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第8話 レジスタンス

 ――陽だまりの中に立っていた。

 どこか懐かしい、けれど思い出せない場所。

 

「ここは……」


――戻って


 背後から声がした。

 振り返ろうとした瞬間、視界は白く滲み、世界が溶けていく。

 その声の主が誰なのか、確かめる間もなく。


「またね」

「待っ――!」


 手を伸ばしたところで、現実の空気が胸に戻る。

 夢か、と深呼吸した瞬間、差し込む陽の光に――血の気が引いた。


「やべぇ一限! ……は……無いじゃん」

 

 大学は行けないから、焦る必要はなかった。


 落ち着いて周りを見ると、そこは木造りの部屋だった。

 白いベッドの上で将斗は寝ていた。


 身に着けているのは見慣れない服。粗めの麻布でできたシャツのようなものとズボン。

 寝ぼけた頭が少しずつ現実を思い出していく。


 神様との邂逅。

 それから草原を駆け、魔法を撃たれ、仲良くなったと思った相手に裏切られ、夜にはチンピラ三人と死闘を演じた。

 夢としか思えない出来事ばかりだ。

 だが、この見知らぬ部屋で目を覚ました現実が、あの昨日の続きであることを、何よりも雄弁に物語っていた。


「……寝るか」


 差し込む日差しが優しく肌を撫でる。

 まるで「もう少しだけ休んでいけ」と語りかけるように。

 この温かさ、どこかで感じたことがある――そうだ、神様の部屋のあの陽気だ。


 違うのは、こちらの方が少しだけ広く、そして埃っぽい現実味があるということ。

 奥にも手前にも扉がある。最悪、逃走は可能。


「……っと、期限あるんだった」


 閉じかけた瞼を無理やりこじ開ける。

 まだ頭の奥がぼんやりしている。

 思考をはっきりさせるために、将斗は頭に手をやった。


「あれ? そうだ、怪我……」

 

 ベタついた血の感触も、ズキズキとした痛みもない。

 途端に、昨日の夜の記憶が蘇る。

 路地裏での戦い――倒れる瞬間、確かに頭から血が流れていたはずだった。金属棒で殴られた脇腹も、内臓が破裂しそうなほど痛かった記憶がある。

 なのに、今はどこにも傷がない。

 それどころか、全身の打撲も擦り傷も、まるで最初からなかったかのように綺麗に消えている。


「なん、なんだ? え、あれってやっぱり夢? どういう事――」


 自分の体を確かめているうちに、頬を伝うものがあった。

 涙だった。


「……なんだこれ?」


 照れ隠しのようにそう呟いたところで――


「あっ、お兄さん! よかった、起きたんだ!」


 ドタドタと駆け寄る足音が聞こえ、次の瞬間、扉が勢いよく開いた。

 光が差し込み、部屋が一気に賑やかになる。

 そこに立っていたのは――昨日、将斗が助けたあの少年たちだった。


「お兄さん昨日はありがとう」

「ほら、レイもお礼言いな」と後ろに隠れている弟を呼んだ。


 扉の前で、少年がぱっと笑顔を咲かせた。

 その後ろから、もう一人の小さな影が顔を覗かせる。兄の背中に隠れ、恥ずかしそうにこちらを見ていた。


「……おにーさんありがとう」


 小さな声に、将斗は思わず頬を緩めた。

 どこか懐かしい――そんな温かさを感じる。


「どういたしまして。無事でよかった」


 そう言いながら胸の奥にふっと安堵が広がった。

 あれが夢ではなかった証拠だ。

 でなければ、人生初の命のやり取りが、ただのオタクの痛い妄想で終わるところだった。


「僕はシュウ、こっちは弟のレイ。お兄さんは何て言うの?」

「俺は将斗。ここは二人の家?」

「ううん、ここはね」

「――ここは僕の家だ」


 声が割り込むようにして響いた。

 開かれた扉の向こうから、赤い髪を揺らしながら青年が現れる。

 陽の光を受け、深い緋色の瞳がこちらを見据えた。

 その目に、将斗は見覚えがあった。――昨日、闇の中で自分を見ていた瞳だ。


「……もしかして昨日助けてくれた人……ですかね」

「ああ。けれど助けられたのは僕らの方さ」


 青年は微笑みながら歩み寄り、手を差し出した。


「僕はグレン。よろしく」


 差し出された手を握る。

 彼は整った顔立ちに柔らかな雰囲気を纏いながらも、握った手からは剣士のような分厚いタコと芯の強さが滲んでいる。

 ただし、服だけは将斗と同じ麻布製で、どこかアンバランスだった。


「ベッドありがとうございます。傷の手当てもグレンさんが?」

「それは僕ではないよ。治療してくれた人は別にいるけど……今は少し忙しくてね。いずれ紹介するよ」


 そう言って、グレンはベッドの傍らに服の束を置いた。

 昨日まで将斗が着ていた服だ。土埃は落とされているが、白かったシャツにはピンク色の染みが残っている。

 

「昨日の夜のことだけど、この子達はただ因縁をつけられたらしい。君が来てくれて本当に助かったよ」

「いやいや、俺も後先考えずに突っ走ったせいで、こんな手間かけさせてしまってるし……」

「むしろそうさせてくれなければ、返すものがないよ。この子達は僕らの仲間だから、本当に感謝している。改めて本当にありがとう」


 グレンが静かに頭を下げる。

 続いて、シュウとレイもぴょこんと並んで「ありがとー!」と声を揃えた。

 胸の奥がじんわりと温かくなる。


 最近じゃ、誰かに感謝されるような生き方なんてしてこなかった。

 その言葉が、今までの何もなかった退屈な日々をそっと包み込むように響く。

 ――将斗は、不意に泣きそうになった。


「さて。シュウ、僕らは少し大人の内緒話をするから。外で遊んできてくれるかい?」

「うん、わかった。レイ、行こ」

「えー、まだいるー」


 不満を漏らす弟の手を引きながら、シュウは笑って部屋を出ていく。

 グレンは静かに扉を閉めると、その瞬間、穏やかな笑顔をすっと引いた。

 瞳の色が変わったように見えた――張り詰めた空気が部屋を満たす。


「――将斗。君に、紹介したい人がいる」

「紹介……ですか?」

「ああ。その前に一つだけ説明をしておこう」


 グレンは背筋を伸ばし、慎重に言葉を選ぶように口を開いた。


「先ほど仲間と呼ばせてもらったが、僕たちはただの友人関係ではない。我々は、ある組織に属している。――組織の名は『レジスタンス』」

「……ほお」


 その単語を聞いた瞬間、将斗の中の異世界モノセンサーがピクッと反応した。

 『レジスタンス』。

 異世界でも、近未来でも、男の子の心をくすぐる響きである。

 こういう言葉に弱いのは、きっと世界共通だ。


「意味は分かるかい?」

「反抗する人たち、的な?」

「そうだ。聞いてはいたが、やはり君は、古代言語を理解できるんだね」

「いや、英語だし……――ん? ()()()って?」

「すまない。説明より、先に紹介を済ませよう」


 グレンの表情が、さらに硬くなった。

 将斗の背中を、冷たい汗が伝う。

 古代言語と呼ばれる英語。


 その意味を問うこのやり取り。 

 そしてグレンの「やはり」という言葉。

 どこか既視感のある流れに、心の奥がざわついた。


「もういい。入ってくれ――話はしてある」


 グレンが、扉の向こうに向かって声をかける。

 先ほど子どもたちが出て行った扉ではない。

 部屋の奥、別の通路へと続く扉が、静かに開いた。


「将斗、落ち着いて聞いてほしい。彼女は――僕らの仲間の一人」


 カツ、カツ、と足音が近づく。

 ゆったりとした足取りで、深い紫のドレスを纏った女性が姿を現した。

 髪は深い黒色、瞳は鋭く黄色に光り将斗を捉えて離さない。


「――レヴィ・ウィンダリアだ」

「……うわ」


 その名前を聞いた瞬間、思考が一瞬止まった。

 鈴木雄矢の仲間――レヴィ・ウィンダリア。


「っ!」反射的に、将斗はベッドの枠に手をかけ、逃げ出そうとした。

 

 ――しかし、しなかった。

 何か、胸の奥に引っかかる感覚があった。本当にこいつは敵なのか? という疑念が、足を止めた。


 レヴィはそんな将斗をじっと見つめ、「ふーん」と鼻を鳴らした。

 その声音には、明らかに棘がある。

 

「今回は逃げないんだ」

「いや、結構迷ってるところ……」

「何それ」


 呆れ顔のレヴィ。

 その表情に、グレンがわずかに苦笑を漏らした。

 重苦しかった空気が、少しだけ和らぐ。

 だが将斗の胸中は――まだざわめいたままだった。


「グレンさん。レヴィも『レジスタンス』なんですよね。じゃあ、『レジスタンス』したい相手は誰なんですか」

「……この国で反抗すべき人間は一人しかいない――鈴木雄矢、ただ一人だ」


 その言葉に、将斗は全身から一気に緊張を抜いた。


「ってことは、レヴィは雄矢の仲間じゃないってことか……」

「はぁ? なんでそう思ったのよ」


 彼女が膨れっ面を作っていた。


「いやいや、あんな雰囲気で「私は雄矢と共に魔王を屠った女ァ――」なんて言われたら逃げるだろ!?」

「そんな言い方してなくない?!」

「レヴィ……そんなこと言ったのか」

「だからそんな言い方はしてない!」


 言っていないことにさらに頬を膨らませるレヴィを見て、将斗は自然と安心した。

 敵ではなく、同じ目的を持つ仲間――それだけで気持ちは軽くなる。


「雄矢を狙ってるなら俺と目的が一致してる。逃げる必要なかったな。ごめん」

「……私もごめん。ちゃんと説明すればよかった」

「俺もよかったよ。敵じゃなくて。また会えてめっちゃ嬉しい」

「そ、そう……」


 彼女は明後日の方を向いた。


 将斗の胸は安堵していた。

 しかし彼が喜ぶのとは対照的に、レヴィは俯き、口を少し噤んだまま小さく言った。


「……その、将斗が雄矢を狙ってるなら、一つ踏み込んだお願いをさせて」

「げ……」


 お願いという言葉に碌な物がなく一瞬身構えた。

 しかし、アレよりはマシだろうと将斗は緊張をすぐに解いた。


「――雄矢を殺すのだけはやめて欲しいの」


 将斗は瞬きを繰り返した。


「そのつもりは全然無いけど……?」


「えっ……」とレヴィが固まっていた。


「殺さないの?」

「殺さないよ」

「転生者なのに?」

「……そこイコールなのか?」


「ん?」とレヴィは眉をひそめる。


「魔王が生まれたから雄矢が来たわけでしょ? てっきり雄矢が魔王と認定されたから将斗が来たと思ってたけど?」

「違う違う。俺は鈴木雄矢が持ってる『無限魔力インフィニティ』を返してもらうために来ただけで……」

「そうなの?!」


 彼女は驚いた表情のまま、グレンと目を合わせた。

 グレンはため息をつき、ゆっくりと言葉を発する。


「つまり、レヴィの早とちりだったわけだ」

「……ごめん」



************************************


 誤解が解け、張り詰めていた空気が緩むと、グレンの提案で将斗とレヴィは互いの立場と目的を話し合う時間を持つことになった。


 まず、将斗がここに来た理由を説明した。

 異世界転生という数奇な運命。

 そして、雄矢の手中にある神のスキル『無限魔力インフィニティ』を回収すること。それは全能であるはずの神からの押し付けられた依頼であることも、包み隠さず伝えた。


 一方、レヴィとグレンから得られた情報は、重要だった。


 まず、レジスタンスの最終目的。

 それは、『雄矢を殺すこと』にあるという。

 組織のメンバーは、狂王と化した雄矢の手で家族や友を理不尽に失った者たちで構成されている。彼らの心に渦巻く復讐の念は深く、ただ王の座から引き摺り下ろすだけでは決して満たされない。

 しかし、雄矢自身は『無限の魔力』を持ち、魔王を討った規格外の怪物である。真正面から戦いが起これば、組織の多くの命が無駄に失われるのは避けられない。

 

 だからこそ、レヴィとグレンは本隊とは別の策を取っていた。

 雄矢を殺すのではなく、改心させることを目的に動き始めていたのだ。

 組織の暗殺作戦が実行される前に、二人だけで雄矢のもとへ赴き、説得を試みるつもりであった。

 しかし、どうであれ雄矢の抵抗に遭い、戦いは避けられない。

 そのためにレヴィは事前に他国へ赴き、対・雄矢用の対策を練った。そして完成した『策』を携え、戻る途中で出会ったのが将斗だった。


 要はレジスタンス内でも二人は『不殺』を掲げる別動隊ということらしい。


「対策ってのが、まずこれね『黒剣アニリオ』」

 

 レヴィが布に包まれていた細身の長剣を机に置いた。

 ゴトッ、と重い音が響く。

 真っ黒に染まった刀身は、表面がざらついていて、部屋の陽の光を一切反射せず、むしろ周囲の明るさを吸い込むような不気味な質感をしている。

 元の世界では到底お目にかかれないファンタジーの結晶のような代物に、将斗の目が少年のように輝いた。

 

「隣の隣の国にいる凄腕の鍛治師に特注で作ってもらった代物でね。これに斬られた魔法は、魔法そのものを構成してる魔力が崩されて、消滅する」

「すげ……対魔法使い武器じゃん」


 要は『魔法を斬れる剣』ということだ。

 飛んでくる火球を一刀両断に斬り裂く姿を想像し、将斗は心の中で小さく「カッコいい」と呟いた。

 だが、グレンが自然な動作でその剣を自分の腰に収めるのを見て、自分の出番ではないと悟り、ひっそりと肩を落とした。


「もう一つは『魔法障壁』。私が開発した無属性魔法の一つ」

「属性……はなんとなくわかるからいいや。無属性ってことは『催眠魔法』とかと同じ系統?」

「そう。これは魔力を高速回転させて障壁を作る魔法。これも、当たった魔法の魔力が霧散して消滅させられるもの。将斗にも教えたいけど、魔力が操れないなら無理ね」

「くっ……」


 対策はこの二つ――と、レヴィは言い終えた。

 どちらも攻撃ではなく魔法の消滅を軸にした防御的な手段だ。

 裏を返せば、まるで彼女たちは雄矢の放つ魔法を心の底から恐れているように見えた。

 まだ将斗には雄矢の魔法の本当の規模が掴めていないが、少なくとも超一流であるレヴィを遥かに凌駕する以上であることは、彼女の微かに震える声音から推し量れた。


「魔法使い対策は万全って感じだな。それで改心の方は? どうやって説得しようとしてたんだ?」

「当初はレヴィの催眠魔法で雄矢がああなった原因を無理やり吐かせよう思っていた。しかし、相手は無限の魔力を持っている。昨日の君のように、強大な魔力で弾かれることもある。恥ずかしい話だが、本当はこれといった打つ手は無かった」

「だけど、あんたの『回収コレクト』があれば、この策は現実的になる」


 『無限魔力インフィニティ』の回収さえできれば、いかに雄矢といえど無尽蔵に魔法を使い続けることはできず、いずれ限界がくる。

 そのあとであれば、催眠魔法を使う隙ができる――そういう理屈らしい。

 

「どうだろう。僕らと手を組んでくれないか」 

「組む組む! むしろ、よろしくお願いします。俺もスキルを奪えるとしてどうやって近づくか悩んでたし」


 レヴィが「良かったー」と天を仰いだ。

 将斗にとっても、手を組まない選択肢はない。

 『回収コレクト』は対象に直接触れて発動するもの。

 グレンの黒剣と、レヴィの障壁で魔法を無効化できるのなら、雄矢の懐に接近するチャンスも生まれる。


「ありがとう、これで犠牲を出さずに済む」


 グレンは笑った。

 そのまっすぐな期待の目に少し、将斗は緊張を覚える。

 果たして都合良くいくのかどうか。


「でもさ、改心って言ってるけど、根っから危ないヤツだったらどうするんだ? 改心も何もないんじゃないか?」

「それは無い……と思うわ。雄矢は元々、あんな風に誰かを傷つけるような人じゃなかったもの」

「そうなのか……?」


 魔王を倒し、国を乗っ取った暴君。思っていた人物像とかけ離れた意見に、将斗は首を傾げた。

 一方、グレンは何も言わず、ただ静かに黙っていた。


「……雄矢が何をしたかは、神様から超軽く教えられてたけど、あんま詳細知らないんだよな。どういうやつかもよくわかってないし」


 レヴィはその問いにひどく苦い顔をした。


「どうして、ああなったのかは私にも分からないけど……」


 そう言ったレヴィの瞳が、ふと水面のように揺らいだ。

 短く吐き出された言葉のあと、部屋に重い静寂が訪れた。

 そして、何かを振り切るように決心したようにレヴィが顔を上げる。


「そうね。長くなるけど、話しておこうかな。雄矢がこの世界に来てから、狂った王になるまでの話を」


 その静かな声に、将斗は無意識に息を呑んだ。

 部屋に射す光は穏やかなのに、胸の奥だけが冷えていく。

 人が語る過去というものは、たいてい痛みを伴う。

 それが、今まさに討とうとしている相手の話ならなおさらだ。

 レヴィの瞳は、ここにいない誰かを遠くを見つめていた。


 懐かしさと、押し殺した悲しみが滲むその横顔に、将斗は何も言えな買った。

 ただ静かに頷き、彼女の言葉を待った。

 

「私が戦う理由も、グレンが戦う理由も、全てそこにあるから――」

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