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第二話一部

どうにも息苦しさを感じて、溜め息を一つ吐いた。

気の重さと比例するのか、自然と地面に落ちていた視線を上げると華やか過ぎる程の装飾が施された街並みがある。燭台も嫌と言うほど照らされ、極彩色に塗られた壁と相俟って目がちかちかする。

「おヤ、そこのお兄さん初めてかえ?優しくしなんすよ」

「兄さん兄さん、その女は駄目ですよゥ。優しくするなんて大間違い、頭からぺろりと食べられちまいますよゥ」

「兄さん色男だねェ。どうだい、あちきのいい人になっておくんなんし」

ただ立っているだけなのに常に声をかけられる。声音から、本気ではなくからかっている事が分かるだけに対応に困る。軽くあしらっていると、一人の女郎が少しだけ声を張り上げた。

「おヤ駄目だ。どうやら綺麗なお顔な兄さんは、あちき達女郎より陰間が好きみたいでありんすな」

きゃらきゃらと、弾けるような笑い声に包まれる。

あぁ気が重い……


事の発端は巴だった。

その時俺はてぐす屋にいた。この間買った糸は窮奇と言う自動人形を捕らえるのに使ってしまった為、また新たに買いに来たのだ。出費が嵩むが、仕方ない。

そんな俺を待っていたのは、罠にかかった獲物を弄ぶような巴の笑顔だった。

「おやおや、ちょうどお前さんに用があったんだよ。これは運命ってやつかねェ」

「……なんでえ、気色悪ィな。用があるのは俺の方だぜ」

「連れないことをお言いでないよ。そうだ、糸を買いに来たんだろ?その代金を安くしてあげるから、ちょいと妾の頼みを聞いてくれないかえ?」

「糸屋がからくり屋になんの用だよ」

「だから、直して欲しいものがあるのサ」

粘りつくような声だった。

「と言っても、直して欲しいのは妾じゃなくて、妾の知り合いだけどね」

「知り合い、ねぇ。姐御に虫以外の知り合いがいるなんざ初めて知ったぜ」

てぐす屋の扱っている糸の殆どは虫から取れるものだ。その為、店の裏に建てられた蔵の中には芋虫やら蜘蛛やらが大量に飼われているらしい。考えるだけでも鳥肌が立つ。

「失礼だねぇ、これでも顔は広いんだよ……っと、話を逸らすんじゃないよ。ともかく、妾の知り合いが大事にしてる玩具が壊れちまったみたいなんだよ。直してやってくれないかえ?」

「玩具、か。分かった、やってやるよ。それで、その知り合いってのはどこのどいつなんだ?」

「ああ、吉原に居る寿(ことほぎ)太夫って言うんだけどさ」

吉原?太夫?一瞬、耳を疑った。

――吉原。江戸で一番の遊廓。黒い雨が降るようになってから地下に潜ったが、元々吉原で女郎を買っていたのは真っ先に地下に潜ったような金持ち連中だったのだ、地下に行こうが行くまいが貧乏人の俺達には関係はない。

「おい、なんで姐御に吉原の知り合いなんて居るんだよ。まさか姐御……女を買ったなんて事ァねぇよな?」

「当たり前だよ、なに馬鹿な事言ってんだい。私は糸屋だよ、これだよ、これ」

そう言いながら、小指を立ててひょこひょこと動かした。

「あぁ、あの運命の赤い糸、ってやつか。女郎も渡すことがあるのか?」

「逆だよ。元々女郎が気を惹きたい相手に贈ったのさ。男の方も、爪や指を贈られるよりましだって、一気に広まったらしいよ」

なるほど、そこから地上にまで広まったって訳か。おかげでこないだは酷い目にあった。

「寿太夫は一番人気だからね、糸を渡す相手も多いのさ。それで何度か注文を受けている内に知り合ったんだよ。と言っても、店に来るのはお付きの見習いだから、直接会った事はないんだけどね」

巴の話によると、最初はその見習いとやらの言伝てに話をして居たそうだが、今では手紙のやり取りになっているらしい。そこで、ふとした拍子に俺の話になり、からくり屋を営んでいるのなら仕事を頼みたいと言う流れになったとの事だ。

「俺の話って……姐御、どんな流れでそうなったんだよ」

「そこは、まあ、ふとした拍子にだよ」

歯切れが悪い。ある事ない事べらべらと話したんじゃないだろうな……

「ほら、それより仕事を受けてくれるんだろ。じゃあ頼むよ、明日の三時に吉原の入り口辺りで待ってな、迎えが来るからさ」

と、半ば強引に話を打ち切られ、俺は吉原へ行くことになった。

最初はとても心が弾んだ。吉原に行くと言う事は、地下に行くと言う事だ。地上では高級品である蒸気式の機械で溢れている。それだけでなく、蒸気自動車なんて言う乗り物があると聞く。それらを見られるかも知れないとなると、期待せざるを得ない。

それに、客として行く訳ではないが吉原に入る、と言うのも楽しみである。精々綺麗な女郎を眺めて、目の保養でもするかと思い、巴に言われた時間より二時間早く到着した。

だが、それが失敗だった。

地下に来た俺は、どこに居ても居心地の悪さを感じていた。地下にいる連中と俺は違うのだ。着ている服が違うだとか、綺麗さが違うだとか、そんな表面的な事だけじゃない。内面的な事が違うのだ。蔑みか、憐れみか。俺に向けられる目はそのどちらかだった。

公卿の夫婦だろうか、洋装の男女の乗った蒸気自動車を見つけ、近寄って見せて貰おうとしたら乞食だと思われ、男からは邪険に扱われ、女からは施しを受けた。この男女だけでなく、街で会う人間全てから同じ扱いを受けた。

俺は気持ちが悪くなって、少し早いが吉原へと行った。だが、これも失敗だった。

どこか店に入るでもなく、ただ入り口で立っていると言うのは目立つようで、周りの女郎が格子越しに話し掛けてきたのだ。最初は女郎と話せると舞い上がったのだが、所詮からかわれているだけと分かると途端に虚しくなった。

そして、待ち始めて早や一時間。待ち合わせの時間まで後三十分もある。

後三十も晒し者かと考えるとまた気が重くなり、溜め息をこぼした。


「もし、平賀源内殿でおざんすか?」

鈴を転がすような声が聞こえた。加えて、本当に鈴の音も聞こえた。

「ぁン?」

顔を上げると、精々が俺の胸くらいしか背丈のない少女が立っていた。綺麗に切り揃えたおかっぱに艶やかな着物。髪には金色に光る鈴が左右に二つずつ結ばれている。

「……ああ、俺は平賀源内だがお前ェは?」

「失礼しんした。わっちは寿太夫の御付きをしておざんす、お鈴でありんす。源内殿を御迎えに上がりんした」

言って優雅に頭を下げた。まだ子どもだと言うのに、仕草の端々から上品さを感じる。

さすが吉原は教育が行き届いているものだと、お鈴と名乗ったその少女を繁々と眺めていると、また周りの女郎達が囃し立ててきた。

「おヤ、兄さんは童女趣味だったようでござんすねぇ」

「兄さん兄さん、禿に手を出しちゃいけませんよ」

また、弾けるような笑い声に包まれる。俺がそんな女郎達の反応に、いい加減うんざりし文句の一つでも言ってやろうとした時

「お黙りなんし!こちらの殿方はわっちの姉分、寿太夫の客人でおざんす。無礼な真似はお止めなんし!」

お鈴に先を越された。仕方なく、開きかけた口を閉じ、声を張り上げた訳でもないのにお鈴の声は良く通るものだと、変な事を考えた。

ともあれ、お鈴のおかげで静かにはなったが、静か過ぎる。これはこれで居心地が悪いものだ。

「……失礼しんした。サ、源内殿、案内しんす。こちらへ」

静寂を破ったのは、静寂を作り出した本人だった。す、と軽く頭を下げ、ゆっくりと歩き出した。歩く度にちりんちりんと頭に結ばれた鈴が鳴る。

俺はその鈴の音に導かれるように、足を踏み出した。と、その時――

「ああ、それと姉さん方、わっちは禿ではおざんせん。何も知らぬ訳じゃ」

おざんせんよ、と容姿に似合わぬ妖艶な笑みを浮かべて、お鈴は振り返った。その笑みに、何故か背筋が寒くなった。


「ようお出でなんした、源内殿。わっちは寿太夫でありんす、どうぞごゆるりとおくつろぎ下しんし」

上品な立ち居振舞いをした少女に、上品で優美な建物に連れられた俺は、殊更上品で優美で煌びやかな女に会った。その女は当然の如く、寿太夫と名乗った。

なるほど、一番人気と言う噂も嘘では無さそうだ。ついつい見惚れてしまう。

「ごゆるりも何も、俺は仕事をしに来たんだ、ちゃっちゃと済ませやすよ。それで、壊れちまったっていう玩具はどいつでさ?」

「あら気の早いお人でおざんすね。すぐに済ませるなんて連れないこと言わずにいておくんなんし。さ、一献」

いつの間にか用意された酒を傾けて来るので、手で制した。下戸なのだ。

「酒はいらねぇよ、弱いんだ。それに俺は客として来たわけじゃねぇのは呼びつけたそっちの方が良く知ってんだろ。俺が言うのもなんだがよ、金にならないようなのに丁寧にする事ァねえよ」

俺が言うと寿太夫はころころと笑った。まるで絹を擦り合わせるような、微かだが繊細な笑い声だった。

「巴姉さんのお話通りでありんす。ほんに、純情でなお人のようでおざんすね」

「純情ってななんでぇ」

やはり巴はある事ない事しゃべっていたようだ。

「分かりんした。では早速仕事をお頼みしんす」

言いながら、すっと差し出したのは手の平に乗るくらい小さな猿の人形だった。前に突き出した両手には、何か円盤を持っている。

「これは舶来の玩具でありんす。ぜんまいを巻くと、こう、手を打ち合わせてその楽器を鳴らしておざんしたが、今はうんともすんともしんせん」

なるほど、猿が手に持っている円盤は西洋の打楽器か。

「では、拝見」

猿を手に取り、暫し弄くり回す。手触りはふわふわと柔らかい。何かの毛皮で作られているのか。

背中に見つけた鈕を外すと中から見慣れた歯車とぜんまいが組み合わさったものが出てきた。

ざっと見てみるがぜんまいが延びたのと歯車が磨耗したのと両方なようだ。念のため大量の部品を持って来ておいて良かった。これなら部品の交換で何とかなる。

黙々と作業をしていると、またあの絹を擦り合わせるような笑い声が聞こえてきた。顔を上げると、寿太夫が、修理をする俺の手元を覗き込んでいた。

「おや、邪魔をしんしたか?主さんの綺麗な指に見惚れていたんでおざんすよ」

寿太夫も顔を上げる。自然と、顔と顔を付き合わせる形になり、つい目を逸らす。

「……こんなの見て何が楽しいんでさ」

「楽しいでありんすよ、とても。さ、どうぞ続けて下さんし」

「もう終わったよ、ぜんまいを巻いてみな」

言って、押し付けるように猿の玩具を渡す。ついでに、近付いていた身体を離す。

「おや、もう出来んしたか?噂通り、早ぅおざんすね」

言って、そのしなやかな指でぜんまいを回す寿太夫。きりきりと小気味良い音がする。ちゃんと回ってくれているようだ。

すっと指を離すと、猿の玩具は一度身体を震わせると、けたたましく両手に持った楽器を打ち鳴らした。しゃんしゃんと楽しげな音だ。

「あぁ、良かった。ちゃんと直りんした。主さん、おありがとうござんした」

背筋を伸ばしたまま頭を下げる寿太夫。礼をする時まで優雅だ。

「そいつぁ良かった。ならお代だが……」

「それでしたら、あちらの部屋へ行って下さんし」

「あっちの部屋ァ?」

言われた方を見ると、襖がある。と、その襖が音も無く開くと、頭を下げたお鈴がいた。

「姉さん、源内殿。床の用意が出来んした。では」

おしげりなんし――

また、見た目に似合わぬ妖艶な笑みを浮かべて、お鈴が言った。

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