だめ
桜子は、私を凝視したまま、顔を真っ赤にしていた。
その赤さに、あのお酒を飲んだ時のことを思い出すけれど、今日はお酒は飲んでいないはず。
なら、なぜ彼女は赤くなったんだろう?
混乱している頭では、考えることもできず、ただ彼女の顔を見つめて、彼女の手をぎゅっと握りしめた。
すると突然、彼女の目から涙が零れ落ちる。
私は驚いて思わず、ごめん、と謝って手を放した。
困惑する私に、彼女は真っ赤な頬に流れた涙をぬぐって、私の予想もつかなかったことを言った。
「うれしい」
その一言。
しかし、その一言で私はますます困惑した。
私がは彼女を好きだと言った。
彼女は、それをうれしいと言った。
それは、つまり、桜子も私のことが好きということ?
では、大壱は・・・・?
ほのかな疑問と喜びが胸の中に芽生えると同時に、桜子はそれを確かなものとした。
「私も、奈々ちゃんのこと、中学校の時から好きだったよ」
じゃあ、私たちは両想いだったのだ。
遅すぎるとも言えたが、それでも私は長年の思いが報われるようで、こみ上げた喜びから思わず桜子を抱きしめた。
「桜子・・・っ」
そう言って、彼女を強く抱きしめる。
今まで我慢してきた分を吐き出すように。息をすれば彼女の香りが鼻をくすぐって、たまらなくなった。
しかし、桜子はそんな私の肩に手を置いて、抱き返すことはしなかった。
腕に力を入れて、私から身を離す。
私はそんな彼女の行動に困惑する。
私を受け入れたのではなかったのか。
広がった安心感はたちまち不安に変わった。
彼女は顔を少し俯けたまま、彼女らしくない静かな声で、私に告げた。
「でもね、今ではもう、終わった恋なんだよ?」
その一言に、私の中で何かが崩れていった。
夢も希望も、何もかも、私の中から消え去っていく。
顔から力が抜けて、ただ呆然と桜子を見る。
桜子はそんな私に弁解するように、次々と言葉を紡いでいった。
「私もね、本当に、本当に奈々ちゃんのことが、ずっと好きだったの。
でも同時に、この気持ちは叶うものじゃないって、思ってた。
だから、ときどき奈々ちゃんと一緒にいると辛くて悲しく感じる時もあって・・叶わない想いを抱き続けるのは、私には辛かったんだ。
だから私は奈々ちゃんから逃げて、この気持ちからも逃げようとしたの。そうして忘れてしまえればいいって思ったの。
そしてそのまま大学に入って、私はだい君に告白されて、別に好きじゃなかったけどOKしたんだ。」
彼女は少し笑った。
でもその声はすぐに涙声に変わって、笑った顔は泣き顔に歪んだ。
「それなのに、あんなに忘れようとしたのに、私、奈々ちゃんのことばかり彼に話しちゃうの・・・。
ひどい彼女でしょ?彼氏より、奈々ちゃんのことのほうが好きで、いつも奈々ちゃんのことばかり言ってるんだから。
私は、結局『好き』ってことを忘れられないままで、ずっと悲しいままだったんだって、奈々ちゃんのことを諦め切れてなかったんだって、つくづく感じたよ」
彼女は涙をぬぐい、「でも」と続ける。
「彼は、私の話を、奈々ちゃんの話を、じっと聞いてくれたの。
何の不満も言わず、私が満足すると、彼もうれしそうに笑って、「そうか、よかったな」「桜の大事な人なら、俺も会ってみたいよ」て言うの。
おかしいよね。人の話ばかりする彼女なのに、そんなの絶対つまんないのに。
でもそれが、彼の『好き』なんだって、気づいちゃった。
私、奈々ちゃんのことずっと好きだったから、『好き』って気持ちがどんなのかよくわかる。
だから、ちゃんと向き合おうって。私みたいに悲しい思いにさせたくないって、思ったから、私は私の、不毛だった恋を終わりにしたの」
そんな・・・。
私を見つめる彼女を凝視する。
私の想いは、決して彼女を傷つけるものでも、叶わないものでもなかったのだ。
私も彼女もお互い知らなかっただけで、本当は両想いだったのだ。
でもそれは、結局お互い知らないままで、終わってしまった。
きっとどこにでもある、言わなければ誰も知らないまま終わる話のはずだった。
私がふいに視線をそらすと、口からまた「そんな」と声が漏れて、そんな言葉しか出ない自分が情けなくなった。
もっと、早く言えばよかったのだ。
そうすれば、こんなことにならなかった。
でも、そんなこと言っても、今更なのだ。
桜子は堪えるように唇をかんだまま、耐え切れず、再び大粒の涙をこぼして泣きだした。
そして私の肩口に額を押し付け、しきりに「ごめん」とつぶやく。
私はその懺悔の呟きに、彼女の背に慰めるように手をまわした。
ああ、泣く彼女を慰めなければ。
私の、大事な人なんだから。
そう思っても、慰めの言葉などいくらでも思いつきそうなのに思いつかなくて、それが情けなくて、口が震える。
その上悲しくて、こんなに悲しいのは初めてで、私の目から涙がこぼれ出た。
声を殺そうと唇をかんでも私の貧相な声は情けなく響く。
そんな中、彼女の香りが慰めるように、私の鼻をくすぐった。