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第14話/122話 英雄凱旋

 空が青い。

 爽やかな風が吹きぬけ、眩しいほどの陽光が降り注いでいる。

 グラディアの象徴である王城。雲を突き抜けるほどと言われる中央の尖塔と、その四隅に聳える小塔。

 その一つの頂上階の吹き抜けで、グレンはその特徴的な緋色の髪を風に揺らしながら腰掛けていた。


 城下町が活気に満ちていた。

 昨日からずっとこの調子だ。


「よかったな、みんな」 


 塔の縁に両手をつき、肺いっぱいに澄んだ空気を吸い込んだ。

 広場では子供たちが走り回り、大人たちが汗を拭いながら笑い合っている。その当たり前の日常が、今はたまらなく愛おしい。


 太陽の光が反射して、彼の緋色の瞳がきらりと輝く。

 眩しそうに目を細めたその顔には、一点の曇りもない爽やかな笑みが咲いていた。

 ただ世界が平和であることを喜ぶ、少年の無垢な横顔がそこにあった。


 昔からこの場所が好きだった。

 城下町の光景が一望できるからだ。

 グレンは目が良いのもあって、人々が何をしているかもよく見える。


「やっぱりここにいたんだ」


 階段の方から声がした。

 振り返ると、透き通るような水色の髪の少女が立っていた。

 小柄で可愛らしい。

  

「ルナ、戻ってきていたのか」

「うん、さっき着いたところ」


 彼女の名はルナ。グレンの幼馴染であり、将来を誓った仲でもある。

 グレンが王城にいないからここに来たのだろう。このお気に入りの場所を知っているのは彼女と、腐れ縁のあいつだけだ。

 彼女はグレンの隣に来た。小柄なので、残り少ない窓枠の幅に難なく座れる。『ちょこん』という音が聞こえそうなほど愛らしかった。

 彼女はそのままグレンの肩に頭を預け、彼と同じように街の様子を見た。

 

「みんな嬉しそう」


 ふっと微笑む彼女がグレンには煌めいて見えた。

 久々にみるその横顔に変わりがないことを確認すると、グレンはホッとした気分になり胸を撫で下ろした。

 彼女には魔王軍の侵攻が激化してきたことから、近隣の都市セイリウムへ避難してもらっていた。


「よかったね、グレン」

「これで父さんも喜ぶだろうな」

「あれ? 父上じゃなかったっけ?」

「あっ」

 

 慌てて口を押さえるグレンを見て、ルナはころころと笑う。

 グレンは少しだけ照れくさくなって、額に手を当てた。

 こうして緊張感のない会話ができるのも、いつ以来だろう。

 噛み締めるように空を見上げた。

 これからも、できるはずだ。

 一つずつ、この平和な日々を刻んでいこう。


「お礼を言わないとな」 


 彼には感謝しなくてはならない。しても、しきれないくらいだ。


 勇者である彼に――鈴木雄矢に。

 

 それに、共に戦ったあいつにも――


『どうした、そんな顔して。帰ってきてからずっと……』

『何でもない』

『レヴィ? どこ行くんだ』

『家以外にないでしょ』


「どうかした?」ルナが顔を覗き込んでくる。

「……ん? いや、何でもないよ」


 何でもない。

 昨日は同行者であるアリスの葬儀があったから、いつもと様子が違うのは無理もない。

 気にしすぎだと、グレンは頭を振った。


 切り替えなければ。

 なぜなら今日は――



********************************



 足元で花瓶が割れていた。


「――ぇ」


 レヴィは動けなかった。

 花瓶に入っていた水が、足を濡らしていた。

 水を換えていなかったから、腐っていたのだろう。嫌な匂いと、ぬめっとした感触に顔をしかめ、ようやく一歩後ろに退いた。

 とりあえず、たまたまテーブルに置きっぱなしにしていて、埃を被ったクロスで床を拭いた。

 床を拭うたびに埃が舞う。

 相当な時間、放置してしまっていたようだ。


「……拭かなきゃ」


 拭きながら、彼女は気づいた。酷い部屋だった。お世辞にも人が住む場所とは思えない。

 部屋の隅には蜘蛛の巣が張っている。うまくバランスを取っていた本の山も崩れて雪崩を起こしていた。

 なぜこんなに放置してしまったのだろう。レヴィはぼうっとした頭のまま床を拭き続けた。

 

「……」


 なぜこんなことをしているのだろうか。

 自分は何をしていたのか。自分はいつ帰ってきたのか。

 レヴィは記憶を辿った。


 その時、酷い頭痛が彼女を襲った。

 鈍器で思いっきり殴られたかのような痛みだった。

 そこで気づいた、体もだるい。

 疲労が溜まっている。

 一体何の疲労だろうか。

 指を振ってステータスウィンドウを開いた。

 青いゲージ――魔力の残量が残り二割を切っていた。

  

「魔力もない……何で」

 

 覚えのない魔力の消費。

 少しずつ、記憶が戻ってきた。

 

 あの日。あの夜。雄矢が何をしたのかを。

 真っ黒な夜空の下、真っ赤な炎が全てを包んでいた。

 そして、魔力の濁流に飲まれて――


「――っ?! そうだあいつ、アリスをっ!」


 レヴィはすぐ立ち上がった。

 あいつを許しておくわけにはいかない。

 何日も、共に旅をした仲間を手にかけるような男が野放しになっている現状はマズい。

 あの男に力の使い方を教えてしまった責任もある。

 今すぐにでも――待て。


 どうして今私はここにいるのか。

 この魔力の消費は何か。

 この疲労は?

 

 街が騒がしい。

 レヴィの記憶では、街の外れにあるこの家に街の喧騒が聞こえてくることなどほぼ無い。

 相当な騒ぎだ。魔物でも現れなければここまでならないだろう。

 だが聞こえてくるのは、絶叫や悲鳴のような不吉なものではなかった。

 むしろ、祝祭の音。

 軽快な音楽と、波のような歓声のうねり。

 幸福をかき集めて空に放ったような圧倒的な『陽』の気配。


 レヴィは自分の求める答えがそこにあると確信し、街へ飛び出した。



********************************



「祭り……」


 王城からまっすぐ伸びた道の端、街の中心、噴水のある広場は賑わいを見せていた。

 軽快な音楽のもと踊り合う男女。

 駆け回る子供達。

 それを温かい目で見守る老婆。


 レヴィは目を細めた。

 祭り事にはいい思い出がない。

 いつだって、参加することは避けていた。


 周りを見渡すと、広場の端に掲げられた看板に、この祭りの名前が書かれているようだった。レヴィは目を逸らした。

 もう少しではっきり読めるところだった。

 彼女はそれを避けた。

 見たくなかった。


「ほらほらアンタも!」突然、朗らかなおばさんから、小さい木製のコップが手渡された。

「えっ」


 少量のお酒が入っていた。

 おばさんはすぐに他の人のところへ行ってしまった。

 無料で配っているのだろう。


「す、すみません!」思わず道行くグループに声を掛けた。

「んえぇ? こりゃまた別嬪さんがきたな!」


 振り返ったのは酒を抱えたおじさんだった。

 焦っていた。何もこんな酔っ払いに聞かなくてもよかっただろう。

 相当飲んだらしく、人一人離れた程度でもアルコールの匂いが漂ってくる。


「これは何の……」


 それ以降、固まってしまったレヴィにおじさんは疑問符を浮かべていた。

 

「その、今日は何日ですか」

「そりゃお前今日は――」


 おじさんが去っていっても、レヴィは動けなかった。


 レヴィが勇者一行としてここを発った日から()()()()()()()

 

 記憶にある、あの日は四ヶ月後のことだ。

 半年以上、知らない時間が経過している。

 頭痛が酷くなってきた。


「なぁ、アンタ、もしかしてレヴィ・ウィンダリアか?」


 肩を叩かれて振り向くと、若い男がいた。

 羨望の眼差しで、こちらを見ていた。


「やっぱりそうだ覚えてるか? ほらドラヴァン街道で助けてもらった、ほら果物商の。あの時はありがとう。おかげでここまで来れたよ」


 会った記憶がない。

 果物の商人は珍しい。出会ったのなら覚えているはずだ。

 それにドラヴァン街道は、本来なら半年以上かかる場所にある。

 会ったはずがない。覚えていない。


「え、あのレヴィか?」

「本物だ!」

「すごい!」 


 商人と話しているところを見られたらしい。

 続々と人が集まってきた。

 こんなこと、今までなかった。

 別の男が声を掛けてきた。


「聞いたぞ北方で幹部と戦った時の氷の魔法、まだ溶けてないんだってな!」


 知らない。

 北方で幹部と? ありえない。

 もし幹部がいる北方が、あの場所だと言うのなら、到着はドラヴァン街道を超え、さらに時間がかかる場所にあるはずだ。

 今も溶けないということは、大規模な氷魔法を使ったのだ。

 それほどの攻撃をしたのなら覚えているはずだ。


「空を飛んで帰ってきたんですよね!? 尊敬します! 私もレヴィさんくらいの魔力量があればなぁ」

「空……?」

「昨日空から勇者と一緒に帰ってきたじゃないですか! 私感動しちゃって!」


 魔力の減りが酷い理由はそれだ。

 とてつもない距離を飛んできたのだ。

 そんなことをした記憶はもちろんなかった。


 四方八方から投げかけられる感謝の言葉が、今のレヴィには頭をかき乱すものでしかなかった。

 花撒きの少女が作り出した色とりどりの空間を、レヴィは無言で歩き出した。

 集まった人が多すぎる。

 魔法使いでも体は鍛えているから、一般人を押し除けるくらい簡単だ。だが、賞賛の声を掛けてくれる彼らにそんなことはできない。

 ゆっくりと進んでいくレヴィの袖を、くい、と誰かが引いた。

 見下ろすと、花冠を被った少女がいて、その後ろで母親らしき女性がはぐれないよう肩を支えていた。

 

「ごめんなさい、この子がどうしてもお礼がしたいみたいで」


 レヴィは一気に胸が詰まる感じがした。

 これは、だめだ。


「待って。待ってね。私は」

「これあげる!」


 真っ赤なリンゴが差し出された。

 食べごろの、綺麗に磨かれたやつが。


()()()()()()()()()()()()、ありがとう!」

 

 満面の笑み。一点の曇りもない感謝。

 周囲の大人たちも、同様の目を向けている。

 拍手と歓声が周りを包んでいた。

 その純粋な光景に、レヴィは胸が押しつぶされそうになった。


「違う……」


 その呟きは大観衆の中、掻き消されていった。

 

 やめて。


 どうかやめて。



 私は魔王など倒していない――戦ってすらいない。



*******************************



 王城の心臓部、『謁見の間』はかつてない熱気に包まれていた。


 高い天井から吊るされた巨大なシャンデリアが、眼下に広がる光景を煌々と照らし出している。

 普段は広く感じるこの空間も、今日は立錐の余地もない。

 国中から招集された貴族たちが、色とりどりの正装ドレスコードに身を包み、今か今かと主役の登場を待ちわびていた。

 彼らの視線の先、玉座へと続く真紅の絨毯の両脇には、近衛騎士団が整列している。

 磨き上げられた白銀の鎧は、シャンデリアの光を反射して眩いほどの輝きを放っていた。微動だにせず、剣を掲げる彼らの姿は、この国の威信そのものだ。


「魔王討伐とは、まさか生きている間に拝めるとはな」 「あぁ、これで我々の領地も安泰だ」 「勇者様はどのような方なのかしら」


 さざ波のような私語が、広間のあちこちから漏れ聞こえる。 誰もが興奮し、紅潮した顔を見合わせている。 疑う者など一人もいない。

 この場の全員が、これから現れる青年を『勇者』だと信じて疑っていなかった。


 玉座には、国王スカーレット・グラディアが威厳を持って鎮座し、隣には王妃ホワイトが、その傍らには第一王子グレンと、彼に寄り添うルナの姿もあった。

 グレンは誇らしげに胸を張り、ルナは少し緊張した面持ちで扉の方を見つめている。

 王が、近くの従者へ合図を送った。

 従者から、指揮者へ、そしてファンファーレが高らかに鳴り響いた。

 一瞬にして、広間の喧騒が静寂へと変わる。

 全員の視線が、巨大な両開きの扉一点に注がれた。


「――勇者、鈴木雄矢殿の入場!」


 衛兵の力強い叫びと共に、重厚な扉がゆっくりと開かれる。

 差し込んだ光の中に、その影はあった。


 その姿は人々が夢想する勇者そのものだった。

 身に纏っていたのはミスリルの軽鎧。背中には王国の紋章が刺繍された真紅のマントが、歩みに合わせて優雅に翻っていた。

 腰に帯びた剣は、柄に埋め込まれた宝石が照明の光を弾き、一歩ごとにチャキ、チャキ、と心地よい金属音を奏でている。


 熾烈な戦いを潜り抜けてきたとは思えない清潔さ。これはこの儀式のために用意されたものだ。

 間に合ってよかったと、グレンは安堵した。

 何しろ、勇者は昨日凱旋したばかりだったからだ。

 採寸を済ませた後、王国の衣装係たちは夜通し血眼で調整に取り掛かっていた。

 そんな彼らは謁見の間の隅で虚な目のまま号泣していた。彼らにもあとで労いの言葉をかけなくては。


 鈴木雄矢の表情は完璧な笑顔だった。

 爽やかで、少しはにかむように頬を緩めている。

 緊張はしていないようだ。歓声に対して控えめに手を振る余裕もあった。まっすぐ前を見て、玉座に向かって歩いてくる。

 ただ、世界を救った達成感と、平和の喜びが満ちているように見えた。


「おお……あれが勇者様か」「我々とは違う、気迫のようなものを感じますな」


 貴族たちが感嘆の声を漏らす。

 騎士たちもその姿に感じるものがあったのだろう、自然と背筋を伸ばしていた。特に魔法使いたちは畏怖しているような表情さえ浮かべている。

 

 雄矢は真紅の絨毯を堂々と歩む。その足取りには迷いなど微塵もない。まるで、自分がこの世界で最も正しく、最も尊い存在であると確信しているかのように。


 雄矢は事前の打ち合わせ通りの場所まで辿り着くと、立ち止まった。

 その姿を確認するなり、スカーレット王は立ち上がった。


「勇者、鈴木雄矢よ! 此度の魔王討伐。誠に大義であった! グラディアの民を代表し、ここに感謝と敬意を表する」

「ありがとうございます」雄矢は深々と頭を下げた。


「しかし、礼には及びません」


 スカーレットは「ほう」と首を少し傾けた。

 雄矢は顔をあげると、笑顔のまま、その曇りなき双眸でスカーレットを見つめた。


「僕は勇者として、やるべきことを果たしたまでです」


 雄矢は胸に手を当て、遠くを向いた。


「魔王により、世界は闇に包まれていた。それは伝聞だけではなくて、僕は直接見ました。旅の途中、魔王軍による被害を受ける民の姿を」


 振り向いて、手を広げ、観衆に語り始めた。

 グレンとも目が合い、その横にいたルナの方もちらりと見ていた。


「僕は許せなかった。人々をこの闇から解き放たなければならないと。そして一刻も早く、皆が暖かな光のもとで暮らしていける世界を取り戻さなければと」


 雄矢は振り返り、王の前で片膝をつき、頭を下げた。 


「それが勇者の使命です。人々の平和と、笑顔を守ること。それが俺がやるべきことです」


 顔を上げ、笑顔を見せる。

 その姿に王は感銘を受け、目を潤ませながら手を伸ばした。


「そうか……ありがとう。君が勇者で本当に良かった」

 

 王と勇者はそのまま固い握手を交わした。

 盛大な拍手が謁見の間を包んだ。



********************************



 謁見の間は、その後、立食形式の会場となった。

 どんな時もそうだが、貴族の娘たちはここぞとばかりに勇者に詰め寄っていた。貴族として、位を上げるには勇者とお近づきになるのが手っ取り早いからだ。

 当の本人は満更でもなさそうな顔で彼女たちの対応をしているが、困ってもいるようだ。手に持った皿の料理が全く減っていない。

 助け舟でも出そうとグレンが歩き出したところ、その袖を掴む者がいた。

 ルナだ。

 氷のような凍てつく笑顔がそこに貼り付いていた。

 

「どこへ?」

「ち、違うぞ。僕はただ彼を助けようと」

「どこへ?」


 昔からそうだ。ルナはこういう会では、グレンを一人にさせてくれない。前にグレンが聞いてみた時、婚約者だから当然と言われたが、やりすぎのような気がしている。

 守りは堅く、貴族の娘が近づこうものならひと睨みで追い返していた。一人粘る者もいたが、まさかあんな行動に出るとは――。

 そういうこともあってか、今グレンに近付く不届き者はいない。

 毎度求婚を断るために言葉を選ぶのは疲れるので、グレンとしても助かってはいるのだが、いざという時に障害となるとは予想していなかった。


「勇者が困ってるだろ」

「……が」

「なんだって?」

「女性が多すぎます」

「ルナ……」


 グレンは天を仰いだ。

 こうなると無理だ。てこでも動かない。

 

 横目で雄矢を見ると、女性たちの足元を這うようになんとか抜け出していた。女性たちは必死なあまり、誰もいない空間へ求愛を続けている。

 雄矢は女性が()()()少ない空間であるグレンの近くに逃げてきた。

 近くには王スカーレットも王妃ホワイトも食事を手に他の貴族と談笑していた。二人は雄矢がグレンの元に向かってきていたのを見て、こちらに歩き始めていた。

 先に雄矢がグレンの元に辿り着いた。

 グレンは近くの給仕から酒を二つ受け取ると、片方を雄矢に手渡した。


「雄矢殿、大変だっただろう? ここは女性が来ないから休んでいくといい」「グレン?」

「ありがとうございます。ところで、こちらの方は?」

「会うのは初めてだったね。この子はルナ、僕の婚約者だ」


 グレンの紹介を受けると、雄矢はルナをじっと見た。

 値踏みするような、観察するような視線。

 だがそれも一瞬で、ルナが一礼してニコッと笑って見せると、彼もすぐに笑顔を返した。


「……」

「雄矢殿?」

「……ああいや、綺麗だなと、さすが王子の婚約者ですね」

「ふふ、あの勇者にお褒めいただけるなんて、光栄です」


 語らう三人のもとに、王と王妃がやってきた。


「勇者様」


 切り出したのは王妃ホワイト。

 流れるような金髪と、意志の強さを感じさせるキリッとした目元は、普段であれば人を寄せ付けない鋭さを放っていた。

 だが今日、その表情にあるのは氷のような冷たさではなく、長い冬が明けたような穏やかな安堵。

 張り詰めていた糸が切れたように、彼女の周りには柔らかく温かい空気が満ちており、その凛とした美しさをより一層際立たせていた。


「先の演説、本当に格好良かったわ」

「ありがとうございます」

「えっと……」

「王妃様? どうかしましたか」

 

 雄矢は、何も言わずただじっと見つめてくる女王に尋ねていた。

 グレンは嫌な予感がした。

 王の方を見てみると、同じものを感じ取ったようで、青い顔をしていた。


「ゔんっ! ホワイト、ちょっと向こうに」


 わざと咳混みながら、王が妻の肩に手を乗せた。しかし彼女はそれをすぐさま振り解いた。


「勇者様」

「は、はい」

「ちょっと抱きしめてもいい?」

「は?」

「ホワイト」「雄矢殿逃げろ」


 王とグレンが止める暇もなく、雄矢は王妃の熱い抱擁を受けた。

 

 彼女の悪癖だ。

 気に入った相手にはすぐに抱きつく。

 外見は冷たく、人を寄せ付けない彼女だ。なのに、と言うべきか、それとも、だからなのか。時も場所も考えず彼女の気の赴くままにすぐに抱きつく。

 彼女曰く「抱きつけばその人の心がわかる。なぜしないのかわからない」とのこと。グレンは何度もその餌食になっているが、その理屈を理解することはまだできていない。

 それに、自分の母親が人前で男性を抱きしめている図は応えるものがある。雄矢の顔が、母親の胸に埋まっているのも正直きつい。

 王も同じようで、苦い顔をしていた。


「母上、早めに」

「うーん、さすが勇者。全然違うわね」


 王妃はパッと雄矢を解放した。いつもは倍以上の時間を掛けているが、相手が相手だ。弁える心があって良かったと、グレンは安心した。

 王妃は満足そうな顔のまま、雄矢に尋ねた。


「勇者様はこの後はどうするの?」

「この後……」


 王妃の問いかけに、雄矢は静かに下を向いた。

 この後とは、この会の後だけではなく、その先の事についてだ。

 雄矢は色々考えたようだが、やがてゆっくり顔を上げた。


「まだ考えていませんでした」


 突然勇者として呼び出され、その責務を果たした雄矢。 

 その先はどうするのか、グレンには想像できない。


 勇者は()()()()()()()()()()()()()()()

 この事は既に召喚したその日に、話はしてある。

 この世界で、生きていくしかないのだ。


「そうだ、だったら息子として迎え入れちゃう?」

「そんなことを簡単に言うんじゃない。迷惑だろう」

「いいじゃない一人や二人」


 とんでもない会話をしているのを横目に、グレンは雄矢に向き直った。


「ともあれ、役目を果たしたばかりで、まだ疲れもあるだろう。落ち着くまで、この国で療養していくといい。何をするかはその後ゆっくり考えよう。僕も協力するよ」

「そうですか……ありがとうございます」


 雄矢はグレンからの提案に笑顔で答えた。

 すると王様が会話に戻ってきた。

 王妃はというと、しょんぼりしている。言いくるめられたらしい。


「ならば勇者よ。可能なら、このグレンと共に国を守ってはくれないか」


 王からのどこか含みのある言い方に、グレンは首を傾げた。


「実はグレンには近々、王位を継いでもらおうと思っている」

「えっ……?」


 グレンには初耳だった。いつかは、と思っていたが、こんなにも早くなるとは。

 グレンは今年で十八になる。年齢こそ若いが、即位するのに問題はない。歴代の王を見ても、六代目の王は十五歳にして王位に就いている。

 気がかりなのは在位期間だ。

 十二代目であるスカーレット、その前の代までは、平均して二十五年は国を治めていた。

 しかし、スカーレットはまだ王位に就いてから十八年だ。

 あと五年は現役でいるものだとグレンは予想していたし、それまで認めてもらえるよう、さらなる努力を積むつもりであった。

 まさかすでに認められていたとは、グレンは思いもしていなかった。


「魔王が倒され、これからは平和な世界が始まる。俺のような戦乱の世を生きた者は早く退くべきだと、常々思っていたのだ」

「し、しかし父上、まだ私は――」

「どうした、嬉しくないのか?」

「それは……嬉しいに決まってます。しかし、本当に良いのですか?」


「構わんよ」と、王は穏やかな目でグレンの頭を撫でた。

 グレンは嬉しくもあり、照れ臭くもあって、その手を除けようとするが、王が満足するまでやめてもらえなかった。

 自分が認められていたことを知って、グレンはその喜びを噛み締めた。この時の、頭を撫でてくれた父の手の温かさを、彼は決して忘れることはないだろう。


「よかったね、グレン」隣のルナが、指で腕をつついて来た。

「ああ、これから忙しくなりそうだ」

「私も精一杯支えるからね」


 こんな最高の婚約者に出会えたことはグレンにとっては誇りだ。

 絶対に幸せにして見せようと、心に誓った。


 その時、ふと雄矢を見ると、ルナの方を見ていた。

 この時はまだ不思議には思わなかった。

 グレンが見ているのに気づいたのか、雄矢は王に視線を戻した。

 

「ところで、国を守ると言うのは?」切り出したのは雄矢だった。


「そのことについてだが」と王は姿勢を正す。


「グレンはまだ王としては未熟な部分もある。職務を知ってもらう必要もあるだろう。だから慣れるまでは、勇者である君に力を貸していただきたいのだ」


 グレンに指導しながらの執務は、有事の際の対応を遅らせる可能性がある。それを危惧し、勇者が味方についているという状況を作ることで、万が一が起こらないようにする。ということなのだろう


「無理にとは言わない。二年だ。二年、力を貸してほしい」


 二年が強調されている。

 グレンはその意味を知っていた。

 雄矢も気になったのだろう。


「二年後に何か?」

「『赤月の儀』だ」


 『赤月の儀』。この国に伝わる逸話を王は語り始めた。


「三百年になる。このグラディア国が誕生した時、この国には『魔法の祖』とも言われる大魔法使いがいた。彼はこの国に恩義があったようで、自分の没後にこの国が苦難に見舞われること案じた。そこで彼は、空に力を封印した」

「空って、この国の上ってことですか」


「そうだ」王は頷き、続けた。


「五十年に一度の赤き月が出る夜。その封印が解かれる。その時、大魔法使いが残した古文書と、王の証を持つものに力が与えられる」

「封印されていた力……魔法とかそういうことですか?」

「力というのは、今ではスキルと呼ばれている」

「スキルって貰えるモノなんですか? すごい。どんな力があるんですか?」


 こういうことに興味があるのだろうか、王相手に矢継ぎ早に雄矢が質問を投げかけている。

 態度は多少くだけているが、今日くらいは多めに見ようと、グレンは口を挟まなかった。

 王は雄矢を宥めるように、話を続けた。


「力の内容だが、古文書に記された力が与えられる。そのどれもが、王が一人でも国を守りきれるほど強大な力だ。かつてはそれと同等の古文書が数多く存在したと言う。しかし、過去の戦禍でその多くは失われた。残った古文書でさえ、劣化がひどく修復中のものがある。さらには一部に古代文字が混じっていて、解析には膨大な時間がかかっている」


「しかしな」と王は袖の中から一つの茶色い巻物を取り出した。

 古ぼけてはいるが、そこから漂う異様な魔力の気配は、素人目にも尋常ではないとわかる。


「それが先日、ようやく解析が終わったものがある。これがその『全魔掌握マジックマスター』だ」


 聞き覚えのないスキルに、グレンも好奇心を刺激された。


「これは『一度見た魔法を習得し、魔力さえあれば使用できるようになるスキル』だそうだ。本来、魔法は習得に長い年月がかかる。しかしこのスキルがあれば、その理を無視することができる」

「見ればなんでも使えるってことか……?!」


 雄矢は食い入るように古文書を読み始めた。

 その瞳の奥で、暗い欲望の火が灯ったことに誰も気づいていない。


「今日は姿が見えないが、知っての通りレヴィ殿は上級以上の魔法を使用できる。このスキルがあれば、彼女の魔法をグレンも使うことができるようになるのだ」

「僕が魔法を……!」


 グレンは多少の下級魔法が使うことはできるが、戦闘では剣が主だ。剣術の鍛錬を積む傍ら、魔法を極めるのは難しい。

 才能の限界もある。

 だが、このスキルがあれば、グレンの強さが一段階も二段階も跳ね上がる。

 更なる成長、そして国を守る力への期待に心が躍るグレン。  だが、雄矢が冷ややかな声で切り出した。


「……でも、レヴィほどの魔力はないですよね」

「そう……だな。だが、あくまでこれは守るための力だ。いざという時、奥の手としてな」

「……じゃあそれ」


 雄矢は手のひらを上に向けて、王に差し出した。

 今まで浮かべていた爽やかな笑みは、もうどこにもなかった。


()にくださいよ」


 空気が静かになった。  

 周りは騒がしかったが、この、雄矢含め五人の空間だけが張り詰めている。  

 何を言い出すんだと、グレンは言おうとした。  

 だが雄矢から漂う、さっきまでとは違う雰囲気に口を閉ざした。

 代わりに、右手を塞いでいたグラスを近くのテーブルへ置いた。


「僕なら最大限使いこなせますよ。魔力は無限にあるし、レヴィの魔法も見て来たんですから」

「すまないな勇者よ。あれは王の証を持つものにしか受け継ぐことができない」

「王の証って何?」

「それは、この王冠だが」


 王の燃えるような赤髪の上に、豪奢な王冠が冷たくきらめいていた。


「これは歴代の王から代々受け継がれて来たもので――」

「じゃあそれください」


 言い終わる前に雄矢が要求した。

 王の発言を遮った上に、ぶっきらぼうに物を要求する姿に、グレンはいてもたってもいられず前に出た。

 ただし声は荒げることなく、静かに制するように。


「雄矢殿? どうしたんだ、先程から――」

「あのーほら、魔王倒したらなんでもくれるって言ってましたよね? だからそれ、ください」


 またもや言い終わる前に、被せてきた。

 さらには手をプラプラと王の眼前で揺らしている。

 早くよこせと、急かすように。

 流石にグレンは黙っていられなかった。


「悪いがあくまで父上はこの国の王。その態度は失礼に当たる」

「あー失礼失礼。で、くださいよそれ。それがあれば、『全魔掌握マジックマスター』は手に入るんですよね? 俺はそのスキルが欲しい。でも王の証も必要。ならそれを俺にくださいって言ってんの」

「その態度はなんだ、と言っているんだ」


 詰め寄ろうとしたグレンの腕が引っ張られた。


「ルナ?」

「グレン、下がって」


 ルナが青い顔をしている。

 不吉なものでも感じたのか、首をしきりに振っていた。

 雄矢は隣でそんなことが行われていることなど知らないのか、それとも無視しているのか「だからー」と語り出す。


「そのスキルがあれば俺はもっと強くなれる。魔法覚えるの時間がかかるんですよ。きつかったなー。でもそのスキルがあれば、簡単にもっと強くなれる。わかっただろ? だから、王の証とやらをくれって」

「王の証は、王に受け継がれる物だ。いくら勇者とはいえ、与えるわけにはいかない」

「なんで? 俺はあの魔王を倒した勇者様だぞ? 最強だよ最強。ってことは、俺がそのスキルを持てば、他の国なんて敵じゃない。どんどん攻めてこの国を大きくすることだって」

「この力は守るための力だ。断じて、攻め入るための力ではない。それに、ようやく平和が訪れたのだ。戦争などするものか」


 グレンには、王の口調からから炎がゆらめいているような、静かな怒りが感じられた。

 しかし、雄矢は涼しい顔をしている。


「これ以上、争いごとを増やして、民を生活を苦しめるつもりはない」

「なんで? どんどん攻めて国が大きくなれば、豊かになるだろ」

「ならない。戦争の最中だけではない。戦争に備える時も、戦争のその後も、混乱で流通を含めたあらゆるものが滞る。たとえ勝ったとしても、その後豊かな暮らしが待っているとは断言できない」

「できるだろ。良くなるだろ。俺の力があれば無傷で勝てるぜ。別に軍を出すなんて言ってない。俺だけ出ればいい。全員返り討ちにしてやるよ」

「返り討ちか。まさか、この国で迎え撃つつもりか?」

「違う違う、俺が行けばいいんだよ。空飛べるからさ、知ってるだろ?」


 それは誰もが知っている。

 勇者一行である雄矢、()()()()()()の3名は、空を飛んで帰ってきた。

 天からの英雄の凱旋には国が湧いたことも記憶に新しい。


「上からドカンと一発撃てば、敵の首都なんて更地でしょ? 司令部潰せば終わり。簡単じゃん」

「駄目だ。貴殿の大魔法を使えば周辺の環境は大きく変わる。ただでさえ、他国も魔王の被害を受けているのだ。そのあと、戦争に勝ったとしても、得られる資源は乏しい」

「違う違う、俺だって加減できるよ、そんくらい。鉱山とかをぶっ壊すわけじゃない。人だけぶっ飛ばすんだよ、それなら資源は残るだろ」

「誰がその資源を採取する」

「この国から人を派遣すればいいだろ」

「派遣か。他国の資源ともなると大勢で、か?」

「それは……」


 王に雄矢は痛いところを突かれたようで、黙った。

 しかし何か思いついたようで、「だったら」と口を開いた。


「なら、その国民は残してそいつらを働かせればいいだうが。奴隷だ奴隷。この世界にもその制度はあるだろ」

「人には家族や大切な人がいる。人間の怨恨は年月を越え積み重なる。遠い未来。膨れ上がり爆発した恨みが、この国を襲うこともあり得る」


 その通りだ。

 虐げられた国が復讐の念を募らせれば、どうなるかは想像に難くない。実際にそれが原因で滅びた国だってある。


「平和になろうが、いまだ戦争中の国もある。しかし、いついかなる時も我がグラディアは中立を保ち戦争を避けてきた。今回の勇者召喚の儀も国力増強と見られかねなかった。だが各国を説得し、世界を救うためにと、許していただいた」


 1年前、勇者召喚の儀は繊細に推進された。

 スカーレットが誠意を持って各国の王を納得させていく姿を、グレンは昨日のことのように思い出せる。


「今グラディアはどの国とも友好関係にある。長期的に付き合っていくことこそ、この国は豊かになる」


 雄矢の手をゆっくりと除けると、王は念を推すように言った。


「攻め入るなど、もってのほかだ」

「じゃあ戦争はいいや。勇者が欲しいって言ってんだから王の証をくれよ」

「王の証は、王に与えられるものだ。そして、貴様には王の資格はない」

「……なんで?」

「なぜ先程の答弁で、資源だけ残すと言った。そのあと『なら人は残す』とも言った」

「言ったな、それで?」


 雄矢は悪びれることなく答える。

 王は一度ゆっくりと目を閉じ、息を吐いた後、静かに開いた。


「貴様は皆殺しを前提として話していたな」


 雄矢は答えなかった。


「命は国において最もかけがえの無い資源だ。貴様は旅の間、何を見てきた」

「……」

「皆が暖かな光のもとで暮らしていける世界とはなんだったのだ」

「……」

「命を軽く見ている貴様に、王の資格はない。王の証を与えることも、絶対にない」


 王は強く言い放った。

 束の間の静寂が、場を支配した。

 「しかし」と、王はゆっくりと口を開いた。


「魔王討伐の感謝はある。褒美は最大限取らせよう。だが、王の証だけは渡せない、これは揺るがない」


 ため息を吐いたのは雄矢だ。


「あーあ……あのさ俺は、その力が欲しいと言ってんだ。王の証が必要ならよこせって言ってんだ」

「その願いは聞き入れないと――」

「願いじゃねぇよ。これは命令だぞ」


 雄矢のその手は王の胸元あたりに向けられていた。


「父上!」


 グレンは叫ぶも、身動き一つできなかった。


 魔法使いは手から魔法を放つ。

 その仕草が意味するのは、脅迫だ。

 いつでもお前の命を奪えるぞと、示しているのだ。


 下手な動きをするわけにはいかない。

 それは王妃も、ルナも理解しているようで、同様に動かずにいた。表情には驚愕の色が浮かんでいる。


 雄矢は鋭い目で、王を睨んでいた。

 

「二年後だっけか、それまでよろしく」

「そうか。これが、貴様の本性か」


 周りがざわつき始めた。

 この光景を見た者たちが徐々に、事態を把握しているのだろう。

 グレンは騎士団の副団長に合図を送ろうと目を合わせたが、首を振っていた。騎士団が集まっていたのは広間の反対側。

 下手に動けば、甲冑の音で気づかれる。


 グレンは腰の静かに右手を静かに腕を下ろしていった。

 剣の柄を握ることはできる。

 グレンの本気、最速の一振りであれば、間に合うか――。


「気づいてるぞ、王子サーマ」


 雄矢がグレンを横目に制した。

 もう少しで柄を握れるところだったが、間に合わなかった。

 

「で? くれるのか? 王の証」

「貴様に渡すわけにはいかない」

「そうか。じゃあ、さよなら」


 雄矢の手に力が籠るのが見えた。

 グレンはすぐに剣を取り、抜こうとして――


 目の前の光景に目を疑い、再び固まった。


「……痛って」


 雄矢の首の一部から血が出ていた。

 そこに突き立てられていたのは、銀色の短剣。

 さっきまでこんなものはなかった。

 だが短剣を握る手は背後から伸びて来ている。

 辿ったその先に、褐色の肌。

 長い耳、エルフの――クリスがいた。

 勇者一行のあのクリスだ。

 

「だりぃな。忘れてた」

「それ以上動くなよ悪魔」


 ぐっと、小剣の先が首に押し付けられる。


「クリス待って」


 その後ろから、レヴィが現れた。

 グレンは混乱していた。ありえない、さっきまで後ろには誰もいなかったはずだ。

 さらに下半身が透明になっている。

 体の一部が透明で、向こうの景色が見えている。

 その手には何か握られていて、それが透明になっているようだ。

 布状の、何かだった。 


「レヴィ、お前どこから。これは……なんなんだ」

「ごめん。それ後でいい? 手早く済ませるから」


 いつもの余裕のある様子ではない。

 その面持ちにグレンは黙った。


「ねぇ、クリスまだ待ってよ。話を聞かないと」

「黙れ、十分待った。もうお前の話は聞かない」


 クリスのその目は殺意に満ちていた。


「ここであの子に今すぐ謝罪しろ。そして……死ね」

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