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第7話 路地裏の正義

「――正義の味方……だ……です」


 渋い顔をしていた将斗に、視線が集まる。

 

 チンピラの三人の動きが固まっていた。

 薄暗い路地裏に、奇妙な静寂が落ちる。


「誰だ? ふざけてんのかテメェ」


 一人の男がズカズカと歩いてきて、拳を振り上げる。

 躊躇なく振り上げられた暴力に将斗は驚いて動けない。


「ちょっ待っ――!」

「オラッ!」


 怒声と同時に、前触れもなく拳が飛んできた。

 ゴッ、という肉を打つ鈍い音が、狭い路地に響き渡る。


「っ……いってぇ……」


 声を漏らしたのは将斗の方だった。だが、彼は一歩も動いていない。

 殴ってきた男が、目を疑いながら一歩後ずさる。

 簡単にぶっ飛ばせると思っていたのだろう。

 顔面に拳が当たったまま、将斗は目の端で涙を浮かべていた。


「痛ぇだろうがっ!」


 叫ぶと同時に、無我夢中で右拳を振り抜いた。

 ごう、と空気を裂く音がした直後、殴られた男の体が、まるで重力を失った紙屑のように宙を舞った。

 

 そのまま嫌な音を立てて地面に崩れ落ち、ピクリとも動かない。


「え……やばっ、死んでないよな。あ、あの、大丈夫ですか?」


 自分の放った異常な威力に一番引いているのは将斗だった。

 当事者ではあるが、駆け寄って様子を確かめていた。


「う、うるせぇ……何だテメェは」


 うめき声はある。良かった、生きていた。

 将斗は胸をなでおろす。対して動いてもないのに、安堵と混乱が入り混じって、息が荒くなっていた。


「てか『超強化』でも痛いの何……? どこが強化だよ」


 口内に生暖かい鉄の味が広がる。頬の内側を切ったらしい。

 殴った右手の甲がじんじんと熱を持ち、心臓がうるさいほどに跳ねている。

 痛みのせいで、勝手に涙が溢れてくる。殴り合いの喧嘩は初めてだ。

 将斗の人生において喧嘩など、小学生の時に服を引っ張り合ったあの時くらいなものだ。

 

「おい、やンぞ」

「……ああ」


 路地の奥の暗がりから、残る二人がゆっくりと姿を現した。

 一人は、錆びた金属棒を手のひらに打ち付けながら、品定めるようにこちらを睨みつけている。もう一人は、丸太のような腕と、筋肉でシャツがはち切れんばかりの大男だった。

 ギリッ、と大男が靴の裏で石をすり潰し、ズカズカと間合いを詰めてくる。その巨体が迫るだけで、路地の空気が異様に重く感じられた。金属棒を持った方が少し後ろに続く。


 その後ろでは、少年たちが壁際に身を寄せ、震えながら成り行きを見ている。

 将斗は一瞬、彼らの位置を確認し――心を決めた。


「お前、俺と同じくらいだよな。背」


 金属棒を持ったチンピラに指差して言った。


「あァ?」

「『交換チェンジ』」


 視界が切り替わった瞬間、目の前には大男の隙だらけの背中があった。

 すぐさま全体重を乗せたタックルを見舞う。


「うおっ?!」


 不意を突かれた巨体がたたらを踏んで倒れ込む。しかし大男は、すぐに砂利を削りながら身を起こそうとしていた。その向こうでは、金属棒を持ったチンピラが、突如として自分が最後尾に転移した異常事態に、目を白黒させて戸惑っている。


「チッ……こいつスキル持ちか」

「なァにしてんだ、ガク! 立て!」


 チンピラは金属棒を壁に打ち付けながら、大男を叱責していた。


 将斗は息を吐き、少年二人をかばうように立ちはだかった。

 敵が動揺している隙に、将斗は一度振り返る。

 少年たちの顔は怯えと希望の入り混じった目をしていた。

 血の痕や、紫色に鬱血した肌が見える。明らかに年下な子供たちによくここまでできるなと、将斗の胸の奥で黒い怒りが湧いてきた。

 だがひとまずは早く逃げてもらわないと。


「大丈夫か。早く逃げ――」

「お兄さん、後ろっ!!」


 その警告と同時に、空気を裂く鋭い音がした。

 振り向いた瞬間、視界が真っ白に弾け飛ぶ。

 側頭部に硬く冷たい金属の感触。次の瞬間には世界が傾き、顔面から無骨な石畳に激突していた。


「……っ、あ、痛ッてぇ……!」


 頭が割れるように痛む。

 視界が揺れている。耳の奥でキーンという耳鳴りが響き、打ち付けられた場所が、灼熱の金属棒でも押し付けられているかのように熱い。


 あの金属の棒で殴られたのだ。

 霞んでいる視界の端で、再び棒を振り上げる影が見えた。

 将斗は咄嗟に相手の足首を掴み、思い切り引き抜いた。


「うわッ――!」


 バランスを崩した男が倒れ込み、ゴッ、と重い音が狭い路地に響いた。頭でも打ったのだろう、そのまま動かないでいてくれ。

 粉塵が舞い、静寂が落ちる。

 将斗は荒い息を吐きながら、血の味のする唇を拭った。

 倒れた時に頬の内側を切ったようで、鉄の味が消えない。


 その向こうで大男が肩を鳴らしながら立ち上がっていた。

 将斗もすぐに体勢を整え、両手の拳を作って胸の前へ構える。


 ――ポタッ。


 地面に赤い斑点が落ちた。

 咄嗟に頭に手をやると、血が流れていた。

 傷の程度に気づくと、相応の痛みが来るもので、鈍い痛みが遅れてやってきた。


「っ……」


 痛みのせいで勝手に流れてくる涙を拭い取り、視界を確保する。

 伸びているチンピラの横を抜け、ガタイのいい男が突進してくる。拳を構える将斗に、警戒せずに、まっすぐこちらへ。

 体格差が大きすぎる。正面から受け止めれば確実に押し負ける。

 即座に足元のチンピラへ目をやる。


「『交換チェンジ』!」

「ぐエェッ」


 足元の視界の中で、将斗と入れ替わった金属棒のチンピラが、大男の突進をモロに受けて吹き飛んだ。

 あの拳を食らっていたら、今ごろ自分が同じ姿だっただろう。


 将斗は仰向けになっていた。

 すぐに地面を蹴り、立ち上がる。


 寝ている相手と入れ替わると、自分が寝る体勢になる仕様だとこの時知った。

 そして、状況を飲み込めていない大男の腹へ、全力の右手を叩き込んだ。少年たちのいない方へ、思いっきり。

 型なんてものを将斗は知らない。

 ひたすらに全力を注いだ。


 ズドン――と砂袋が地面に叩きつけられたような重い音が響く。

 

「ぐぬっ……ふン!!」


 巨体が揺れ、後方に押しやられる。

 男は立ったまま耐え切ったかに見えたが、ゆっくりと膝をついた。

 効いている。

 そうでなければ右手を痛めた甲斐がない。


「お兄ちゃん!」


 後ろから少年の声。反射的に振り返る。


「許さねェ、調子乗りやがってェ!」


 振り向くと金属棒のチンピラが、再び起き上がり少年を蹴り飛ばしていた。

 大男のアレを喰らってまだ動けるあたり、ガリガリとした見かけによらずタフらしい。


「お前……流石にライン越えだろうが」

「アァ!? 黙れ、殺してやるよゴミが!!」


 チンピラが腕をクロスした。

 その言葉に、後ろで大男が焦ったように叫ぶ。


「おい、やめろ! こんなとこで使うな!!」

「うるせェ!!――『ブラックアウト』ッ!!」


 途端に、世界が黒一色に塗りつぶされた。

 何一つ見えない。空から差し込んでいた月光も、路地の石畳も。

 自分の手のひらでさえ、そこにあるのか分からないほどの絶対的な暗闇。

 全てが黒に染まっている。


「暗っ……黒っ?!」

「お兄ちゃん! どこ!」

「レイ、ここだ!」


 少年たちの声が響く。悲痛な叫びに今すぐ手を引いて連れ出してやりたいところだったが――全く見えない。


 瞬間、衝撃と共に視界が白く爆発した。


「がっ――?!」


 顔面の左側に、骨が軋むような痛みが走る。地面を転がったと認識する間もなく、今度は鳩尾に無慈悲な蹴りが突き刺さった。

 内臓がひっくり返り、吐瀉物が口からあふれそうになる。

 間髪入れることなく脇腹へ重く鋭い打撃が連続する。


「オラッ! 死ね! 死ねァ!」

「んぐっ……ううああああっ!」


 痛みに歯を食いしばり、声のする方へ無我夢中で拳を振り抜く。だが、空を切る。

 目を開けても、何も見えない――視界は、黒のままだ。

 何度闇雲に拳を振り回すが当たらない。

 どこだ、どこにいる。

 混乱する中、背中に鋭い衝撃が加わる。


「ぐっう……」

「ボケが! テメェみてェな正義ぶってるゴミが一番嫌いなんだよなァ!」


 声だけが聞こえる。

 でも右か、左か、後ろか。わからない。どこから攻撃が来ているのか、まるで掴めない。

 『超強化』された身体でも、骨身に染みる痛みが襲いかかる。理不尽なまでの恐怖が、将斗の心を締め上げる。

 腕を交差して頭と臓器を守ろうとするが、見えない金属棒は、嘲笑うかのように隙間を正確に打ち据えてくる。

 膝の関節を砕かれそうになり、顔面を弾かれ、意識の糸がブツリと切れかけた。

 

 暗い。

 全身が鉛のように重く、ただひたすらに痛い。

 頭がぐらぐらと揺れ、黒一面の世界がぐるぐると回っている。

 冷たい石畳に押し付けられた頬の下が、じっとりと濡れていた。

 粘り気があり、生暖かく、鉄の匂いがする。これは自分のだろう。


――血って、こんなに出て……いいんだっけ……?


 思考が薄れていく。

 耳だけが、かろうじて外の音を捉えている。


――これ……死ぬ……かも。


 バカな挑戦をしたと、後悔していた。


 せっかく異世界転生できて、奇跡的に生き延びれたのに。

 スキルを過信して正義の味方なんかするからこんなことになった。

 将斗はそうやって自分を責めようとした。


 そうして目を閉じようとした。


 その時、かすかに声がした。

 少年たちの声だ。


 あのチンピラは、今度は彼らに手を出しているようだった。


「――っ」

「――――!」


 もはや声の主の判別もできない。

 立ち上がろうとした。

 だが、指一本動かない。

 泣いているのは弟の方か。

 ならば強く怒鳴っているのは兄の方だろうか。


 黒の世界で、何も見えない。

 きっと少年たちも同じで――怖いはずだ。


 自分も受けたあの理不尽な攻撃を、彼らも受けている。

 だが、あのチンピラ一人だけはこの暗闇の中が見えているのだ。

 一方的に殴れる場所で、笑っている。


「痛ェか? 痛いよなァ! ヒハハッ!」


 憎たらしい声が、やたら鮮明に聞こえた。

 

 地面を擦る音、何かがぶつかる鈍い音。

 空振ったのだろうか、地面を撃つ金属音も聞こえる。


「おい、いい魔法を解け、衛兵が来たら洒落にならない!」

「るせェ!、こいつら殺したら終わりだァ!」


 将斗を挟んで言い合っている。


――殺す、誰を……あの子らをか?


 その瞬間、将斗の身体が内側から震えた。少年たちのすすり泣きが耳に刺さる。

 震えは恐怖ではない。胸の奥で、何かがぐつぐつと煮えたぎっているような、熱を伴った怒りだった。


「死ねやァ!」


 武器を振り上げたチンピラの後ろで、ジャリっと擦れる音が鳴る。


「――おい」


「へェ、立てんのか」


 チンピラの笑い声が、冷たく跳ね返る。


 将斗は細い路地の壁に血に塗れた左肩を預け、ずり上がるようにしてゆっくりと立ち上がっていた。

 血の味が口の中に広がるが、目はしっかりと、声のする方を捉えていた。


「今俺と……戦ってるトコだろうが」

「はァ?! よく言うぜ、今そこで倒れ」

「っは。ははは、ああ、そっか……」


 将斗は、嘲るように鼻先で笑った。声は震えている。

 でも言わなきゃならない。少年たちから注意を逸らして、自分の方に集中してもらわなければならない。

 あとはただ単に――ムカつくから。

 

「しょうがないか、誰と戦ってたかも忘れちゃうもんな? 頭足んなさそうだし、しょうがないか」

「……テメェ、殺スぞ」

「それともご自分のショボい手品で、何も見えなくなってんのか? 間抜けだなァ!?」


 言い方を真似てやった。最大限にバカにしてやった。


「殺ス!」


 狙い通り、殺意がこちらに向けられた。

 ガガガッと鉄の擦れる音、荒い呼吸。走り出した足音が迫ってくる。

 次の一撃が来れば、本当に終わるかもしれない。将斗は深く息を吸い、目をぎゅっと開いた。


 ――金属棒が、空気を裂くように振り上げられる音。

 未だ相手の姿は肉眼では見えない。

 だが――別の視覚が、確実に「それ」を捉えていた。

 黒みのかかった靄。

 この絶対の暗闇そのものが、濃密な()()の流れで構成されている。

 レヴィとのやりとりで魔力を『視る』感覚を掴んだ将斗の眼には、黒い空間に漂う魔力の奔流がはっきりと見えていた。


 これは魔法が生み出す黒の霧。

 その中で、前方にぽっかりと空いた《《魔力の抜けた空間》》がある。

 ――人間の形をした、魔力の空白地帯。

 魔法使い本人の肉体がある場所だけ、不自然に魔力が存在しないのだ。

 それが――明確な殺意を伴って迫ってきている。


 あと一歩。


 ――今だ。


 将斗は壁を蹴って、体勢を低く沈み込ませ、横方向へ飛びのいた。

 直後、耳元で空気を切り裂く音とともに、金属棒が体のすぐそばを駆け抜ける。頬を掠めた風圧だけでも肌が切れるように鋭かった。

 けたたましい金属音と共に、硬い壁が鈍く削られる音がした。壁を挟み撃ちにする形で殴るつもりだったのだろう。

 

「なッ?!」


 黒靄の向こうに驚愕の声の主がいる。

 避けるなんて思わなかったんだろう。


 この距離なら、もう魔力の空白を見なくても相手の位置はわかる。

 驚きに間抜けに口を開けた顔が、すぐそこにあるはずだ。

 将斗は反射的に、足腰のバネから生み出される全体重を右の拳に乗せて、真っ直ぐに突き出した。


――拳の先で何かが潰れるような、生々しい手応え。


 そのまま勢い任せに押し込み、相手の体をすぐそこの壁に激突させた。

 硬いものと柔らかいものが同時に砕けるような音――重い衝撃が肩まで伝わってくる。肘が痛い。力任せの代償がありそうだ。


 倒せたのだろうか。念の為もう一撃でも入れて――そう考えていた時、黒い視界が晴れていった。

 目の前には、頬を撃ち抜かれ、壁と将斗の拳の間に挟まれながら呻くチンピラの姿。

 息が荒い。意識を奪えるほどではなかったらしい。

 チンピラはカッと目を開くと、そのまま金属棒を振り抜き、将斗の脇腹に直撃させた。


「ぐッ……!」


 重い痛みが腹に広がる。破裂して反対側から中身が出てくるかと思うほどだった。


 だが――もう怯えない。崩れない。

 さっきよりも力は弱かったからだ。

 相手の腕も震えている。多少なりダメージは入っている。


「ぶァッ……効かねェんだよ、ゴミが」


 チンピラが地面に血の唾を吐き捨てる。

 虚勢だろう。

 フラつきながらの台詞回しでは、今の将斗は怯えない。


「……じゃあ、ダメ押しだ」


 息を深く吸い込み、焼け付くような痛みを発する足に力を込めた。

 次の手は考えてある。

 全ての力を使い切るつもりで、狭い路地の地面を蹴って飛び上がった。

 そのまま左右の壁を交互に蹴っていく。


 ゲームさながらの壁キック。素人の発想だが、スキルに恵まれたものだ。

 一歩、二歩、三歩――少し前の自分ならありえない跳躍力と勢いに任せて無理やり登る。

 屋根を越える瞬間、冷たい月光が視界を照らした。

 

 将斗は路地を覆っていた建物よりはるか上に飛び上がっていた。

 ここから落ちたら、当然、大怪我は免れない。

 そのまま下を向いて、声を張り上げて言ってやる。


「これなら満足できるか?!」


 遥か下の視界にチンピラを捉える。

 驚愕に染まった間抜けな顔。

 彼も理解したのだろう、これから何が起こるかを。


 そうだよ。落ちるのはお前の方だ。


「『交換チェンジ』!!!」

 

 世界が、反転する。


 胃袋が浮き上がるような浮遊感と共に、視界が切り替わった。

 目の前には、さっき自分が蹴り上がったはずの高い壁。

 すぐ横の壁には亀裂が走っていた。さっきチンピラが打ち付けられた壁。


 ここまでの威力を受けてまだ立っていたことに驚きがある。

 壁へもたれかかり、将斗は頭上を見上げた。


「うああああああああああああああああ!!!!」


 夜空から、絶叫と共にチンピラが重力に引かれて降ってくる。


 ゴッ――。


 路地に反響する、鈍く、生々しい衝撃音。思わず目を閉じた。

 音は二つ。一度地面に叩きつけられた音と、バウンドしてもう一度落ちる音。

 受け身も取れず、チンピラは大の字になって動かなくなった。

 

 将斗はようやく呼吸を整え、安堵の息を吐いた。


「はぁ……あとは……」


 だが――まだ終わっていない。

 倒れたチンピラの向こう、大男が一人まだ立っている。

 血走った目で将斗を睨みつけていた。


 将斗は咄嗟に片手を伸ばし、少年たちを庇うように立ち塞がる。

 全身が悲鳴を上げ続けている。

 足が震え、壁に手をつかなければまともに立っていられない。

 視界は血と汗で滲み、立っているだけで意識が飛びそうだ。

 それでも、この子たちを守らなければいけない。


 路地にヒリつくような沈黙が落ちた。

 やがて大男が深く息を吐く。

 遠くで、衛兵のものらしき笛の音が響いたからだ。


「降参だ」

「……え?」


 思わず、拍子抜けするような声が出た。

 男は舌打ちを一つ落とし、唖然とする将斗の前で、転がる仲間二人を片腕で抱え上げる。

 「おィ……まだ……」と弱々しい声が聞こえ、将斗は驚愕した。あれだけの高さから落ちて、まさかまだ意識があるとは。

 だが、大男は何も言わずに踵を返した。

 将斗は何もできず、ただそれを見送った。

 

 路地の出口で、男は一度だけ立ち止まり、振り返る。

 暗がりの中、獣のような片目が光った。


「お前、長生きしねぇぞ」

「……」


 その言葉の意味はわからない。返す言葉はなかった。

 返す言葉もなかった。あったとしても、もう声すら出なかった。

 静寂の中、少年の声が震える。


「ありがとう、お兄さん……大丈夫か?……血が……」

「あー……元気元気」


 少年が恐る恐る尋ねてくる。心配させないようにしなければ。 

 無理に笑ってみせた瞬間――地面が斜めに傾いた。


「あ、れ……」


 地面が波打つように揺れている。

 いや、揺れているのは自分の身体だ。


「うあ……」

「お兄さん?! お兄さん?!」


 遠くで誰かが叫んでいる。

 体が揺らされ、激痛が走った。


――痛いからやめ……あれ……

 

 訴えを口にしたつもりだが、もう、声も出ないらしい。

 パクパクと動くだけ。

 それどころか、首すら動かない。出血と疲労で、完全に限界だ。

 

「誰か! ――レイ、ここにいろ誰か呼んでくる!」


 走り去る少年の姿が、霞んでいく視界の端に映った。


 その上から――音もなく、別の影が落ちた。


 フードを深く被った人物だった。

 顔は見えない。

 ただ、歩み寄る気配だけがやけに鮮明だった。


「――――!」


 少年が後ろで何かを言っているが、もうそれを聞き取る力もない。


 暗闇に沈みゆく中、将斗の意識が最後に捉えたのは――フードの男のこちらを覗き込むように輝く、緋色の瞳だった。



********************************



「オイ」


 広間に静寂が広がっている。

 陶器の割れる音、食材が床に散る音。――だが、それすら異界の空気の中では遠い鈍い響きに過ぎなかった。

 欠けた月光が窓から差し込み、薄暗い部屋の隅々をぼんやりと照らす。光と影が入り混じるその空間に、異様な静けさが渦巻いていた。


「何を入れた」

「な、何も入れておりません! 本当です!」

「じゃあ何でこんな苦いんだ? あ? いつもはこんな味じゃねぇだろうが!」


 給仕係の女性の手は震え、額には冷や汗がにじむ。男の視線は獰猛に絡みつき、殺意が部屋を覆う。

 声を上げようにも、そこには声を上げさせない重さが漂う。言葉は窒息し、空気は刃のように鋭く切り裂かれた。


「毒だろ、これ。俺を殺そうとしたな」

「してません! 私は――!」

「うるせぇ、自分で首絞めて死ね」

「い、嫌っ……いっ……ァ……っ……!」


 彼女の両手が意思に反して自らの細い首へと伸びる。

「やめて」と泣いて抗う意思とは裏腹に、魔法に操られた腕は凄まじい力で自身の気管を圧迫していく。

 爪が肉に食い込み、悲鳴にならない空気が漏れる。


 やがて、白目を剥いて床に崩れ落ちた。

 痙攣が収まると、広間に漂うのは、命が消えた冷たい静寂だけだった。


「ボサっとしてんな。汚ねぇから、さっさと片付けろ!」


 その言葉にすぐさま執事とメイドが無表情で駆け寄り、散乱した料理と死体を事務的に片付けていく。彼らの表情に微動すらない。まるでそれが日常の一部であるかのようだ。

 男は立ち上がり、欠けた月の光に顔を照らされる。広間の窓から外を見る視線は冷たく、影を落とす。


「……チッ」


 男は立ち上がると、広間の窓から欠けた月を見上げる。

 冷たい月光が背を照らし、影が長く伸びる。

 静寂の中、微かな笑みが零れた。


「言い伝え通りなら()()ちょうど赤月になるよな」

「……そうですね」


 隣に一人の少女が立つ。氷のような無表情、瞳に光はない。


「ついに明日だ」


 男は懐から古ぼけた巻物を取り出し、広げる。古代文字が黒く浮かび上がる。


「『全魔掌握マジック・マスター』……これさえ手に入れば俺は神になれる」

「はい」


 男が不意に少女を抱き寄せる。彼女は抗わず、その身を預けた。

 男の視線は城下町に落ち、漆黒の闇の向こうに支配の未来を見据える。


「そういえば、お前の誕生日も明日だったな。何歳になる」

「十八になります」

「ハハハッ、大人じゃん!」


 雄矢は少女の頬をねっとりと撫でた。


「そうだ、誕生祝いは盛大にやろーな?」

「……はい」


 男は冷笑を浮かべ、城下町を見下ろす。

 自らの手に収めた世界の未来を想い、内心で高笑いする。


「その時が来れば、全ては俺の手の中だ」


 広間に残るのは、月光の白と影の黒だけ。

 世界の未来を握る者の手が、静かに動く。

 そして男の瞳が一瞬、何かを捉えたように細められた。


「明日が待ち遠しいなぁ」


 現グラディアの王――鈴木雄矢は、不敵な笑みと共に冷たい視線を城下町に落とした


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