第一話四部
「待てよ」
どくどくと暴れる心臓を抑えて、俺はそいつに向かって言った。
店を飛び出した後、すぐに気が付いた。後をつけられている、と。粘りつくような視線と刺すような殺気を感じ、すぐに辻斬りだと分かった。
なるほど、今の俺は髪を赤い糸で結んでいる。それに、言いたくは無いが普段から女性に間違われる事もあるのだ、髪が長い今は尚更だろう。辻斬りが赤い糸をつけた娘を狙っているのならば、確かに俺は条件を満たしている事になる。
殺気を感じた時は身が竦んだが、同時に少しだけ、ほっとした。辻斬りが自分を狙っているのなら、桔梗は無事だろう。
そして俺は、辻斬りを街から引き離した。あまり身体を動かす方では無いが、江戸の抜け道は良く知っている。追い付かれたり引き離したりしながら、何とか辻斬りを街外れの城跡まで誘き出した。
元々は大層な御武家様が住んでいたらしいが、その御武家様が地下に潜ってからは手入れもされず、荒れ放題で誰も近寄らないような処だ。
そして、遂に辻斬りの殺気が最大に膨らんだ時、俺は「待て」と言っていた。勿論、それだけで止まるとは思って居ない。店を飛び出した時、思わず持って来ていた銃を構えている。
それでも、止まるかどうかは五分五分だった。辻斬りが銃なんか脅威と思わないような、もしくは自分の身すら顧みないような人間だったら、俺は殺されている。
だが、辻斬りは止まった。どうやら銃が通用する相手か、話の通じる相手のようだ。最も、銃が通用したとしてもどうしようも無いのだが……
ここに来る途中で気付いた。弾が無い。なので、出来れば話の通じる相手であってくれて欲しいところだ。
だが、銃の照準の向こうに見据えた辻斬りは、そのどちらでも無かった。
「……なるほど、確かに辻斬りの下手人が蒸気機関を持ってやすね、旦那」
銃を構えたまま呟く。
辻斬りは――いや、それはかちかちと歯車を噛み合わせる音をさせて、きりきりとぜんまいを巻き付ける音をさせて、しゅうしゅうと蒸気機関を燃やす音をさせて、そこに在った。
――蒸気式自動人形。辻斬りの正体は、それだった。いや、それは人の形はしてないから正確には人形ではないのだろう。四つん這いの、獣のような姿をしている。だが、他に呼び方を知らない。こんなのに銃は効かない。話も通じる訳がない。
歯車とぜんまいと蒸気機関を組み合わせた蒸気式自動人形、本来は見世物の、人を楽しませる娯楽の為のものだ。それが今、俺の前で殺気を放っている。
――気持ちが悪くなる
こんなに明確な殺意を感じたのは初めてだ。しかも、生き物じゃないものから。
今まで襲われた娘達は、皆こんな殺意をその身に受けていたのかと思うと、一層気持ちが悪くなった。
と、俺の気が逸れた時――刃が飛んできた。
「ッ!」
驚いて後ろに下がる。が、それが運良く作用した。
引いた足が瓦礫にぶつかり、後ろに倒れた。そのおかげで自動人形の刃を避ける事が出来た。
「いっ……てぇ」
だが気を抜いている暇は無い。二撃目がいつ来るか分からない。俺は無様にも地面を転がって向きを変え、伏せたまま再び自動人形を見る。
身体の大きさは人間くらいあるだろうか、顔は犬よりは猫や狸に近い。だが、尻尾がすっと長い。
身体と同じくらいの長さを持ったその尻尾は、大きく湾曲した刃になっている。さっき目の前を薙いで行ったのもあれだろう。
と、自動人形は正しく獣さながらに身をしなやかに翻したと思ったら、刃が縦に振り下ろされた。
また、転がって避ける。その勢いで、今度は身体を低く起こして自動人形と対峙する。
弾は無いにせよ、唯一の武器だった銃もいつの間にか手から離れているが……どうするか。いや、どうしようもない。
荒事は向いていない、と言うよりは出来ない。手当たり次第に石を投げ付けるかと、ちらりと地面に視線を落としたら、またすぐに刃が飛んできた。今度は横薙ぎだ。
身を屈めようとして、失敗した。躓いたのだ。
一回目は躓いた拍子に倒れ込んだおかげで助かったが、今回は踏み留まってしまった。一瞬、動きが止まる。だがその一瞬は自動人形にとって、俺の身体を斬り裂くのに充分な時間を意味する。
右側から、刃が迫る。この状況を打破する方法を考える時間も、死を受け入れて覚悟を決める時間も無かった。
躓いた俺に刃が迫ってくる一瞬の間に、耳を劈くような轟音が自動人形に襲いかかった。
雷鳴かと思ったが、違う。火薬の臭いがする。これは銃声だ。と言う事はまさか……
「まったく、世話が焼けるな源内殿」
声は、俺の頭のすぐ真上からした。視線を上げると銃身が目に入った。どうやら男は俺の真後ろに立っているらしい。
「儂が間に合わなければ今頃はその首、胴と泣き別れておったぞ」
「そいつぁ助かりやした、旦那」
「おっと、まだ気を抜くなよ。そなたも分かっているとは思うが、銃は決定打にはならん」
緊張した声に、はっと前を見る。銃に弾き飛ばされたのだろう、一間半に少し足りない程の距離に自動人形が倒れていた。
「随分遠くまで弾かれやしたね。案外軽いんでしょうか」
「いや、それもあるだろうが、元々離れていたのだ。そなたが気付いていたかは分からぬが、あの自動人形の間合いは一間だ」
「一間……」
微妙に離れている。二歩も踏み出せば近寄れる。だが、あの尻尾の刃がそれを許さないだろう。
「となると、専ら頼みは旦那の銃になりやすね」
「ああ。だが、それも決定打にはならぬし、遠くない未来、弾が無くなる」
「じゃあ一体どうするつもりなんで?」
言うと、頭の上から袋が目の前に落ちてきた。てぐす屋で買ってきた糸が入っている、あの袋だ。
「……これは?」
「言ったであろう。そなたには儂の手伝いをして貰いたい、と。その中に蒸気機関と、あの部屋にあった部品を少しばかり入れてきた」
だから、それを使って儂を助けるものを作れ、と男は言った。
「正気……ですかい?」
「無論。あぁ、心配するな、工具も持って来てある」
そう言う問題ではない。
「空を飛ぶ機械を作る前に、江戸一と言うその腕前――見せてくれ」
「……まったく、俺はそんな事を言った覚えは一度も無いってェのに。だけど、分かりやした。旦那の御期待に沿えるようなものを作ってみせやす」
「良し、ではなるべく早く頼むぞ」
儂が斬られてしまう前にな、と言うや否や男は飛び出して行った。
さて、じゃあ江戸一のからくり師の腕とやらを――見せてやろうじゃないか。
勇んで飛び出したは良いが、正直、男の戦いは苦しかった。
自動人形に銃は決定打にならない。それはある意味では正しいが、ある意味では間違っていた。
関節など、どうしても薄くせざるを得ない部分に至近距離から銃弾を撃ち込めば破壊する事も可能だ。男もそれを狙い、何度も近付こうとした。
だが、その前に自動人形の刃が迫るのだ。命を持っていない自動人形は、皮肉にも本物の獣以上にしなやかに動く。速いのではない、迅いのだ。
――種子島のように、弾の装填に時間がかからないだけましだな
男は心の中で呟く。
――だが、それでも装填の時間すら惜しい
放った弾が自動人形に当たれば、刃の軌道を変える事が出来る。だが、それだけだ。その隙に近付いても、弾が込められていないのだ。意味が無い。
――せめて二丁あれば……
男が嘆いた瞬間
「旦那!伏せて下せぇ!」
声の意味を理解する前に、反射的に身を屈めていた。
「旦那!伏せて下せぇ!」
言いながら、即興で組み上げた機械を動かす。男の持っていた銃を真似て、蒸気機関の発する力で弾を飛ばすものを作った。
だが、飛ばすものは銃弾ではない。てぐす屋で買った糸を丸めたものだ。糸の両端には錘が結び付けてある。
勢い良く飛んで行った糸弾は自動人形に当たると爆ぜるようにほどけると、ぐるぐるとその身体を縛っていった。
――良し、巧く行った
糸が全身に絡み付き、地面に倒れる自動人形。糸から逃れようと、ぎしぎしと軋む音をさせるが緩むこともほどける事もない。糸を斬ろうにも尾が長すぎて巧く行かないようだ。
「でかしたぞ源内殿!」
珍しく興奮気味に男が言うと、自動人形の胴体と尾の付け根に銃口をあて、引き金を引いた。破裂音と共に、尾が地面に落ちる。
続いて男は手際よく銃弾を装填し直すと後ろ足、前足、頭の順に破壊し、完全に自動人形を沈黙させた。
「なるほど、糸を弾にした銃か」
自動人形から蒸気機関を取り出す作業をする俺に、男が話しかけた。
「えぇ、まぁ普通の銃は効きそうに無かったんで、動きを止められれば、と思いやして」
「うむ、いやそれは良い判断だった。おかげで助かった。感謝する」
「やめて下せぇ、旦那。旦那が居なかったら、いや旦那が来てくれなかったら俺はどうする事も出来なかったんでさ。お互い様です。それに――」
言って、男を見る。にやりと笑ってから、言葉を続けた。
「俺達はこれから二人で空を目指すんでさ。どっちが助けたとか、助けられたとか止めやしょうや」
「うむ、そうだな」
男は豪快に笑った。悪魔的な笑みを見せる反面、このような裏表の無さそうな笑い方もする。不思議な男だ。
「それにしても旦那、何でこいつは俺の首を狙ったんですかね。辻斬りは腕を斬り落とすんじゃなかったんで?」
そのおかげで刃の軌道が単調になり、何とか刃を避ける事が出来たのだ。
「なに、それはそなたが髪をくくるのに糸を使っているからだ。どうやらその窮奇は赤い糸を集めていたようだからな」
窮奇とは、自動人形の事だ。胴体を分解している時、胸を覆っていた板の裏に書かれていた。直感的に、自動人形の名前だと思った。
「ふぅん、何でまた赤い糸なんかを」
「大方、窮奇を作った者は好いていた女子を射止めたかったのだろう。窮奇がその願いを歪んだ形で叶え、結果として相手の命を奪う事になるとは知らずにな。その後、窮奇は棄てられたのだろうな。そして、最初に与えられた命令をずっと実行していた。それが、辻斬りの正体だ」
「……悪ィが旦那、まだ見えやせん。何で赤い糸を集めるのが、女を落とすになるんで?」
俺が言うと男は呆れたような顔をした。
「何だ、そなたは知らぬのか。確か大陸から伝わった言い伝えで、赤い糸で繋がれた男女は、夫婦になる運命なのだそうだ。それが転じて、夫婦の契りとして好いている相手に赤い糸を贈るそうだぞ」
「なっ……!」
――その後、赤い糸を返せと桔梗に言い寄った源内が、怒り狂った桔梗に噛み付かれる事になるのだが、それはここで語る事ではない。
「……まったく、また巴の姐御にからかわれた、って事か」
「おや、そなたはあの桔梗と言う娘を好いているのではないか?」
「止して下せぇ、旦那。俺とあいつはそんなんじゃねぇです」
「そうか?」
「そうです」
暫し、無言で解体を続ける。男も何を考えているのか、黙ったままだ。
そして、十数分が過ぎた頃――
「……良し、外れやしたぜ、旦那」
やっと蒸気機関を外し終わった。自動人形――いや窮奇は、その大きさからは想像出来ないくらい複雑で緻密な構造をしていた。これを作ったのは、一体どんな人間なのかを考えると空恐ろしいものを感じた。
「うむ、これで二つ目、だな」
空はまだまだ遠いな、と男が笑った。
――そう言えば
「旦那。良く考えたら俺は旦那の名前を知らねぇや。これからやっていくんだ、教えてくれても良いんじゃねぇですかい?」
「おお、言われてみればそうだったな。儂はな、源内殿」
男はまた、あの悪魔のような笑みを見せて、雄大な態度で
「信長――織田信長と申す」
これからよろしく頼むぞ、源内殿、と男は言った。
なるほど――悪魔のようだと思ったあの笑みは、魔王のものだった、と言う事か……
「ん、どうした源内殿?」
俺が驚いていると、男、いや信長はからかうように話し掛けてきた。
「いや、何でもねぇですよ――信長の旦那」
まったく、旦那といると驚いてばかりで退屈しやせんね
言って、空を見上げる。
分厚い蒸気に覆われ、明けても暮れても暗い空だ。だがその向こうには青い空が広がっているのだ。
待ってろよ――と誰に言うでもなく、空に向かって呟いた。
やっと第一話が終わりました。当初の予定では三部で終わらせるつもりでしたが……何故こんなことに
なにはともあれ、これで話の方向性が分かったかと思います。
妖怪の名を冠した自動人形と戦いながら蒸気機関を集め、空を目指す。これが大枠です。
話のネタとして、皆さんの好きな妖怪を提供して下さったら狂喜乱舞します。その際は鳥山石燕の画図百鬼夜行シリーズから出して頂けるとありがたいです。
それでは、これからもお付き合い頂ければ幸いです。