第16話/124話 絶望の落日
「グレン! グレン!」
炎に包まれた街の端。
崩壊した家屋の中で、グレンは幼いルナが呼びかけてくる。
ぼんやりした視界の中、彼女も落ちてきた家屋の一部に体を挟まれている。
それでも、なおグレンへの呼びかけを止めない。
「グレン!」
グレンは目を覚ました。
そこにいたのは、ルナだった。
幼い頃ではなく、今のルナの姿だ。
彼女の姿を見て、グレンはすぐに起き上がった。
「ルナ! 大丈夫か?! それ――」
「これは……飛んできたのだから、私は大丈夫」
ルナの胸元に血がべっとりと付いていた。
しかし彼女が言う通り、飛んできた血のようだ。
目立った外傷はなく、グレンは安堵した。
そこでグレンは頭を抑えた。
後頭部を打って気を失っていたらしい。
こんな時に、あの日の夢を見るなんて――
「――っ?!」
グレンは目の前の光景に戦慄を覚えた。
謁見の間は壁や床のあちこちが血で染まり、集まっていた騎士や貴族、従者達の身体やその一部がそこかしこに散らばっていた。
よく見ると半数は自ら喉元に剣を突き立てて血を流している。
その不自然な遺体の理由が、唾棄すべきものだと気づき、グレンは吐き気を覚えた。
「自害、させたのか……」
意識を失う前の最後の記憶。雄矢が『風』の詠唱を終えるとともに周囲に突風が吹き荒れた。
その風圧は凄まじく、レヴィの『防御魔法』を内側から破壊し、操られていた人たちもまとめて、全てを吹き飛ばした。
そのまま壁に打ち付けられたのが、グレンの最後の記憶だ。
広間の中央で、レヴィに向け豪火に燃え盛る球を放つ雄矢の姿があった。
レヴィの表情は険しい。彼女の少し前にある壁――『防御魔法』を維持するので精一杯なようだ。
「いつまで寝てんの!! 早く逃げて!!」
唖然としていたグレンを見て、レヴィが怒声を浴びせる。
だが、魔法を打ち込まれる度にレヴィの身体が後ろに下がっていく。
彼女一人残して逃げるわけにはいかない。
「君一人じゃ無理だろ!」
「わかってるんだったら手伝って!」
レヴィはもう余裕がないようだった。
グレンはルナに逃げるよう促しつつ、剣を取ろうと腰に手を回した。
しかし、そこにあるはずの剣がない。
周囲を見渡し、グレンは探した。
振り向くと、血を流し倒れている女性の近くに愛用の剣が落ちていた。
一目で自分のものだと気づいた。豪華な装飾はなく、地味ではあるが、切れ味は一級品のものだ。
その刃には血がついていた。
操られた果てに、グレンの剣で自害したのか、手の近くに落ちていた。
取りに行かなければ。
「グレン! 剣なんてなんでもいいでしょ! その辺のを拾って!」
剣を取りに行くグレンの背中に、レヴィが強く呼びかけてくる。
「ダメ! グレン! こっちを見て!」
よほど余裕がないんだろう。
早く取りに行かないと。
早く。
「そっちに行かないで! 見ないで!」
手を伸ばせば剣を拾えるところまで辿り着き、グレンはその手前で崩れるように膝をついた。
「母さん……」
王妃ホワイトが首から血を流して倒れていた。
その目は閉じられている。
生気はなかった。
隣には、スカーレットがいた。
妻の手を握り、何を言わず、動かなかった。
ただ肩を振るわせながら呼吸していた。
「なぁ……母さん、起きてよ」
声がうまく出ない。
息も吸えない。
吐くたびに、熱いものが胸の奥から喉元まで逆流してくる。
「母上でしょ……って言ってくれないのかよ」
公の場で、父さん、母さんと言い間違えた時、彼女はいつも言い直すよう躾けてくれた。
今は何も言ってくれない。
彼女はグレンが大きくなっても、やめて欲しいと何度言っても抱きしめてきた。
温かかったあの腕は、今は力なく床に落ちていた。
グレンはホワイトの頬に触れた。
『氷姫』とすら呼ばれるほど、冷たい雰囲気のあると評される彼女だが、実は寝ている時の表情は柔らかく暖かみがある。
グレンはそれを知っている。
そのはずなのに今はただ冷たかった。
最期に交わした会話は何だっただろう。
いつも優しく語りかけてくれたのに、思い出せない。
ぐちゃぐちゃに塗りつぶされたようで、頭が回らない。
それは後だ。
誰かが死ぬのを見るのは初めてじゃない。
切り替えろ。
切り替えろ。
グレンは心の底が急激に冷えていくのを覚えた。
ゆっくり立ち上がり、剣を取った。
走り出すだけでよかったが、口は勝手に開いた。
叫ばずにはいられなかった。
「雄矢ァァ!!!」
絶叫し、駆け出した。
広間の端から雄矢の位置まで十数歩。
そんなものグレンにとっては無いに等しい。
一瞬のうちに背後に回る。
遅れて雄矢の首が回るのが見える。
遅い。
こちらを捉える前に距離を詰めて、あの首を落とす方が早い。
絶対に殺すという意志を持って、グレンは跳んだ。
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レヴィはグレンが、一瞬のうちに雄矢の背後へ回り込むのを見た。
この後、雄矢が振り向くよりも早く、グレンが接近して切ることができるのは分かっている。
しかしそれは順調に事が運べた場合の話だ。
この世界の常識として、魔法使いは手から魔法を放つ。
コツさえ掴めば、右手と左手で別々の魔法を使うことができる。
雄矢の右手はレヴィに向けられていた。
そして反対側。彼の左肩は血で染まっていた。
『風』の使用前に放った氷の弾が雄矢の肩を抉ったことによるものだ。
頭を吹き飛ばすつもりで放った魔法だが、それでも左腕を潰したのは大きい。
直前の攻防で、雄矢はレヴィとの攻防で左手を一切使わず、右手だけでレヴィと応戦していた。
彼がグレンを止めるためには、レヴィに向けていた右手を彼の方に向ける必要がある。
そんな猶予を、今のグレンは与えないことをレヴィは確信していた。
「『浮遊』」
詠唱し、レヴィは空中に浮かび、雄矢に接近した。
空中に浮遊し、移動する魔法。
出力の加減で移動速度も変化させられる。
最高速度で雄矢に迫った。
なぜなら、そう単純に雄矢を倒せるはずがない。
「『防御魔法』」
振り向く途中で雄矢が詠唱した。
瞬間、半透明の球体が雄矢を包んだ。
左手は下に向けたままだが、レヴィには魔力が左手から放出されているのを見た。
やはり、左手は上げられないだけで、使わなかったのはブラフだった。
ギィンと、金属音がこだまする。
「こんな壁!」
グレンが目にも止まらぬ速さで魔法の壁を斬りつけている。
あと2歩分の距離のところで、行く手を阻まれたようだ。
レヴィはその隙に目論見通り、雄矢の右側後ろの空中へ浮遊し右手に魔力を溜める。
『防御魔法』は、発動した手を中心に壁を展開するため、背中側が最も脆くなる。
レヴィの瞳は、魔力の流れが薄くなっている一点を見逃さなかった。
――ここだ。この点に一点集中でブチ込む!
レヴィは無詠唱で、右手の前に氷の礫を生成した。
「くらえ」
猶予は1秒も無い。
『防御魔法』の使用中、使用者本人が内部から放った魔法は、壁の影響を受けず貫通する。
雄矢の右手がグレンを捉える前に終わらせなければならない。
必要なのは最速の魔法。加えて弱点を物理的にピンポイントで破壊できる性能。
そんな都合のいい魔法はこの世界に存在しない。
無い魔法は使えない。それがこの世界の常識だ。
だが、その枠組みにレヴィは囚われない。
レヴィは氷と風の魔法と組み合わせ、完全新規の魔法を作り出す。
「『氷旋錐!』」
風属性によって高速回転が加わった氷のドリルが放たれる。
それは『防御魔法』の一番弱い部分へ衝突し、一瞬の拮抗の後、ガリガリと削るように無理矢理壁の内部へ侵入した。
『防御魔法』のデメリットは、どこか一箇所でも破壊を許した場合、連鎖的に魔法が崩壊する点にある。
再発動までの最短時間はレヴィでも二秒。
壁を貫通したドリルが雄矢に迫る。
遅れて連鎖的に壁が崩壊し、グレンに再び雄矢への道を示す。
『防御魔法』は絶対に間に合わない。
右手はまだ明後日の方向を向いている。
魔法かグレンが彼を葬るのが先だ。
「そんな……」
レヴィは目を疑う。
内部にもう一枚、別の壁があるのを見るまでは。
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レヴィの氷のドリルが二枚目の壁に阻まれ砕け散る。
グレンも二枚目の壁に激突し、体勢は崩れ、額から血を流した。
視界が黒飛びする錯覚に耐え、すぐに立ち上がった。
顔を上げた時、グレンの目には周りの風景がゆっくりに見えた。
それともこの光景が記憶に強く焼き付いているだけなのかもしれない。
雄矢の右手が振り向きざまにグレンの方を向き――そのまま軌跡を描き続けグレンの左へ。
見るよりも先に駆け出していれば良かったと、後悔した。
グレンは見た。
その手の先にいたのはルナだった。
なんで逃げていない、と思った。
転倒していた。
グレンに助けを求めてか、目が合った。
彼女は恐怖に染まった表情で、何か言おうとしていた。
「逃げ――っ」
その叫びは、届かなかった。
「『風刃』」
一瞬だった。
グレンの視界の中で、最も愛した婚約者の小さな体が、上下にズレた。
鮮血が舞い、遅れて透明な刃の軌跡が空気を裂く音が聞こえた。
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「ルナ……」
レヴィは力無く呟いた。
特徴的な彼女の水色の髪が、血の赤で染まっていく。
レヴィは視線を戻しながら唇を噛んだ。
雄矢は最初からグレンを相手にしていなかった。
それを予想できなかった自分に怒りを覚えた。
「―――――――ぁ―――っ――――――!!!!!!!」
グレンが声になっていない悲鳴を上げていた。
その隣で雄矢は、今しがたルナを殺した右手を、今度はレヴィに向けてきた。
「『火球』」
人を飲み込めるサイズの火球が生成され、レヴィに迫る。
まるで太陽の代わりにも見えるそれにレヴィは両手で応対する。
「『氷弾暴風』ァ!!」
レヴィの周囲から次々に生成される氷塊が火球へと降り注ぐ。
火球の動きが止まり、雄矢の方へ押し返す。
レヴィは感覚的に魔力は残り一割と気づいた。
朝目覚めた時は二割。ここに来るまでにある程度まで回復させた。
しかし全快は間に合わなかった。それでも八割はあったはずだ。それは雄矢の猛攻を防いでいたせいで大幅に削られたのだ。
だがもう魔法は解かない。
レヴィは両手に力を込める。
氷塊の嵐はその激しさを増し、雄矢を飲み込もうと規模を広げる。
ここで終わらせるつもりで、残り全てを注ぐ。
広間じゅうが冷気に包まれていく。
「「『火球』」
二つ目の火球が生まれ、氷の嵐が押し返される。
レヴィは舌打ちし、作戦を変える。
打ち込み続ける氷塊のうち数個の発射方法を変え、火球を回り込むように雄矢を狙った。
飛んでいった氷塊がどうなったのか、火球によって向こうが見えず結果がわからない。
「当たんねぇよ、バァカ!」
忌々しい声が失敗に終わったことを告げる。
一瞬、雄矢の胸の中央で、首から下げられた宝石が赤く輝いているのが見えた。
レヴィは息を呑んだ。
その宝石の形状、整え方と、それを止める金具が、自身が愛用しているものと全く同じだった。
レヴィの作る『魔法具』と一致していた。
「道具なんかに頼ってんじゃないわよ!」
「お前がくれたものだろうがよ!」
「だからっ……! そんなもの知らない!」
『魔法具』――魔力を流し込まれると、設定された魔法が発動する道具だ。
――あの首飾りには『防御魔法』が設定されてた!じゃなきゃ説明がつかない!
あんな精巧な代物、作れるのは自分しかいない。
消去法で、操られていた期間に作らされたと気づく。
知らない自分が自分の首を絞めている事実に、レヴィは歯噛みした。
「ほら、そんなんじゃ負けちゃうぞ先生ぇ! 『火球』。『火球』。『火球』」
次々に生成される火球が氷の嵐を簡単に押し返してくる。
レヴィは耐えようとするが、長くは続かない。
魔力がもうない。
「くそっ。くそっ! くそっ!!」
レヴィは呪詛のように、呻いた。
徐々に火球が迫ってくる。
悔しかった。
レヴィは魔法が好きだ。
幼い頃から知識を積み、鍛錬し続けてきた。
スカーレットに拾ってもらった後もそれは続けた。
上級魔法だって簡単に使いこなせるようになった。
魔力の操作なら誰よりも上手い自信がある。
新魔法の開発で右に出るものはいない。
この氷魔法だってレヴィが開発したものだ。
やがて王宮魔法使いまで上り詰めた。
嬉しかった。
そのくらい認められていると分かったから。
だから、自分の力を、知識を誰かに伝えたかった。
しかし、この世界に生きる魔法使いは誰一人として、レヴィの理論を理解してくれる者はいなかった。
勇者を育てるのを許してもらえた時は、本当は嬉しく思った。
勇者なら、雄矢なら伝わると思った。
この世界の常識に囚われない者なら、受け継いでくれるはずだと。
その教え子の姿がこれか。
練習すれば誰でも使えるような下級魔法に、雑に魔力を流し込んで物量で押し込むだけ。
効率が悪く、醜く、教えたものが全く活かされていない。
ただ、強かった。
魔力の効率を、魔力の構成を突き詰め続け、常に魔法を進化させ、強化してきた自分を真っ向から否定してくる。
その教え子は今、自分の教えた魔法で、グレンの婚約者を、母を殺した。この広間の人間達も殺した。
この後は、きっと自分だ。
その後は王妃の前で俯いているスカーレットか、もしくはグレンか。
レヴィは耐えられなかった。
胸ぐらを掴んで文句を言ってやりたかった。
雄矢だけではない。
いつしか彼が言っていた、神とやらにもだ。
なんでこんなやつに、こんな力を与えたんだと。
氷塊の生成が間に合わない。
火球の熱が、ジリジリと肌を焼いてくる。
苦し紛れに雄矢を睨む。
火球の隙間から見えたその光景に、レヴィは全身の力が抜けていくのを感じた。
そして吐き捨てるように言った。
「……くそっ」
その瞳からは、ボロボロと大粒の涙が溢れていた。
雄矢の左手がレヴィを捉えていた。
ずっと使えないフリして、弄ばれていただけだった。
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火球同士が衝突したことによる爆発で、見知った友人が、魔法で右に出るものはいなかった友人が墜落していくのが、グレンの視界に映った。
特徴的な紫のドレスから伸びた腕は、力なく、だらりと投げ出されていた。
「あああああああああああああああああああああ!!」
雄矢の前にある半透明な壁をグレンは剣で斬りつけた。
弾かれても斬った。斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って――
刃こぼれした破片が頬を切っていった。腕にも刺さったが、やめなかった。
手のひらの皮が剥け、血が滲んでも、グレンは叫びながら斬り続けた。
その向こうで、雄矢は焦る様子も、恐怖を感じることもなく、ただ醜い笑みを浮かべていた。
「ほらほら届いてないよ王子ィ」
「殺す! 死ね! お前は! ここで!」
「聞こえねぇなぁ!」
つかつかと雄矢が近づいてくる。
半透明の壁のギリギリまで彼は来た。
何らかの奇跡でも起きて、この壁が壊れてくれとグレンは願った。
このまま斬りつけていって、目の前で壊れてくれれば。
この男の驚愕の表情を見ることもなく切り裂いてやるのに。
グレンは斬りつける力を強めた。
その時、剣が鈍い音を立てて、半分から先が折れた。
それでも残った部分で斬り続けて、剣の柄で殴り続けた。
「これが差だよ、王子」
「黙れ! ここで殺してやる! 絶対に殺してやる!」
「聞かせてやるよ!! お前は!!」
雄矢がグレンの叫びに並ぶほど、声を張り上げた。
「このうっっっすい壁すら越えられないんだよ!!」
「ああああああああああああああああああああ!!」
「雑魚なんだよお前! 気づけよ!」
「あああっああああああっああああ!! あああああ!!」
「俺は選ばれた人間なんだよ! お前とは違うんだよ!」
「ああああああああああああああああああああああ!! あ」
叫びが止まる。
後方で甲高い金属音。
剣の切先が後方に落ちている。
同時にパラパラと木片が手からこぼれ落ちていった。
持ち手が壊れたのだ。
それでも素手で殴ろうと、腕を振り――上がらない。
「お、やっと気づいたか?」
グレンはハッとして、雄矢を見た。
催眠魔法、ではない。
これは――
「お前じゃぁ俺には勝てない」
膝の力が抜けていく。
グレンはどうにかして立っていたくて、壁にもたれかかるが、力が入らず、球面をなぞるように床へ崩れ落ちた。
立てない。
体の中が空っぽになったような気分だった。
目の前の男をどうにかしてやりたいのに、体を動かす原動力のようなものがどこにもない。
どうやって立っていたんだっけ。
どうやって腕を振り上げていたんだっけ。
「あ〜あ、動かなくなっちゃって。じゃあ終わりってことで」
「――待て!」
聞き覚えのある力強い声がグレンの耳に届いた。
ゆっくりと顔を上げると、王妃の方を向いたまま立ち上がる、スカーレットの姿があった。
「待てだぁ? 何様のつもりだよ」
「あっ王様か」と一人で笑いながら、雄矢がスカーレットの方へ歩いていく。
グレンは手を伸ばすことしかできず、動けない。
「貴様が欲しいのは――」
振り向き様に王が口を開くと同時に、謁見の間の温度が急激に下がった気がした。
あの雄矢の足が止まる。
「貴様が欲しいのは、この古文書と王の証だったな」
「ああそうだな。ついでに王の座もくれよ。権力、権力。ついでに貰ってやるよ」
よこせ、と手を伸ばす雄矢にスカーレットは臆することなく続けた。
「グラディアの四代目の王は、決闘によって三代目から王権を取り戻したという」
「……? 何の話だよ」
「貴様に決闘を申し込もう」
スカーレットが付けていた白い手袋を雄矢目掛けて投げた。
綺麗な軌跡を描き、雄矢の胸に当たると、ポトリと床に落ちた。
雄矢は首を傾げた。
「お前が俺と、対等に、交渉できる立場だと思ってんの?」
「貴様が、俺に勝てば貴様が先程望んだものは全て譲る」
「……へぇ。万が一、お前が勝ったら?」
「望むものはない。ただ王として、簒奪者に背を向けるわけにはいかないだけだ」
「はぁ?」と雄矢は言い、呆れたように笑いだした。
そのままスカーレットは続けた。
「その代わり。グレンを見逃せ」
「……ぇ」
誰にも聞き取れないほどの声が、グレンの口から漏れる。
その言葉の意味をわからないほど、頭は空っぽではない。
「父さ……」
「いいねぇ!」
雄矢の言葉にグレンの声がかき消される。
「それ、『俺の命と引き換えに』ってやつ?! ベタだけど、生で見るのは初〜! 本当にあるんだな〜」
手を叩きながら、小さく飛び跳ね雄矢が喜んでいる。
何が面白い。
何がそんなに面白いんだ。
グレンは唇を噛んだ。
「好きに解釈すればいい。この条件で構わないか?」
「オーケー、オーケー。どうせこいつじゃ俺には勝てねぇし、逃げたところでどうにもならねぇよ」
雄矢はグレンを見向きもせず、背中越しに親指で指し示した。
グレンはすぐに叫んだ。
「ダメだ! 父さん、やめてくれ! 決闘なら俺がする! 父さんが逃げてくれ!」
「あーー! ダメダメ!」
雄矢がようやくグレンの方を向いた。
呆れたという目で、興味ないという目でこちらを見てきた。
「それなら王サマを殺してからお前を殺してやる。王様がかっこいいとこ見せてくれてんだから、黙ってろよ」
「鈴木雄矢。決闘はもちろん私が行う。契約は守ってもらうぞ」
「流石〜……というわけだから、よろしく」
雄矢がスカーレットの方へ歩いていく。
ダメだ。どうにかして、引き伸ばすなり、時間を稼いで――
稼いで、そのあとはどうする。
何も思い浮かばない。
今、逃げること以外、グレンの選択肢はない。
その時、部屋の端で誰かが立ち上がった。
目をやると、レヴィが立っていた。
しかし、満身創痍。立っているのもやっとという具合だ。
「待ちなさいよ、私も参加する。それで公平でしょ」
「俺と公平とか舐めんなって話だが……ま、好きにしろよ」
スカーレットがその会話に割って入る。
「レヴィ殿。貴殿はグレンを連れて逃げろ」
「嫌」とレヴィは即座に断った。
「戦えないって? バカ言わないで、死んでもこいつを」
「逃げろと言っている」
スカーレットの言葉で広間が静まり返る。
レヴィは一瞬言葉に詰まるが、すぐに言い返した。
「王様。私はあの日からずっと、あんたを守るって誓ったのよ。私まだあなたにもらった恩を返してない!」
レヴィが力を振り絞るように、踵を踏み鳴らし、戦えるという風に立って見せた。
「ここで死んでも――」
「レヴィ!!」
スカーレットの一言にレヴィが肩を震わせた。
「逃げろ。それだけで私は十分だ」
静かに、彼はそれだけ伝えた。
レヴィは顔を落とすと、小さく呟いた。
体が宙に浮き、そのままグレンの方へ飛んできた。
「やめ――っ」
グレンの言葉が届くよりも早く、彼の体はレヴィに抱き抱えられ、広間の出口へ向かう。
グレンは必死に手を伸ばした。届くことはないその手の先で、彼の父はただ優しく笑顔を見せた。
「グレン!」
グレンは何も言わなかった。
言えなかった。
最期の言葉を聞き逃したくなかった。
「この国を、民を頼んだぞ」
はっきりと聞こえた。
広間を飛び出し、父の姿が見えなくなるまで、グレンは叫んだ。
城の外で、謁見の間が火に包まれるのが二人の目に映った。
決闘の結末が嫌でも思い知らされた。
城下町では、人々は不思議そうに王城を見ていた。
彼らの上を、レヴィは顔を隠したまま、グレンを抱えてある場所を目指した。
王都の外れで見つけた、誰も知らない古い隠れ家へ。
向かう先はもう、そこしか残されていない。
あんなに青かった空は、もうどこにもない。
全てを奪われた彼らを見下ろすように、世界は黒く染まっていた。
太陽は沈んだのだ。
この国の未来も、希望も。すべてが深い闇の底へと消えた夜だった。




