第7話 魔導師の魂は、創造者に面白がられる。
目が覚めると、世界は荘厳な白の世界だった。
ただ白く、どこまでも白い空間だった。言葉にしてしまえばそれだけの空間なのだが、完全に視界が白に染まったのは初めてだった。穢れ無き潔白な世界は、今までの人生の汚さを思い知らされたようだった。
「やあ、初めまして」
後ろから、透き通った声が聞こえる。
「ようこそ、グリア・ノワールさん」
わしは、驚きと共に振り返る。
「お、お前さんは……」
「ああ、この子にはグリモアールと名乗っていたっけ」
目の前にいたのは、さっきまで一緒にいたレイス・リライトであった。だが声が違う。それに、天に召されたはずの人間と、生きているはずの人間が会話できるはずがない。
「僕の正体が気になるのかな?」
レイスのような人物はそう言って笑った。
何も考えず首肯してしまう。考えるべきことがあり過ぎて、思考回路が上手く働かない。
「僕は、君たちから神と呼ばれている存在だよ」
「ありえない!」
反射的に叫んでしまった。あり得るわけがない。神などこの世には存在しない。
「神に信仰を捧げなくても魔法を使えたのだから、神など幻想の中の存在だと思っているのかも知れないけれど、魔法が自力で使えたからって、神がいないとは限らないでしょ」
言っていることは正しい。だが、
「神は、人間が信仰を捧げたというのに、何も人間に与えなかったではないか!」
そう、神は何もしなかった。人間が必死に信仰してきた神が、人間に対価として与えた加護が魔法だと考えられていた。だが、魔法が人間自身で使えるならば、神は人間の信仰に対して、何も対価を与えなかったということになる。
「そうだね。でもさ、それは勝手に人間が信仰をしているだけだよね。僕は一度も信仰の対価を払うなんて言ってないんだよ」
「だ、だが……」
「もっと言うとさ、この世界も、君たちのような生命も、みーんな僕が創ったんだよね。だからさ、君たちが存在していること自体が僕のおかげなんだよ。それだけで、僕を崇めるには十分じゃないかな?」
何も言えない。
真実なのかどうかは、もはやどうでもよくなっていた。だが、この者の言っていることは間違ってはいないと思ってしまった。
この者は本当に神なのだろう。そうでなければ、グリア・ノワールという名を知っている筈がないし、死んだはずの魂に話しかけられるわけがない。
「やっと分かってくれたみたいだね。君は面白い人材だったから、ここに呼び出したんだ」
そうか。確かに、この世界において神を信仰しない人間は滑稽に見えるかもしれないな。
「ここは神の間、とでもいえばいいのかな。世界の全てを見渡せる空間だよ。本来なら僕以外は入れないんだけれど、君は特別だ。神を信仰しない人間は今の世界では珍しくは無いけれど、君は進化論による人間の魔法習得を唱え、神からの加護の存在を否定した。ここまで真実に近づいた人間は君ぐらいだからね」
神はいないという最終的な結論は外れていたがな。
ついつい、苦笑いしてしまう。ついさっきまで神を信じる人間は馬鹿だと思っていたが、本当の馬鹿は思っていた方だったらしい。
「そんなに自分を卑下することは無いよ。君の考えは神の存在の否定と、魔法の真理以外は大体あっているからね」
魔法の真理も違っていたのか。じゃあ、レイスには誤った事柄を教えてしまったわけか。申し訳ないことをしたが、後悔しても全てが遅い。
「魔法に関しても、君の魔法論はいい効率だと思うよ。人間の体内に魔力があるという仮説の元、その体内魔力を用いて魔法を発動させることで、従来の周囲から魔力を集める魔法よりも早く魔法を使える。間違ってはいないよ」
慰めてくれているのか。
「まあね。君の魔法論の欠点は、魂を考慮していなかったことだ。魔法とは、意志で発動させ、脳のイメージでコントロールする。だけど、魔法に適性があるように、魔力から魔法へと昇華する際、魔力は魂の影響を少なからず受けるわけだよ。特に体内魔力を使う場合は、魔力が魂の影響を受けやすい。魔法の利点の一つである多様性などを考えると、君の魔法論よりも、従来の魔法論の方が都合がいいわけだね」
そうか、戦闘をすることだけが魔法ではないからな。
何時からだろう、魔法を戦闘手段としか考えなくなったのは。
「ねぇ、僕は話し相手が欲しくて君をここに呼んだんだ。考えていることは分かるけれど、せっかくだから会話をしようよ」
考えていることが分かるのか……だから頭の中での呟きに、返答が来ていたのか。
「なんでも聞いていいよ。神と呼ばれる僕が、なんでも答えてあげよう」
そうか、神だからな。何を聞いても答えてくれるか……
「わしは死ぬことが出来たのか?」
一番の疑問を口にする。空間の檻から魂を解放したはずなのだが、死んだという感じがあまりしない。
「君の言う死というものの定義が、魂が天に召される、ということを指すなら、君はしっかりと死んでいるよ。まあ、魂を転生させずに、ここに閉じ込めている訳だから、普通の死ではないけれどね」
そうか。やっと死ぬことが出来たか……長かったな。
「じゃあ、その顔は何じゃ。その顔は、わしの知っておる者に酷似しておるのだが……」
「ああ、この顔。レイス・リライト君だっけ。これは君の記憶の中で、心を許している人間の顔を参考にして創り出したものだよ。君と友好的にコミュニケーションを取るためにね。」
「なるほど、神は何でもありなんじゃな」
「なんでもありの魔法の真理を創り出した存在だからね」
そう言って笑った顔は、本当にレイスに似ていた。
「君はもう少し、他の人に心を許すべきだよ。いや、だったよ、か。心を許している生命が一人と一匹だけだなんて、心を見たこっちが悲しくなったよ」
その顔で言われると、嫌な気にならないのが不思議だ。
確かに、心を許しているのはその程度の数しかいないが、別に構わない。心というのは、そう易々と許すものではないし、人の本心など殆どが醜く汚いのだから。
「けれど、君の考えているほど人間の心は醜くないよ」
この神様は心が読めるんだった。まあ、読まれても別にいいのだけれど。
「君の周りの心は君にとって醜く見えたかもしれないけれど、それは本当に君の周りの心は醜かったのかもしれないし、君の目が汚くなっていたのかもしれないし、君と他の人間との価値観とが違い過ぎていたから、相対的に醜いと思ったかもしれない。つまりさ……」
ここまで言って、神は手を叩き、結論の言葉を叩きつける。
「君の周りが醜いんじゃなくて、君自身が醜い可能性も十二分にあるってことだよ」
笑って、ブチ当ててきた。
会話のキャッチボールをしようと持ちかけてきたくせに、これじゃあデッドボールだ。
全てを知っている神ならば、可能性などという言葉を用いる必要もないだろうに。
「さて、他にも沢山あるでしょ。僕に聞きたいこと」
ここで話題を切り替えてくれるのは、神様の慈悲なのだろうか。
けれども、この慈悲はありがたい。此方としても、過去の過ちをこれ以上掘り返したくは無い。自分の醜いところなど考えてみればあり過ぎて、その数だけ自責の念が込み上げてくる。こんな自分自身での自問自答による精神拷問は、やるだけ無駄だ。
それに、すぐに聞きたいことはまだある。
「レイスは、無事に冒険を始められておるか」
彼には大変な迷惑をかけた。捕らわれた自分の魂を解放するために、異世界の魂を捕えるということをしてしまったのだから、彼の魂には、楽しい人生を送ってもらわなければならない。自分が苦痛だった状況で、彼には幸せになってもらわなければならない。それが、勝手に魂の持つ運命を書き換えた者の、自分勝手に人の魂を道具のように使ってしまった者の義務だ。
「ああ、この顔の彼かい?彼なら無事に世界で生きているよ。それにさ、君だって信頼できる一匹を、彼に渡しているじゃないか」
「まあ、そうだが。神の口から聞いておきたかったんじゃよ」
我ながら、素早い掌返しだ。先ほどまで神を信じていなかったのに、今では神の言葉で安心している。
「見てみるかい?彼の冒険を」
「は?」
「僕としても、彼―――レイス・リライトは面白そうだと思っていたからね」
そう言うと、神は両手の指を鳴らす。
―――白い空間に、青と緑で塗られた球体が出現した―――
「これは……」
「これは地球だよ。地球は、引き目に見たらこんな感じの球体なんだ」
そう言いながら、神は球体を回し、止め、緑色の場所の一点を指差す。すると、真白な空間の地面に、本物の地面のような着色がされる。
「今、地面に移っているのが、君が生きていた大陸だ。そして」
神が、足のつま先で地面を突くと、足元の世界が近づいてくる。
「そして、ここがレイスのいる地帯だよ」