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喉笛の塔はダミ声で歌う  作者: 翁まひろ
第三章 地下水道の崩落
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第二十三話 地下の町

 オースターは、平伏するラクトじいじの後頭部から、周囲に視線を転じる。

 窓のない、狭い部屋だった。

 明かりは、石積みの壁に敷設された小さな電灯、ひとつだけ。

 わずかばかりの家具と、ベッドがふたつ置かれただけの狭い部屋に、ラクトじいじと掃除夫たちが押しあいながら平伏している。

 そして彼らの背後には――鉄格子。

 檻だ。オースターは思う。

 格子の隅にある格子戸は開いているが、閉まっていれば「自分は牢獄に閉じこめられている」と勘違いしただろう。

「ここは……」

「わしら下水道掃除夫の町ですじゃ」

「牢獄みたいだ」

「かつては、牢獄でした」

 ラクトじいじは顔をあげた。

「昔、ランファルドの地下には石膏採石場があったと聞いています。鉱山夫のなかでもとくに囚人労働者は、この地下牢に収容されていたのだとか」

 痛みのせいだろうか、頭がラクトじいじの説明を受けつけてくれない。

「いったい、なにが起きたの」

「なにが起きたのか……わしもそれをあなた様に聞こうと思っておりました」

 オースターは答える言葉を持たなかった。

 トマが叫んだのだ。そして、なにかが起きた。

 なにが起きたのだろう――思い起こそうとして、ふと、オースターは首を横に振った。

「わからない。僕はどうして怪我をしたんだろう」

 掃除夫たちは、どこか気が抜けた様子で顔を見あわせた。

 直前まで、空気が張りつめていた。彼らの目は不安に満ち満ちて、オースターが不用意なことを言えば暴動でも起こりそうな雰囲気だった。

 曲がりなりにも地方領主の家に生まれたオースターだ、民衆がかもしだす危険な空気には敏感だ。とっさになにも知らないふりをしたが、どうやら正解だったようだ。

 ただ、ラクトじいじだけは疑うように目を細めた。

「上水道、下水道が広範囲で崩落したようです。オースター様はそれに巻きこまれたのですじゃ」

「広範囲って……」

「わしらもまだよくは。ただ、地上は大変な騒ぎとなっているようです。道が割れ、大穴があちこちに開いて、巻きこまれた市民も多く、負傷者も多数でているとか。もしかしたら――死者も」

 オースターは青ざめる。

「オースター様が崩落の中心にいたことはわかっています。なにがあったのか、教えていただけませんかのう?」

「トマだよ」

 ふいに、女性の枯れた声が言った。

 オースターはマシカの奥方を振りかえる。

「はっきりと聞こえた。あの子の声だった。みんなも聞いたはず」

 奥方はしっかと子供を抱きしめ、充血した目を不穏に輝かせた。

「なんて恩知らずなの。マシカが何度、あの子を助けたと思っているの。それなのにこの仕打ちはなに。このひとが怪我して、明日からどうやってポイントを稼いでいったらいいの。私が働きに出たら、だれがこの子とこの人の面倒を見てくれるの。どうして――なんであの子は理解できないの。問題を起こして、もしランファルドから追い出されたら、生きていけない。いつもみんなを混乱させるようなことばかり言って、いったいあの子は私たちになんの恨みがあるって言うの」

 怒りに満ちた声がじわじわとその場の空気を逆戻りさせていく。

 掃除夫たちのあいだで不安がふたたび広がり、抱えられた子供がむずがって奥方にしがみつく。

「追い出したりはしませんよ、奥方」

 オースターは言った。

「マシカさんの治療費も、怪我が回復するまでの生活費も、もちろんお子さんの養育費も、僕が保証します」

 痛みをこらえて腕を伸ばし、子供を抱く奥方の冷たい手にそっとふれる。

「これはアラングリモ公爵家としての……皇太子としての約束です。どうか心安らかに、ご主人の回復につとめてください」

 奥方はぽかんとした。

 近くにいた掃除夫のひとりが破顔し、誇らしげに包帯の巻かれた腕をかかげた。

「ほら、ネイ、だから言ったろう? 公爵さまは俺たちの味方だって。ぬめり竜にガリッとやられた俺を、手ずから救ってくださった方なんだから」

「あ……あのときの」

「はい、すっかりこのとおり、腫れもひきました。もうちょいで仕事に復帰できまさあ、公爵さま!」

「おい、ちがうだろう? 公爵さまじゃなくて、皇太子殿下だ」

 別の掃除夫が指摘すると、怪我をした掃除夫は「あ、そうだった」と恐縮し、その場に笑いの輪が広がる。

 ラクトじいじに目をやる。先ほどは用心ぶかくオースターを見ていた老人も、ようやく安堵した様子で、感謝を伝えるように目礼をした。

(トマはどこにいるんだろう)

 室内にトマはいない。

 アキとロフもだが、あの双子のことなんてどうでもいい。掃除夫たちの不安や怒りの矛先は、どうやらトマに向いているようだ。トマが心配だった。


「みんな、局長がいらした!」


 鉄格子の外で声がした。

 掃除夫たちはあわただしく立ちあがり、ラクトじいじもまた重たげに腰をあげる。

「オースター様。のちほどお時間をもらえますかな」

 息を詰めてうなずくと、ラクトじいじは頭を下げて部屋を出ていく。掃除夫たちもそれに従った。

 残されたオースターは、かたわらのルゥを振りかえった。

 ルゥは心得た様子でオースターの腕をそっと引いた。誘われて、ゆっくりとベッドからおりる。

 一歩、足を踏みだした直後、視界がぐらついて近くの壁に衝突した。

 あわててルゥが支えようとしてくれるが、小さなルゥに体重をあずけるわけにもいかず、オースターは壁にしがみついたまま目を閉じる。

 ひどい眩暈だ。出血しているようだから怪我のせいだろうか。それとも、魔力とやらを至近距離で浴びたせいだろうか。

 なにが起きたのか――もはや記憶をたどる必要もなかった。

 あれが「魔法」と呼ばれる現象であることは、ホロロ族に確認するまでもなかった。ほかでもないオースターの肉体が、あの強烈な体感を「魔法だ」と断定していた。

(トマが魔法を使った。ううん、使ったというより、暴走させてしまったみたいだった)

 それで地下水道が崩落した? 広範囲に渡って?

(怪我人が出た……もしかしたら死者も――)

 オースターは呼吸を整え、壁から上体を引きはがすと、掃除夫たちが出ていった扉をくぐりぬけた。

 


 そこはまさに牢獄だった。

 石積みの通路の左側には、等間隔に鉄格子が並んでいる。

 鉄格子のひとつひとつに、人の気配があった。どうやら牢を部屋がわりに、ホロロ族が住まっているようだ。

 住んでいると思ったのは、鉄格子の扉が開けはなたれていて、格子にきれいな布や、絵を描いた板をかけ、目隠しをしていたからだ。

 通路には食べ物の匂いがただよっていたし、通路の高い位置に紐を渡し、洗濯物を干しているところもあった。

 町なのだ。

 ホロロ族はこの牢獄で暮らしている。

 オースターは脂汗のにじむ額をおさえる。


(こんな、ひどい場所に……)


 壁の電灯が、アーチ形の天井や石床を照らしている。てらてらと光って見えるのは、湿気や、浅い水たまりのせいだろう。

 四本の通路が交わる辻には、金属製のプレートが掲げられていた。

『左 勤労受刑者収容棟 第三号集団雑居棟へ』

『右 勤労受刑者収容棟 第一号独房棟へ』


(こんな光も射さない地下牢に、ずっといたのか)


 明かり取りの窓すらない。地上の喧騒が届くこともない。

 停電が起きれば、完全な暗闇に呑まれてしまうだろう地下の牢獄に。

(僕たちの足もとで、誰にも知られることなく――十年も)

 彼らの〈喉笛〉が、ランファルドに電気をもたらしてくれたのに。

 資源枯渇の危機から救ってくれたのに。

 その栄誉を誰にも知られることなく、ドブネズミと呼ばれながら暮らしてきた。

 ダミ声で囁きあう声がした。

 配管を強引に引っ張ってきてつくったらしき水汲み場で、何人かのホロロ族が顔を突きあわせていた。

「なぜ崩落が起きたんだ」

「立入禁止区画に入るなんて。また食糧の配給を止められかねない……」

「魔力の波動を感じた。ラクトじいじも気づいてる」

「でもどうして。あの場にいたのは〈喉笛〉をとられた者たちだけだ。もう魔法は使えないはずなのに」

 ぎゅっと温かなものが手に触れる。ルゥが手をつないできたのだ。

 だが、オースターの心は乱れきっていた。



 踊り場のある階段をおりると、吹きぬけの広間が現れた。

 広間といってもなにもない。あいかわらずそこは暗く、石壁に囲われたなかに、ただ床を貫くようにして軌条が敷かれていた。

 軌条の一端は車止めにぶつかって終わっていたが、もう一端は壁に開いた坑道の内部へとつづいていた。かつて囚人たちはおそらくここからトロッコかなにかに乗って、坑道まで働きに出ていたのだろう。

 その坑道のほうから、にぎやかな声がした。

 ふらつく足で軌条をたどっていくと、坑道の奥にたくさんのひとが集まっているのが見えた。

 ざっと六十人はいる。恰好からして掃除夫たちのようだが、全員がこちらに背を向けて立っていた。

 人をかきわけ前に進みでる。

 掃除夫たちが目を向けた先には、見覚えのある姿があった。

 舞踏会のときと同じ、その偉丈夫は今日も不機嫌そうに直立していた。


 衛生局局長フォルボス・マクロイである。

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