嘘
オーナーの携帯番号から着信があったのは、私がゲイバーに訪れてから2週間経ったことだった。
依頼した男が見つかったらしい。オーナー曰く、いい男だと言う。
彼の言う『いい男』が一体どういう意味を含むのかは分からない。
なんにしろ、最低限の条件が守られているのなら、それはどうでもいいことだった。
オーナーに「そうですか」と返事をすれば、面白くなかったのか、
『・・・じゃあ、残りの50万、言った通りに振り込んどけよ』
と素っ気なく切られてしまった。
通話終了を告げる携帯を見つめる。
私は戸惑っていた。
望んでいた。確かに望んでいたのだ。
嘘を現実にする。そのために私はここまでやった。
そして待ち遠しかった連絡が来た。苦労が結ばれる。それは嬉しい。
嬉しいのに、とうとうここまで来てしまったという罪悪感にも似た重い感情が、電話を受け取った途端、私にのしかかった。
けれども進んでしまった現状を止めることもできず、オーナーから番号を聞いたという相手の男から、電話がかかってきた。
『初めまして。高橋圭と申します。あなたが岩瀬奈々さんですか?』
たかはし けい。
復唱した名前は重石となって記憶の底に沈みこむ。
私は気丈を取り繕って、声を発する。
「はい。私が岩瀬奈々です。今回は私の申し出を受けてくださってありがとうございます」
『いえ、こちらとしても大変都合のいい提案でした。では、さっそく今後のことについて打ち合わせしたいのですが―――』
とんとん拍子に話が進んでいく。
事務的でまるで仕事みたいで、けれど決して公にできない、秘密が練られていく。
顔合わせをして、打ち合わせをして、抜かりのないように。
そうして、私の嘘は始まっていった。
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高橋圭と出会った夏から、季節はすっかり冬へと変わっていた。
今年は積雪量が多く、桜子達が住むマンションには端に除雪された雪山ができあがっていた。
空には今にも雪が降り出しそうな雲があって、けれど幸いにも風は吹いていなかった。
車から降り、迷いなく桜子達の部屋のドアの前に立つ。
大きく息を吸って、吐いて。
そして、寒さとは違う震えで揺れる指を、インターホンに押し付けて、
ピンポーン
と鳴る。
そしてすぐに、ドアの向こうから人の気配がして、ガチャリと鍵が開く。
「奈々ちゃん~、久しぶり~!」
桜子だ。
桃色のニットワンピースに、肩辺りまで伸びた髪。少しパーマがかかっている。
そして満面の笑み。
昔から変わらない、桜子だ。
その姿に頭が働かなくなって、馬鹿みたいに同じ言葉が湧き上がる。
かわいい。
「っ・・・」
「奈々ちゃん?」
首を傾げる桜子もかわいい。
一瞬でぽんこつになってしまった頭で、口を開けばとんでもないことをうっかり言ってしまいそうだと自制できている自分をほめたい。
後ろに立っていた高橋は察したのか察していないのか、話せなくなった私の代わりに答える。
「初めまして。高橋圭です、今日はどうぞよろしくおねがいします」
と、愛想のよい笑みを浮かべる。
その声に私も冷静さを取り戻した。
「っ、桜子、久しぶり。なんかもう本当、久しぶりで、言葉がでなかった。ごめん」
少しもうまくない理由に自然と苦笑いが浮かんでしまう。
それでも桜子も共感してくれたのか、彼女も感無量とばかりに首を振った。
「ううん、私も久しぶりに奈々ちゃんに会えるって知って、ずっと何話そうって考えてたの。それに、奈々ちゃんの恋人の高橋さん、も来てくれたんだもん。今日は沢山話そうね」
そう言って笑う桜子に、私もまた「そうだね」と笑い返す。
自然に笑えていますようにと、あてもなく祈る。
すると大壱が部屋の奥から出てきて、
「こんにちは~。どうぞどうぞ、寒いでしょう。中に入ってください」
にこやかに家に招き入れる。
それと、彼に抱えられている空くん。
一家そろっての歓迎に、私と高橋は笑みを浮かべた。
空くんは自分の足で立って、卓上のお菓子に手を伸ばす。
が、それに届く前に大壱が「パパと一緒にあそぼうか」と、空くんを抱き上げた。
思い通りにならなかった空くんはそれに「やああああ!」と叫びながら、けれど逃げることもできず大壱に隣の部屋へ連れていかれた。
そんな親子の後ろ姿を見送っていると、桜子が温かいお茶を差し入れてくれた。
「空くん、大きくなったね」
湯呑みに手を添えて暖を取りながら、横に座った桜子に、しみじみとそんなことを言ってみる。
彼女はなんてことのないように、けれど同じようにしみじみと返した。
「そうだね~。子供の成長は早くてびっくりするよ。寂しいような、でも早く大きくなってほしいような」
と首を傾げておどけてみせる桜子に「そうだよね」と当たり障りなく返す。
そして、静かにお茶を飲んでいた高橋に、桜子が話しかけた。
「高橋さん、は奈々ちゃんとどこで知り合ったんですか?」
突然の話に高橋は驚くことなく、湯呑みを下ろして話し出す。
「喫茶店で、助けてもらったんです」
「助けてもらった?」
「私が財布を忘れてしまって、危うく無銭飲食してしまうところを彼女が代わりに支払ってくれたんですよ」
少しおどけた様子で話す彼に、桜子は興味津々といった様子で「へぇ~」と熱心に頷く。と、今度は私に振り返る。
何を聞かれるのかと戦々恐々とする私に、桜子は朗らかに言う。
「奈々ちゃんらしいねー。優しくて」
その言葉にほっと息を吐き、桜子の評価に心の隅で感動してしまう。
そして桜子は顎に片手を当てて考え始めた。
「なんか二人って似てるのかな?雰囲気とか」
と、首を傾けて真面目に考える桜子もかわいい。尊い。
「それに、二人でワールドランド行くぐらいだし、よっぽど気が合うんだろうな~」
一人で納得しちゃう桜子もかわいい。
でも、よく覚えてたね、その話。
何気ない言葉に固まった私に気づかず、桜子は話を続ける。
「うふふ、今日は二人のこと根掘り葉掘り聞いちゃうんだから、素直に話すんだぞ~」
ハイテンションな桜子に、私は心臓を氷漬けにされた心地で、それでも照れるふりをして受け入れるしかなかった。
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無言を怖いと感じたのはいつ振りだろう。
桜子たちとは穏やかに時間を過ごせた。
高橋との打ち合わせ通りに話はできたと思う。
ただ一点、私が高橋に伝え忘れていた事が出てきていなければ、だ。
帰りの車の中、運転している高橋圭は何も話しかけてこない。
元々おしゃべりな方ではない。桜子のマンションに行くときも全く話さなかった。
しかし、重い沈黙と(私が勝手にそう感じているのかもしれない)どうしても伝えなければならない言葉に、私はとうとう口を開いた。
「ご、ごめんなさい」
「ふざけるな」
冷たく突き放される。
その言葉にようやく実感する。
彼は怒っている。
「どうして黙っていた?」
「だ、黙っていたわけじゃなくて・・・忘れてました」
「・・・次に同じことがあってみろ。この話しは無かったことにする」
項垂れて震える私に、それでも彼は冷淡に告げる。
彼がなぜこんなに怒っているのか、その理由は私もわかっている。
彼が言っていることは間違っていない。
嘘を吐くということは、完璧でなくてはいけないのだ。
そのために、私たちは綿密に話し合った。これからのこと、これまでのこと。
決して綻びのないように。
大切な人を傷つけないために。




