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喉笛の塔はダミ声で歌う  作者: 翁まひろ
第三章 地下水道の崩落
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第二十七話 沈黙の塔

 地上へ通じているという階段の手前で、ラクトじいじは立ちどまった。

「わしはここから先へは行けません。階段をのぼれば、迎えが待っていましょう」

 オースターはうなずく気力もないまま、つま先を階段にのせた。

「トマに心を寄せてくださり、ありがとうございます」

 丸まった背に、優しいダミ声がかけられる。

「脅すような真似をしたこと、お許しください。決して口外はいたしませぬゆえ」

 肩越しに振りかえると、ラクトじいじが深々と頭をさげていた。


「トマは……どうなるの?」


 ホロロ族の長はゆっくりと顔をあげた。

 電灯によって、右半分を光に照らされ、左半分に影の落ちた顔。

 片方にはトマへの哀れみを浮かべ、もう片方には、残酷なまでの無情さを宿して、ほほえんでいる。


 返答はなかった。




 オースターは湿った壁を支えに、一段一段、階段をのぼる。

 息をきらしてのぼりおえると、そこには鉄格子があった。

 格子の向こうで待っていたのは、蓄電池式ランタンを手にした衛生局局長フォルボスだ。

 局長はオースターの顔を認めると、錠前に鍵をさしこんだ。軋んだ音をたて格子戸が開かれる。オースターがのろのろと外に出たのを確認してから、局長が錠前を閉じる。

 オースターは振りかえって、鍵のかかった鉄格子を見つめた。

「こちらへ」

 手で示された先には、さらにのぼり階段がつづいていた。

 オースターは唇を引きむすび、呼吸が乱れるのを必死にこらえ、一段、一段とまたのぼる。平坦な通路を歩き、さらに別の階段をのぼって、また通路に出たところで、オースターはようやく口を開けた。

「ここは」

「〈旧・第三石膏採石場駅〉です」

 局長が通路の先に向けて、ランタンをかかげた。

 光の輪のなかに、ケーブルカー乗り場の改札口らしきものが浮かびあがる。

「なら、ここまででけっこうです。あとはケーブルカーで帰るので」

「今、何時だとお思いで?」

 何時だろうか。地下にいたせいで、時間の感覚をすっかりなくしていたことに気づく。

「夜の十時半。終電の時刻はすぎていますし、それにこのあたりはまだ電気が復旧していません。――こちらへ。地上まで案内します」

 真っ暗なプラットホームを端まで歩くと、急傾斜のトンネルの端にメンテナンス用の鉄階段がもうけられているのがわかった。


(また階段……)


 くらりと眩暈がする。ここまでのぼってくるだけでも、息が絶え絶えになったというのに。

 トマがいるのははるか地の底なのだ。地上からは完全に隔離された世界なのだ。その事実を身をもって体感し、オースターは血の気がひくほどのおののきを覚えた。

「今日は多忙をきわめました」

 局長が鉄階段をのぼりながら言う。オースターは無言であとに従う。

「崩落事故があったことはご存じ……のようですね。巻きこまれましたか」

 なにも聞かされていないのか、肩越しに振りかえった局長が、包帯の巻かれた腕を見下ろしてくる。

 局長にまで女であることを見透かされそうな気がして、さっと背中に腕を隠す。

「知っています。居あわせたので」

「居あわせたと言いますと、あの208番らと一緒にいたのですか」

「休憩中の事故だったので」

「掃除夫があそこに立ち入ることは禁じているのですが」

「掃除夫はずっと地下暮らしをしていると聞きました。健やかであるためには日の光を浴びることも必要です。僕が命じて、むりやり行かせました。罰なら僕に。それより、もっと彼らの健康に配慮すべきではないですか」

「十分配慮しておりますとも。栄養価の高い食材を用意するだけでなく、健康維持のためのサプリメントまで提供している。ランファルドの下層労働者よりもよほど恵まれている」

「健康維持といいながら、薬は補充しない?」

「高価な薬ばかりです。限られた予算の中で最大限の補充はしておりますとも」

「ホロロ族には〈喉笛の塔〉の予算だってつぎこめるはず」

 オースターはあえて〈喉笛の塔〉のことを口にした。〈喉笛の塔〉の名を出して、局長の反応を見たかったのだ。

「塔の維持費と、衛生局の予算は、別枠なので」

 オースターは目を伏せ、その場に立ちつくす。

 なんのことか、と問いかえさなかった。局長はホロロ族の〈喉笛〉が〈喉笛の塔〉の動力源であることを知っているのだ。知っていて、それでよしとしている。

「しかしながら、オースター様のおっしゃることには全面的に賛同します。アレらは塔が管理すべきだ。そう何年、元老院に訴えつづけてきたことか。……大丈夫ですか? ずいぶんお辛そうだ」

 ふと気づくと、局長が数段先で、足を止めて待っている。

「大丈夫です。ただすこし、頭がぼうっとして」

「事故後のショック状態だとしたら、しばらくはつづくでしょう。その症状は、事故に遭った掃除夫としてはごく自然なものですので、ご心配なく」

 局長のまなざしはあいかわらず冷ややかだったが、口調からは心なしか以前よりも親密な気配が感じとれた。

「……その優しい言葉は、アラングリモ家が衛生局に資金提供をしたから?」

「ええ。下水道事業に理解を示していただけるかぎり、私は誠意ある態度をとりましょう」

 オースターは皮肉げに笑う。

「ドファール家が資金提供をしていたときも、そうしたのでしょうね」

「ええ、まあ」

「――だったら、ホロロ族に必要以上の懲罰を与えるのはやめろ」

 改まった口調に嫌悪を示すこともなく、局長は居丈高に腕を組む。

「必要以上とは」

「鞭で打つな。暴力をふるうな。懲罰と称して、無償で働かせるような真似はよせ。自国の民と同様、相応の対価を支払うんだ。裁判を経ずに、彼らを独房に入れることは許さない。怪我をしたら、適切な治療をほどこせ。それから彼らを番号で呼ぶのはやめろ。我が国の大切な勤労者のひとりとして――我が国をかげで支えつづけてきた者として、丁重に扱え」

 オースターは口早に言いながら、激しい無力感にさいなまれた。

 こんなことしか言えない。八つ当たりじみた奇声をあげるぐらいしかできない。

 自分に対する怒りが体のなかに積もり、いまにも爆発してしまいそうだった。

「善処しますが」

 言って、局長は眉間にしわを寄せる。

「とはいえ、あの厄介者どもも、まもなく下水道から去ります」

「知っている。……あなたは嬉しいだろうね」

「はい。ようやく、私の地下水道に光を通してやれますから」

 局長はオースターの背後、地の底にまで伸びているかのような階段に目を向けた。

「戦前、ランファルドほどの下水道設備がどの国にありました。科学大国フラジアにも勝る。下水道には優れた技術者、最新の設備を用い、万全の保守体制を敷くべきなのです。だというのに、予算はあの忌々しい異民族どもの管理に食いつぶされ、上下水道管はどんどん老朽化し、新たな設備の研究開発もままならない。なにが〈喉笛の塔〉だ。民が祈りを捧げるべきは、私が設計したこの地下水道のはずだ」

 寸分の迷いもなく言いきって、局長は目を細めた。

「ご存じか? つい先日、西の貧民街で疫病が発生した。私に言わせれば前時代の疫病です。我が国の技術を惜しまず下水道につぎこめば、あんな疫病、簡単に根絶できる。市民により清潔な環境をつくってやれる。なのに……これがどれほどの悔しさか、おわかりになるか」

 局長がふたたび階段をのぼりはじめる。

「ドファール家だろうが、アラングリモ家だろうが、資金を提供していただけるかぎり、敬意は払いますよ。地下水道を守るためならば、私はなんだってする」

 ドファール家の犬が、アラングリモ家にあっさり鞍がえするという。

 厚顔無恥にもほどがあった。貴族の誇りもなにもあったものではない。

 だが、オースターにはそれがうらやましかった。

「……局長には、守るべきものが明確に見えているのですね」

 ラクトじいじにもそれが見えている。

 あの老人には、局長同様に迷いがない。

 たぶん、ラクトじいじはホロロ族を束ねる者として、ホロロ族の存在そのものを守ろうとしているのだ。個としてのトマを犠牲にしてでも、全体としてのホロロ族を守りぬこうとしている。


(僕はもう、自分がどうしたいのかすらわからない)


 知りたいと思った。自分が知らずにいることを、すべて。

 けれど、すべてを知ったいま、オースターの心は真実の重みに耐えかね、折れかかっていた。

 トマからは拒絶された。ラクトじいじからは空っぽな人形のままでいろと脅された。大勢のひとの声が頭のなかで渦をまき、自分の心の置きどころすらわからなくなってしまった。

「金で皇太子の地位を買うほどの野心家が、ずいぶん腑抜けた物言いをなさる」

 冷ややかに言ってのけ、局長は小さく息をついた。

「が、おっしゃるとおり。マクロイ家の人間たる私が守るべきは、祖先より受けついできたマクロイ家の家名、ただそれのみ。たとえ無知蒙昧な阿呆どもに”下水くさい”と蔑まれようと、私の地下水道がランファルドの公衆衛生を守っているのだという事実は変えようがない。言葉でいくら貶められても、マクロイの名はランファルド衛生史のなかで燦然と輝きつづける。地下水道という物証をもって」

 豪然と顎をそらし、ふと局長は目を細めた。

「まあ……資金提供のことはともかく、あなたは下水道に来てから、ずいぶん積極的に学ばれたと聞いている。そういう若者が皇太子になったというのは、ごく個人的な意見として、うれしい」

 階段が終わる。目の前に無機質な扉が現れた。局長が扉の横にあるレバーを下ろすと、りんと鐘が鳴り、開いた扉の先に昇降機が現れた。このあたりは停電していないのか、あるいは復旧済みなのか、ちゃんと電気が通っているようだ。

「50番と51番の双子、アレには気をつけることです」

 箱に乗りこみながら、局長が気まぐれのように言った。

 オースターは局長の横顔を見上げる。

「そもそも彼らを差し向けたのは、あなたでしょう?」

「私はドファール家からの指令をただ仲介しただけです」

 いけしゃあしゃあと言う。

「あのふたり、ずいぶんと焦っていた。あの双子は、ドファール家からの〈特別な仕事〉をこなすことで、地下世界に権力を得てきた。ドファールの名をかざし、好き勝手にふるまってきたのです。危険な仕事はほかの者にやらせ、あの地下牢のなかではもっとも上等な部屋に住み、配給される食事よりも上質な飲食物を入手できるよう手配し……。ある程度の自由も許された。衛生局員のみが使える昇降機に乗ることもできたし、鉄格子の鍵を持ちだすこともできた。ドファール家がいたからこそ、双子は地下世界で愚王のごとくふるまえた」

 局長は目をすがめる。

「今後はそうもいきますまい。権力を維持するには、今度はアラングリモ家におもねる必要があるが……」

「僕は受け入れない」

「無論、双子もそこまで愚かではないでしょう。かわりに、私に媚びてきた。どんな命令にも従うから、〈名誉市民〉のバッチは取らないでくれ、とすがってくるのです。ドファール家がたわむれに与えたバッチが、いったいなんだというのやら」

 局長は鼻で笑うが、オースターは笑えなかった。

 アキとロフは嫌いだ。けれど、ホロロ族が過去に受けてきた仕打ちを思えば、無意味なバッチにすがりついてでも己の優位を守ろうとする双子の姿は、理解できないものではなかった。

「ですから、ご用心を。切羽つまった人間は、なにをしでかすかわかったものではない。近づかないことです」

 鐘が鳴り、昇降機の上昇が止まった。

 扉が開き、ひんやりした空気が流れこんでくる。

「お迎えの方が駅舎の外でお待ちです。それでは」

 扉がそっけなく閉まり、オースターはひとりきりになった。



 昇降機がたどりついたのは駅舎の構内だった。〈エロール煉瓦製造所駅〉と書かれた改札口を抜けると、そこはもう外だ。

 停電の影響か、夜遅いからか、ひどく暗い。

 町灯りはまばらで、ふと顔をあげると、胸がざわめくほど澄みきった星空が広がっていた。


「オースター様……!」


 停留していた馬車の御者台から人影が飛びおりた。

 上下しながら接近してくる明かりに浮かびあがったのは、いつにも増して陰鬱な顔をしたラジェだった。

 そこで、限界がきた。

「心配しました。地上は大変な騒ぎだったのですよ。いったいなにがどうなって……オースター様!?」

 膝から崩れるように倒れたオースターを、ラジェが抱きとめる。

「ああ、ひどい熱です。怪我をしたと聞きました。まさか感染症にでも」

「違う、たぶん薬のせい……、副作用だ。おなかがやぶけそうに痛い――」

 ようやく告げる。ラジェが顔をこわばらせた。「アラングリモ邸へ参ります」と言った気がしたが、もうそのときにはまともな思考はなく――。


 抱きあげられて上向いた視界に、満天の星を背にした〈喉笛の塔〉の影が浮かびあがった。


 塔は、オースターを見つめていた。

 なにがしかの意志を孕んだような重たい沈黙をもって、


 ただ、じっと。

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