僕の初犯
僕の手はかたかたと意志に反して震えることを止めようとしない。
動かないヒトガタ。
服は血を吸って、べったりと僕の肌に張り付いて何とも気持ち悪い。
錆びた鉄の匂い。
辺りは真っ暗で、静寂が僕を押しつぶそうとしているかのよう。
耳に残る断末魔。
乱れた息は治まるどころか際限なく早まり乱れていく。
固まった心。
受け入れられない、受け入れたくないそれがだんだん心に染み渡ってくる。
確固とした現実。
僕は痛いくらいの静寂に耐えられず、ぽつりと声を漏らした。
「死ん、じゃった………」
それを口にしたおかげで僕に逃げ道は既に無いのだと、そう実感できた。できてしまった。
僕は、殺人を、犯したんだ−−
そいつはどうしようもない社会のクズだった。
僕の記憶に残っている中でも一番若いそいつは、その頃からいつも昼間から酒をあおっていた。優しくていつも笑顔だった母さんにときたま平手を打っていた。母さんはそんなそいつを困ったように見つめながら、それでも何も言わなかった。僕は子供心に、こんな人間になりたくはないなぁと思っていた。それが、確か小学校に上がる前のことだったと思う。
時は流れて、僕が小学校を終わった頃。
そいつは相も変わらず酒をあおっていた。
母さんは一生懸命に働いていた。
僕は幾らか物が分かる歳になって、そいつが世間で言う最低の父親だってことを分かってきた。僕は父親だなんて思っちゃいなかったけど、母さんはそんなそいつでも夫だと思っていたらしく、僕がそいつの悪口を言うと自分のことのように怒られたものだった。僕はそいつが母さんの信頼の上に胡座をかいて母さんを食い潰す最低な奴だと感じていた。
そんな寄生虫のようなそいつを抱えながら、家計が破綻しなかったのは奇跡のようなものだった。母さんは借金が無いことが自慢だといつも言っていた。僕の血縁上の父親がギャンブルに手を出さないことを、母さんはまるで聖人が起こす奇跡を語るように語っていた。今思えば、母親も病んでいたのだろう。
そんなある日。母さんが死んだ。過労死だった。病院で死因を聞いて、妙に納得したものだった。涙は出なかった。あいつと二人で将来を生きる絶望感が大きすぎて悲しみなんて感じている暇さえなかったのだ。ただ、あいつが号泣しているのがあまりに滑稽で可笑しかった。
それからのあいつは酷くなる一方だった。酒の量は増え、外で借金をこさえ、気分が悪くなると僕を殴りつけた。母さんが生きている内は一切手をつけなかったギャンブルにのめり込んでいった。僕はいつかあいつが思い直すことを空想しながら、必死で耐えた。中学校卒業までの辛抱だと自分自身に言い聞かせて。
それなのに、今こうして赤を垂れ流して倒れているモノと赤まみれになって立っている僕がいる。殺意が無かった訳ではなかった。というより殺意を抑えることで毎日必死だった。ただ、そう。抑えていたそれがほんの少々決壊して雪崩を起こしただけ。僕の意志と言えば僕の意志なんだろうけど、それは絶対に事故に分類される出来事だった。
僕の殺意のダムを破壊した出来事。それはそこに転がっているそいつの一言だった。
「すまない」
それは僕の意識を全て刈り取った。気がついたらこの状況になってしまっていた。おかげで僕の人生はめちゃくちゃだ。ワイドショーなんかで取り沙汰されて、例え刑期を終えて釈放されても普通の生活は送れなくなってしまうんだ。
そんなのは、嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だいやだイヤだ嫌だ嫌だイヤだ嫌だいやだイヤいやいやイヤ嫌イヤいや嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌だ!
こんな男のために人生を棒に振りたくなんかない。こんな男のために未来を捨ててしまいたくなんかない!
そう、僕はこれなんかのために塀の中に行く必要は無い。ならばどうする? そう、消せばいいんだ。証拠であるコレを。生半可な隠し方じゃダメだ。それこそここにあったことを完全に抹消しないと。
僕はほんの少しだけ考えて、それに刺さったままの包丁を抜き取る。刃についた血と脂を拭き取って、僕はそこの生ゴミをバラバラに分断する作業に取りかかった。
失敗しました。感情移入とか状況妄想とかが足りませんでした。そして主人公に対して同情する余地がありすぎました。それでも完成させてしまったので、どちら様かに辛〜い批評を頂きたい次第であります。