第三話一部
本来それは、成功するしないの問題ではなく、やり場の無い感情をぶつけ、自らの気持ちに区切りをつける為に行うだけの、何の意味も無い行動だ。おまじないと言っても良い。
白装束を身に纏うのも、頭に蝋燭を立てた五徳を被るのも、胸に鏡を提げるのも、御神木に藁人形を打ち付けるのでさえ、意味は無い。それらは呪術を成功させる為のものではなく、ここまでやったのだから効くだろう、と自分を納得させる為のものだ。
だが、忘れてはいないだろうか。おまじないはお呪い。真実、呪いになる事もある。
ほんの僅かに道を逸れただけで、無害であるべきものが有害となることがある。
そう例えば、ただ気持ちの整理の為にするだけの行動である丑時参に、握り拳大の蒸気機関を加えるだけで――
「どう、酷いものでしょ源内さん」
と、神主の息子である幸比古が言った。俺が店でのんびりしていると急にやって来て、見せたいものがあると自分の神社まで引っ張っていったのだ。
半ばうんざりしながら幸比古の指差した方を見ると、彼の言葉通り酷い有り様だった。
御神木である。注連縄の巻かれた太くて立派な木だ。その木の幹に、藁で作った人形が太い五寸釘で縫い付けられていた。それも一つじゃない、優に十は超えている。
「確かに酷ェな。で、この藁人形は何なんだ?」
「うん、僕も良くは知らないんだけど、多分これは丑時参って言うものだと思うんだ」
もう三十路を過ぎたと言うのに幸比古の話し方は幼い。だが、皺の少ないつるりとした彼の顔には似合っている気がする。
「丑時参だァ?何だよそりゃ」
「だから、僕も良くは知らないんだ。これを見て、父さんが言っていたんだけど、人を呪う方法なんだって」
人を呪うとは穏やかじゃない。
「丑三つ時にね、呪いたい相手の髪の毛や爪を中に入れた藁人形を、神社の御神木に打ち付けるんだって」
「待て、丑三つ時ってなァ何時だよ」
「僕だって知らないよ。産まれた時から今の時間だもん。でも確か父さんが明け方の二時半くらいだって言ってたかな?」
――江戸の、いや日本の時間は数十年前に変わったのだと言う。その頃に何があったかと言うと、黒船来航である。海外の技術がもたらされたのだ。
黒船は様々な海外の文化を日本に与えた。その中で日本を一番変えたものが二つあると言う。効率の良い蒸気機関と、時間だ。
効率の良い蒸気機関は言うまでもないが、時間の影響は大きかったと言う。それまで日本は日の出と日没を基準にし、その間を六等分したものを時間として扱ってきたと聞く。
だが、それでは季節によって時間の長さが変わってしまう。日本に住む人間の多くがそう感じていたのか、黒船の船員が身に付けていた時計を見て、すぐにその概念を導入したのだ。
それに加えて、時間と共に暦も入ってきたらしい。月の満ち欠けで数えて居た暦を、太陽の動きで数えるようになったと言う話だ。俺などは太陽の動きで時間を区切って居たのに、何故暦は月の満ち欠けを使っていたのかと思う。
新しい時間と暦は、瞬く間に日本中に広がり、今では旧い方を使う人間は殆ど居ない。その理由の一つに、空を覆う蒸気が厚くなり、太陽も月も見えなくなったから、と言うものがあるが、それを言っては身も蓋もない。
「二時半とはまた随分と早ェな。するってぇと何か、そんな夜中に、十人の人間がこの寂れた神社に来たってのか?」
言いながら、御神木に刺さった藁人形を見た。不気味だ。とても不吉なものだ。だが、十人程の人間が木に向かって、一斉に釘を打つ姿を想像したら、少し可笑しくなった。
俺がそう言うと、幸比古は心底嫌そうな表情を浮かべた。
「何言ってんだよ源内さん、これは全部一人が打ったものだよ。丑時参は他人に見られちゃいけないんだから」
一人が……これを?
三度、御神木を見る。ぞっとした。一体どれだけの怨嗟を込めているのだろうか。
「いや、待てよ。何で一人だって分かるんだ?この藁人形とその藁人形を打ったのは別人かも知れねぇじゃねぇか」
「別人じゃないよ。だって、昨日の夜はこんなのついてなかったもん」
ぞっとした。
御神木を――正確にはそこに刺さった藁人形を――見た後、俺は社務所に上げられ、座布団とお茶を出された。お茶を一口啜ってから、口を開いた。
「で、結局お前ェは俺を呼びつけて何をさせてぇんだよ」
「うん、あの藁人形不気味だよね」
「あぁ、で?」
「うん、それだけ」
「……は?」
つい、気の抜けた声を上げてしまった。
「お前ェは、ただ藁人形を見せて、不気味だって言う為だけに俺を呼んだってのか?」
「うん、後、一緒にお茶も飲もうかと思ったよ」
「帰る」
言って、立ち上がった。神主の息子がどんな仕事をしているかは知らないが、ただ世間話をする為に人を呼びつけて良い訳がない。。
「あれ、もう帰るの?」
「そうだよ、店は開けっ放しだからな、客が来るかも知れねぇだろ」
嘘だった。今日は店でゆっくりと過ごしたい気分だった、どうせなら客は来て欲しくない。
「あぁ、じゃあこれお土産。最近出来たお店で買ってきたんだけど、中々美味しいよ」
と、綺麗に包装された箱を渡された。案外重みがある。饅頭だろうか
「これはなんだ、饅頭か?」
「うぅん、人形焼」
……冗談だろ
結局俺は人形焼の入った箱を持って帰った。何が悲しくて藁人形を見た後に人形焼を貰ってこなくてはならないのだ。幸比古の感性はいまいちずれている。
「お、帰ってきたかい、源の字。店を開けっぱなしにしてどこほっつき歩いてたんだい」
店に着くと、何故か桔梗が居た。制服を着ていないところを見ると、今日は仕事ではないらしい。
「お前ェなんでここに居るんだよ」
「ちょっと源の字に見せたいものがあってね、それで呼びに来たんだけど留守だったからさ、仕方なく店番してやってたのさ」
見せたいもの、と言う言葉に顔をしかめた。まさかまた藁人形じゃあるまい。
「あ、なんだいその顔。あたしと出掛けられるんだよ?もうちょっと嬉しそうな顔をしたらどうだい」
「見せたいものってなァ藁人形じゃねぇだろうな」
「藁人形ゥ?何でそんな不気味なもんを見なくちゃなんないんだよ。あたしが見せたいのは服だよ、服」
言われて服を見るが、特に変わったところもない。何を見せたいと言うのだ。
「な、何だよじろじろ見て」
「お前ェが服を見せたいって言うから見てんじゃねぇか」
「違うよ、見せたいのはこの服じゃなくて……あぁ、もう面倒くさい。良いからついてきな」
言うが早いか桔梗は立ち上がって、俺の腕をとった。ぐい、と強い力で引っ張られる。
どうやら今日は店でのんびり出来ない日らしい。俺は観念して桔梗についていった。
強引につれてこられた先は、てぐす屋だった。何故だかは分からないが、最近てぐす屋に来る事が多い。
「……ん、おい桔梗。今日はてぐす屋休みじゃねぇのか?」
入口を見ると雨戸が閉まっている。やはり定休日だ。
「だから良いんじゃないか。ほら、裏口から入るよ」
休みだから良いとはどういう事だろうかと思いながら桔梗の後をついていく。
裏口から茶の間に上がると、巴が煙管を吹かしていた。初めて住居の方に来たが、案外広い。巴の下半身の大きさに合わせてあるのだろう。
「姐さん姐さん、源の字つれて来たよ」
「おや、桔梗ちゃんご苦労様。ようこそ、源さん」
ふう、と紫煙を吹き掛けられる。煙たくて噎せた。
「何だよ、姐御の差し金かい。見せたい服ってな何なんだよ」
「ふふ、それは見てのお楽しみってやつさ。桔梗ちゃんもう良いよ、着替えてきな」
「ありがと、姐さん」
言って桔梗は障子を開け、ばたばたと出ていった。
「ふふ、可愛らしいいねぇ。ねぇ、お前さんもそう思わないかい?」
「思わねぇよ」
「そうかい……ところでお前さん、何を持ってるんだい?」
言われて気付いた。幸比古から貰った人形焼を持ったままだった。
「あぁ、こないだ出来たって店の人形焼らしいぜ。幸比古から貰ったんだが、家に置いてくるの忘れちまった」
「人形焼って言ったら、明文堂のかい?あぁ、それは美味しいって評判なんだよ。いやぁ嬉しいねぇ、ありがとうね、お前さん」
やるとは一言も言っていないのだが、既に巴は食べるつもりで居るらしい。確かに、一人でこんな量の人形焼を食べたら胸焼けしてしまうのだが……
「まぁ良いや。で、その明文堂とやらはそんなに美味ェのかい」
「そう言う話だよ。何でも、元々は地下で菓子屋をしていたらしいんだけど、実家はこっちなんだと。それで、こっちに住んでる父親が病気にかかって、心配だからってわざわざこっちに店を構え直したんだってさ。親孝行だねぇ」
「ふぅん」
地上産まれだが、地下で働ける実力があり、さらに親孝行、か。正直胡散臭い。
「まぁ、ただ一つだけ悪い癖があるみたいだけどね」
すっ、と巴は眉を潜めた。
「女房や子どもも居る、ってのに女癖が悪いんだってさ。そんな男は嫌だねぇ」
さっきは親孝行と誉めていた口が、今では貶している。これが同じ人間に対する評価なのだからいい気なものだ。
「もし、巴姉さん」
と、俺と巴が益体のない話をしていると、障子の向こうから鈴を転がすような軽やかな声がした。お鈴だ。
「着替えたかい?ちょうど源さんが来たところだよ、入っておいで」
はい、と言う声と同時に障子が開かれる。と、そこに立っていたお鈴の姿に、目を奪われた。
洋装である。淡い水色で、袖と裾がふわりと膨らんでいる。その下に何枚か着込んでいるのだろう、裾から薄く透ける生地が覗く。
洋装だが、お鈴のおかっぱに切り揃えられた黒髪は妙に似合っていた。頭には細い装飾帯が結ばれているが、そこにもやはり鈴がついており、ちりんちりんと音をさせている。
「どうでしょうか、源内殿」
おずおず、と言った感じでお鈴が口を開いた。若干はにかんだその表情に、また目を奪われる。
「あぁ、いや……」
言葉が出なかった。まるで良く出来た人形のようだった。
言葉を濁す俺の対応が不満だったのか、お鈴はちょっと頬を膨らませた。それを見た巴はころころと笑った。
「お鈴ちゃん、源さんが何も言わない時は気に入ってるのさ。源さんは口下手だからね」
なにを勝手な事を、と言おうとしたが、それより先にお鈴が口を開いた。
「はい、良く知ってます。源内殿、桔梗姉さんはちゃんと誉めてあげるんですよ」
「……ガキが知った風な口きくんじゃねぇよ」
「知った風な、ではなく知っているんです。あぁ、桔梗姉さんも着替え終わったみたいですよ」
言って、障子の向こうに視線をやるお鈴。確かに、ぱたぱたと足音が聞こえてくる。何を着ていても桔梗の慌ただしさは無くならないらしい。
足音が止まると、開かれた障子の隙間から桔梗がひょこりと顔を出した。
「あの、姐さん。着たには着たけど、これ変じゃないかな」
どうやら怖じ気づいたらしい。それなら最初から着なければ良いのにと思う。
「大丈夫さ。ちゃんと桔梗ちゃんに似合いそうなのを選んでおいたからね」
「そうですよ桔梗姉さん。私もとても似合っていると思います」
「そ、そうかい?……ちょっと源の字」
「なんだよ」
「絶対に笑ったりしないでよ」
言って、障子が更に開かれた。
お鈴の着ているものとはまた違った意匠の服である。裾がより大きく広がっていて、それが足元まですっぽりと覆っている。胸の辺りにはひらひらした、花を意識したであろう赤い装飾がついており、白を基調を上手に引き立てていた。手に持ったつばの広い帽子にも、花と装飾帯が飾られている。
「ど、どうだい?」
恥ずかしいのか、帽子を目深に被りながら桔梗が訊いた。俺は――
「……はン、馬子にも衣装ってなぁこの事だな」
憎まれ口を叩いていた。だが、桔梗も巴もお鈴も、顔を見合わせたと思ったら笑いだした。
「な、何だよ」
「いや、源さんが来る前に皆で話してたのさ。お前さんが桔梗ちゃんに何て言うか、って」
「全員、絶対に馬子にも衣装だって言うと思っていたんです。桔梗姉さん、あれは言葉通りの意味じゃなくて、本当に誉めているんですからね」
「分かってるよ、あたしも源の字との付き合い、長いからね」
言って、より笑い合う三人。女三人寄れば姦しいと言うのは、どうやら本当のようだ。
「そうだ、まだ洋服は残っているけど、源さんも着るかい?」
からかうように巴が訊いてくる。桔梗やお鈴も、にやにやとこちらを見ている。
まったく、冗談じゃない。