『無能と切り捨てた婚約者が、私の命綱だったと知った時の顔』
「きみとの婚約を破棄する。愛するソニアと、共に歩むことに決めた」
王太子殿下の冷徹な宣告が、舞踏会の華やかな喧騒を切り裂いた。
私の婚約者であるはずの殿下は、侯爵令嬢ソニアの腰を抱き寄せ、私を蔑みの眼差しで見下ろしている。
「聖女の力も持たぬ無能な令嬢が、王妃の座に相応しいはずがない。出て行け、リネ」
周囲の貴族たちがクスクスと笑う。私は静かに頭を下げた。
「承知いたしました。ただ一つ、確認を」
私は懐から一冊の古びた帳簿を取り出した。これは代々、我がカーナ家が王家の「負の遺産」を管理してきた記録だ。
「婚約破棄に際し、これまでに殿下が浪費された国庫の隠し金、およびソニア様と結託して横流ししていた貴族たちの名簿……こちらを全て公表してもよろしいでしょうか?」
殿下の顔から血の気が引いた。
「な、何を馬鹿な」
「数字は嘘をつきませんから。殿下、貴方は私が『無能』だと言いましたが、私がこれまで数字を操作して、どれほど貴方の悪行を『聖女の奇跡』という名目で揉み消してきたか。……お忘れですか?」
会場が凍りつく。殿下の手が震え出した。彼は、自分の権力が私の冷徹な経理の上に成り立っていたことに、ようやく気づいたのだ。
「待て、それは!」
「愛するソニア様と、修道院で一生をかけて計算し直してください。膨大な債務と、貴方の罪の重さを」
私は合図を送った。王宮の警備兵たちが、顔面蒼白の殿下を取り囲む。
無能だと罵り、捨てたはずの婚約者が、実は自分の命綱だったと知った時の、あの歪んだ絶望。
私が最後に見たのは、ソニアに縋り付きながら泣き叫ぶ、王子の滑稽な姿。
私は王宮の重い扉を背に、夜風の冷たさを心地よく感じながら歩き出した。
誰からも愛されず、理解もされなかった孤独な日々は終わりだ。これからは、私の才を正当に評価する隣国の公爵家で、新しい人生を計算しよう。
背後で聞こえる悲鳴や怒号は、まるで私という最強の武器を失った者の、末路の調べのようだった。
計算外の事態に狂う殿下を見下ろしながら、私は一度も振り返らない。
終わったのだ。私を泥のように扱い、使い潰したこの国も、この男も。
夜空を見上げる。星が冷たく輝いていた。
彼らがこれから味わう、底なしの地獄。その詳細な予測図は、既に私の頭の中に完成している。
これが、私の最後の『整え』。
さようなら、愛という名の感情を欠落させた愚かな人々。あなたたちの破滅を、遠くから眺めさせてもらうわ。




