第一話二部
「ふぅん、で、お前さんはその仕事を受けたのかえ?」
鼻にかかった声が耳に広がる。黒砂糖を放り込んだみたいにべたべたと残る甘ったるさを感じた。
「ぁん?受けちゃいねぇよ、んな怪しい仕事。俺ァ真っ当なからくり屋なんでね」
ぶっきらぼうにそう言うと女は心底愉しそうにころころと笑った。笑い声まで甘ったるい。
「真っ当なからくり屋ってなんだい?江戸広しとは言え、からくり屋なんて看板掲げてるのはお前さんだけじゃないかえ」
うるせぇと言って女を見る。下半身が丸々蜘蛛の身体になっている。すっと長い八本の脚を器用に折り畳んで座るその様は、見ようによっては西洋椅子に腰掛ける貴婦人のようにも思えた。
この女、名を巴と言い、古今東西、様々な糸を取り扱っている、てぐす屋と言う店の主人をしている。俺が産まれる前よりこの店を構えていると言う話だが、精々三十路前にしか見えない。
男から空を飛ぶ蒸気機械を作って欲しいと言われた次の日、俺はてぐす屋に足を運んだのだが、巴は俺の顔を見るなり「おや、変な顔してるね。昨日何かあったのかえ?」と訊いた。つられるように、昨日あった事を話していた。
「それで?その真っ当なからくり屋が妾の店にどんな糸をお求めかえ?」
「……細くて伸縮性があって丈夫な糸を三丈欲しい」
俺が言うと巴は整った眉をぴくりと動かした。
「ふぅん、豪く長いねぇ。また玩具かい?」
俺の仕事は主に機構の修理、製作を手掛けているが副収入として子ども向けの玩具も作っている。
蒸気機関程ではないにせよ、ぜんまいも高いので安価に済ませたい玩具製作の時は良く糸を使っているのだ。
「まぁそんなとこだ」
「おや、歯切れが悪いねぇ。妾の糸を変なことに使って貰っちゃ困るよ?」
「変なことってなんでぇ」
「さぁねぇ、ふふ」
言って妖艶な笑みを浮かべる巴。歯切れが悪いのはどっちだと言いたかったが、その笑みを見て、どうも調子を崩された。
「まぁ、お前さんとは長い付き合いだから、変なことに使わないって信じてるよ。ちょっと待っておいで」
言うが早いか巴はぞろぞろと足を動かして店の奥に引っ込んで行った。
「だから、変なことってなァなんでい」
その背中に声を掛けたが、届いたかどうかは分からない。
一人残され、手持ち無沙汰に周りを見渡す。色や太さが様々な糸が綺麗に整理並んでおり、まるで店全体が一つの絵のように思える。材料や工具が雑多に広がっている俺の店とは大違いだ。
ふと、真っ赤に染まった糸が吊るされているのが目に入った。その赤は周りから浮くほど鮮やかにその存在感を演出している。
吸い込まれるようにその糸を手にとった。上等な絹なのだろう、さらさらとした手触りだ。纏まっている糸を解すと一本一本がきらきらと光を反射しながら手を滑る。まるで濡れない水のように思えた。
「……おや、随分と御執心のようだが、それもお求めかえ?」
いつの間に戻ってきたのか、先程と同じく脚を折り畳んで座った巴がからかうように笑いながら話し掛けてきた。
「いや……随分と派手な色だが、こいつァ何に使う糸なんだ?」
俺が訊くと巴の笑みはより嗜虐的なものに変わった。
「ふふ、知らないのかえ?そうさねぇ……良いさ、それはただであげるさ、お前さんは御得意様だしね」
「おい、俺ァ別に欲しい訳じゃなくて、何に使うかを……」
「だから、まだ話は終わってないのさ。ただでやるから、それを桔梗ちゃんに渡しな。そうしたら分かるさ」
「なんでそこで桔梗のやつが出てくるんでぇ」
「ふふ、良いから。たまには歳上の言うことは聞いておくもんだよ」
すっ、と指で頬を撫でられる。巴の指はすぐに離れていったが、頬には冷たい感触が、鼻には妙に甘い匂いが残った。
「なんでぇ、姐御も香水かよ。流行ってんのか?」
「おや、この匂いに気付いたかえ?鈍感かと思っていたけど、意外と鋭いのかねぇ。でもね、これは違うのさ」
「違う?」
「あぁ。妾のこれは香水じゃなくて、妾自身から出ている匂いさ。蜘蛛は……牡を惹き付ける匂いを出すものさ」
言って、くっと上体を反らす。白い喉から軽く開いた胸元までが艶かしく動く様子が覗いて、思わず目を逸らした。
「おや純情だねぇ」
「はん、見たくもねぇ年増の胸元見せられちゃ誰だって目ェ逸らすわ」
「まぁそう言う事にしておこうかねぇ。ところで、さっきお前さんは妾も香水をつけているのか、って訊いたけど、他に誰が……って桔梗ちゃん以外に居ないか、お前さんの周りではさ」
聞くだけ野暮ってもんだったねェ、と猫撫で声で言った。伸ばした語尾が甘く絡み付いた。
「ちゃんと誉めたのかい?まさかそんな変な匂いより馬の小便嗅いだ方がましだ、なんて酷い事言ったんじゃないだろうね」
すっ、と目が細くなり、こちらを射竦める。
この巴と言う女、見た目や物腰だけ見れば高貴な家柄の出にも見えるのだが、そこはそれ、地上に住んでいるだけあって何かしら人には言えない過去があるのだろう。
「……言ってねぇよ」
小便臭いのは隠せない、とは言ったが
「そうかい?なら良いんだよ。ほら、お望みの糸だよ。値は袋に書いてあるからね」
すっかり忘れていたが、俺は糸を買いに来たのだ。一抱えはある袋の表を見ると、思っていたより高かった。
「ちょいと貴重な糸なんでね、少ォし値は高くなってるよ。何だったらつけとくかい?」
「いや、今払うよ」
確かに高かったが、払えない額ではない。釣りの無いよう、財布からぴったり払えるだけの硬貨を取り出した。
「……確かに頂戴したよ、毎度あり。今後とも是非、御贔屓に」
また、甘ったるい声が耳に広がる。何故だか気まずい気持ちが胸に広がり、俺は乱暴に袋を受け取るとすぐに踵を返した。
「あ、ちょいとお前さん。赤いのはちゃんと桔梗ちゃんにあげるんだよゥ」
そんな俺の背中を、巴の声が追い掛けてくる。その声もまた、甘かった。
「源の字、源の字。時計は直ったかい?」
てぐす屋から戻って一息ついたと思ったら、ばたばたと喧しく桔梗がやってきた。
「なんだよ藪から棒に。まだ出来てねぇよ」
「一日経ったのにまだ出来てないのかい?昨日はあたしの仕事が終わるまでには直すって言ったじゃないか」
「うるせぇな、なんかやる気が出ねぇんだよ」
時計の修理の事、忘れては居なかったのだが、言葉通りやる気になれなかった。
「ちょっと、それは困るよ。今日は仕事が無いから良いけど、明日からは絶対に遅れちゃ駄目なんだよ」
「あぁもう、分かったよ。ちょっと待ってろ」
これ以上やいやい言われるのは勘弁だ。抽斗の中から、少し大きめの懐中時計を引っ張り出してそれを桔梗に渡した。
「俺が前に使っていた時計だ。古いやつだからちっとでかいが、まぁ使えない事ァねぇだろ」
「……なんだい、渡すものってこれか」
桔梗は時計を手にぽつりと呟いた。
「ぁん?なんだってんだよ」
「さっき巴姐さんのとこに寄ってきたんだけどさ、なんかあんたがあたしに渡すものがある、って言うからさ」
「……あぁ」
――赤いのはちゃんと桔梗ちゃんにあげるんだよゥ
まるで耳元で囁かれているかのように、あの甘ったるい声が頭の中に響いた。
「これなんだがよ」
てぐす屋で包んで貰った袋から、あの赤い糸を取り出す。二本入っているが、二本とも渡せと言うことだろうか。とりあえず二本まとめて指で摘み桔梗の鼻先につき出した。
「これをお前ェに……って、なんだよ阿呆みてぇな面しやがって」
桔梗は口を大きく開け、糸と俺の顔を交互に見ていた。せわしなくて、見ているこっちも落ち着かない。
「こ、これ……あたしにくれるのかい?」
「ぁん?そうだよ。だからこれは――」
何の意味があるんだよ、と言いたかったが、桔梗は俺の言葉を遮り、肩を掴んで早口で言った。
「本当にあたしになんだよね?誰か他に渡してくれ、ってんじゃないんだよね?どうなんだい源の字」
「あ、あぁ……お前ェにだよ」
余りの剣幕に気圧された。興奮してるのか、ぐっと近付けられた桔梗の口からはしゅうしゅうと喉を鳴らす音がする。怖い。
少しの間、静寂が場を支配する。桔梗は悩んでいるのか目があっちに行ったりこっちに行ったり泳いでいる。表情も訝しんだり喜んだり恥ずかしがったり、ころころと変わる。
そして結局怒ったのか照れているのか、真っ赤な顔をして、俺の手からひったくるように糸を一本取った。
「しょ、しょうがないねェ源の字は。そんなに言うんなら悪いから貰っておいてやるよ」
特に強く言った覚えはないし、別に悪くもない。だがそう言う暇もなく、逃げるように桔梗は店を出ていった。
「……何だってんだよ、一体ェ」
ぽつんと残されて独りごちる。手には一本だけ、赤い糸が残っている。巴から二本渡されたが、一本は桔梗の、もう一本は俺のものと言うことか。
結局何に使うのか分からないままだが……さて、どうしたものか。
と、糸を覗き込んだ拍子に、肩口から髪が滑り落ちた。そう言えば暫く髪を切っておらず、大分長くなっている。
一旦気になると、不思議ととことん気になるものだ。急に鬱陶しく感じたので、とりあえずこの糸でくくっておく事にした。
糸自体はさらさらした手触りだったが結び目が緩むことはない。確かめるように纏めた髪を引いたり首を振ったりした。
ふと、時計を見る。午後二時半。昨日、雨が降りだした時間だ。
途端に、脳裏に昨日の事が甦る。あの男が空を飛ぶ蒸気機械を作れと言った、あれからの事が――
「あの竹とんぼと言う細工は良かったぞ。あれを大きくしたものを作ってくれ。平賀――源内殿」
「旦那……何だって俺の事を知ってるんでさ」
「何、最初から源内殿に用事があったのだ。ただ、雨宿りと言うの本当だ、この店を選んだのも、偶然だ」
言って、男は言葉を切って桔梗を見る。思わず、男の視線を割って入った。
「そなたがからくり屋と言うのでな、もしやと思ったが、そこの娘が源の字と呼んだ事で確信した。源のつくからくり師は、一人しか居らぬさ。いや、晴れてからまた探す手間が省けた」
「そいつはまた……直々の御指名感謝しやすぜ」
「そう身構えるな。何もそなたに害を為そうとは思っておらぬ」
男は笑って、俺の前に蒸気機関を置いた。
「改めて頼もう。平賀源内殿、これを使って空を飛ぶ蒸気機械を作ってくれ」
報酬ははずむぞ、そう言ってまた笑った。まるで悪魔か何かのような、とても縁起の悪いものに思える笑みだった。
つい、と袖が引かれる。見なくても分かる、桔梗だ。止めろ、と言いたいのだろう。
勿論、俺も受けるつもりはない。何に使うのかも、自身の素性すら言って居ないのだ。怪しいと言うまでもなく、断るべきだ。だが――
「一晩……考えさせちゃくれませんかね」
俺の口から出たのは、先延ばしだった。袖を引く力が強くなる。
「あい分かった。ならば……今は四時か。明日の同じ時刻に、再び訪ねよう。返答はそこで聞かせてもらおう」
男は言って笠と外套を取り戸を開けた。雨はもうやんでいた。
「旦那、忘れ物ですぜ」
俺の前には、まだ蒸気機関が置かれたままだった。
「いや、それは貸し付けよう。それがどれ程特別か試すが良い」
男は脱ぐ時と同じように、てきぱきと外套を羽織ると笠を脇に抱えて店を出ていった。
「……ちょっと源の字、どうして断らなかったんだい」
男が完全に遠ざかってから、桔梗が口を開いた。
「あれ絶対に怪しいって、何で明日まで待てとか言ったんだよ。まさか、受けるつもりじゃないだろうね」
「ンな訳あるか。ただ、あいつがどう出るか見たかっただけだよ」
俺が言うと桔梗は訝しむような視線を向けてきた。
「本当だろうね?……絶対に受けるんじゃないよ」
分かっている。受けるつもりはないし、返事を先延ばしにしたのも男の出方を見る為なのも本当だ。だけど――俺は何故か、あの男の、あの悪魔のような笑みを
信じても良いような、そんな気がしていた……
と、俺がぬるま湯のように過去に浸っていると
がらりと戸が開いた。
時計は一分一秒の遅れもなく、ぴったり午後四時をさしている。
「さて源内殿。返答を聞かせて頂けるかな」