気付いてしまった
一目見て分かった。
シフォンのスカートにデニムジャケットを羽織った彼女は相変わらず愛らしく、美しかった。
背中まで伸びた髪を風になびかせながら、桜子はマンションの駐車場に立って待っていた。
近づいてくる車に顔を向け、そしてそれが私が運転している車だと気づくと、あからさまに顔を綻ばせ、手を振ってくる。
私はなんとも言えない気持ちで彼女に手を挙げて返した。
車を駐車させると私よりも先に空くんが車から降り、母親の元へと一目散に駆けて行く。
そして彼を受け止めた桜子をギューギューと抱きしめる様は年相応で、彼は今まで強がっていたことを悟る。
桜子は空くんを抱きしめながら、私が車から降りるのを横目に見ると空くんに何かを言う。
すると彼はやけに素直に、桜子から離れる。
そして彼女は空くんから私に視線を変えた。
立ち上がって、空くんをその場に置いて、こちらに駆け寄る。
彼女の花が綻ぶような笑みはずっと変わらなくて、可愛くて、私の心を離さない。
そしてお互いに声をかけるより先に、
彼女は駆け寄る勢いのまま、私を抱きしめた。
「好き。奈々ちゃん、好きよ」
彼女を受け止めながら、都合のいい夢でも見ているのかと思った。
けれど驚きで止まった呼吸を再開させれば、あの時と同じように彼女の香りがする。
それは彼女に抱きしめられているという現実を、何も考えられなくなった頭に再度叩きつけた。
彼女が耳元で囁く。
「今更だけどね、一度断っておいて何言ってるんだって感じだけどね、やっぱり、私は奈々ちゃんが好きなんだって、ずっとずっと好きなんだって、はっきりわかったの。だからね、奈々ちゃん。奈々ちゃんがまだ私のことを好きって気持ちが少しでも残っていてくれたなら、私と、高橋さんなんかじゃなくて、私と、一緒に、暮らそう?」
甘い誘惑だった。
彼女の香りも、声も、接するすべてが、私を誘惑する。
抱き返そうと自然と腕が彼女の背に回る。
しかし、その時見つけてしまった。
そして、気付いてしまった。
「今更すぎない?」
背中に回した両手を、彼女の肩に置く。
そして、抱きついてくる彼女を引きはがした。
彼女の顔は見れなかった。
「お互いにもういい歳でしょ?そんなこと言われても困るんだけど」
今までしたことがない辛辣な言い方に、おそるおそる彼女の表情を窺う。
ついさっきまで幸せそうに染まっていたピンクの頬が可哀そうなほどまでに青ざめて、目は驚きに零れ落ちそうなほど見開かれていた。
彼女は震える声で問う。
「な、奈々ちゃんは、私のこと、もう好きじゃない?」
「そういうことじゃなくて。桜子はもう子供もいるのに、どうしてそんな無責任なことを言えるのってこと。ありえないんだけど」
吐き捨てられた言葉に彼女は明らかに傷ついたようで、丸々と見開いた目から一粒二粒と涙がこぼれていく。
私は追い打ちをかけるように、彼女を責めた。
「それに、私達の恋はずっと前に、桜子が大壱を選んだ時点で、終わったんだよね?そうだよね?」
確かめるように、彼女に問いかける。
彼女は手のひらで顔を覆ってしまい、それでも隠しきれない涙が、手首を伝って落ちていった。
それを目で追いながら、私は言葉を重ねる。
「・・・私はね、今、幸せなの」
私は笑った。彼女が見ていなくても、幸せそうに聞こえるように、笑ってみせた。
「だから、桜子は、桜子が選んだ道を、大事にして」
彼女は覆っていた手のひらから、顔をあげる。
そしてその目に私の笑みを映して、また涙を零した。
桜子はなにも言えないまま、涙を零し続ける。
私は言い聞かせるように、優しく説得する。
「今の桜子の周りには、きっと桜子が思っているよりもずっと、桜子を大切に思ってる人たちがいるんだよ・・・桜子はどうして空くんが私の実家まで来たか、知らないでしょ?空くんは私が桜子を泣かせてるって思って、だから私に桜子に会って仲直りしろって伝えに、たった一人で私の実家まで来たんだよ。7歳の子供がたった一人で電車を乗り継いで来るのは、きっと、とても勇気が必要だったと思う。でもそんな勇気が振り絞れるほど、『お母さん』のことが大切だったんだ。
ねぇ、桜子は大切にされてる。大切にしてくれる人がいる。その人たちのことを、桜子は大切にして」
お願いだから、と嘆願する。
けれど涙を流し続ける彼女は、私の言葉の全てを受け入れきれていないようだった。
だから、私は告げた。
彼女を傷つける言葉を。
かつて私も味わった傷を。
「私はもう、桜子よりも、圭くんの方が好きだから」




