第2話 魔導師の懇願に、転生者は交渉をする。
「お前さんにわしを殺して欲しいんじゃよ」
グリモアールさんからそんな言葉を聞いた俺は、咄嗟に
「どうして」
と、つぶやいた。
「わしは年を取りすぎたんじゃよ」
グリモアールさんは、俺の言葉にそう言い返し、寂しそうに笑った。
「なんでなんだ。俺はさっきまでのあんたが、とても死にたがりの老いぼれには見えなかった。なんで死を望むんだ、死んだらそこで終わりなんだぞ。」
今度ははっきりと言った。
転生者が死んだら終わりなんていうのも説得力がないが、俺みたいなのが例外なのは、実際に俺を転生させた偉大なる魔導師様が一番わかっているはずだ。
「お前さんは、わしが死ぬのが嫌なのか」
グリモアールさんはうつむいていた顔をこちらに向け、俺の質問に質問で返した。驚いたような表情をしているところを見ると、俺の言葉に困惑し、疑問を抱いているらしい。
だが、俺もグリモアールさんの言葉に動揺した。まるで、自分が死ぬことは喜ぶべきことではないのかと問う、彼の発言に。
だからなのか、俺は言った。
「普通、目の前で人が死ぬなんて言い出したら、止めようとするだろう」
言いながら思った、これは嘘だ。
俺は、一度目の人生の最後に、自ら生きることを諦めたのだ。まあ、諦めなかったら助かったのかと言われれば、そうではないのかも知れない。
でも、俺は楽になるために、苦しくもがくのを止め、生にしがみつくのを止め、自ら死を受け入れたのだ。
だから俺は、人が今より楽になるため死を選ぶのを、本気で止められない。
「そうか、そりゃそうじゃ。お前さんは、わしを知らないんじゃからな」
俺の軽薄な嘘に対し、グリモアールさんはそう納得して笑った。彼の瞳に、前には無かった喜びの色が、微かに浮かんでいるよう見えた。
しばしの沈黙の後、先に口を開いたのはグリモアールさんだった。
「わしはな、過去に許されない過ちを犯したのじゃよ。だから、死を持ってそれを償わねばならん。まあ、わしの屍を捧げたところで、この罪の全てを清算できるとは思わんがな。始めは自ら命を絶とうと思っていたんじゃが、情けないことに自殺することはできんかった。じゃから、転生の魔法を創り出し、お前さんを呼んだというわけじゃ。わしを殺してもらうために、な」
グリモアールさんは、そう言って再び口を閉ざした。
つまり俺は、この人を殺すために転生してきたってわけだ。
全く身勝手な話だ。自分は死にたいけど死ねないから、誰かに殺してもらおうとするだなんて。
それなら、こっちだって身勝手に言わせてもらおう。
今度こそ俺は本音を言い放った。優しい嘘とは真逆の、卑しい本音を。
「俺はあんたが誰で何であろうが、割とどうでもいい。でも、せっかく異世界転生したっいうのに、人殺しっていう汚名だけ背負って放り出されるのは勘弁だな。最低でも、この異世界で楽しく暮らせる程度の力なりなんなりを授けてほしいな。そうすれば、あんたを殺しても構わない。どうだ、偉大なる魔導師様なら簡単なはずだろう」
口元に嫌な笑みを浮かべながら俺は、自らの願望を包み隠さずに話した。
最低だが、そのぐらいやってもらわないと、俺が二度目の人生を謳歌できない。
一度目はそもそも、生まれた世界が悪かったのであまり楽しくはなかったが、転生したこの世界はとても楽しそうだ。ならば、楽しい人生を過ごすために、この魔導師を利用するべきだろう。
俺は慈悲で何かするようなことは基本的にしない。だからこれは対価だ。人を殺す対価なら、このぐらい欲張ってもいいだろう。
酷いことを言っている自覚はあるので、きっと憤怒しているだろう、と思いながらも俺はグリモアールさんの返事を待った。
「フッハッハッハッハッハ」
彼の返事はそんな、大笑いであった。
まずったなと思い、俺は咄嗟に言い訳をすべく口を開こうと…
「お前さんは、面白いのう! 久々にこんなに笑ったわい。確かに、転生してすぐに放り出されたら勘弁じゃろうな。よかろう、この偉大なる魔導師グリモアールが、お前に力を授けてやる」
あまり面白いように喋ったつもりはないのだが、グリモアールさんは、相当ツボに入ったらしい。いまだに少し笑っていて、若干気持ち悪い。そんなこと言っている俺も、 交渉が上手くいってにやにやしていたので、傍から見れば気持ち悪かったかもしれない。
お互いにしばらくの間笑っていたが、先に笑いを引っ込めたグリモアールさんは、
「それじゃあ早速、魔法の講義を始めるぞ。長くなるじゃろうし、まあ座れ」
そう言って、指を鳴らした。幽霊なのに指が鳴るのか……
すると、何もないところから、突然椅子が出現した。
「おぉ」
俺は思わず声が出た。これが魔法なんだなと思い、驚き、感動した。異世界転生した、という実感がまた沸々と湧いてきて、にやにやしてしまう。
「なんじゃ、わしの講義がそんなに楽しみか。まあ、そうじゃろうな。わしのような偉大な存在から教えを受けられる機会など、そうそう無いからのう」
うんうん、と首を上下させながら、ドヤ顔でそう語っているのを聞き流しつつ、俺は魔法で創造された椅子に座った。
なんというか、普通だ。見た感じからして、学校にあるような生徒の椅子みたいなので当たり前なんだけど、魔法でポンと出てきたので、何かあるものと思っていた。だが、本当にただの椅子らしい。
俺は椅子に向けていた意識を戻し、グリモアールさんの言葉に返答する。
「ああ、楽しみだ。講義なんて十年ぶりだ。」
大学以来か、懐かしい。あのころは俺も若かったなあ。
見た目は少年でも、頭脳はおっさんなりかけのままなので、そんな爺くさい感想が浮かぶ。
「そうかそうか、まあ、五千時間程あれば、ぼちぼちの魔法使いになれるじゃろう」
ん?ちょっと待て。
「五千時間ってなんだ! 力を授けるためにそんなに時間を食うのか」
言外に、長えよ!という不満を含みながらも俺は、グリモアールさんに質問した。
「力を与えるだけなら、それこそ数十秒で終わる。じゃが、知識と技術がなければ、強い力は正しく行使できんのじゃよ。強い剣と肉体があっても、剣術を使えなければ強者足りえないのじゃ。じゃからお前さんは、力の使い方を学び得る必要があるんじゃ。剣と肉体は与えてやれるが、それらの扱い方は自ら学んでもらうしかないからのう」
まともな理由を言われてしまった。でも、と思った俺は、再び質問をする。
「力を与えられるなら、知識とか技術も同じように与えられるんじゃないのか」
「記憶を与えるのは簡単じゃが、記憶を与えた脳の領域に元々あった記憶、その記憶と関連する記憶全てが消える。じゃから、お前さんの記憶が吹っ飛んでもいいならやってやるぞ」
即答された。残念ながら、五千時間の講義は受講確定のようだ。
「そもそもじゃな、一般人は力を身に着けるところから始めるものを、お前さんは扱い方を身に着けるだけで良いのじゃぞ。幸福に思うならまだしも、残念がるのは筋違いじゃろう」
仰る通りです、はい。
完全論破された俺は、諦めてグリモアール先生の講義を受けることとなった。
「それじゃあ、グリモアール先生、よろしくお願いします」
俺は笑顔で言った。
「調子のいいやつじゃ。まあ、よろしくな」
先生に笑顔で言い返された。
五千時間、二百日と少しか。このファンタジー世界で冒険をするのは、もう少し先になりそうだ。
俺は、冒険に出るのが楽しみになってきた。
冒険の始まりが、一人の魔導師の終わりを示しているにもかかわらず。