第11話 戦闘へ行く戦士達と、転生者達はすれ違う。
「硬い……」
「そうか?こんなもんだろう」
朝日と共に、俺達は歩き出した。
朝食がてら、魔法の鞄に入っていた黒パンを食べていたのだが、これが異常に硬い。食べ物なのかと疑ってしまう程度には水分が感じられず、歯の心配をする程度には噛み砕けない。
隣で歩きながら俺と同じパンを食べているジンの口内でも、パンとは思えない硬質な粉砕音が奏でられている。その上でジンはこんなものだろう、と言っているので、この世界でのパンはこんな物なのかもしれない……嫌だな。
「久々にまともな食べ物を食べたな」
渋い顔をしている俺の横で、合計で十個もの黒パンを平らげたジンは、満足そうに笑いながらそう言った。
今まで一人で旅をしてきたらしいジンだが、荷物と言えば腰に携えた一振りの刀のみで、後は黒浴衣とそれを締める帯だけしか、まともな装備を持っていない。
今までどのように食い繋いできたかと聞いたところ、刀一つで全てを何とかしていたらしい。森で動物を狩ったり、川で魚を狩ったり、人助けをした報酬として食料を恵んで貰ったり、という具合に。
そんな行き当たりばったりの人生でよく今まで生き延びてきたな、という感心の眼差しを、俺の魔法の水筒の水を飲んでいるジンに向ける。
「にしても凄いな。魔法の道具をこんなに持っているなんて」
水筒を俺に投げ返し、ジンはお礼代わりにそう言った。どうやら俺の眼差しを、水筒を返して欲しい、という意味として解釈したらしい。
「結構、珍しい物なのか?」
左右の手で魔法の鞄と水筒を持ちながら、俺はジンの言葉に乗っかる形で質問をする。
魔法の道具を所有している俺が、魔法の道具の価値を聞くのは確実におかしいのだろうけれど、ジンはそんなことは気にせずに答えてくれる。
「そうだな……魔法道具はとても高価で、かけられている魔法の効果にもよるけれど、一般人が手を出せるような代物じゃないらしいぞ」
聞いておいて悪いのだが、よくそんなこと知っていたな。
「昔、魔獣に襲われていた商人を助けた時に、その商人が持っていた魔法道具の自慢話を聞いたんだよ」
声には出していなかったはずだが、知ることになった経緯までしっかり語ってくれた。商人が持っていたという事だから、つまるところ金さえあれば手に入るという事なのだろう。この世界でも、金さえあれば大抵の物は買うことが出来るらしい……嫌だな。
「なるほどね。それにしても、人助けをするなんて偉いよ」
俺は、質問に返答していくれたことへの感謝の意を込めつつ、思ったことをそのまま言う。人助けを平然と行う人間は昔の世界にも一定数いたが、この世界でジンが行っている人助けは、少なからず命を伴うもののはずだ。
安全圏から手を差し伸べるのではなく、危険を承知で人のために命を懸けて手を取りに行くという行為が、素直に凄いと思ったのだ。
俺はそんなことをしたいとは思えないが。
「そうか?俺はただ、正しいと思ったことをしているだけだ」
ジンは軽く笑いながらそう言った。
「そうだ。そんな風に思っても、行動に移せる人間は少ないだろう」
俺も釣られて笑いながら、ジンの言葉に付いていた疑問符を取り払う。
一瞬、ゴブリン達の血海で立つジンの姿を思いだし、あの行為も正しいことの一つなのだろうか、と考えてしまったが、その思考を振り払い、俺は表情筋で笑い続ける。
俺自身が殺した魔獣が最期に出した呻き声を聞いたからか、そんな事を思ってしまったが、それは昔の世界が平和だったからだろう。命の大切さなんてのを語りだすのは、自分の命の安全あってこそだと思うし。
こんな風に、思索にくれつつ歩いているのは、別に道が分からなくなってしまい諦めているからではない。朝日が昇ってから歩いていたところ、明らかに人の手が加えられた道を見つけたのだ。今は、この道を辿って行けば町に着くだろう、という考えの元、のんびりと歩いている最中であり、つまりは暇なのである。無駄に変な事を考えてしまう程度には。
ジンと会話をするという手もあるにはあるのだが、俺は思索にふけっている方が気楽だし、ジンもさっきの会話からまた無言で歩いているので、別に無理して会話しなくてもいいだろう。
「何かいるな」
そんな事を考えていた矢先に、ジンが言葉を発する。
「魔獣か?」
俺は悪い知らせだと予想し、ジンに問いかける。
「いや、多分人間だ。それも大勢の。見えないか、道を歩いているだろう」
ジンの言葉に反応に、俺は道を目で辿っていく。すると確かに、遠くに豆粒のような動く何かが認められた。多分アレの事なのだろうが、俺には確信が持てるほどの視力が無い。
「じゃあ、このまま歩いて、その人達に会ったら、この道が本当に町につながっているか聞いてみよう」
俺は、ジンの言葉を信用して、その後の展開について提案する。
「異議なしだ。盗賊団とかなら、見通しのいい道をそのまま歩いている筈無いしな」
完全に人間が悪人だった場合を考えていなかった。だが、まあ、結果的には問題無い。最悪の場合はジンが何とかしてくれるだろうし、俺の魔法でも何とかなるだろうし……多分ね。
またもや安直な考えに走っているが、魔獣という明確な敵がいる世界で、人間にまで敵かもしれないという認識を持っていては疲れてしまう。それに、グリモアールさんの魔法を体験して生き残った身としては、大抵のことでは死ぬ気がしない、と感じてしまう。実際、ゴブリン達と相対した時も、それほど恐怖は感じなかったし。そもそも、未だに本の中のようなこの世界を現実だと認識しきれていない、というのもある。
このことが良いことかは分からない。だがまあ、怖気づくことなく行動できることが出来るのならば、それに越したことは無いのかも知れない。
こうなることを考えて上で、グリモアールさんは俺を殺す気で魔法を放ったのかも知れないな、なんてことを思ったのだが、本人に聞くことが出来ない以上、この考えは推論の域を出ない。
答えが出ない問題を解こうとすることを諦め、視界からの情報を脳内に送り込む。
俺でも人々の行進が見てきた。本当に結構な数がいる。
先頭に立つのは、赤い髪を一本に束ねた、つまりポニーテールの女と、顔全体を兜で隠し、全身を鎧で包んだ人間。そしてその後ろに、武器防具をまとった男女が二十人ほど、連なっている。
結構な迫力があるが、武装した三十体以上のゴブリンを目撃した後だとあまり怖くない。むしろ、剣、盾、鎧、などで武装した戦士たちが並んで歩いているという、いかにもファンタジックな光景に感動してしまう。
近づいてくる人々を視界に納めながら俺達は歩き続け、そしてお互いの顔がはっきり見えるようになったころ、赤髪ポニテ女が声を発した。
「私はガーディア軍国正式狩人の一人、リア・ノウルック。あなた方は何者か」
自身の自己紹介とこちらの身分提示の要請か……すごく畏まった言い方だが、初対面の挨拶としては妥当だろう。
「私はレイス・リライト。そして―――」
俺はリア・ノウルックから目線を横に移動させ、言葉を促す。
「俺はジン・スピリットだ」
取り敢えず、こんな感じでいいんじゃないだろうか。ワイスは紹介したら面倒になりそうだし、国とか身分とかは嘘を言っても追及されたら困るし。
「リライト様は、どちらからいらしたのですか」
俺の名前に様なんて付いているが、それよりも質問にどう答えるかが問題だ。正直に言ってしまいたいが、異世界から魔導師に導かれて、その魔導師が閉じ込められていた空間から来ました、なんて、いくらファンタジーな世界でも分かってもらえる気がしない。
「あちらの方にある森を抜けてきました」
なので俺は、森の方向を差しながらそう言った。これが、一番妥当な回答だろう。
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「その森には、武装した大量のゴブリンがいませんでしたか?」
私は、レイス・リライトに敬語で質問する。彼の身なり――文様が描かれた鞄や高そうな青のローブ――をみる限り、多分貴族なのだろうから、面倒を回避するためにも言葉使いは丁寧にしておいた方がいいだろう。
護衛が一人で、しかもまともな防具を着ていないことも気になるが、今一番気になるのは、彼が先ほど言った言葉と、彼が今指差している方向だ。
彼が抜けてきた森とは、私達がこれから武装した大量のゴブリンを討伐するために行く森の事だろう。武装したゴブリンは、他のゴブリンよりも知能に優れており、その上で大量となれば厄介な存在だろう。それにしたって、こんなに狩人を集めなくても良かったとは思うけれど。
まあ、新人に多少危険な魔獣を相手取らせたいという考えが、あの人にはあるのだろう。
話が逸れたが、つまりは、彼らが無事にゴブリン達のいる森から抜けてこれたのはおかしいんじゃないかと、思ったから、こんなストレートな質問をしてみたのだ。
言ってから思ったのだが、別にゴブリン達と遭遇しなかった可能性もあるのだから、聞く意味は無かったかもしれない。
「ああ、いましたね。結構多かったですよ」
そんな事を思っていたのに、レイス・リライトは敬語でサラッと言った。平民に対して嫌味ったらしくない敬語を使ってくるのも少し驚いたが、武装したゴブリン達を見た上で、彼らが生きていること驚いた。もしかしたら、ゴブリン達はあまり強くないのかも知れない、と思ったが、門番に抱えられてきた同業者達の様子を思い出し、そんなはずは無いと考え直す。
「勿論、逃げましたよ」
私の動揺を察したのだろう。レイス・リライトは、そう言って自分の発言に補足を加えてきた。そんなことは分かっている。いつ、どこから、どのような魔獣が出てくるか分からない森の中で、大量の敵を少数で相手取るのは危険極まりない。圧倒的な力があれば別だけれど。
ブレイブ達がボロボロの姿になって逃げてくるようなゴブリン達を目撃したというのに、なんで彼は疲れの色一つ無いのだろう。横にいる浴衣の男が相当手練れなのか、あるいは彼自身が強者なのか、どちらかは分からないが、これ以上何か聞くのは失礼に当たるかも知れない。
一応は貴族なのだろうし、後で何か言われると面倒そうだ。
「この道を辿って行けば、人里に着きますかね?」
話を切り上げるための言葉を探していたのだけれど、彼の方から質問をされる。
「ええ、たどり着きます」
正直、旅をしているというのに、そんな質問をするのはどうなのか、とは思ったが、私は簡潔に回答を口に出す。
「分かりました。教えて頂きありがとうございました。それでは、私達はこれで」
そう言って一礼した彼は歩き出した。そして、隣の浴衣男もそれに習う。
私達の横を通り過ぎる彼らから意識を切り替え、私は再び道を歩き出す。顔を思いっきり左右に振って、先ほどまでの疑問などを脳内から振り払う。これから命のやり取りをしに向かうのだから、考えるべきことだけを考えるべきだろう。注意不足でも、死んだらそこで終わりなのだから。
軽く振り返って後ろの仲間を見る。皆、程よく緊張した真剣な顔をしている。これなら問題なく勝てるだろう。
しばらく歩いた私達の眼前に森が広がってきた。
「さあ、早く終わらせて、イマ爺に無事生還しましたって報告しましょう」
私は振り返って、仲間達にそう言った。
「そうですね」
「ああ、そうだな」
「ええ、わかったわ」
皆が、口々に了解の言葉を口に出す。
私は皆の気持ちが整ったのを確認した後、腰に下げた細身の剣を抜き放つ。横にいる私の相棒も、背中に担いでいた大剣を抜き放ち、こちらに頷く。
「行きましょう」
私は静かに言い放ち、そして歩き出した。
さて、今まで何度もこなしてきたゴブリン退治だ。人数と質が違えども、本質的には変わらない。
森が私達を覆い始め、太陽の自己主張が弱くなる。
視界に木漏れ日の光と影が揺れ動き、木々が風によって不規則な旋律を奏でている。
その音の中に、森を踏み鳴らす音が混じりだす。お相手も近くにいるらしい。
風が止み、静寂が森を包んだ直後、人ならざる叫びと共に、小汚い黄緑の魔獣達が木々から飛び出す。
私は剣で飛び出してきた一匹を両断した後、高らかに宣言する。
「標的確認。数、推定五十。多いが討伐は可能。死角からの不意打ちに注意!」
舞台に役者が出揃って、台詞と共に悲劇が始まる。主役は醜いゴブリン達だ。
―――さあ、殲滅の開始だ。