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喉笛の塔はダミ声で歌う  作者: 翁まひろ
第三章 地下水道の崩落
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第二十話 幸福を呼ぶ鳥

「〈喉笛〉というのは、おれたちホロロ族の魔法の源だ」

「魔法……」

 トマが指で鉄の首輪を示す。

「ホロロ族の喉には、生まれつき〈喉笛〉という器官がそなわってる。固くて小さな、鉱物みたいな形をしてる。それを振動させると……たとえば、歌をうたうと、そこに魔法が生まれる」

「魔法っていうのは、物を浮かせたり、人間をウサギに変えたり?」

 小さいころに読んだ絵本に出てくる魔法を思いだして言うが、トマはかぶりを振った。

「歌声を聞いた人間を、このうえなく幸福な気分にしてやれる。それだけ」

 ああ、やっぱり。オースターは息を詰めた。

 あの日、下水道で聞いたのは、ホロロ族の――きっとトマの歌声だった。

 こみあげる不安をふっと消し去り、切なくなるほどの多幸感をもたらしたのは。


「君たちは、魔道大国アモンから来た魔法の民なんだね?」


 モーテン男爵から聞いた話を確認すると、トマは改めてオースターがなにも知らないのだと実感したのか、息をついてうなずいた。

「アモンにはあんたが言うような大魔法を操る連中もいる。王族や、貴族だ。アモンでは魔力の強弱によって地位が決まる。幸福のうたを歌うしか能のないホロロ族は最下層。あんたらの言葉で言うと……奴隷?」

「トマ」

 マシカが話をさえぎった。最初の衝撃はすでに去り、今は激しい警戒が胸のうちに渦巻いているように見えた。

「話すべきじゃない。知らないのなら、そのままにしておくべきだ。聞かされていないのには、きっと理由がある」

「知りたいって言ったのは、こいつだ」

「よくないことが起きる!」

「おれはオースターを信じるって決めた。巻きこまれたくなかったら、マシカ、ルゥを連れて町に戻っていてくれ」

 トマはきっぱりと言った。

 マシカは言葉を失い、震える両手で頭を抱える。

 トマはしばらくマシカを見つめていたが、彼が去らないのを確認してから、ふたたび口を開いた。

「ホロロ族は、アモンの貴族の間で〈幸福を呼ぶホロロ鳥〉って呼ばれてた……」

 そうして語られたホロロ族の物語は、現実のものとは思えないほど嘘めいていた。



 ホロロ族には、二種類あるという。

 ひとつは、人里離れた森に隠れ住む〈天然物〉。

 多くは追われ、狩られ、高値で売買され、貴族の屋敷で飼育される。

 トマは貴族の屋敷で飼育されていた〈天然物〉のつがいの間に生まれた子供だ。

 もうひとつは、国立の養殖場で繁殖、飼育された〈養殖物〉だ。

 マシカや、ラクトじいじをはじめ、ランファルドにいるほとんどのホロロ族は養殖組だという。

 そのほかは、ルゥのような、ランファルドに到着してから生まれた子供たちだ。


「貴族にとって、ホロロ族を飼うことはステータスだった。なにかと宴を開いては、互いのホロロ《《鳥》》を披露しあい、歌の優劣を競わせた」

 どうでもいい。トマの口調は淡々としていた。

 もう、どうだっていい。もう限界だ。これ以上、耐えられない。

 自由になりたい。

 さっきトマが吐きだした言葉が、今の淡泊なダミ声に重なる。

「そのうち〈汚染〉が迫ってきた。当時は〈汚染〉なんて名前はついてなかったけど、戦争相手……科学大国フラジアの攻撃だって認識されてた。魔法じゃどうにもならなくて、貴族はみんな逃げだした。ホロロ族は置いていかれた。生きるか死ぬかってときに、歌うしか能のない奴隷を連れていく意味はないから。おれは……」

 それまで他人事のように語っていたトマの口調に、はじめて感情らしき火がともる。

「飼育用の檻のなかに置いていかれた。鍵がかかってたから、抜け出すのに手間取って、屋敷を出たときにはもう町のほとんどが〈汚染〉に浸食されてた。もともと行くあてなんてなかったけど、〈汚染〉を避けるには、南へ逃げるしかなかった」


 南へ南へと逃げるうち、トマはほかのホロロ族の集団に会った。

 ラクトじいじが率いる、マシカのいた〈養殖物〉の集団だった。

 彼らは科学大国フラジアに戦争捕虜として捕らわれていたらしく、〈汚染〉で国内がごたついた隙に逃げてきたのだという。


(フラジアに捕らわれていた戦争捕虜)

 モーテン男爵から聞いた話と合致する。

 当時のことを思いだしたのだろうか、頭を抱え、地面をにらんだままのマシカの横顔に苦悶がよぎった。

「ラクトじいじはおれに言った。南にあるランファルドという国に知人がいる、きっと助けてくれる、いっしょに行こう、って」

 知人とは、〈喉笛の塔〉監視所のバクレイユ博士のことだろう。

 いったい、どこで知り合ったのだろうか。

(たしかバクレイユ博士は、戦時中フラジアに派遣されていたはずだ。有能な科学者として、科学兵器の開発を手助けしたって、なにかで読んだ気がする)

 学園の図書館で読んだ本だったはずだ。〈喉笛の塔〉のことを知りたくて手にとった書物のなかに、そういう記述があった。

 だとしたら、出会ったのはフラジアだろうか。

「やっとたどりついたランファルドでは、受け入れの条件として〈喉笛〉を差しだすよう言われた。〈汚染〉のせいで石炭が輸入されなくなって、かわりとなる資源を必要としていたんだ。〈喉笛〉は石炭の代用品として使えるらしい」

 オースターは唖然とした。

「〈喉笛〉が……石炭のかわりに?」

「らしい。科学のことはよくわからない。あんたのほうが詳しいだろう?」

「そうだろうけど、でも、僕も魔法については明るくない」

「……ともかく、ランファルドの技師たちと、ホロロ族がいっしょになって、〈喉笛〉を燃料として動く発電所を建造した。〈喉笛の塔〉だ。何度も実験を繰りかえして、そのうちたくさんの電力が生みだされるようになった」

 オースターは空恐ろしい気持ちになった。

 なんという荒唐無稽な話だろう。トマの話はあまりに非現実的で、その情景をうまく想像することすらできない。


 けれど――〈喉笛の塔〉。

 脳裏には今や鮮明に、ランファルドを見下ろす、あの白亜の威容が浮かんでいた。


「あの塔は、どういう仕組みで動いているの?」

「詳しくは知らない。知ってるのはただ、〈喉笛〉はぜんぶ塔の地下室に安置されてるってこと」

「塔には、地下室があるの?」

「塔の本体は、地下だ。地上に見えてるのは、ほんの一部だけ。断崖、さらに地中を深くもぐったところに機関室があって、そこに〈喉笛〉が納められてる。どういう方法でか、〈喉笛〉に発声させて、電力をつくりだしてる」

「僕たちは、その……君たちの〈喉笛〉が発する声を、”歌”だと思っていた。でも、トマは前に……悲鳴って言っていたね」

 おそるおそる言うと、トマは顔をゆがめた。

「言ったはずだ。ホロロ族の歌は、幸福の歌声だって。あんたは、あれを聞いて、幸福な気分になるのか?」

 急いでかぶりを振る。トマは「なら、歌じゃない」と呟き、

「おれには、悲鳴にしか聞こえない」

 地下神殿に沈黙が下りる。

 静かだ。不気味なほど。天井をへだてただけの地上世界の喧騒は遠く、水路を流れる水すら鳴りをひそめているみたいだ。


「〈喉笛〉は、手術によって摘出されるんだね?」


 さっきの話を思いだして言うと、トマは弾かれたように顔をあげた。

「最初はちがったんだ。ラクトじいじは、死んだ仲間の〈喉笛〉をたくさん持ってた。〈喉笛〉は、本人が死んだあとも数十年は魔力を放ちつづける、ちょっとした魔力の炉なんだ。魔道具のもとになったり、お守りにもなるから、ホロロ族は死ぬと〈喉笛〉を取りだしてから埋葬される。ラクトじいじはそれを持っていて、最初、ランファルドに差しだすよう言われたのは、その死者たちの〈喉笛〉だったんだ」


 だが、状況は急速に変わっていった。

〈喉笛の塔〉の誕生によって、ランファルドは加速度的に発展をはじめた。

 電力の普及によって、都市はまたたく間に拡大し、人口も増加した。

 人々の生活は豊かになり、生活の隅々にまで電気が行きとどくようになった。

 それによって、ランファルド人はより多くの電力を求めるようになった。


 足りなくなったのだ。〈喉笛〉が。


「バクレイユ博士からもっと〈喉笛〉をよこすように言われた。ラクトじいじは博士と何度も相談して、最終的に、生体からの摘出手術をおこなうことが決まった」

 死んだホロロ族の〈喉笛〉では足りなくなり、生きたホロロ族から直接〈喉笛〉を摘出することにしたということだ。

 オースターは口元をおさえる。吐き気がする。気持ちの悪い話だ。電力のために、ランファルドの発展のために、生きた人間の喉を裂き、喉組織の一部を切りとったというのか。

 そのうえで、裂いた傷のうえに鉄の首輪をはめた。

 管理番号を振って。

「手術を受けることになったのは、ラクトじいじたち長老会の四人だ。ほかのみんなは手術を受けなくていいって言われた。これで足りるはずだからって」

「でも、また足りなくなった……」

「半年後にまた言われた。〈喉笛〉が足りないって。次に手術を受けたのは、五十歳よりも上の大人たちだ」

「けっして強制されたわけじゃありません。手術を受ければ、ポイントをたくさんもらえるんです」

 黙って話を聞いていたマシカが、言い訳するように補足した。

「俺たちは〈喉笛〉がなくなったところで……魔法を失ったところで、なにも困らないんです。ただ、ちょっと声がれるぐらいだ。むしろ〈喉笛〉を差しだせば、提供者本人とその家族、部族全員にまでポイントが入る。普段の仕事ではとても稼げない量のポイントなんです」

 トマが皮肉げに笑んだ。

「そうだよ。だからポイント欲しさに、手術を受けるホロロ族が増えていった。みんな、ぎりぎりの生活をしてるから、ポイントはいくらだって欲しい。実際、〈喉笛〉を犠牲にしてポイントを手にした仲間は、目に見えて豊かになっていった」

 質のいい着物、おいしい食事、すごしやすい部屋、危険の少ない仕事……ポイントがあればなんでも手に入った。

 アモンで奴隷同然に生きてきたホロロ族にとって、自力で手にする豊かな生活は、どれほどの喜びを与えたことだろう。

「そのうち、ぐずぐず手術を受けずにいる仲間に、白い目が向けられるようになった。〈喉笛〉を提供すると、みんなにもポイントが入るから、それをしない仲間は『身勝手だ』って非難されたんだ。そこまでしても、バクレイユ博士からは〈喉笛〉が足りないって言われて……」

 トマはあぐらの上で拳を握りしめる。

「どんどんひどくなっていった。〈喉笛〉の成長は、だいたい十四歳で止まる。だから最初は、少なくとも十四歳になるまでは手術はしなくていいって言われてた。でも、おれは十歳のとき、無理やり〈喉笛の塔〉に連れていかれた。いやだって言ったのに――縛りつけられて、注射されて、喉を裂かれて、〈喉笛〉を奪われた。けど、ルゥのときはもっとひどかった! たった七歳だ。術後の処置も適当で、感染症にかかって、何日も熱に浮かされて死にかけた。ルゥの〈喉笛〉はすごく小さかったから、家族に入るポイントも少なくて、アキとロフはルゥを責めて、殴って、蹴って、役立たずって罵った!」

 けれど、ルゥはもう悲鳴をあげることすらできなかった。

 〈喉笛〉を取りだす際に声帯を傷つけられ、声を失っていたのだ。

「それでも博士が言うんだ。〈喉笛〉が足りないって。……なあ、あんたら、いったいどれだけ電力が欲しいんだ? どこまでいったら、その貪欲な胃袋を満足させられるんだよ」

 怒りよりも嘆くように、トマは吐きだす。

 ルゥが悲しげに眉を寄せ、トマに寄りそう。

 トマは歯を食いしばって感情を殺し、ふたたび口を開いた。

「――いつの頃からか、こう言われるようにもなった。相応の年齢になったら、子供をつくれ。オスはメスにどんどん子供を生ませて、新たな〈喉笛〉を塔に提供しろ」

「……そういう言い方はよせ、トマ」

「子供を生めば、祝儀のポイントがもらえる。これも、本人と家族、部族全員にだ。みんな、ありがたいって喜んで、未婚だった奴もどんどん三つ編みを切った」

「ポイントのために、子供をつくったわけじゃない」

 マシカが押し殺した固い口調で言う。

 トマはつづけた。

「マシカには話したことなかったけど、とくに質のいい〈喉笛〉を提供した個体は、長老会から言われるんだ。おれの〈喉笛〉は質がよかったらしいから、言われた。はやくメスと番うように。ひとりの伴侶を選べないなら、たくさんのメスと結んでもいい。そうすれば多くのポイントが入り、おまえも、伴侶も、ひいては部族全体が豊かになるんだぞ――」

 トマは、オースターを悲しげに見つめる。

「おれは、家畜だ。〈喉笛〉をつくるためだけに生かされてる。それでも、おれとあんたの命は対等か? 同じだけの価値があるって言えるか?」

 オースターは答えることができなかった。


 ――男になれない自分には、なんの価値もない。


 脳裏に声がこだまする。

 体のなかで叫びつづける「私」の声だ。

「トマは……立派な下水道掃除夫だ。価値のある仕事をしている。〈喉笛〉を持っていなくたって、君の存在はかけがえがない」

 かろうじて言うと、トマは首を横に振った。

「局長は、本当は国内の職人に下水道掃除夫をやらせたいんだ。おれたちに掃除夫をやらせてるのは、バクレイユ博士に命じられているから。下水道はおれたちを置いておくのにちょうどいいから」

 トマは消え入りそうなダミ声で呟く。

「おれは、どうして生きているんだろう」


 ああ、本当に――。

 どうして、「私」は、生きているのだろうか。


 価値はあるよ。トマには価値がある。

 そう力強く言えたらどんなにかよかったろう。

 以前のように、なんの迷いもなく言えたなら、どれほどよかっただろう。

 けれど、今のオースターはなんの答えも持たなかった。

 胸のふくらみを隠し、男のふりをする、自分。

 弟の皮をかぶった、偽物のオースター・アラングリモ。

 母の関心欲しさに、大切な友達を踏みつけにし、皇太子の座を手にした。

 けれど、中身は空っぽだ。皇太子にふさわしいところなど、なにひとつない。性別も、性格も、体格も、知識も、覚悟も、なにひとつ。

 ルピィを引きずりおろし、ただ栄誉のためだけに、大公の称号を奪った自分を、誰が「価値がある」などと言ってくれるだろう。

 いいや、ほかでもない自分こそが、己に価値があるなど思っていない。

 そんな自分が、返すべき答えを持っているはずがなかった。

 その答えは、うわべばかり取りつくろった、空っぽなものにちがいないのに。


(どうしてトマは僕に力を貸してくれと言ったんだろう)


 いったい、彼はどんな望みを持っているのだろう。

 どんな望みならば、体のなかで絶えず渦巻く疑問を解決できるのか。自分の価値を見出せるようになるのか。

 なんて情けない。助けを求められたのはこちらなのに、本当に助けを求めているのはオースターのほうなのだ。 


「トマの望みはいったいなに?」


 問う。握った手に力をこめて。すがるように。無様に。

 トマはそんなオースターをまっすぐに見つめ、口を開いた。

「おれの望みは……」


「おい、見ろよ、ロフ。俺たちは今、とんでもない光景を目にしてるぞ」

「ああ、お涙頂戴の感動的な寸劇だ。むせび泣いてしまいそうだよ、アキ」


 オースターとトマは、同時に顔をあげた。

 憎たらしいほど陽気なダミ声は、アキとロフのものに違いなく、果たして彼らは壁面に開いた穴のふちに並んで腰かけ、笑っていた。

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