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喉笛の塔はダミ声で歌う  作者: 翁まひろ
第四章 〈喉笛の塔〉監視所
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第三十話 祈る者、祈らぬ者

 久しぶりに袖を通した制服は、ずいぶん大きいように感じられた。姿見に映った姿は痩せていて、気持ちが悪いぐらいに鎖骨が浮いてみえる。

 きっとルピィの取り巻きたちは「ひ弱な皇太子さま」と笑うことだろう。

 準備を終えて、馬車に乗りこむ。カーテンを開け、母がいるであろう部屋の窓を見あげるが、そこに人影が現れることはなかった。

 結局、最後まで母は姿を見せなかった。

 オースターももう母に会いたいなどとは言わなかった。

 御者台についたラジェの手綱さばきで、馬車がゆるやかに動きだす。

 クラリーズ学園までの道中、崩落事故の現場や、〈喉笛の塔〉を見られればと思ったが、街には朝から霧がたちこめ、壊れてしまった世界は乳白色のとばりの向こうに隠されていた。

 手もとに視線を落とす。

 車輪の動きにあわせて揺れる膝のうえには、書簡が一枚。

 差出人は、〈喉笛の塔〉監視所所長バクレイユ・アルバス。

 三日前に送られてきた書簡は、オースターがラジェに代筆を頼んで送った手紙の返信だ。


『皇太子殿下におかれましては、クラリーズ学園における職場体験学習先に、我が〈喉笛の塔〉監視所を選択されたとのこと。心より歓迎しますとともに、今後の日程を別途お送りする書類にてお知らせいたします――』


 オースターは右肩上がりな筆圧の強い文字を指でなぞり、唇を引きむすんだ。

 ふと、車輪の軋みを掻き消すように、〈喉笛の塔〉が悲鳴をあげた。

 泡立つ腕をそのままに歩道に目をやると、濃さを増しはじめた霧のなかで、通行人たちが顔をゆがめながら、目を伏せ、祈りを捧げていた。





 教室に入るなり、同級生たちがいっせいに顔をあげた。

 オースターの復学に気づくと、驚きと喜びをあらわに駆け寄ってくる。

「オースター! なんだ、もういいのか?」

「事故のことを聞いたぞ。怪我したから休んでいたんだろう?」

「新聞でも一面の記事になっていたよ。皇太子、職場体験学習中に事故に巻きこまれるって」


「おい、みんな、待て待て!」


 もみくちゃにされかかったところで、遠戚のジプシールが大柄な体を同級生とオースターとのあいだに割りこませた。

「オースターは右腕を負傷しているんだ。乱暴に扱うな。心配はわかるが、話したい者はひとりひとり挙手。こちらが指名してから口を開くように」

「ええーっ、たかが遠い遠い遠ーい親戚のくせしてえらそうに!」

「なんだと!?」

 オースターはぷっと噴きだす。ジプシールと同級生たちが目をぱちくりさせるなか、オースターは久しぶりに声をあげて笑った。

「変わらないなあ」

 おもわずつぶやくと、ますます同級生たちは首をひねった。

 クラリーズ学園はちっとも変わらない。明るい笑い声に満ちた教室、「二学年」を示す真紅のネクタイを締めた同じ籠の鳥たち。それがうれしくて、なんだか笑いが止まらなくなる。


「笑いごとじゃないよ、オースター。こんなに痩せちゃって。僕らの愛するもちもちほっぺはどこに行っちゃったんだよう」


 オルグがやってきて、泣きそうな顔でほっぺをつかんだ。

「まったくだぞ、オースター。怪我はもういいのか?」

 ジプシールの叱咤するような問いかけに、オースターはうなずく。

「平気。まだ運動はできないけど、日常生活に支障はないよ」

 軽快な口調で返すオースターに、オルグがほっとした顔で笑った。だが、ジプシールのほうはどこか納得していない様子だった。たぶん考えているのだろう、怪我だけでここまでやつれるものだろうか、と。

 下手な言いわけは余計な詮索を招きます――そう言ったのは、ラジェだ。オースターもそう思う。だから、ただ屈託のない笑顔をつくる。

「ひ弱な皇太子さま」

 ひときわ大きな声が聞こえた。窓ぎわを陣取るルピィの取り巻きたちだ。

 友人たちが一斉ににらみをきかせるが、オースターは「言うと思った」と余裕しゃくしゃくで肩をすくめてやった。

 ルピィはといえば、こちらを振りかえることもなく読書をつづけていた。彼の態度もまた前と変わりない。

 悲鳴がした。

「ああ……またか」

 石造りの学園内に反響する、不気味な「歌」。同級生たちはげんなりと片耳をふさぎながら、空いた片手を額に当て、「祈っていますよ」というポーズをつくった。

 オースターは突っ立ったまま、祈りを捧げるためにうつむき、目を閉じる同級生たちを見渡した。

 かすかに、紙をめくる音がした。

 音のしたほうを振りかえったオースターは、ルピィが読書をつづけていることに気づき、目を見張る。

 銀色の前髪が揺れる。

 泣きぼくろのある青い瞳がゆらりと動き、オースターを視界にとらえる。

 祈りにひたる教室のなかで、オースターとルピィだけが、互いに互いの存在を認識していた。

「……終わったか。やれやれ」

 悲鳴がとぎれた。ジプシールもオルグも同級生たちも、白けたように席につく。ルピィは本に視線を戻し、オースターもまた自分の席についた。


「おはよう、オースター君」


 前の席の学者先生ことコルティスが、じと目で振りかえってきた。

 分厚いレンズの向こうの小粒な目がなんとも恨めしげで、オースターは怯んだ。

「お、おはよう、コルティス君。元気にしてた?」

「元気だよ。君とちがってね。もう授業に出ても大丈夫なのかい?」

「うん、大丈夫」

「ふん、そんなひどい痩せ方してよく言うよ。ぼくがどれだけ心配したか、わかってるかい? それともぼくは、弱音を吐く気にもなれないほど、友達として認められてなかったのかい?」

 早口でたたみかけられ、オースターはおもわずほほをゆるめた。

「そんなことない。君は大事な親友だ。心配かけてごめん」

 コルティスは顔をしかめながら、めがねのブリッジを押しあげ、「親友ね」とまんざらでもなさそうにつぶやいた。

「ま、いいや。それはそうと、そろそろぼくに事の顛末を報告していただきましょうか」

 首をかしげると、コルティスは深々とため息をついた。

「聞いたよ。君の職場体験学習先、〈喉笛の塔〉監視所に変更になったって」

「ああ……もう知れわたっているんだ。早いね」

「早いね、じゃないよ。まったく……皇太子と同じ職場だなんて、僕のレポートが台なしになっちゃうじゃないか。せめて事前に相談のひとつもしてほしかったものだね」

 文句を垂れながらも、コルティスは身をのりだし、声をひそめた。

「で、潜入捜査かなにかなわけ? あれだけ下水道掃除夫たちに興味津々だった君が、こうもたやすく鞍替えするなんて思えない。ホロロ族と〈喉笛の塔〉にはなにか関係があったんだろう? 崩落事故のことも本当のところなにがあったんだい? 地下にいるっていうホロロ族は無事だったのか? そして君はいったいこれからなにをしようとしているのかな?」

 オースターは周囲に注意を向けながら、小声で問いかける。

「いま、〈喉笛の塔〉監視所って、通常どおりに職場体験学習ができているの?」

「通常どおりとはいってないね。あちこちまだ停電してるし、地下水道に通していた送電ケーブルが一部破損してるらしくて、作業員はてんやわんやだよ。僕なんかに仕事を教えている場合じゃない」

「それじゃあ、君はいまなにをしているの?」

「雑用。猫の手でもいいから借りたいってさ。一応、三週間、みっちり仕事を教わってきたから、なんとか役に立ってはいるみたい」

 コルティスはめがねのフレームをいじりながら、もごもごと言う。

「卒業したら働かないか、って言ってくれたひともいるんだ。優秀優秀って肩を叩いてくれて。ま、お世辞だろうけど」

「すごいじゃないか、コルティス!」

 賞賛の気持ちがこみあげ、オースターはコルティスの肩をこづいた。

 同時に、つづきを話すことにためらいを覚えた。コルティスはその気おくれに敏感に気づき、ふっと真顔になって言う。

「でも、潜入捜査をするつもりなら、喜んで君に協力するよ。学園の授業だから受け入れてもらえてるけど、卒業後まで塔で働けるとは、さすがに思ってない。成り上がり貴族用の席を用意するほど、ランファルドのエリート社会は寛容じゃないしね」

「そんなこと」

「あるんだよ。この学園だってそうさ。入園したてのころのぼくを覚えてない? みんなから無視されて、そうでなけりゃ笑い者にされてた。……君が話しかけてくれるまでは」

 コルティスは口角を笑みで持ちあげる。

「さあ、話してくれ、親友。いったいなにがあったんだい? ぼくはなにをすればいい?」

 胸が熱くなる。オースターはこれ以上ない感謝をこめてほほえむ。

 そのとき授業開始の鐘が鳴り、教師が教室に入ってきた。「またあとで」と囁き、教科書を開きかけると、その表紙を強引に閉じて、コルティスがにぃっと笑った。

 いぶかしんだ隙に、いきなり正面を向いて挙手する。


「せんせー。アラングリモ君の具合が悪そうなので、医務室に連れていきまーす!」


 ぽかんとする。教室中がざわめいた。教師が答えるより先に、コルティスがオースターの肘を掴み、強引に立ちあがらせた。

 ジプシールとオルグが目を丸くして、顔を見あわせる。

 ルピィが本を閉じるのが目に入ったところで、オースターはコルティスに引きずられるように廊下に飛びだした。




 クラリーズ学園の敷地にも霧がたちこめていた。

 秋の冷たい風に流されて、霧は薄まったり濃くなったりし、回廊を歩くオースターたちの目にも、中庭に植わった楓の赤が鮮やかになり、また白く霞んで、というさまが見てとれる。

 コルティスは西棟一階の空き教室に入ったかと思うと、窓という窓のカーテンを閉めてまわった。

 あっけにとられるうちに、整然と並んだ机が脇によせられ、あいた中央のスペースに椅子が二脚置かれた。

「まったく……たいした手際のよさだよ」

「ぼくは父に似て、探求心が旺盛なんだ。知りたいと思ったら、知りたいと思ったその瞬間に、知りたいのさ」

 コルティスはさっさと椅子に腰をおろし、目の前の椅子をえらそうに手で示した。

「ま、座りたまえよ。皇太子殿下」

 コルティスこと「学者先生」は、まさに学者のごとき探究心に満ちた眼差しで、オースターを見つめた。

「時間はたっぷりある。ぜんぶしゃべってもらいましょう。いったい君になにが起きたのかを、ね」

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