0-2 少女たちの出会い(クレア)
髑髏と蝿の紋章を見たという。
三日前。ユーサイキアにあるラウンドストーンという食堂で商人が店主に大きな声で話をしていた。
にわかには、信じがたい。しかし、ついに動き出したのかという気もした。
髑髏と蝿の紋章は、教会の予言にある死と腐敗の魔王。ベルゼブブの紋章だ。
信仰心が篤いわけではない。だから、教会のいうことを全て信じているわけでは無かった。しかし、ベルゼブブが復活すると言われているのは四年後である。
早すぎる。
ベルゼブブを倒すと言われている救世主が現れたことを教会は未だに宣言していない。四年後ならば既にどこかで生まれているはずだ。
もしかするとスクールの中に居るのかもしれない。
魔王軍に対抗すべく設立されたスクールには魔物退治の得意とする者が集まっている。スクールで最強と言われているグリゼルダは魔剣グラムを操り、一人でドラゴンをも屠る。そんなグリゼルダでさえ教会は救世主とは認めていない。
ラウンドストーンの自称看板娘のアンに、そそのかされて紋章の件を確認することにした。
スクールで認められるのに、魔王の紋章というのは格好の材料だった。
なぜなら、私が孤児だからだ。王族や貴族の生まれどころか、平民の家柄ですらない。十二年前のベルゼブブを復活させようと企む魔物たちと人間の間で起きた戦い。その時に全てを失った。とはいえ、十二年前は二歳だった私には、両親の記憶すらない。気付けばスクールに保護されていた。
魔物と戦うのに、家柄は関係ない。実力が全てだ。それでも、組織と言うのはやっかいなもので、貴族は貴族と、平民は平民と群れたがる。孤児の私に回って来る仕事は貴族や平民がやりたがらないような仕事しかなかった。
実力を示すしかない。
周りが認めるほどの成果を上げて。
ガサの街まで馬で一駆けというところまで来ていた。ここからはゴブリンに見つかれば、戦い続けるしかない。
その前に森に入り、馬を休ませている。
老いた馬だ。休ませても、いざという時に駆けることができるか不安だった。しかし、馬屋で一番安く借りることが出来た。それに、死なせてもたいした弁償をせずに済む。
ゴブリンたちはガサの街の近くへ向かっているとあの商人は言っていた。その数は二百程度だと。しかし、どこまで正確な情報かはわからない。
あの商人。初めて見る顔だった。旅商人なのだろう。すると肝は座っているのかもしれない。二百という数は恐怖で水増しされたということもないだろう。
ガサの街は、大きくも小さくもない普通の街だ。街の周りには魔物が入ってこないための城壁もある。ゴブリンの二百程度なら二、三日は持ちこたえるだろう。二、三日あれば、スクールから応援が来る。あの商人が街へ向かうのを見たのが三日前ならば、今頃スクールへ応援要請が出ているはずだ。
それならば、やはり騎士団が出てくるのだろう。
「ちっ。貴族様のお出ましか」
気に入らなかった。
貴族たちで構成されるスクールが誇る騎士団だ。派手にゴブリンを蹴散らしてガサの住民の喝さいを浴びるのだろう。
湖の水を飲んでいる老いた馬を見た。
騎士団の中には白馬を揃えた隊が存在する。それに引き換えこっちは老いた馬を借りるのが精一杯だった。
やつらと何が違うのだろうか。生まれた境遇。
それだけだ。しかし、どうしようもない違いだった。
「きゃあああああああ」
悲鳴。
上だ。崖の上。
途中にある崖から飛び出した木々を巻き込んで落ちてくる。
天使。
空から落ちてきたそれに、一筋の光が当たった瞬間に頭にちらついた光景。
自分でも忘れていた幼い記憶。
どこの教会かもわかない。
壁画に描かれていた天使。
まさしく、その壁画の天使と一致した。
落ちてきた天使は湖の上でゆっくりと減速したが、そのまま水の中に落ちた。
「にゃはは、ギリギリで止めようと思ったけど、間に合わなかった…。あれ、大丈夫?ねぇ。ねぇてば、あれ?ナスターシャさーん」
天使が落ちた湖面の上を妖精が飛んでいた。手のひら程度の大きさで、透明な羽を持つ女の子。ピクシーとか言われる妖精だろうか。しかし、生きた妖精をはっきりと見るのは初めてだ。彼女らは人から姿を隠す術に長けている。そして、人をからかうのが大好きだ。
可愛い見た目に油断して隙を見せてはいけない。
「ちょっとー、そこの人。手伝ってー」
その妖精は私がいることに驚いた様子もなく特徴のある甲高い声で話しかけてきた。
天使を岸まで引っ張っている。
「大丈夫?手につかまって」
私は天使の腕を掴んだ。
細い腕。掴み返してくる力は弱弱しい。力を込め、水の中から引っ張り出す。
「くっ」
服が濡れて意外と重い。
「けほっ。けほっ」
男の子?
いや、女の子だ。
まだ、思春期前の普通の女の子。
天使の翼に見えたのは木の枝葉だった。そうわかっても、思い出した光景は天使そのものだった。
彼女は二、三歩よろよろと歩くと、脚に力が入らないのか倒れかけた。
抱きとめる。
ボロボロだった。白い服はところどころ破けている。そして、手足や顔は枝が当たってきれたのだろう傷が無数にある。特に、左足首の出血が酷い。血が滲み続けている。
「む、村に、ゴブリンたちが…」
消え入りそうな声だった。あの妖精が女の子の耳元まで飛んできた。
「大丈夫よ。ナスターシャ。村の方はドゥーニャがなんとかしてくれるから」
小さな子供に言い聞かせるような話し方だった。それを聞いて安心したのか、ナスターシャと呼ばれた女の子の身体から力が抜けたようだ。
ゴブリン。
あの商人が行ったことは本当だったようだ。ゴブリンたちの話が気になったが、今は、この少女の治療が先だ。
「気絶しただけのようね。傷の手当てをしないと。服も乾かしたがいいわね。あなた、木の枝とか集めてくれないかな?」
幸いなことに、湖の水は綺麗だった。傷口を水で洗い、馬に括りつけていた袋から薬草を取り出して、患部に塗った。
「あら?」
傷口に巻く布がない。
いつも応急処置に必要なものは持つようにしていたはずだった。
仕方がない。
「くそ、気にいっていたのに」
自分の服の袖を破き、薬草を塗ったナスターシャの足首に巻いた。出血は時期に止まるだろう。
治癒魔法を得意とする連中なら、すぐに治してやることもできる。しかし、自分は使えない。一人で行動していると、相手を殺すか、自分が殺されるか。それだけだった。
「これくらいで良いかな?」
いつの間にか、あの妖精は木の枝を集めてきていた。短時間の割には十分な量だ。
「いいわ。ちょっと、離れて」
私は山積みしてある枝に向かって両手をかざす。
「ファイアボール」
両手の間の炎が大きくならないように気をつける。暫くすると、積まれた枝が燃えだした。
「ふう」
両手を解いた。こういう作業の方が相手にぶつけるより神経を使う。
「さてと」
ナスターシャを抱える。
身長の割に軽い。
火の側へ寝かせた。
濡れた淡い茶色の髪を掻きわけ、顔の汚れを落とした。
まだ幼さが残る顔。白く柔らかい肌に赤く伸びる傷が痛々しい。ただ、傷跡が残りそうな深いものは無い。
今のところ寝かせておくしかない。安心したところで、ナスターシャが気絶しても離さずに持ち続けていた杖が気になった。
槍とまではいかないが、杖にしては長い。しかし、その先にある宝石は精霊石だ。するとやはり杖状の魔法具なのだろう。
寝ているナスターシャの顔を見た。まだ、あどけない顔。
この子も魔法を使えるのだろうか。
それならば、スクールへ報告する必要がある。魔法の素質がある者を保護、育成するのもスクールの役割だ。
しかし、その前に、今、為すべきことがある。
「妖精さん。あなたたちに何があったか教えてくるかしら?」
ナスターシャの寝顔を見ていた妖精が振り返った。なぜか薄っすらと笑みを浮かべている。
「わかったわ。その前に、妖精さんじゃ言いにくいでしょ。私はソーニャと呼んでくれて構わないわ。そっちで寝ているのがナスターシャよ。よろしく、クレア」
まだ、名乗っていないのに、名前を呼ばれたことに驚いた。それが、わずかに表情に出たようだ。
ソーニャが不敵な笑みを浮かべている。
やはり、妖精には注意を払うべきだ。可愛い見た目に騙されてはいけない。
ソーニャの笑顔を見ながら強く心に誓った。絶対に油断しないと。