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第9話/0話 前日

 将斗がこの28番目の世界に現れる、三年前のこと――。


 世界は『魔王』の復活により、再び混沌に覆われていた。魔物たちは侵攻を開始し、人類はその圧倒的な力の前に苦戦を強いられていた。

 大地は魔物たちの蹂躙に晒され、人類はかつてない生存の危機に瀕している。

 この世界において最大の武力と領土を誇るグラディア王国は、周辺諸国と強固な同盟を結び、決死の抗戦線を張っていた。

 だが、戦況は泥沼を通り越し、明確な絶望へと傾きつつあった。


 湧き水のように際限なく溢れ出る魔物の軍勢に対し、血肉で出来た人間の兵士たちには限界がある。

 傷を負った者は包帯に血を滲ませたまま前線へ送られ、武具は刃こぼれを直す暇もなく酷使された。王国中に疲弊と死臭が蔓延し、希望という言葉はもはや空虚な響きに成り下がっていた。


 玉座の間には、連日、悲鳴のような戦況報告が届く。


「国王様! 同盟予定のクラウス王国が魔王軍に攻め込まれ、事実上、崩壊したとの報告です――」

「まさか隣国まで……。だが、あの地方には我が軍を配置していたはずだ。どうなっている――」

「――各軍とも長期戦で消耗が激しく、新たな兵を回すのは困難な状況です」

「ダグラ平野での大規模戦におけるカントル国への増援要請も、受理されたようです――」


 度重なる報告を前に、国王スカーレット・グラディアは、巨大な玉座に深く背を預けたまま沈黙していた。

 かつては業火のように赤く逆立ち、燃え盛る獅子と謳われた髪。一睨みで飛竜すら地にひれ伏させると恐れられた鋭い眼光。

 だが今の彼に、猛将の面影はない。

 眼窩は深く窪み、疲労の色が濃く刻まれたその顔は、連日の敗戦の重圧に押し潰されそうになっていた。

 それでも、玉座の肘掛けを握りしめる太い指先だけは、魔王への怒りと抗戦の意志で微かに震えている。


「……やはり、人間の力だけでは……立ち向かえぬのか……」

「父上――! 失礼いたします!」


 静まり返った玉座の間に、凛とした声が響き渡った。

 入ってきた青年は、王スカーレットの一人息子――王子グレン・グラディア。

 父の若い頃を写し取ったような燃える赤髪と、炎を宿した緋色の瞳を持つ青年である。

 彼は白銀の鎧を打ち鳴らして玉座の前に進み出ると、厳かに片膝をついた。


「ご報告いたします」


 グレンは数日前まで、魔王軍の不穏な動きが伝えられていた北方地方へ調査に赴いていた。

 帰還の予定期日を過ぎても連絡がなく、王は内心で最悪の事態を覚悟していた。だからこそ、五体満足で戻ってきた息子の姿に、王はわずかに息を吐き出す。

だが――顔を上げたグレンの表情は、泥と血埃に汚れ、ひどく強張っていた。


「父上。魔王軍は予想以上に戦力を蓄えておりました。その数……前回の侵攻の倍以上と見られます。それ以上の接近は不可能でした」

「……そうか。よく戻った、グレン」


 短く息を吐きながら、スカーレットは玉座にもたれた。

 幾度となく続く戦いで、兵の数は減り続けている。

 援軍を頼める国も、もはや余力を失って久しい。

 どれほど策を巡らせても、魔王軍の黒い勢いは止まらない。

 兵の士気は下がり、民の不安は募る一方だった。

 ――もはや、人間の手立ては尽きた。

 ただ一点を除いては。


「グレン。……話がある」

「はい、父上」


 王の声に応じたグレンは、思わず息をのむ。

 その瞳の奥に、久しく見なかった『炎』を見たからだ。

 長く続いた絶望の底で、なお消えぬ火。

 それは――この国に残された、最後の希望。 

 この希望が、やがて『神の領域』に踏み込む禁忌の決断へと繋がることを、このときの彼らはまだ知らなかった。



**********************************



「これが、父上がおっしゃっていた――勇者召喚の儀か」


 グレンは息を呑んだ。城の大広間の床には巨大な魔方陣が描かれ、その外側には蝋燭や松明、用途のわからぬ置物、使い古された剣などが整然と並べられている。匂いは、古びた油と蝋、そして何か薬品めいたものが混じる。頼りなげに揺れる炎が、床の文様をゆらゆらと踊らせていた。

 その魔方陣の周囲には、玉座に座する王と、王子グレン、護衛の兵士たちが十数人整列している。さらに中央近く――一人だけ長い紫の衣を纏った女性が立ち、手の巻物と周囲の配置を照らし合わせながら最終確認をしていた。


「問題なさそうか? レヴィ」

「なんだグレンか。邪魔だから下がってなさい」


 そのぞんざいな一言に、グレンの表情がぴくりと動いた。

 彼女のこうした物言いは、今に始まったことではない。初めて出会った日から、ずっとこんな調子だ。

 王宮魔法使いでありながら、礼節よりも自分の興味を優先する。

 その態度に、何度苦言を呈しても改まる気配はなかった。


――まったく、少しは立場をわきまえろと言いたい


 そう胸の内でぼやきつつも、口を開けばつい応じてしまうのが彼の悪い癖だった。


「ハァ……君のことだから、どこか抜け落ちてることだってあるだろう。気にかけてやったんだ。感謝したらどうだ」

「は? 私がこの魔方陣を完全再現するのにどっっっっれだけの苦労と努力があったか知らないの?」

「ただ書いてある通りに置くだけじゃないですか」

「はぁ~これだから脳筋王子は……こういうのはね、全体的な比率を合わせなきゃダメなの。この文字だって全部この床に合わせて大きくするのに一個一個計算しなきゃいけな……ああ~ごめんごめん。脳筋王子は頭が筋肉で出来てるからそういうことはわかりませんか~」

「はあ?」


 言葉の応酬が始まる。二人の口喧嘩はこの城の日常だ。兵士が慌てて宥めに入る光景にも、王は苦笑を浮かべつつも目を細める。


「いい加減にしろ。お前たち。これから――」

「国王~、お宅の息子さんちょっと態度がお悪うございませんか?」

「お前父上にどんな口の利き方をしているんだ!」

「お前たち、二度は言わんぞ」

「ごめんなさーい」「申し訳ございません」


 王は咳払いを一つして、整列した兵士たちの方へ静かに顔を向けた。


「皆に集まってもらったのは、他でもない。本日我々は――勇者召喚の儀を執り行う」


 その宣言に場内がざわつく。囁き声が走り、眉を寄せる者、首を傾げる者がいる。勇者召喚――それは伝承の中の出来事であり、現実に行うにはあまりにも非日常すぎる。懐疑的な兵士も少なくない。

 王は冷静に続けた。声は決して大きくはないが、揺るがぬ力を帯びている。


「勇者の話を御伽噺の類だとしか思わない者もいるだろう。今この場で私が何を為さんとしているのか、理解に苦しむ者があっても無理はない。だが、我が国を守るために必要ならば、用いるべき手段はすべて尽くす。それが王の務めである!」


 軍の士気も民の命も、王としての責務も――すべてを守るためならば、恥も失敗も厭わない。王の言葉は短いが重かった。事態の深刻さと、そこから生まれた強い決意が、広間の空気を一段と重くする。


「可能性があるなら、試す価値はある。たとえそれが禁忌の領域に触れることであっても、我々はやらねばならぬ」


 王の眼差しが、魔方陣の中心に向けられる。蝋燭の炎が、床の文様に不吉な影を刻む。外の風が大広間の窓を冷たく揺らし、一瞬、すべてが静まった。

 その姿を見てレヴィも語りだした。


「ちなみにこの私、王国で最強の魔法使いから言わせてもらうと、この魔方陣、多分だけど、必ず何かは出てくると思う。それが勇者なのかなんなのかはわからないけど召喚自体は成功するわよ」

「自分で最強と言うとは……」グレンは苦笑まじりに呟き、鼻で小さく笑った。


 彼の軽い反応とは対照的に、兵士たちは一斉にざわめいた。


「あのレヴィ様がそう言うなら……」「いやしかし……」「まさか魔物が出てくるんじゃ……」「罠ということは……」「だが、もし成功したら……!」


 彼らの声が波のように広がっていく。

 無理もない。王国で名を知らぬ者はいない、稀代の魔法使いレヴィ・ウィンダリアがそう断言したのだ。

 その言葉一つで、兵士たちの中に半信半疑の希望が灯っていた。

 王はそんな彼らを静かに見渡し、低く、よく通る声で告げた。


「皆、万が一の場合にも即座に対処できるよう、周囲の警戒を怠るな」

「僕も、状況次第では前に出る。ここには父上もいらっしゃるからな」


 グレンは声を張り上げ、兵士たちの士気を高めるように言った。

 彼のその言葉に呼応するように、兵士たちは一斉に姿勢を正す。

 その横で、レヴィが口元を押さえて小声でぼそり。


「……私がいるし、正直あんたいらないけどね」

「聞こえてるぞ」

「わざとよ」


 そんな軽口の応酬が、わずかに漂っていた張り詰めた空気を和らげた。


 それでも兵士たちは、王子の存在に大きな安心感を覚えている。

 数々の戦場で名を上げた剣の才は、もはや王国の象徴の一つ。彼がここにいるだけで、誰もが『万が一』を想定しながらも、どこか心強さを感じていた。

 そして、王――スカーレット・グラディアはゆっくりと立ち上がる。

 玉座の間に沈黙が降りた。

 その静寂の中、王は威厳ある声で告げる。


「覚悟はいいな。これより――勇者召喚の儀を執り行う。全員、配置につけ!」



************************************


 

 兵士たちがそれぞれの持ち場についたのを確認し、王が小さく頷いた。

 その合図を受け、レヴィは巻物を広げると、淡々と呪文を唱え始めた。

 その言葉は、もはやこの時代では失われた古代語。

 意味を理解できる者は、彼女を除いて一人もいない。

 広間に、低く響く声と、魔方陣の淡い光だけが満ちていく。

 空気がわずかに震え、床を這うように光が広がった。


「おお……」「成功したのか?」「まだだ、まだ勇者が現れたと決まったわけではない!」


 緊張と期待が入り混じったざわめきが上がる。

 何が現れるのか――人か、魔か。

 わずかに膝を震わせる兵士も出始めたその時。


「集中しろ! 何が出るかはわからん、構えを崩すな!」


 グレンが声を張り上げ、兵士たちを叱咤する。

 その直後、レヴィの呪声がひときわ高くなった。

 魔方陣の光は暴走したように増していき――

 ――次の瞬間、爆ぜるような閃光が広間を包み込んだ。


 誰もが反射的に目を覆う。

 鼓膜を打つのは、低い風鳴りと、かすかな電流の音。

 やがて光が収まった時、広間の中央に――それは立っていた。


「ここが、目的の……?」


 呆けたような声。

 次の瞬間、男は自分の周囲を見渡し、目を輝かせる。


「おおっ!? 鎧! 本物の兵士だ! うわ、魔法使いっぽい人もいる! 王冠!? ってことは……まさか……王様!? 嘘だろ!? 本当に……来たんだ、異世界に! やった、やったぁぁぁ!!」


 跳ねるように喜びを爆発させるその姿に、兵士たちは言葉を失った。


「人間……か? だとしたら、あれが勇者なのか」


 グレンが小さく呟く。

 だが、目の前の男からは、物語で聞いた《《勇者像》》のような威厳も静けさも感じられなかった。

 喜びに溺れたその笑顔は、ただ無邪気で――いや、どこか、危うかった。


「なにあれ……嘘でしょ。こんなのが……」


 隣で、レヴィが震える声を漏らした。


「どうした? キミらしくもない」

「黙ってなさい、アホ王子」

「何だと?」


 彼女はグレンを睨みもせずに言い放つ。声が震えている。


「いい加減その言葉遣いは何とかならないのか……それで、いったい何が――」

「わかんないでしょ、あんたには。教えてあげる」


 レヴィの視線は、はしゃぎ回るあの存在をまっすぐ射抜いていた。

 天才魔法使いである彼女の眼にだけは、見えていた。

 その男の体から漏れ出す、城をも飲み込むほどの真っ黒な奔流が。


「――魔力量が異常すぎる。あれが同じ人間? 冗談でしょ」


――これが、すべての始まりだった。


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