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喉笛の塔はダミ声で歌う  作者: 翁まひろ
第二章 ふたつの公爵家
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第十四話 卑怯者のそしり

「ラクトじいじ?」

「下水道掃除夫の長だよ。一度会ったきりだけど、でも……よく似ている」

 コルティスはしげしげと写真を眺めた。オースターがどれほど驚いたかは、彼には伝わっていないようで、軽い口調で言う。

「ランファルド人でないのは確かなようだね。肌の色も濃いし、目鼻立ちがぜんぜんちがう。それに、頬の模様。父から聞いていた姿と同じだ。……下水道掃除夫たちは、やっぱりホロロ族だったんだ?」

 オースターはうなずく。

「でも、どうして掃除夫が〈喉笛の塔〉の写真に……」

「驚くようなことじゃないさ。〈喉笛の塔〉は発電所だ。冷却水かなにかを下水道に流す必要があって、塔の直下に新しく下水管を敷設した。そんなところじゃないかな」

「ラクトじいじも工事に参加していた、だから記念撮影に加わった、そういうこと?」

 コルティスは肩をすくめる。

「けど、記念撮影に加わらせてもらえるなんて、たいそうなことだよね」

「そうだね。だいたい撮影に参加できるのは、お偉方だ。けど、そのラクトってひとは下水道掃除夫の長なんだろう? なら、資格は十分だ」

 オースターはうなる。なんだか混乱してきた。さっきまでホロロ族は不当な扱いを受けていると思っていたのに、バクレイユ博士と並んで笑顔で記念撮影だなんて一労働者としては破格の待遇だ。

 ラクトじいじの笑顔に屈託はない。異民族だからと差別を受けている様子は、微塵も感じられない。

(もしかして僕、なにか勘違いをしているのかな)

 先走って、トマの話を必要以上に深刻に受け止めてしまっているだけなのだろうか。

 考えてみれば、ほかの掃除夫から話を聞いたわけではない。トマの話だけを聞き、そのまま真に受けて、悲惨な想像をふくらませてしまっただけなのだ。

(地下の町のことだってそうだ。石膏採掘場跡にある、廃墟となっていた坑夫の住宅に住んでいると聞いて、勝手に暗くてじめじめして、いかにも貧しげな町を想像していたけれど、実は最新鋭の設備が整った、近代的な住宅地なのかもしれない)

 オースターは沈んでいた気持ちが急速に晴れていくのを感じた。

(そうだ、きっとそうだよ。ランファルドはホロロ族を迫害なんてしていないんだ。ほかの掃除夫を見たって、虐げられているような雰囲気はなかった。それどころか、彼らは最初に言っていたじゃないか。僕をルピィだと勘違いして「いつもお世話になっています」なんて、どこか嬉しそうに)

 貴族が嫌いだと言ったのは、トマだけなのだ。


『気にしないでくださいね、オースター様。あいつ、変わり者なんです。みんなにも嫌われてる』


 ふっと脳裏によぎったのは、アキの囁き声。

 それから、ほかの掃除夫たちから距離を置かれていたトマの姿だった。

「オースター、いったいどうしたっていうの?」

 オースターははっとして、一応聞いてみることにした。

「下水道掃除夫のことなんだけど、彼ら、鉄製の首輪をしているんだ。数字が刻印されていて、トマはそれを識別番号だって言っていた」

「あはは、囚人みたいだね」

「笑いごとじゃないよ。人間に首輪をつけるなんてひどい話だ。それも識別番号だなんて……なにか事情があると思うんだけど、どういうことが考えられる?」

 コルティスは「学者先生」のあだ名の通り、オースターよりも知識が豊富だ。トマと面識がない分、客観的に物事を考えることもできるだろう。

 意見を求められたコルティスは、ラクトじいじの写った写真を眺める。作業着の襟をきっちり閉じているので、首輪をしているかどうかはわからない。

「昔の鉱山労働者の話だけど、腕や背中、足の裏なんかに数字を描いていたらしいよ。過酷な仕事だろう? 死者も多かった。たとえば落盤事故で亡くなった場合、遺体の損傷が激しくて、死者が誰か判別することができなかったんだって。だから体のあちこちに残された識別番号を手がかりに、身元を判明させるなんてことがあったらしい」

 脳裏によぎったのは、下水管の詰まりの原因となっていた腐乱死体だった。肉が腐り、木の枝などに傷つけられてぼろぼろになった遺体の顔は、生前の様子が想像できないほど崩れてしまっていた。

 下水道での事故死もきっと無惨なものだ。首輪の数字は、いざというときのための識別番号――。

(ひどい話だってことに違いはないけれど)

 納得してしまった。

(なんだあ……)

 オースターはすっかり気が抜けて肩を落とした。コルティスが不思議そうにしているので、力なく苦笑する。

「僕はやっぱり『ちびっこ脳筋』だったよ。なんでもないことを深読みして、大げさに受け取ってしまっていたみたい」

 オースターはそう口にしながら自分の手のひらを見つめる。

 あの日、〈針の沼公園〉でトマの手を握った右手だ。そして、トマが強く握りかえしてきた手。

 体を砕かんばかりに吹き荒れた突風を思いだす。あのとき、白昼夢のような奇妙な感覚を味わった。

 あれはいったい、なんだったんだろう。

「それで? どうして〈喉笛の塔〉について調べているのか、まだ聞いてないけど?」

 コルティスに問われ、オースターは口を開いた。





「なるほど。つまりオースターは、トマ君が塔の歌を悲鳴だって言ったことが気になったわけだね」

「うん。それでよくよく考えてみたら、〈喉笛の塔〉のことをなにも知らない自分に気づいたんだ。だから調べてみようと思って」

 コルティスはなぜか難しい顔をして黙りこんだ。

「これ、ただの噂話なんだけど、〈喉笛の塔〉って一般人の立ち入りが禁止されてるだろう? 国家の最重要施設だからって。監視所の所員もごく一部の人間しか入れない。だから根拠のない噂にすぎないんだけど……塔の内部であの歌を聞くと、本当に悲鳴みたいに聞こえるんだって」

 オースターは目を見開く。

「それも時々は、ある単語を叫んでいるようにも聞こえるらしい」

「なんて叫んでいるの?」

「苦しい、怖い、痛い、助けて、ここから出して……って」

 言葉を失う。全身に鳥肌が立って、言葉を発することも忘れてしまう。

「ほかにも妙な噂がいろいろあるんだよねえ。たとえば、死体処理の話とか」

「な、なに……それ」

「古株の所員が見たらしいんだ。血みどろの手術衣を着た塔の関係者が、監視所の裏口から死体袋を運びだしてるのを。深夜のことさ。気持ち悪がって見ていたら、急にそいつがこっちを振りかえって――


 見たなあ!?


 ……なーんてね」

「……っ」

 しー、と隣の本棚にいた学生から注意が入る。コルティスはぺこぺこと頭を下げ、恐怖のあまりに凍りついたオースターの肩を無責任に叩いた。

「ほんとオースターは怖い話、苦手だよねえ」

「からかったの!?」

「都市伝説にありがちなやつさ。あ、でも、死体処理の噂は本当にあるんだよ?」

「もうぜったい学者先生の言うことなんて信じない……」

「ごめんごめん」とコルティスは苦笑する。

「でも本当なんだよ。監視所の裏口から、たまに変な袋が運びだされることがあるらしいんだ。死体が入っていてもおかしくない大きさだから、死体袋って呼ばれてる。地下の廃棄物置き場に通じた立坑に投げ入れられるのを見たって人がいて、その袋には血のようなものがついていたんだって」

 疑わしげなオースターにもう一度苦笑って、コルティスは眉を寄せる。

「あそこで働いてみてわかったけど、〈喉笛の塔〉って変な噂が多いんだよね。塔の建造自体にも謎が多いし」

「謎って?」

「だって妙だろう? 戦後、石炭が輸入できなくなって、これはまずいぞって危機感を募らせたのもつかの間、都合よく〈喉笛の塔〉なんてものが建造されちゃったんだもの」

「都合よくってわけじゃないだろう?」

「そう? だって、石炭が手に入らなくなったタイミングで、石炭のいらない発電所がばばーんと誕生するなんて、都合がいいとしか言いようがないじゃないか」

「バクレイユ博士がずっと温めてきた技術なんだよ、きっと。それまでは石炭燃料が主流だったから、披露する機会がなかったってだけで」

 コルティスは納得がいかない様子で「そうかなあ」とぼやく。

「なんだか変なんだよ、あの塔。せっかく職場体験しているっていうのに、発電の詳しい仕組み、誰も教えてくれないし」

「本には〈振動エネルギー〉がどうのって書いてあったよ」

「その〈振動エネルギー〉っていうのは、つまり、塔のあの歌のことだろう?」

 オースターはあいまいにうなずく。本で得たばかりの知識を、ろくに理解もしていないのに口にするものではない。コルティスの言っている意味までわからない。

 オースターがわかっていないのを見て取ってか、コルティスは顎に手をあてがい天井をあおいだ。

「ぼくらは声を出す。その声というのは、喉を振動させることによって生まれ、喉という空洞のなかで反響させることによって、人間の耳にも感知できるような大きな音になるんだ。〈喉笛の塔〉の発電の仕方は、ひとの発声の仕組みによく似ている。わかる?」

「……なんとなくわかる」

「塔は歌う。その歌声は塔という空洞のなかで反響することによって、より大きな歌声となる。それが〈振動エネルギー〉で、それが電気の源」

 そう説明して、コルティスは嘆息する。

「ぼくが知りたいのは、その歌がなんなのかっていうこと。歌というか、音だね。あの奇妙な音は、どんな方法で生みだしているんだろう?」

「本には、音は発電装置から発せられるもの、って書いてあったよ?」

「じゃあ、その装置を動かしている燃料はいったいなに?」

「電気じゃないの?」

「電気を生みだすための装置だ。その装置を起動させるのに電気は使えない」

「ああ……そうか」

 コルティスは分厚い眼鏡を指で押しあげる。

「まあ、そのあたりについてはどうとでも考えられるんだけどね。ただ、もしもあれが誰かの悲鳴だっていうなら、ぼくは納得いっちゃうなあ。なにしろ人が悲鳴をあげるのに燃料はいらない。あの塔のなかに誰かを放りこんで、痛めつけて、悲鳴をあげさせて、それを増幅させれば莫大な〈振動エネルギー〉になるっていうなら安上がりだ。悲鳴が歌の正体なら、あれを聞くたびに鳥肌がたつのもわかるってものだ。死体処理の噂についてもね」

 コルティスは真面目くさって語ってから、「なーんてね」と眉を持ちあげた。

「……いや、冗談だよ? 人の声で発電だなんて、さすがに現実的じゃないもの。そんな怖い顔しないでくれよ、オースター」

 凍りつくオースターに、コルティスがうろたえる。

 だが、オースターはちっともその冗談を笑えなかった。


『あんたはきれいな世界にいて、おれは、ずっと、あの塔の下で叫んでる……っ』


(いけない。コルティスにひきずられて、僕までばかばかしい想像をしようとしている)

 オースターは首を横に振って、無意味な想像を打ち消した。

 ともかく、事実がどうであれ、トマが家畜のような扱いを受けていると感じていることに違いはないのだ。トマが孤立していようが、変わり者だろうが、関係ない。トマにそう思わせてしまったのには、なにか原因があるはずだ。そしてその原因にはきっと貴族がかかわっている。

(今度会ったら、ちゃんと話を聞いてみよう。地下の町にも足を運んでみるんだ。ほかのホロロ族からも話を聞いておいたほうがいい)


『もしも、おれが力を貸してくれって頼んだら……あんた、どうする?』


 力になりたい。

 あのときは動揺して答えることができなかったけれど、トマの助けになれるのならばそうしたかった。なにしろあのトマが、嫌いなはずの貴族であるオースターに助けを求めたのだ。無下にできるわけがなかった。

 そう決断してみると、全身にやる気がみなぎった。一度は臆病にも目をそむけそうになったが、きちんと向き直ってみたら、空っぽだった心が満たされていくようだった。

(誰かに頼られるのって、こんなに嬉しいものなんだ)

 オースターはようやく調子を取りもどし、コルティスに笑顔を向けた。

「コルティス。今度、君のお父上から話を聞くことはできないかな。ホロロ族について、詳しい話を伺いたいんだ」

「かまわないよ。でも、外出許可もらえるかな。自立心を促すためだかなんだか知らないけど、家族に会うための外出許可ってなかなかおりないんだよねえ」

「そうだね……、あ、今度の舞踏会、お父上は招待されている?」

 コルティスはぽんっと手を叩いた。

「いいね。父はもちろん、ぼくも招待を受けているよ。その席で、君を父に紹介させてもらう」

「ありがとう、助かるよ」

 オースターはぱっと顔を輝かせた。


「そこまでわかっていて、なぜ父上はなにも策を講じない……!」


 誰かが鋭い叱責をあげた。

 驚いて振りかえると、隣の本棚の学生が体を傾けて、読書机のほうに視線をやっていた。オースターとコルティスも彼にならって本棚から顔を出す。

 読書机のそばにはルピィの姿があった。

 声を荒らげた相手は、ルピィの従者のようだ。ドファール公爵家の分家、名家バンガル家の四男で、クラリーズ学園の上級生でもある。

「へえ、ルピィが声を上げるなんて珍しい」

 コルティスが目を丸くする。周囲の耳目が集まり、ルピィは声をひそめてしまったが、確かにああして彼が激昂するのは珍しいことだった。

「婚約破棄の件かな。教室でもひそひそ噂になっていたしねえ」

「ああ……ラジェが言っていたよ。ドファール家所有の鉄鉱山のなかでも最大の鉱山が閉鎖されたかもしれないって。それが原因じゃないかって」

「ぼくが聞いたのは、君がルピィの婚約者を奪ったって話だったよ」

「……は!?」

 驚いて声を上げた瞬間、従者がばっとオースターたちに顔を向けた

 オースターとコルティスはさっと本棚の陰に身を隠した。

「オースタぁ……」

「だ、だって、君が変なこと言うから……っ」

 カツン、カツンと、杖が石床を突く音が近づいてくる。その勢いが次第に強まってくるのを感じ、オースターは真っ青になった。

「おい――」

 ルピィの声がした。

 そう思った瞬間、横から伸びてきた腕が胸倉を掴みあげた。

「よくも……っ」

 憎しみに満ちた形相でオースターを締めあげたのは、ルピィの従者だった。コルティスがとっさに「ちょっと!」と従者の腕に掴みかかる。

「よせ、ウェイルズ」

 それよりも先に、従者の肩を背後から掴む者があった。ルピィだった。

「アラングリモに引きずられて、ドファールの名まで穢すな」

 従者は怒りのあまりに顔を真っ赤にし、オースターを突き飛ばすようにして放した。本棚にぶつかったオースターと従者の間に、コルティスが冷静に割って入る。

「従者のしつけがなっていないようだ、ルピィ・ドファール」

 鋭い叱責に、ルピィはふんと鼻を鳴らした。

「成り上がりが。上流階級のなにを知る」

 そして、踵を返す。

「違うから」

 オースターはとっさにその背に声をかけた。

「君の婚約者を奪ったりなんてしていない。その噂が君の耳に入ったというのなら、誤解だ。確かに大公家筋のご令嬢が僕に好意を寄せてくれているとは聞いている。けど、それは君の婚約者とは無関係だ。アラングリモ家の誇りにかけて、僕はなにもかかわっていない」

「貴様、どこまでルピィ様を侮辱すれば気が済む!」

 ふたたび掴みかかろうとする従者を持ちあげた杖で制し、ルピィはひどく冷めた目でオースターを見据えた。

「ああ、そうだろうとも。レディ・アラングリモがずいぶん暗躍されたと聞いたが、そうとも、おまえはなにもしていない。なにもしないし、なにも知らない。なにひとつ、おまえの手のなかにはない」

「母上が暗躍……? まさか、そんなこと」

「口を塞げ、アラングリモ。もう、おまえの薄っぺらな言葉に興味はない。無論、おまえにもだ」

 冷ややかに言って、ルピィはふと微笑を浮かべた。

「アラーティス嬢はダンスの下手な男はお嫌いだ。舞踏会で踊りに誘うように言われたならば、彼女に恥をかかせぬよう、そこの学者馬鹿でも付きあわせて、よく練習しておくことだな」

 そのとき、ふっと図書館内が暗くなった。

 かすかなざわめきが起き、ようやく読書机の電灯が消えたのだと理解する。

「停電……?」

 コルティスが呟いた。オースターは頭が真っ白になったまま呆然と立ち尽くす。

 カツン、と杖の音がして、それが雨音にまぎれて遠ざかっていく。


「汚物にまみれるがいい、卑怯者」


 不意に、耳元で声がした。

 顔を上げると、薄闇のなか、従者がオースターを冷ややかに一瞥し、身をひるがえすのが見えた。

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