第5話 魔導師の最終講義を、転生者は受講する。
どの程度の時間が過ぎたのだろうか。
何度も繰り返し行った練習により、魔法はイメージ通りに発動するようになった。
先生が言っていた魔力の体外操作も体から三メートルまでなら、ほぼ完璧といっていいほどになった。
後、髪の色が変わった。練習を繰り返すうちに、真っ黒な髪が、ブルーハワイみたいな色になっていたのだ。先生に聞いたところ、魔力が体に馴染んだ影響らしく、魔法使いなら珍しくない現象らしいので気にしなくていいそうだ。
正直金髪まではかっこいいと思っていたが、この髪色は違和感しかない、でも気にしない。気にしても仕方ないし。先生が「わしも昔は燃え盛るような色の髪が生えていたものじゃ」と悲しそうに頭皮を撫でていたが、それも気にしない。
そして―――
「よし、そこまでできれば及第点じゃろう」
先生から、合格の言葉を受けた。
「後は、軽く実戦練習でもすれば良いじゃろう」
確かに今までは、ただただ魔法を発動させたり、魔力の操作をしたりで、実際に目標に当てることはしなかった。
外に出れば、おそらくいるであろうモンスターなどに攻撃を当てられなければ、魔法が使えても意味がない。
「じゃあ、取り敢えず着替えた方が良いのう。そんな装備じゃ、危ないしな」
そういうと先生は、空間から何やら取り出した。
「アンダーシャツに金属糸で作った服、チェインシャツに魔力を流すと硬化するローブ。下は強化魔法付加のズボンに、ドラゴンの皮でできたブーツ。まあ、こんなもんじゃな。」
そう言いながら先生が出したのは、どれもこれも高そうな装備品だった。
「これを着るといい。本当はまだ足りないぐらいなのじゃが、初めから物を与えすぎるのは良くないしと聞くしのう」
そうなんですか、これで足りないんですか。などと口に出かかった言葉を飲み込み、俺はありがたく装備を受け取る。
学生服のまま実戦訓練なんてのも、かっこいい気がしないではないが、着ないと危険と言っていたし仕方ないだろう。
「じゃあ、着替えますね」
そう言って俺は魔法を発動させ、周りに氷の壁を作った。
簡易的更衣室だ。別に男同士なので着替えを見られてもいいが、隠すことが出来るのに隠さないのはおかしいはずだ。
―――俺は着替え終わり、氷の壁を消す。
前の世界の服とは勝手が違うせいで中々手間取ってしまった。
「着替えました」
見れば分かることを言う。
「よし、それじゃあ始めるかのう」
見ただけでは分からないことを言われる。
「え、俺って誰と戦うんですか」
「わしに決まっておろうが。わしとレイスしか、この空間にはいないのだからな」
そう言われればそうか。
この本と本棚に囲まれた不思議な空間には、俺と先生以外いない。小さい虫などもいる気配が無く、埃も全く無い。まるで死んでいるような空間に、例外は二人だけだった。
「じゃあ、始めるぞ」
この世界だと、沈黙は了解の意を示すのだろうか。まあ、俺も異論は無いのだが。
「よろしくお願いします」
その声と共に、両者が動いた。
先に動いたのは、グリモアール。何もないところから黒く長い杖と、魔法使いがかぶっていそうな紺のとんがり帽子を出現させ、黒杖を右手で掴み、帽子をかぶった。
その時、レイスはすでに魔法を発動させていた。
彼の右手に握られた銀杖の先端に、極寒の冷気の塊が集約されている。
冷気が集まった銀杖を、勢いよくグリモアールに向けて振り下ろし、先端の冷気を解放させる。
風切り音とともに銀杖から放たれた冷気は、解放された瞬間から激しい冷気を放ち、一直線の氷の道を創り出した。
「守護せよ――火炎盾――」
冷気放射の直線状にいたグリモアールは、その冷気を避けようともせず、片手で炎の盾を創ることで防ぎきった。
「昔に言ったと思うが、魔法を使うときは使う前にそれっぽいことを言っておけ。そうせんと、魔法を人に見られたとき、魔人扱いされるやもしれんぞ」
昔のグリモアールの話を思いだし、了承の意を込めて首肯したレイスは、再び魔法を発動させる。
「穿て――氷槍――」
レイスの周りに五本の氷の柱が生成された。先端は尖っており、まさに氷の槍だ。
出来上がった氷槍を、一斉に放つ。今度は一方向からでなく、多方向からの同時攻撃だ。二本が正面、側面に一本ずつ、背面に一本の氷の槍がグリモアールに襲い掛かった。
「弱いな……防げ――火炎防壁――」
言葉と共に、黒杖が地面を鳴らす。
地面から噴き出るように出た炎が、グリモアールの周囲を取り囲む。
氷槍は、炎の防壁に阻まれ、溶け消えた。
「殺す気で来い。今のような魔法では、わしには届かん」
魔法の強さは、感情や理性によって定められた意志に大きく左右される。
殺そうと思って魔法を使ったのと、攻撃しようと思って魔法を使ったのでは、威力にかなりの差が生まれるのだ。
だがレイスのように、今まで人殺しとは無縁の生活を送っていた人間にとって、何の戸惑いもなく相手を殺す、という意志を持つことはとても難しい。理性では分かっていても、感情が言うことを聞かないのだ。
たとえその魔法によって、相手が死なないと分かっていても。
「そうは言っても、難しいか」
何の恨みもない人に殺意を持つことが難しいことを知っているグリモアールは、レイスの真剣に困惑している顔を見ながら言った。
「じゃあ、今度はわしの番じゃ。偉大なる魔導師の力を受けてみよ」
そう言って、魔導師は不敵に笑い、
「焼き尽くせ――紅炎――」
魔法を発動させた。
高温の炎がグリモアールの黒杖から噴き出し、レイスの周囲を取り囲む。そして、灼熱の炎と熱気で動けない相手に絶望を与えるかの如く、ゆっくりと火炎の輪が縮小されていく。
「わしは、お前を殺す気じゃからな……死ぬなよ」
俺は恐怖した。
グリモアール先生の発言に、この強大な魔法に、そして……俺を取り囲んでいる炎自体に。
俺はここに来る前、つまりは前の世界にいたときに、火災に遭って死んだのだ。燻製になって死んだか、ローストされて死んだかは知らないが、燃え盛る炎によって、俺は一度終わったのだ。
目の前の状況は、俺の最期に見た光景と酷似していた。
死ぬ。直感的にそう思った。怖い、熱い、死にたくない、そんな平凡な感想が頭を埋め尽くす。
いや、違うな。俺が思うべきはこんなことじゃない。ここは魔法が存在するファンタジーの世界だ。こんな面白そうな世界で簡単に死を受け入れてたまるものか。
「あがいてやる」
俺は目を見開き、偉大なる魔導師が放った火炎を見据える。これに焼かれたらウェルダンじゃ済まないな、なんてことが思える程度には落ち着いてきた。
俺は銀杖を構える。全身の魔力を掻き集め、杖先に集約させる。生きたいという純粋な願いを込めて、魔力を魔法へと昇華させる。
「凍り付け!」
意志と願いとありったけの魔力を込めて杖先を地面に突き刺し、魔法を発動させる。
――世界が凍った――
端的かつ客観的に表現するならば、そんな言葉が適切だろう。
ここに主観的な視点がないのは、空間にいる二つの生命が片方は凍り付き、もう片方は意識が飛んでいるからだ。まあ、主観的に見たところで一面氷だらけなだけなのだが。
レイスが囲まれていた火炎も完全に凍り付き、氷塊の中で炎が燃えるという奇妙で幻想的な風景と化していていた。
そんな中、氷が割れる音とともに氷の世界に一つの動きが生じる。
「まあ、合格じゃな」
一つの幽霊が、氷の中から現れる。
「これだけの魔法が使えるなら十分じゃろう」
グリモアールの口調には嬉しさがにじみ出ていた。賭けに勝ったことへの満足感と、最後にして最高の弟子が誕生したことへの感動が、彼の声音をここまで緩めたのだろう。
魔法は意志に大きく左右される。特に魔法戦闘おいては咄嗟の判断が多くなり、感情を理性でコントロールしている余裕がない場合があるため、感情がそのまま魔法に影響されがちになる。その際に重要なことが二つある。
一つ目は、迷いなく殺意を持つこと。これは先ほど言った通り、ただ攻撃しようと思った魔法と、殺そうと思った魔法では威力に大きな差が生まれるからだ。
だが、迷いなく殺意が持てるようになることは、あまりいいことばかりではない。優しさという感情と、命を大切に思う感情は、人にとって重要だ。過去にその感情を排除した魔法を行使し、過ちを犯したグリモアールからすすれば、なおさらそう思ったのだろう。
だが、二つ目は習得しなければならない。その二つ目の重要なことは……
死に際に全力を出せるかどうか、だ。
死を目前にして人は選択する、諦めるか、諦めないかを。
普通、そんな場面に直面したら、どちらを選ぼうと結果は変わらないだろうが、魔法使いは別だ。
諦めずに、生きたいという意志を持って全力で魔法を放つことが出来れば、結果は大きく変わるだろう。
だから、殺す気で魔法を放つことでグリモアールは試したのだ。レイスの生きたいという意志の強さを、恐怖に飲まれず魔法をイメージできる冷静さを。
レイスを信じていたからこその行動である。もし、レイスが死を目前にして生きることを諦めてしまっていたら、グリモアールのこれまでの苦労――魂の異世界転生と、肉体の創造――が水泡に帰してしまっただろう。
そういった意味で賭けに勝ったという言い方をしたが、あの幽霊爺は賭けとは思っていなかったらしい。
レイスが魔法を打ち破ろうとしていた時、グリモアールは既にレイスが繰り出すであろう魔法に対する防御の準備を始めていたのだ。本当なら、レイスに繰り出した魔法を解除する準備をするだろうに。
今も、倒れている弟子には目もくれず、黙々と空間から物を取り出し、茶色の肩掛け鞄に詰めている。
水、食料、回復薬や、解毒薬といった冒険必需品を始めとして、他にも様々な物を入れている。こんなにも物を入れても鞄が膨らまないのは、魔法によって内包量を増加させているのだろう。
楽しそうに鞄に物を入れているグリモアールの姿は、子供の荷造りをする親(祖父)にしか見えない。
そんなことを思っている内に、もう一つの生命が動き出したようだ。全く、これだけ魔力が溢れる空間で魔力切れで倒れるとは。まだまだ魔力魔法昇華率が悪いが、先々が楽しみな逸材だ。これからは彼を注目してみるか。
まったく、永遠に生きるというのは暇との戦いだ。
まあ、見るものには事欠かないから良いのだが。