、光が左右に揺れる。

 だが、近づいてくる様子はない。

 オースターはマンホールを見上げてから、意を決して地下水道を歩きだした。

 だんだんと光が近づいてくる。

 光はまだ左右に揺れている。

 もうすこしだ。

 そう思ったとき、ふっと光が消えた。


「へえ、本当にオースター様だ」


 すぐ耳元で声がした。

 はっと右に顔を向けた直後、目の前でパッと白光がひらめいた。

 まぶしい。無理やり薄目を開けると、白んだ視界のなかで金髪の少年がにやりと笑った。

 直後だった。

 後ろ頭に衝撃が走った。膝から崩れおち、どっと地面に倒れこむ。

 そして――それきり。


 オースターはなすすべもなく意識を手放した。

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