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喉笛の塔はダミ声で歌う  作者: 翁まひろ
第四章 〈喉笛の塔〉監視所
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第三十五話 塔の心臓部

「いったいこんなところで、どうされました!?」


 バクレイユ博士の甲高い声が、地下の回廊に響きわたる。

 オースターは胸に手をあてがい、大げさにため息をついた。

「はあ、びっくりした。バクレイユ博士でしたか。残念、もう見つかっちゃったかあ……」

「はて。どういうことですかな?」

 名門貴族の嫡男らしい奔放さ――バクレイユ博士がそう評価してくれることを祈りながら、オースターは緊張に汗ばむ手を背中のうしろに隠し、大らかにほほえんだ。

「〈喉笛の塔〉ですよ、博士。一般人の立ち入りが禁止された神秘の塔、その心臓部がじつは地下にある! そう噂に聞いたものだから、こっそり侵入してやろうと思ったんです」

「ほう! 侵入とは大胆なことをおっしゃる。しかしまたどうしてそんなことを? 心臓部などに忍びこんで、いったいなにをどうします」

 バクレイユ博士の目が真ん丸に見開かれ、オースターの一挙一動をなめるように観察しはじめる。

 あっという間に嘘を見破られる気がした。内心冷や汗をかきながら、笑顔のまま答える。

「僕の学友コルティス・モーテンをご存じですか? 僕よりも先に〈喉笛の塔〉の職場体験学習に入った……」

「さて。人間の名を覚えるのは不得手で。とくに、私にとって益のない人間の名は」

 オースターは「優秀な男なんです」と力をこめて言った。

「しかも僕よりも三週間もはやく〈喉笛の塔〉監視所で学んでいる。彼よりも優れたレポートを書くとなると、多少、大胆な行動もとらないと、とてもじゃないけどかなわない。だから――」

「ははあ。つまり殿下は、その優秀な何某なにがし君を出し抜きたいわけですな。だが、正攻法じゃかなわないから、〈喉笛の塔〉の心臓部に侵入するという奇策に出た、そういうわけか。なるほどなるほど……」

 博士はにんまりと笑う。

 嘘くさかったろうか。それとも、皇太子としてあまりに非常識な行動とあきれられたろうか。オースターは焦りを隠して「ええ、そうなんです」とうなずき、

「それにしても、僕が言うのもなんですが、〈喉笛の塔〉はずいぶん不用心なんですね。僕はちょっとゴミ捨て場にもぐってみただけなんですよ? なのに、ほら」

 オースターはその場でジャンプしてみせる。

「あっさり目的地にたどりついている」

 とつぜん奇怪な鳴き声が断続的に響きわたった。

 ぎょっとするが、すぐにそれがバクレイユ博士の笑い声だと気づく。

「おお、冒険心にあふれた若者よ。殿下はまさかここが〈喉笛の塔〉の心臓部だとでも思ってらっしゃる?」

 背中の後ろで腕を組み、ぐっと腰を折って、背の低いオースターに顔を近づける。白目に浮いた毛細血管まで見える距離の近さに、知らず後ずさりながら、オースターは答えた。

「違うんですか?」

 もちろんここが〈喉笛の塔〉の心臓部でないことはわかっている。だが、バクレイユ博士の得意そうな表情は、なにかしらの情報を語ってくれそうに見え、オースターはそのまま無知なふりをつづけることにした。

「違いますとも。ここまでは、職員であれば誰でもおりてこられる。殿下のような好奇心旺盛な若者も、その気になればいくらだって入りこめる。不用心? 笑止! こんななにもないところ、侵入するだけ無駄、無駄。警備を置く意味すらない。どうぞ自由にごらんあれっ」

「なにもない……んですか?」

「この監視所は、もともと軍の実験施設だったのを譲りうけたもので、無駄に広く、地下はほとんど使っておらんのです。資材置き場にしてる程度で、改修もろくにしていない」

 オースターはこくりとつばをのみこんだ。

「じゃあ、〈喉笛の塔〉の心臓部はどこに?」

 バクレイユ博士はピンッと弾くように人差し指を立て、すっと足もとを示した。


 ――もっと、地下深くに。


「ごらんになりたいですかな?」

 なんとか詳細な場所を聞き出せないだろうか、そう思案していたオースターは、博士の問いかけの意味をすぐに理解できなかった。

「……なにを、でしょうか」

「やれやれ、殿下。貴殿はここになにをしに来たんだか」

 バクレイユ博士はきびすを返し、肩ごしにオースターを振りかえった。

「侵入者気取りのところ興ざめかもしれませんが、ご案内しましょう、殿下。〈喉笛の塔〉の心臓部へ」




 博士の数歩後ろを歩きながら、オースターは用心深くその背中を見つめた。

 短い足でせかせかと歩くさまは、いかにもせっかちだ。腰につるされた鍵束が激しく振りまわされ、耳障りな金属音をたてている。

 薄暗い廊下だ。監視所の地上階をこれ以上ないほど潔癖に見せていた「白」は、ここでは見られない。むしろ黄色くくすんだ灰色や、正体不明の煤汚れが、壁を暗く、汚いものに見せている。

 オースターは動揺していた。〈喉笛の塔〉の心臓部がどこにあるかだけでもわかればと考えてはいたが、まさか心臓部そのものを博士の案内のもとで見せてもらえるとは思っていなかったのだ。

「仕事の邪魔になってはいませんか?」

「いや、とくに」

「重要な会議があると聞いていたので、お会いできないものと思っていたんです」

 バクレイユ博士はまた高らかに笑った。

「重要な会議! そう、どこに行くのかいちいち説明するのが面倒なとき、私はいつも部下に『重要な会議で出かける』と言うようにしている」

「つまり、重要な会議なんて、なかったということでしょうか」

 バクレイユ博士がくっくっと肩を震わせた。

「会議など。いったい誰が、この私と”会議”ができるというのか。阿呆ノータリンばかりのこの国に、私と対等に話ができる人間なんて、ひとりもいやしませんよ」

 バクレイユ博士がぐるりと顔をこちらに向けてきた。

「しかし殿下、なかなかいいタイミングで”侵入”してこられた。私もちょうど〈喉笛の塔〉に用があったのだ」

「用というのは、どういった……?」

 問いかえすが、バクレイユ博士は答えず、調子のはずれた鼻歌などを歌いはじめた。無視されたというよりも、そもそも耳に入っている様子がない。


『あとになって思い知りましたが、あのひとはずいぶんな移り気で、思いつくままにしゃべっては、気の向くままに忘れてしまえる……そういうおひとでした』


 ラクトじいじの言葉をふと思いだした。オースターは小さく息をついた。

「それにしても、こんなに簡単に〈喉笛の塔〉の心臓部を見せていただけるなんて、思ってもみませんでした。こんなことなら、最初から博士にお願いしていればよかったな」

「いやいや。最初からお願いされていたら、断ってたかもしれませんぞ。私はひねくれ者でね、お願いされると拒みたくなる」

 バクレイユ博士はふたたび、クェックェッと「狂った九官鳥」の異名にふさわしい笑い声をあげた。

「だって、ゴミ捨て場から侵入するなんて! そんなバカげた真似をする皇太子なんて、おもしろすぎでしょう! さすがは最初の職場体験学習に下水道掃除夫を選んだだけある」

「ええと……おもしろがってもらえたなら、なにより……」

「先日も、ホロロ族の地下監獄で、私とラクトの話を物陰からこっそり聞いていた。その好奇心の旺盛さには、さしもの私も感服する」

 血の気が引いた。

 オースターは一瞬で渇いた唇を舐めて湿らせ、言葉をつむぐ。

「あの……博士、気づいていらっしゃったとは思っていなくて――」

「いやいや、責めてるんじゃない。近い未来、大公となる若者が、この国のエネルギー産業に並々ならぬ興味を示してくれたのだ。私としてはむしろ歓迎すべきところだ」

 本心だろうか。わからない。心臓がいやな感じに高鳴る。

「近い将来だなんて。大公殿下はいまだご壮健でいらっしゃいますから」

 オースターは緊張を気取られまいと、さりげなく話をすり替えた。ところが、

「大公はもう長くない。私の見立てじゃ、もって半年。医者じゃあないから、希望的観測も大いに含まれているが」

 足が止まった。

 愕然としてバクレイユ博士の背中を見つめる。

「なんてことを……」

「殿下こそ、壮健などと妙なことをおっしゃる。今、大公が生きているのは、私のつくった延命装置のおかげだ。薬液入りの機械につながれて、かろうじて息をしてるにすぎない。元老院も、大公の周りにいる連中も、それをよーく理解している。

 先日の舞踏会はことのほか動きがよかったが、ここ数日は、木偶でくのごとくベッドに転がり、つじつまの合わぬことをブツブツ言うばかり。あの男に、これ以上の国家運営は無理ってもんです」

 ――もう以前のように、大公殿下をすばらしい人格者だなんて盲信はしていない。それでも、功績はあろうと一科学者にすぎない男が、ランファルドの君主を「木偶」と呼び、軽んじたことに、オースターは戦慄した。

(大公殿下はそんなにもお悪いのか)

 延命装置がなければ、生きられないほどに。

 己を軽視する配下を、ここまで野放しにできるほどに。

(この男は、大公殿下の命も、ランファルドの未来をも掌握しているのか)

 貴族社会に生まれたオースターにとって、大した地位もない科学者がランファルドを牛耳っているという事実は衝撃だった。

 そしておそらくその支配は、オースターが大公になったあともつづいていく――。


「さあて、そろそろ〈喉笛の塔〉の心臓部にお入りいただきましょうか」


 いつの間にか、バクレイユ博士はさびた鉄扉の前に立っていた。鍵束のなかから一本の鍵を選びだし、錠前をはずす。ガキンという硬質な音がこだまし、オースターは自分でもぎくりとするほど震えあがった。

 中は狭い通路になっている。監視所と〈喉笛の塔〉の位置関係を考えれば、双方の間にある中庭の真下を突っきる通路だろう。

 この先に〈喉笛の塔〉の心臓部が、ホロロ族の〈喉笛〉があるのだ。

 オースターはごくりと息をのみ、通路に足を踏み入れた。



 その一歩で、空気が一変した。



 膝がみっともないほど震えだした。

 総毛立ち、血の気が引いていく。

 これまでの人生で感じたことがないほどの恐怖が、体をがんじがらめにする。


 行きたくない。


 体の奥からわきあがる、猛烈な拒絶。


 ここから先には、行きたくない。


 どうされました、殿下。バクレイユ博士が問う。なんでもありません。そう答えた気はするが、本当に口を開くことができたのかは定かではない。

 水底を歩くような重々しさで歩を進める。足を引きずり、壁に手をつきながら、博士の背中を必死に追った。

 そして――通路の先に、それを見つけた。


(赤い、扉……)

 

 息があがる。酸素が足りず、陸にあげられた魚のように、ぱくぱくと口を動かす。


『独房が並ぶ長い通路の先には、赤い扉がありましてな。数日に一度、独房から出されたホロロ族が、扉の向こうに連れていかれました』


 ラクトじいじの声が耳の奥によみがえる。

 バクレイユ博士が進みでて、塗りたてのように光沢のある赤い扉のノブを掴む。


『赤い扉の向こうからは、たびたび引き裂くような悲鳴が聞こえてきました』


 軋む音とともに開かれた扉の奥から、生ぬるい風があふれでてきた。





 巨大な円筒形の縦坑。

 その中空に渡された鉄橋の上に、オースターは立った。

 頭上には闇が広がっている。ずっと上のほうがわずかに明るいのは、〈喉笛の塔〉のてっぺんに窓でもあって、曇天のわずかな光をとりいれているからだろうか。

 闇は鉄橋の下にも広がっていた。まるで黒い水をたたえているようだった。ランタンを掲げてみても闇はわずかしか払えず、底までどれだけ深いのか、あるいは思ったよりも浅いのか、それすらわからなかった。

 ここが――〈喉笛の塔〉の内部。

(空気が重い)

 塔の底にわだかまる闇のなかから、誰かに見られている気がする。

 同じ感覚を、監視所一階の窓辺でも味わった。あのときは「塔に見られている」と感じた。

 だが、いま感じているのは、あのときのような生やさしいものではなかった。刺すような視線。それもひとりの視線ではない。大勢の視線だ。

 何十人、何百人、姿は見えないのに、彼らの押し殺した息づかいまで聞こえてくるようだった。

(……ちがう。本当に、息づかいが聞こえる)

 誰かが呼吸をしている。闇の底に、濃厚な人の気配がある。大勢の人の気配を感じる。たくさんの人たちが、どろどろの黒い闇のなかで膝を抱え、こちらを怯えた目で見上げている。

「ラ……ラクト、来たのか……?」

 ふいに、闇の底からか細いダミ声がした。

「もうだめだ、すまない、出してくれ、お願いだ、これ以上はたえられない」

 まじまじと闇を見つめるが、声の主の姿はまるで見えない。

「頼む、ラクト。ここは変だ、変なんだ。最初のころとなにかがちがう、はやくラクト……っ」

「もうまもなく時間になる。もうすこし辛抱せい」

 バクレイユ博士が鉄橋の柵から、塔の底に向かって呼びかける。

 ぞわりと空気がうごめいた。底の闇のなかで無数の人々の気配がうごめき、怯えたような短い息づかいがいくつも聞こえてくる。

「は、博士? ラクトは……ラクトはいないのか?」

「すぐに来る。そうすれば交代だ」

 オースターはバクレイユ博士を見た。

「底に誰かいるんですか?」

「ホロロ族の長老のひとりだ」

 ひとり。こんなにも大勢の気配がするのに?

 バクレイユ博士はクェクェと笑う。

「まったくもって従順な鳥だ。ごらんなさい、そこに階段がある。のぼってきたければ、いつでものぼってこられる。なのに、そこにいろと命じれば、もう底から抜け出せない。出てもいい、と言うまでは」

 困惑するオースターを振りかえることもせず、バクレイユ博士はひとりごとのようにつづける。

「いっそ嗜虐心しぎゃくしんをかきたてられるほどの従順さだ。アモンで貴族どもに痛めつけられてきたのも無理はない。腹が立つほど、中身が空っぽだ」

「なにを……」

 言っているのか――そう問いかけたとき、キィ、と金属の扉が開かれた音がした。

 顔を向けた先は、鉄橋の向こう側だ。

 そこにも赤い扉があった。外側から遠慮がちに開かれた扉から入ってきた人物を見て、オースターは立ちつくした。相手もまたうつろな顔を持ちあげ、オースターに目をやり、はっと目を見開く。

 ラクトじいじだ。背後には、哀れなほど震えて立ちつくすホロロ族の男性がいた。その顔にも見覚えがあった。

(ぬめり竜の爪で、腕をけがした人だ)

 ラクトじいじがうながしても、男はがくがくと震えたまま入ろうとしない。ラクトじいじは仕方なくといった様子で、男の腕をそっとつかみ、鉄橋へと足を踏み入れた。


 その直後だった。

 空気を揺るがす大音声が耳をつんざいた。


〈喉笛の塔〉の縦坑に響きわたったのは、何十人、いいや、何百人もの人々の絶叫だった。

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