第13話 歩き続けた青年は、正義の剣士と再開する。
俺は歩き続けていた。
夜の街は落ち着いた雰囲気と魔光灯の光に包まれており、俺が昨日味わい、今朝まで逃げてきたゴブリン達の恐怖がある世界と同じだとは思えない。 そんな俺の思考とは関係無しに現実はありのまま存在している。俺達をゴブリン達から守ってくれた剣士を見捨てたという事実もまた、夢と一蹴することの出来ない現実として、俺の心に刻まれている。
今、チームの皆よりも早く目覚めてしまったことに対し罪悪感を覚えている俺は、言い訳を考えるべく夜道を当てもなく歩いていた。
チーム全員生きて帰ってこれたのだから、誰も俺に文句を言うことは無いのだろうが、俺の中にある小さな、本当に小さな善意のような何かが、俺自身を責め続けている。考えたところで過去をやり直せる訳もないし、きっとあの場面ならば、俺は何度でも同じ選択をするだろうと結論は出ているというのに。
一人の犠牲によって四人が助かったという事実を素直に喜んでいる自分がいることに恐怖し、自分が死ななくて良かったと思う心に落胆しながらも、俺の足は前進する。
俺は結局、自分の事しか考えていなかったのだろう。治療室のベットから起きた時には、すでにそんな結論が出ていた。
周りのベットで眠っている仲間達の手を取り、命の温もりを確かめた時でさえ、俺は自分の判断で仲間が死なずに済んだと思ってしまったのだ。純粋な歓喜では無く、そんなねじまがった歓喜で俺の心は満ち、まるで、自分が関わっていなければ、皆が死んでも良いような考え方をしてしまっていた。
絶対にそんな事は無いはずなのだが、死という圧倒的恐怖を前にして、俺の心は何よりも自己の命を優先した。仲間の事など考えず、恩人の助けも気に留めず、死を宣告されかけた土壇場から、己の為に逃走したのだ。
考えたって結論は変わらない。やはり、俺は人の事まで考えていられるほどの人間じゃない。
分かりきった事を、分かりきってしまった俺は、諦めて前を向く。
―――そこで、俺は見たのだ。一度しか見たことがないが、忘れるはずの無い後姿を。
思考する前に前進し、浴衣姿の黒い長髪を追いかける。そして、呼び止める。
「あの!」
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俺は、自分が呼び止められたのだと瞬時に理解し、体を声の主へと向ける。見覚えのある顔だ。あまり記憶力が良い方では無いが、前日に助けた人間の顔ぐらいは覚えている。
「おお、ゴブリン達に追われてたやつか。逃げ切ったんだな。他の三人も大丈夫なのか?」
俺は気になったことを質問する。確か、ゴブリン達に追われていたのは、こいつを含めて四人だったはずだ。
「はい。皆、生きています。貴方のおかげです。本当に、本当に、ありがとうございました」
声を詰まらせ、頭を深く下げながら、青年はそう言った。
「そうか、なら良かった」
良かった。しっかり全員逃げ切ったんだな。ならば、俺がゴブリン達に突っ込み、囮になった甲斐があったというものだ。あの時は大量のゴブリン達を引き付けるために、なるべくその場に立ち止まって相手の視界から外れないように立ち回っていたから、結構面倒だったんだよな。まあ、レイスの魔法のおかげで逃げるのは楽だったのだが。
俺が、隣にいる不思議な魔法使いとの出会いを思い出している間も、目の前の青年は、泣きそうな声で感謝と謝罪の言葉を繰り返している。
「別にそこまで言わなくてもいいぞ。俺の好きでやったことなんだから」
俺は、未だに頭を下げ続ける青年に、頭を上げてほしいという意図を込めていった。
助けてお礼を言われるのはまだしも、謝罪まで混ざっているのがよく分からないが、とにかく、ずっと頭を下げさせていては、俺が悪いような気がしてくるので、早々に止めてほしい。
「……では、せめて何かお礼をさせてください。命を助けていただいたのですから、出来る限りのことをさせていただきます」
頭を上げた青年は、きっぱりとした声でそう言った。
そんな事言われてもなぁ、なんて思っていると、隣の魔法使いが俺の浴衣の袖を引いて、耳打ちをしてきた。
「なあ、この人の家に今晩止めてもらえないかな?」
願いが決まった。
俺は、じっと言葉を待つ青年に願い出る。
「俺達、今晩止まる場所を探しているんだ。良かったら、一晩でいいから泊めてくれないかな」
俺の言葉が意外だったのか、青年は目を数回瞬かせた後に返事をしてくれる。
「はい、分かりました。僕は寮暮らしなのですが、統領に言えば、きっと部屋を用意してくれると思います」
そうか、それならば良かった。久々に屋根のある場所で寝られそうだ。
「じゃあ、付いてきてください。ご案内します」
そう言って青年は、歩き出した。
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大通りから小道に入り、その後も何度か道を曲がり、世界はどんどん明かりを失っていく。魔光灯は大通りにしかないようで、今は、青年が持つランプと夜空の星月のみが、道を照らしだしている。
ジンが売った恩にあやかるのは多少気が引けなくもないが、そのジンを助けたのは俺なのだし(必要な手助けだったかは知らないが)、門番に聞くよりも寝床を確保できる可能性が高そうに思えたのだから、この行動に後悔は無い。
そんなことを思っている内に、どうやら目的地に着いたらしい。暗くて建物の全体像は分からないが。大きな扉を目の前にして、ジンがゴブリン達から助けたらしい青年が立ち止まる。
「ここが私が住んでいる国、ガーディア軍国のスタウント支部です」
聞いたことのある国名が出たのも驚きなのだが、それよりも、スタウントと言うのはリーディング王国の都市では無いのか。
「なあ、ここってリーディング王国っていう国じゃないのか?」
俺と同じことをジンも思っていたらしく、俺が尋ねる前に青年に質問してくれた。あの青年は俺の事など眼中に無いようだから、ジンが聞いてくれて良かった。
「ええっと、知らないですか。この国は、二十年前に狩人連合という魔獣退治を行う組織が、国家として認められて出来たんです。その時に、領土として他の国内にある狩人連合の事務館を指定したため、我が国は他国の中に領土を持っているんです」
よくそんな国家が出来たな。他の国からすれば、国家の一部を奪われたようなものだろう。
「この国ができたおかげで、リーディング王国とゾレン共和国との戦争が休戦となったんです」
なるほど、分からん。突然出てきたゾレン共和国を取り敢えず無視しても、国が出来るだけで戦争が止まるとは思えないのだが……違うか。ガーディア軍国が出来たから戦争が止まったというより、戦争を止めるために第三勢力を創ったと考えるべきだろう。それならば、自国の領土を削るだけの価値があるはずだ。まあ、考えるには根底にあるべき知識がなさすぎるので、あくまでも予想の域を出ないのだが。
「ここ周辺の地域では有名な話です。そして、そのガーディア軍国創立に大きく貢献し、初代将軍となった方が、今このスタウント支部で統領をしていらっしゃるのです」
俺は、刹那の思考の彼方から舞い戻って、話題の変わった青年の話に耳を傾ける。ここ周辺では有名な話らしいのに、俺達が知らなくても何も質問してこないあたり、本当にジンに感謝しているんだろう、と思いながらも、青年の話した内容は聞き流していい内容ではない。
というか、彼の言う統領さんは結構凄い人らしい。昔の世界で言えば、総理大臣が市長に天下ったような感じか。
「私が、これから統領に部屋を貸していただけるように言ってきますので、しばらくお待ちいただけますか?」
「分かった」
青年は、ジンがそう言って頷いたのを確認した後、大扉の片側を自分が入れる幅だけ開き、中へと入っていった。
完全に俺を無視している、というか、眼中に無いようではあるが、無視には慣れているし、それは問題無い。考えるべきはこれからの事だ。今晩をここで過ごすとしても、次の日の夜もここで寝られるとは限らない。いや、今晩ここで寝られるか、というのも、まだ決定事項ではないのか。
好奇心をくすぐられる、戦記物の小説の設定みたいなことを青年から聞いたというのに、脳内では明日をそう過ごすかという事を優先して考えている。やはり、幻想的な世界であろうと、現実は厳しいものだな。
思考がうつつを抜かさず、俺が昔の世界で幻想を求めていたのは、現実という厳しさからの逃避に過ぎなかったのではないか、なんてつまらない思考が頭をよぎる程度の時間が経過した後、つまりは俺がジンと二人きりになってから数分後、僅かに開き光が漏れている扉から青年が出てきた。
「統領の了承を得られました」
そう言った声音に喜びや安堵は見られず、統領という人物が、俺達に部屋を貸してくれるだろうと確信していたようだ。普通、部下が突然部屋を貸してほしいなんて言っても、早々に了承は得られないと思うのだが、まあ、部屋を借りられるのならば問題ない。
「では、部屋へ案内します。付いてきてください」
青年は、俺の方にも視線を送りながらそう言って、扉を人が余裕を持って通れるように開き、俺達を先導するように中へ入っていく。
今夜は屋根付きの場所で寝られそうな事と、青年が俺の存在に気付いてはいた事に安堵しながらも、俺は青年に導かれるままに、ジンと共に光の方へと進む。
扉を通り抜けると、ガーディア軍国であった。
軍国というくらいだから、もう少しごてごてっとした内装を想像していたのだが、どうやら木造らしい。右を見れば掲示板のようなものに紙が貼ってあり、絵が描いてあったり、ひらがなで文字が書かれていたりしている。左を見れば数台の木のテーブルとイスが並んでいる。
そして正面には受付らしきカウンターを背景に、剣を杖にした壮年の紳士が立っていた。
「やあ、少年たちよ。ようこそ、ガーディア軍国へ。私はイマジン・クリエイト、ここの統轄している」
フレンドリーな口調でそう言った壮年の老人は、綺麗に整えられた短髪に、短く切り揃えられた髭は共に真白で、顔に刻まれたいくつもの皺が生きた年月を感じさせられ、着ている服も白いワイシャツに赤茶のベストに黒のズボンという、品のいい紳士のお手本のような外見をしていたが、その眼だけは強靭で、生気に満ち溢れている。
「統領、もう部屋に戻ったんじゃないんですか?」
俺達を導いていた青年が、壮年の紳士に疑問を投げかかる。どうやら青年は、紳士がここに留まっていると思っていなかったようだ。
「いや、ブレイブ君達を救ってくれた恩人に、私からもお礼を言いたいと思ってね」
紳士はそう言って青年に微笑んだ後、観察するような目線をジンと俺の視線と向けながら、言葉を続ける。というか、あの青年はブレイブと言うのか。
「私の部下を救っていただき感謝する。ブレイブ君からの話だと恩人は一人だと思ったのだが……まあいい。君達は一体どうやって、武装ゴブリンの群れから生きてここまで来たんだい?」
本音と建前と言うのは、もう少しうまく使い分けてほしいものだ。
「レイスの魔法で切り抜けたんだ」
俺が言うべき言葉を探している間に、ジンが事実だけを端的に言う。
「ほう、君が魔法でね……レイス君と言ったか」
ジンに向いていた視線をこちらに向け、疑問を投げかけてくる。そう言えば、未だに名乗っていなかった。
「はい。私はレイス・リライトと言います」
かっこつけて、「人に名を尋ねるときは、まず自分が名乗るべきでは?」みたいなことを言いたかったのだが、紳士は既に名乗っていたし、自分の名前を隠す必要なんて微塵も感じなかったので、俺は遅めの自己紹介をする。
「君は?」
紳士は俺の名乗りを聞いた後に顔をジンに向け、俺と同じように尋ねる。
「俺はジン・スピリットだ」
ジンは簡潔に名前だけを答える。
「レイス・リライト君に、ジン・スピリット君か。良い名だな」
紳士――イマジン・クリエイトは、俺達の名前に対し無難な感想を述べた後、杖にしていた剣を左手に持ち、口を開く。
「聞きたいことはまだあるが、君達は今晩ここで泊るのだから、翌日にでも聞きに来るよ。朝食をこちらで用意させてもらうから、それを食べながらでも、この老人の話に付き合ってほしい。ではブレイブ君、彼らを部屋に案内してやってくれ」
そう言って振り返り、老人とは思えない真っ直ぐな背中を見せながら、イマジン・クリエイトは右奥にある扉を開き、奥へと消えて行った。
朝食を餌にしなくても話にぐらい付き合うのだが、この世界に来てから堅いパンと水だけの食生活だったので、朝食を用意してもらえるのはありがたい。あんな食事を続けていたら飽きてしまうし、ビタミン不足で死んでしまう。まあ、朝食に野菜が出るとは限らないけれど。
コロンブスが大航海をしていた頃にはビタミンの概念が無かったため、航海をする船に保存のきかない野菜は持ち込まれず、ビタミン不足の船員が続出したらしいが、どうやら グリモアールさんもビタミンという概念を知らなかったらしい。でなければ、ほぼ完全な保存が出来る魔法の鞄に野菜類を入れないという事は無いだろうから。
「では、部屋に案内します。相部屋でよろしいですか?」
俺が、偉大なる魔導師の意外な無知を発見している間に、青年――ブレイブは質問を投げかけてくる。しかし、俺に選択権は無い。部屋を借りられたのはジンが売った恩のおかげなのだから、選択権は彼にあるだろう。
「ああ、大丈夫だ。良いよな?」
俺の気持ちを知ってか知らずか、ジンはそう言って俺の方を見てきた。
無論、俺に異論は無いので、首を縦に振って了承の意を伝える。
「分かりました。付いてきてください」
ブレイブはそう言うと、先ほど紳士が入っていった扉を開き、その中へと入っていく。俺達もブレイブの後に続き、扉をくぐり抜ける。扉の先は二階への階段と、廊下へと続く道とに分かれており、ブレイブの持つ明かりに照らされている。
俺達が案内されたのは廊下で、昔、俺が住んでいたアパートを彷彿とさせる扉の列が、整然と並んでいる。
「ここです」
そう言ったブレイブが指したのは、列を成す扉の一枚。ノブを回して押し開くと、そこまで広くない部屋にベットが二つ左右の壁に隣接する形で並んでいる。他に目につくものと言えば、小さな窓があることと、天井につり下がっている小さな魔光灯、いうなれば魔光ランプって感じなものだけという、とても簡素な部屋だ。
俺が人から借りている部屋に失礼な感想を持っている間に、青年は魔光ランプの隣にあるヒネリを回すと明かりが調節できることを説明していくれている。
「それでは、私はこれで失礼します。良い睡眠をお取りください」
ブレイブはそう言って、部屋に俺達を残し去って行った。
俺は被っているとんがり帽子を取り、鞘付きの杖を腰から外してベットに座る。ジンも刀を腰から抜きとり、ベットの横に立てかけてベットに座る。
いろいろと考えたいことがあったはずだが、今、俺の頭を独占しているのは本能的な欲求だった。
「取り敢えず、寝ようか?」
俺はジンに提案する。
「そうだな」
ジンはそれに賛同してくれる。
俺は魔光ランプのヒネリを回して明かりを消し、ベットに横たわる。
明日は未来の自分がきっと何とかしてくれるだろう、と信じたのを最後に、俺の意識は思考を停止する。
―――疲れた。