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喉笛の塔はダミ声で歌う  作者: 翁まひろ
第三章 地下水道の崩落
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第二十六話 未完成の楽園

「多くの仲間が集まりました。フラジアからも、そしてアモンからも。わしらと同じ〈養殖物〉もいたし、なかには〈天然物〉の方々も幾人かおりました」

 憂いを瞳に宿したまま、ラクトじいじはつづける。

「〈天然物〉というのは、トマのことだよね」

「はい。正しくは、〈天然物〉の二世ですがのう」

「ほかにもいる?」

「アキとロフがやはり二世です。ふたりの父親は生粋きっすいの〈天然物〉でした」

「ルゥは……」

「その父親が、ランファルドで暮らしはじめてから〈養殖物〉の女とのあいだにもうけた子です。双子の母親は、アモンでふたりを生んですぐに亡くなったそうで」

 ラクトじいじはなつかしむように目を細める。

「父親も、ほかにいた生粋の〈天然物〉の方々も、もうここにはいません」

「どうして……」

「地下での暮らしが合わなかったようです。衰弱して、死にました」

 淡々と仲間の死を告げるラクトじいじ。

 オースターのなかに、いっとき消えていた不信感がまた沸きあがる。


「あなたは、どういう立場のひとなの?」


 ラクトじいじが首をかしげる。

「話を聞いていると、あなたはどうやら〈養殖物〉たちの代表者のようだ。バクレイユ博士が捕虜収容所であなたに声をかけたのも、あなたがみんなのリーダーだったからでしょう? 養殖場ではどういった立場にあったの」

「わしは……そうですな、祭祀承継者さいししょうけいしゃと言って、おわかりになりますでしょうか」

 なにやら宗教的な響きが感じられるが、具体的にはわからない。

「では、学校の先生のようなものと思ってください。幼い〈養殖物〉たちに、ホロロ族の伝統や文化、祭礼、祭歌を教える。それが祭祀承継者の役割でした」

 ホロロ族の歌は、もともと神への祭祀としてはじまったものだという。

 それゆえに、ホロロ族の歌や文化を伝える者を、祭祀承継者と呼ぶ。

「祭祀承継者は養殖場ごとにいて、ここランファルドには、わしと、ほかに三人、養殖場ちがいの祭祀承継者がいます」

 ラクトじいじは広い室内を見わたした。

「わしら四人はいま、下水道掃除夫たちの長という立場にあります。長老会と呼ばれていますが、言葉どおり、みなわしとおなじ老いぼれですじゃ」

 養殖場で育てられたホロロ族は、ゆくゆくは貴族や豪商に買われて去っていく。だが、祭祀承継者はその役割から、死ぬまで養殖場にとどまるのだという。

 ランファルドにやってきたホロロ族は、売買される前だった年少者が多い。年配者は少なく、自然と年老いた四人がみんなのまとめ役となった。

「さっき、あなたは博士に言った。〈養殖物〉のホロロ族は従順だ、と。生まれたときから、上に立つ者に従うようしつけられている、と。……〈養殖物〉のみんなはさぞ、あなたに従順なのだろうね」

 皮肉をこめた物言いに、しかしラクトじいじは悪びれた様子もなくうなずいた。

「はい。わしの言うことなら一も二もなく従います。フラジアを脱走し、ランファルドに逃げようと提案したときもそうでした」

 ラクトじいじは淡く笑む。

「当時はとくにそうでしたな。みな、自分では物を考えぬ、空っぽな人形のような存在でしたので。いや、そうであるよう、わしら祭祀承継者によってしつけられてきたので」

「空っぽの人形? どうしてそんなしつけを――」

「みないつか養殖場を出て、だれかに飼育される宿命。自分の考えを持っていては、生きているのがつらくなるばかりです。なにも考えず、ただ従順でいたほうが、アモンでは幸福でいられたのです」

 ラクトじいじは嘆息する。

「幼いころからそうしつけられているので、今でもみな、自分で物を考えることが苦手です。……トマのような〈天然物〉の子たちは、ちと、ちがいますがの」

 オースターは顔を曇らせた。


(そうか。だからトマは孤立してしまったんだ)


 貴族は嫌いだとはっきり口にできるトマ。自分の考えをしっかり持てているのは、彼が〈養殖物〉のようにしつけられていないからだろう。

 実際、貴族であるオースターにも物怖じせずにつっかかってきた。上に従うようしつけられた〈養殖物〉にはできない芸当だったはずだ。

 トマは、おかしいと思うことは「おかしい」と口にする。

 アキとロフもさっき坑道で言っていた。一年前、ルゥがわずか七歳にして〈喉笛〉の摘出手術を受けると決まったとき、トマはひとり大騒ぎをした、と。


 ――まだ幼すぎる。まだ早すぎる。

 ――こんなのおかしい。どうしてみんな言いなりになるばかりなんだ!


 けれど、誰も同調せず、最後にはトマは独房に入れられた。

 それ以来、ずっとみんなから遠巻きにされてきたのだろう。変わり者と言われ、ひとりでじっとこらえてきた。

 ルゥやマシカはいた。けれど、マシカはトマの考えに賛同はしていないし、ルゥはたったの八歳だ。

 トマはずっとひとりだったのだ。


(だから、僕に心を開いてくれたんだ)


 いくら声をあげても、誰も答えてはくれない。

 長老会やバクレイユ博士の言いなりになるばかりで、声をあげたトマのほうが危険視され、距離を置かれた。


 ――君たちには僕と同じだけの価値があるんだ!


 なにも知らず、軽々しく放ったオースターの言葉に、トマはどれほど救われたことだろう。自分は間違っていなかった、やっと賛同してくれるひとが現れた、そう思ったのではないか。

 だからこそ「力を貸してくれ」と頼ってくれたのだ。


(それなのに、僕は――)

 オースターはテーブルの下で、膝頭を痛いぐらいに握りしめた。

(トマは、助けてくれたのに)

 ぬめり竜と遭遇したとき、武器も持っていなかったのに間に立って守ってくれた。

 オースターの体調が悪いと知れば、罰を受けるかもしれないのにマンホールから外に出してくれた。

 久しぶりに下水道に足を運んだら、秘密のサボり場に連れていって、体を休ませてくれた。

(なのに僕は、知らないうちに、彼を踏みつけにして)

 トマは泣いていた。

(泣かせたのは、僕だ。トマが失望したのは、僕にだ)

 オースターは押しよせる激情に歯を食いしばってこらえる。


「オースター様がなにをお怒りなのかはかりかねますが……ランファルドのみなさまには本当に感謝しているのです。ここはわしらにとって、まさに楽園であった」

「――僕が怒っているのは、ここを楽園だなんて言って、みんなが抱える不満からも、上に立つ者の責務からも目をそむけている、あなたの無責任さに対してだ!」

 オースターは毒を吐きだすように言う。

「みなが抱える不満……ですか」

「マシカもここは楽園だと言った。ここでの生活に不満はないか、とたずねたら、おびえたようにそう言ったんだ」


『不満は――なにひとつ不満はありません。本当です。みなさんには感謝しかありません。だからどうか、ここにいさせてください。追い出さないで……どうか、あの恐ろしい〈汚染地帯〉には追いやらないでください!』


「マシカは本音ではここを楽園だなんて思っていない。フラジアの捕虜収容所と比べたら、〈汚染地帯〉と比べたら、この地下牢のほうがずっとましってだけだ。なのにあなたはここを楽園だと言う。上に立つ立場のあなたがそう言ったら、”従順な”みんなもそう言わざるをえない」

 オースターはラクトじいじに鋭いまなざしをぶつけた。

「あなたはみんなの不満から目をそむけ、バクレイユ博士の言いなりになって、さらにみんなを苦しめている。あなたが上に立つ者であるというなら、その責任を自覚してほしい。みんなの苦しみと、ちゃんと向きあってあげてほしい」

 ラクトじいじは黙ってオースターの話を受けとめ、ふと口を開いた。

「フラジアを脱出し、みなに呼びかけたことで、わしのもとには数えきれぬほどの仲間が集まりました。フラジアからも、アモンからも、大勢が集まり、そして、死んでいった」

 オースターは意表をつかれ、ラクトじいじを見つめる。

「死んでいった?」

「オースター様は〈汚染地帯〉を歩いたことはおありか?」

 首を横に振る。

「それは、ひどい世界でした」

 ラクトじいじのダミ声は、ひどく弱々しかった。


「わしらはひたすら南へと歩きつづけました。〈汚染〉は、わしらの足跡を消すように、後を追ってきた。追ってきた――そうとしか思えぬほど執拗しつように、あれはわしらの背後に現れました」


 浸食の速度は、すこしずつ遅くなってはいた。

 だが、日に日に衰えていくホロロ族の足どりもまた、遅れがちになっていた。


「食べものはほとんど手に入りませんでした。フラジアは乾いた大地が多く、食べ物は町の近くでしか見つけられません。しかし、多くの町が〈汚染〉に呑まれ、無事な町にも難民が押しよせていました。住民は武器を持ち、砦を築き、やってきた難民を殺し、その肉を食らって、生きのびているようなありさまだったのです」

 オースターは息をのむ。

「わしらは人里はなれた山野を歩きつづけた。木の根や、わずかに成った木の実を食べるしかなかった。飲み水となる河川も、ところによっては〈汚染〉されている。わしらはどんどん疲弊し、歩こうにも足があがらなくなっていった」


 ふと振りかえると、〈汚染〉がすぐ背後に迫っている。

〈汚染〉の速度もさらに遅くなってはいたが、じりじりと、まるで地を這うようにして、ホロロ族の行列の最後尾に掴みかかろうとしていた。


「逃げたくても、足が重い。助けを求めたくても、声も出ぬ。〈汚染〉は行列の尾っぽに追いつき、体力の落ちた仲間から順々に『食っていった』」

「食って――?」

「そうとしか見えなかったのです。〈汚染〉はその黒い手を伸ばし、歩けなくなった者の足にしがみつき、彼らを足首から食っていった。生きながらに腐っていく彼らの苦しみは、いかほどだったでしょう」

 ラクトじいじは苦しみに耐えるように歯をくいしばり、つづける。

「次から次へと仲間が倒れ、生き残った者も飢えに苦しみ、いつ〈汚染〉に食われるかと恐れに気をおかしくし――ついにはわしらのあいだにも、倒れた仲間の死肉を喰らう者まで現れました……」

 相づちすら打てずに身を固くするオースターに、ラクトじいじは泣き笑った。

「ランファルドにたどりついたときの歓喜が、オースター様には想像できますでしょうか」


 ――できなかった。

 それがどれだけの絶望で、どれだけの歓喜であったか。

 オースターには想像することさえできない。


「ここはたしかに、完璧な楽園とは言えないでしょう。ですが……オースター様の言うとおり、ほかよりましなのです。どれほどましかは、説明は不要でしょう」

 ラクトじいじは苦笑する。

「それに、オースター様はひとつ、勘違いなさっている」

「僕がなにを勘違いしているっていうんだ」

「バクレイユ博士は、捕虜収容所でわしにこう言ったのです。私とともに、この世の楽園を南の地に築こう――わかりますかな? 私とともに、です」

 苦笑がほほえみに変わり、ラクトじいじは息をつく。

「わしらは楽園に来たのではない。楽園を築くために、ここに来たのです」

 ぴちゃり、と牢内のどこかで水音がした。

 湿気た壁から水滴が落ちたのだろうか、ラクトじいじが顔をあげる。

「……正直に言えば、地下暮らしは気がめいります。マシカのような若者ならなおさらでしょう。しかし、だからといってあなたがたに不満を訴えるというのは、図々しすぎやしませんかのう? わしらは、大変な状況下にあったあなたがたの国に押しいってきた、いわば招かれざる客。食べ物に、住まいまで提供していただいたのに、それ以上のものを望むのは、あまりに厚かましいのでは?」

 ラクトじいじは目を伏せる。

「ここは発展途上の楽園です。この先、よりよい楽園とできるかは、だれも保証してくれない。当然、不満もありましょう、不安にもなりましょう。じゃが、それでも、みな気持ちはおなじはず。もうアモンには戻りたくない。フラジアに、なにより〈汚染地帯〉に。――ここは命がけでたどりついた楽園。ようやく手に入れた安楽の地。ここを追いだされたくはありませぬ……」

 そう言って、ふたたび見開かれたまなこには、力強い光が宿っていた。

「上に立つ者の責任とおっしゃる。そのとおり、わしには責任があります。みなをこの地にいざなったのは、ほかでもないわし。その責任を感じない日など、一日たりとありません。わしは、わしに従った仲間のために、この未完成の楽園を、本物の楽園にしてみせる。そのためならば、手段は選びません」

 オースターは太もものうえで拳を握りしめた。

「嫌がるトマの喉から、無理やり〈喉笛〉を奪いとってでも?」

「はい」

「幼いルゥの喉を裂いてでも?」

「ええ。いたしかたない」

「みんなを檻に閉じこめ、家畜のように餌だけを与え、繁殖させ、生まれた子供から〈喉笛〉を奪いつづける……そんな手段を使ってまで築いた楽園が、本物の楽園だとでも!?」

 ラクトじいじが眉を寄せた。

「それは……なんのお話でしょう?」

「〈喉笛の塔〉改造計画のことだ。トマが魔力を暴走させたのは、計画のことをアキとロフから聞かされたからだ!」

 ラクトじいじは突然の激高に、驚いたように背を伸ばした。

「……なぜトマが魔力を暴走させたのか、心当たりはないか、とわしもおたずねするつもりでいました。さっき、おなじことをたずねたとき、オースター様は知らぬふりをなさったので」

 オースターは息を吸うたび脈打つように痛む腕を押さえた。

「アキとロフが言ったんだ。みんな、下水道掃除夫を辞めさせられることになったって。かわりに、檻に入れられ、飼育されるんだって。飼育費はすべて僕の家が……アラングリモ家が支払う。そうして衛生的で安全な環境で、繁殖に専念させ、あらたな〈喉笛〉を持つ子を生ませ、〈喉笛の塔〉に提供させるんだって。トマは自分たちのことを家畜だと言った。僕もそう思う」

 オースターは吐き捨てた。

「ここは楽園じゃない。これから先、楽園になることもない。ほかよりまし? いいや、ほかと同じだ。捕虜収容所が、家畜小屋になっただけだ。こんな場所を、そんな手段で楽園に変えられると思っているなら、考えちがいもいいところだ……!」

 震えた声で言いきると、ラクトじいじはぽかんと口を開けた。


「いやはや……檻に入れて、繁殖に専念させるとは……若いもんは恥じらいもなく、大胆な想像をするものですのう」


 頬を赤らめ、もじもじとするラクトじいじ。

「違うって言うの?」

「下水道掃除夫を辞めることになったのは本当ですじゃ。ですがそれは、フォルボス局長殿が元老院にそう要請したからです。局長殿は以前から、下水道掃除夫の質をあげたいと言っておった。そのために、ランファルド人の技師を育て、雇いたいのです。予算の都合で叶わなかったが、アラングリモ家から資金提供があったので、今回ついに局長の主張が元老院に認められたのですじゃ」

「だったら、仕事を辞めさせられたホロロ族はどうなるんだ。住むところはどうする」

「あなたさまのおかげで、今よりもよい場所に引っ越すことができそうです。どこかは決まっていませんが」

「じゃあ、〈喉笛の塔〉改造計画っていうのは、いったい――」

 ラクトじいじは思案げに腕を組む。

「さっき共鳴についてお話ししましたな? それを利用してみようと思うのです」

「共鳴を、利用?」

「ランファルドへの逃走の道行き、わしの声は、ほかのホロロ族の声と共鳴しあって、ひとりでは到底生みだせぬ規模の魔力を行使することができた……そうお話ししました。あのときとはちがい、わしの喉にはもう〈喉笛〉はないが、それでもわしと塔のなかにあるわしの〈喉笛〉とは、なにがしかのつながりを残しているようなのです」

 ラクトじいじは額に指を押しあてて、悩むそぶりをする。

「ここ一年ほど、バクレイユとともにもっと効率のよい発電方法を探して、あれこれ実験をしました。そのひとつとして、〈喉笛の塔〉の内部で歌ってみたことがあるのです。すると不思議なことに、わしの〈喉笛〉がわしの声に共鳴し、自発的に歌いはじめたのです。しかも計測してみると、そのときの発電量は通常の二倍以上でした」

 言葉をなくすオースターに、ラクトじいじはほほえみかけた。

「改造計画というのは、そういうことですじゃ。定められた時刻に〈喉笛の塔〉におもむき、歌う。それに耐えうる発電システムを構築する。ちなみに、歌うのは全員でなく、わしら長老会だけの予定です」

「四人だけ? ほかのみんなは?」

「なにかしらのべつの仕事に従事するでしょう」

「塔のなかで、ただ歌うだけ? 本当に、それだけ?」

「はい。それだけです」

 笑顔でうなずくラクトじいじ。

 オースターはかぶりを振った。

「ちがう。それだけじゃないよ、ラクトさん。これまでだって”それだけ”では済まなかったじゃないか。死者の〈喉笛〉をささげるだけでいい。そう言っておきながら、結局は生きている君たちの喉から〈喉笛〉をとることになった。それも最初は、長老会四人の〈喉笛〉だけでいいという話だった。半年後には、五十歳以上の志願者からも摘出した。トマは十歳でとられた。ルゥは七歳で手術を受けさせられた。今回だって同じだ、”それだけ”じゃ済まない。”それだけ”じゃ済まないから、アキやロフだって過激な想像をふくらませてしまったんじゃないのか」

「……そうですな。それはわしにとっても誤算でした。当初、これほどまでに〈喉笛〉の需要が高まるとは思っていなかったのです。バクレイユにとっても想定外だったようで、ずいぶん謝ってくれました」

 じゃが、とラクトじいじはほほえむ。

「今度は大丈夫ですじゃ。バクレイユとよく話しあい、実験も重ねてきましたので」

 オースターは言葉をなくした。


 なにが大丈夫だというのだろう。

 名前のかわりに、番号で呼ばれ。

 首輪をはめられ。

 喉を裂かれ。

 地上に出ることを禁じられて。

 地下牢でひっそりと暮らして。

〈喉笛〉のために子供をつくれとせっつかれて。

 鞭打たれて。殴られて。


 なにが大丈夫だというのか。


「トマにはわしから話しておきましょう。アキとロフにもよく言って聞かせます」

「トマは〈喉笛〉を返してほしがっている」

 口早に言うと、ラクトじいじの顔から笑みが消えた。

「僕は力を貸すつもりだ」

「おやめなされ」

 低いダミ声が、オースターを諭した。

「そんなことをすれば、ホロロ族全員が立場を悪くしかねません」

 ラクトじいじは首を横に振る。

「もしもトマに感化され、ほかの者まで〈喉笛〉を返してくれと言いだしたらどうします。ただでさえ〈喉笛〉は不足している。ひとり分の〈喉笛〉が欠けただけでも、この都のライフラインは維持しがたくなる。そもそも〈喉笛〉をトマに返してしまえば、トマはランファルドにいる権利を失うのですぞ?」

「そんなことはない」

「いいえ。わしらは〈喉笛〉とひきかえにここにいることを許された。仮にトマが〈喉笛〉を取りもどせたとして、そんなトマを、みなが以前と変わらず受け入れると思いますか。みな等しく犠牲を払っているのに、ひとりわがままを通したトマを、仲間として認めるとでも? ……どうかいっときの同情から、わしらの和を乱すような真似はやめてくだされ。これ以上、波風をたてないでくだされ」

「同情? 波風だって? 僕は――!」


「ところでオースター様。この国では、女性は公爵位にはつけないと聞きました。あなたが男のなりをなさっているのは、それとかかわりが?」


 その不意打ちに、オースターはすぐに反応できなかった。

 言われている意味を理解できず、凍りつき、そしてあえぐ。

「な、なにを……」

「申しわけない。腕の手当てをしたときに、ほかにも怪我があってはいけないと思い、体を改めさせていただきました」

 ラクトじいじはあわれむように目を細める。

「ご安心くだされ。見たのは、わしだけですじゃ。しかし、女性が公爵家の嫡男を名乗り、女性の婚約者を得て、皇太子にまでなったというのは、どうにも不思議でしてのう……」

「僕を脅すつもりか……!?」

 声がおののきに裏返った。

 知られた。知られてしまった。頭のなかが真っ白になる。

 オースターは陸にあげられた魚のようにあえいだ。

「めっそうもない。ただ、おとなしくしていてほしいだけです。耳をふさぎ、目をふさぎ、口をふさいでいさえすればよいのです」

 オースターは頬を引きつらせる。

「僕にも空っぽの人形になれと?」

「そのほうが、誰にとっても幸福だとは思いませんか?」

 ふいに室内の隅で、ベルが鳴った。オースターははじかれたように椅子から立ちあがる。

 テーブルのうえで薬湯の入ったカップが転がり、茶色の液体がしたたった。

 ラクトじいじは立ちあがり、壁に設置された伝声管を耳にあてた。誰かと、二、三、やりとりをする。

 やがて伝声管が壁に戻され、ラクトじいじが言った。


「オースター様。お迎えの方が来ているそうです。さ、地上に案内いたしましょう」

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