表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/18

第12話/66話「  」だから

 ユウヤ一行が王国を出発してから、早くも四か月が過ぎていた。

一か月かけてセレストル砂漠を越え、名も知らぬ森の奥深くで、ようやく一行は息をついていた。


「いつもごめん」

「ううん。これが私の仕事だもん」


 謝る雄矢に、銀髪の少女は屈託のない笑顔を返す。

 切り株に腰掛けるユウヤの腕には、先の戦闘で受けた大きな傷跡が残っていた。

 白狼の群れに追われ、木々の間を縫って襲い来る攻撃に、瞬時の判断が間に合わずついた傷だ。

 最後は雄矢の大規模魔法で辺り一帯を吹き飛ばし、事なきを得たのだった。

 少女の白く細い指先が、傷口にそっと触れる。


「いってぇ?!」

「我慢しててね。『治癒ヒール』」


 彼女が唱えると、腕の傷はまるで早送り映像のように次第に塞がっていく。

 血が流れ、裂けていた皮膚が再生される過程が一瞬で終わり、跡形もなく消え去った。

 

「はいっ、おしまい」


 彼女の名はアリス。

 銀髪のショートカット、種族はエルフ。

 特徴的な尖った耳が、動きに合わせてぴょこぴょこと揺れる。


 グラディアでも指折りの治癒師として知られる存在だ。

 治癒師とは『治癒ヒール』というスキルを持つ者のみが就ける職業で、魔力をほとんど消費せずに治療を行える。旅路の物資が限られる状況では、戦力以上に重宝される存在だ。


 しかし、戦時下の今は治癒師はどの戦場からも引っ張りだこであった。グラディアは募集に手間取っていたのだが、ある日突然アリスが、今回の募集に志願してきた。他に選択肢もなく、見事採用されたそうだ。


「いつもありがとう。つい油断しちゃって」

「いいの。私に戦う力はないけど、あなたを支えたいから、遠慮しないで」


 彼女はいつも献身的に雄也を支えてくれている。

 今回も優しく包み込んでくれるようなその言葉に、雄矢は微笑み返す。

 しかし、すぐに俯いてしまった。

 自分の無力さが、彼女の負担を増やしてしまったことが心に引っかかっていたのだ。

 

「そう落ち込まないで、ね?」

 

 少しでも雄矢を励まそうと、アリスはぎこちないガッツポーズを作ってみせる。

 不器用な仕草も、少女らしい可愛らしさを醸し出していた。

 本人は気づいていないが、王国にはそんな彼女を密かに応援する隠れファンも少なくない。


「優しいんだね、アリスは」

「今「は?」って言った? なんか含み感じるんだけど?」


 茂みの奥から着替えを終えたレヴィが現れ、横槍を入れる。


「えっ?! い、いいいいや違います、ごめんなさい!」


 鋭い視線を受け、雄矢は慌てて土下座をする。

 その滑稽な姿に、アリスはくすりと笑った。雄矢はその笑みに見惚れて、自然と頬が緩む。


「どうかしたの?」


 アリスが首をかしげる。森の静寂に混じる彼女の仕草は、小動物のように愛らしい。

 雄矢の顔は次第に赤くなり、慌てて視線を逸らす。


「あ、い、いや何でもないよ」

「んん?」


 顔を背ける雄矢を見て、レヴィは何かを察したのか、にやりと意味ありげに笑う。


「ははぁ~ん。なるほどねぇ、いいわね〜」

「何ですか? ちょっと、肘やめてください」


 声の主はアリスと瓜二つの顔立ちをしていた。だが雰囲気は正反対だ。

 アリスが柔らかな小鳥なら、こちらは刃物のように鋭い――黒い肌に金色の髪を短く切り揃え、尖った耳が鋭利に映える。


「お姉ちゃん、おかえり」


 アリスの声に、クリスは素っ気なく頷く。

 姉の名はクリス。アリスと共に育ちながらも、姉として妹を守ってきた。

 彼女の職は弓兵アーチャー


 矢を魔力で成形する『魔法矢マジックアロー』というスキルを持ち、矢の補給に依存しないその技能も長旅にうってつけだ。

 彼女は、アリスが無断で勇者一行に加わると知るや否や王城に押しかけ、グレンに取り押さえられる事件もあったりしたが、最終的に直談判で同行を勝ち取ったという。

 だがその事実はアリスには伏せられている。

 クリスが頑なに黙っているのだ。


「近いぞ、貴様」


 クリスの一瞥は冷たく、空気まで切り裂くかのような鋭さがある。雄矢の背筋が凍る。


「す、すいません……」

「年頃の男女がみだらに近づくな。アリスに手を出したら、お前の体を穴だらけにしてやる」


 クリスが雄矢に詰め寄ると、その二人の間にアリスがぴょんと入り込んだ。


「お姉ちゃん、落ち着いて? 治療は触れないとできないから、近づくのはしょうがないでしょ」

「それはそうだが……わ、私はお前がいつ襲われないか心配で……」

「お、俺はそんなことしませんよ!」

「今、私とアリスの大事な会話の時間を邪魔したのか?」

「すすすすすいません!!」


 クリスはアリスと雄矢の間に無理やり割り込んで座り込み、押し出されたユウヤは地面に転がる。

 いつもの光景に苦笑するレヴィは、雄矢の気まずさに業を煮やして口を出した。


「クリスほんとアリスのこと好きだよね」

「き、ききききき貴様っ! な、ななななななななな」


 言葉が噛み合わずにバグるクリスを見て、レヴィはにやりと口角を上げる。


「ばっばばば馬鹿なこと言うな! 私たちは姉妹だぞ! 結婚はまだ早い!」

「あ、ごめん。そこまで行っちゃうのね。ちょっとキモいわ」


 クリスのアリスへの『好き』は、家族愛なのかそれ以上なのか――本人にも自覚がないのかもしれない。


「確かにアリスは小さいころ大きくなったら私と結婚するって言っていたし、この前も料理上手で良いお嫁さんになれるね、って言ってくれたんだが、あれ私に気があるようにしか聞こえなかったし……いや待てそうかアレは遠回しな告白? ならば答えるしかあるまいいや待て披露宴の準備式場の確保」

「クリスー? ちょっとクリスさーん?」

「もう、お姉ちゃんたら、またおかしくなっちゃった」

「これ、『おかしい』って言葉で表現できる生物なの……?」


 クリスは完全に自分の世界にトリップ中。アリスはそれにすっかり慣れている様子だ。

 

「雄矢、準備できた?」


 場の空気はひとまず置き、アリスが雄矢に声をかけると、彼は治療で脱いでいた服を着終えて起き上がった。


「ごめん、そろそろ終わる」

「そう、すぐ出発するつもりだけど大丈夫?」

「うん。思ったより時間がかかってるし、急ごう。次の村が魔物の被害を受けてるって話は、勇者として見過ごせないからね」


 相変わらず純朴な正義感をたたえた雄矢の瞳に、レヴィは感服する。

 まるでおとぎ話の勇者がそのまま現れたかのようだ。

 隣を見ると、アリスの瞳がきらりと輝いている。

 お互いの気持ちが少し近いのだろうかと、レヴィはほくそ笑むが、指摘するのは野暮と踏んで何も言わず見守る。


「あと少しだから、頑張ろうね」アリスが雄矢に寄り添い、にっこり笑う。

 雄矢の耳が真っ赤だ。これはもう確定事項だろう。


「で、アンタはいつまで妄想してんの。行くわよ」


 端で妄想全開のクリスに声をかけてあげると、突然両肩をがしっと掴まれた。


「そうか、アリスもそうだったのか。誓おう。私はいつまでも――」

「ちょっと待ちなさいクリス! これ私! これ私の肩! 初チューがアンタってのは絶対に嫌!」


 クリスにレヴィの平手打ちが炸裂する。


「はっ?! どうしたレヴィ、近いぞ。離れろ」

「殴っていい?」



************************************



――魔法使い二人に弓兵、治癒師。偏った構成ながらも、『勇者』雄矢の旅は順調に進んでいた。


 旅の途上、魔物に襲われた旅人、呪いに苦しむ村人、街道を塞ぐ竜に動けなくなった商人――彼はそのたび、目を背けず、すべてに救いの手を差し伸べた。

 だが、順調そうに見えるその旅の裏側で、雄矢の胸には小さな苛立ちが、静かに積もっていた。

 手を差し伸べても間に合わなかった者たちの視線、魔力は湧き上がるのに現実には届かないもどかしさ――それらが日々、心の奥底でざわめき、ゆっくりと重くのしかかる。

 寝床で目を閉じても、昨日救えなかった者たちの顔が瞼に焼きつき、胸を締めつける。

 道中、迷子の子供を見失ったときの焦燥、軽傷の村人の傷を見過ごしてしまった後悔――些細な出来事が積み重なり、心に微細な亀裂を生じさせる。


 その蓄積は、魔法の練習中にも表れた。

 魔力の奔流を制御し、手のひらに集中させても、意図通りの形にはならない。火球一つ、風一陣、光球の一閃すらも、思った通りに発動しない。

 毎日のように繰り返される失敗が、雄矢の精神にじわじわと圧力をかける。

「できるはずだ、俺は勇者だ」と自分に言い聞かせても、心の奥に残る不満や煮えたぎる怒りが邪魔をして、思ったように魔法が使えない時もあった。


 しかし努力は実る。

 魔法はレヴィの指導を受けながら少しずつ形になっていった。

 初級魔法の初歩――『火球ファイア』、『水弾ウォーター』、『ウィンド』、『光球ライト』は使用できるようになった。

 だが、魔力の奔流を制御できても、その魔法で救えるものには限界があった。

 人間の営みは、残酷なほど思い通りにはいかない。

 数日前の街道での竜との遭遇。暴風で吹き飛ばしたはずの巨体が、思わぬ場所で小さな村に被害を及ぼしていたことを知ったとき、雄矢は初めて、己の力の強大さと、それを扱えぬ無力さを強く実感することとなった。


 どれだけ力があっても、世界は思うようには動かない。救えるものも、救えないものも、混在している。


 その現実が、日々の疲労や焦りと重なり、雄矢の心の奥に暗い陰翳を落とす。

 雄矢の胸中には、順調な旅の陰で累積される無力感、苛立ち、罪悪感、その全てが静かに、しかし確実に、膨らみ続けていた。


 そしてある日の夜、異様な沈黙が一行を包んでいた。


「雄矢、仕方ないのよ。私たちはできる限りのことはやったんだから――」

「だけどっ! ……俺が……俺がもっと……もっと……!」


 暗闇の中、雄矢は嗚咽と共に膝を抱え、レヴィはその肩を抱いて必死に慰める。

 普段は勇壮な勇者も、今は己の力の限界と、世界に与えられた役割の重圧に押し潰されそうになっていた。



************************************



 その日、彼らは地獄を見た。

 魔物の群れに襲撃された村。

 彼らが辿り着いた時には、既に村の大半が壊滅していた。

 夜の闇に赤い炎が立ち昇り、焦げた木の匂いと血の臭気が混ざり合っていた。

 家々は崩れ、壁という壁には血がこびりつき、地面には形を失った人影が散乱している。


 逃げ惑う人々の悲鳴と、焼け落ちる家屋の軋む音が、空気を裂いていた。

 それは、誰が見ても「救いが間に合わなかった世界」そのものだった。


 雄矢たちは、生き残った者だけでも救おうと必死だった。

 アリスは避難誘導を行い、レヴィとクリスが援護、雄矢は単独で敵を引きつける。

 その顔には、焦燥ではなく祈りのようなものが浮かんでいた。


 ――間に合え


 そんな中、雄矢は一人の少女を見つけた。

 怯えたその子を物陰に隠し、「ここで待ってて」と微笑み、背を向けて走り去る。

 彼女の安堵した表情を、確かに見たはずだった。


 次の瞬間、広場から悲鳴が上がる。

 雄矢は振り返ることなく、炎と煙の中を駆け抜け、魔物の群れへと突っ込んだ。

 『火球ファイア』、『ウィンド』、『光球ライト』。

 魔力の奔流が次々と解き放たれ、轟音と共に辺りを飲み込む。

 紫色の血が爆ぜ、魔物が塵となって消えていく。

 

――早くあの子の元へ

 

 やがて、戦いが終わった。

 

 息を切らし、煤にまみれながら、ユウヤは少女の元へ戻った。

 あの場所へ。

 

 建物の端から、少女の影が見えた。


 「よかった……助けに――」


 声が止まる。

 ゴブリンの手が、少女の髪を掴んでいた。

 小さな体が引きずられ、顔を地に擦りつけ、泣き叫ぶ声が夜に消える。

 雄矢は手を伸ばした。が、躊躇した。


 魔法を放てば、少女ごと焼き尽くしてしまう。


 その一瞬の迷いが、運命を決めた。

 錆びついた刃が鈍く光り、少女の喉を貫いた。

 声が、途切れた。


 雄矢は走った。

 何も考えられず、ただ駆け寄って抱き上げた。

 少女の口が微動するが、すぐにぴくりとも動かなくなる。

 温もりはまだあった。だが、その小さな胸は、もう動かない。


「遅……かった」


 それだけの言葉が、彼の中で何度も何度も反響する。

 頭の奥で何かが軋み、胸の中で何かが崩れる音がした。

 燃え残る家々の炎が、揺れる彼の瞳を映していた。

 レヴィたちが駆けつけても、彼は動かなかった。

 その手に、少女の血がこびりついていることにも気づかぬまま。


「俺が……俺がもっと……早く……」


 声は震え、嗚咽に変わる。

 抱えた少女の体は軽いはずなのに、雄矢の腕に重くのし掛かる。

 レヴィが背に手を添え、アリスが泣き、クリスは静かに目を閉じた。


――違う……違う……違う……


 雄矢の心で積もっていくそれに、気付いた者はいない。

 

 

********************************



――そして、今に至る。


 雲に隠れた月の光と、燃え続ける家屋の火だけが、彼らの姿を照らしていた。

 レヴィは言葉を失い、代わりにクリスが雄矢へと声をかけていた。


「俺が……もっとしっかりしてたら! もっと魔法が使えてたら、あんなの!」

「アンタが広場の魔物を殲滅してくれたおかげで、あそこで固まってた村人たちは全員助かったのよ。十分よ、雄矢」

「やれてない! 俺は……あの子を救えなかった! 俺は勇者だろ!? みんなを救わなきゃダメなんだ! なのに……なのにっ……!」


 声が震え、急に掠れた。

 その直後、雄矢が何かを呟いた。小さすぎて、誰にも聞こえなかった。


「……さい」

「え?」

「ごめんなさい……」

「雄矢、落ち着――」

「ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっ! あああっ! あああああああああああ!!」


 雄矢は頭を掻きむしり、血が滲むほどに地面へ叩きつけた。

 何かに取り憑かれたように、ただひたすら謝罪を繰り返す。

 土と血と涙が混じり合い、ぐしゃぐしゃになったその姿に、レヴィは本能的な恐怖を覚えた。

 人間が壊れる時のそれが、今目の前にある。


「雄矢っ、やめなさい!」


 壊れてしまう前に――彼女が肩を掴んでも、止まらない。

 その様子は、故障した人形のようだった。

 焦点の合わない瞳が宙を泳ぎ、声だけが無意味に空気を裂く。

 その時、治療を終えたアリスが駆け寄ってきた。

 息を切らし、雄矢の変わり果てた姿を見た瞬間――彼女の顔が凍りついた。


「雄矢っ!」

「ごめんなさい! ごめんなさい!」

「雄矢、こっちを見て!」


 アリスが雄矢の両頬を掴み、無理やり顔を自分の方へ向かせた。

 血と泥にまみれた顔を、彼女は一瞬も逸らさず見つめる。


「しっかりしてっ!」

「ああ、アリス……俺……俺……」


 雄矢の瞳に、ようやく一瞬だけ焦点が戻る。

 だがそれは、底の抜けた虚ろな光だった。


「は……はは。アリス、俺、駄目だった。俺、駄目だったよ。駄目だったんだ」

「そんなこと言わないで。今まであなたは――」

「やめてくれよ」


 アリスの言葉を遮るように、雄矢は掠れた声で呟いた。

 その声音には、怒りでも悲しみでもなく、ただ空虚な諦めだけが宿っていた。


「俺は……何にもなれなかった。こっちでも変わらねぇんだ。知ってたんだよ……俺には向いてなかったって」

「なにが……ですか?」


 アリスの問いに、雄矢はうつむいたまま笑う。

 笑いながら、ぽつりと呟いた。


「勇者だよ。……俺はずっと、それになりたかったんだ。頑張って、努力して、良いことして……お伽話みたいな、みんなを救う勇者様になれるって、信じてた。でもさ、結局……俺なんか、誰も救えねぇよ……」


 その言葉が夜の静寂に溶けた。

 レヴィも、クリスも、ただ立ち尽くすしかなかった。

 アリスだけが、その崩れ落ちそうな雄矢の手をそっと握った。


「……旅を始めたときから、ずっとそう言ってたよね。「勇者ならこうする」「勇者ならできる」って。どうして、そこまで……?」

「どうしてって? みんなが俺を『勇者』って呼ぶからだよ。俺が勇者であることを望んでるからだよ! やるしかないだろ? ――やるしか、なかったんだよ!」


 雄矢は拳で地面を叩き、砂混じりの土を握り潰した。

 その肩が、怒りか涙か分からないほどに震えている。

 レヴィは止めようとしたが、アリスは一歩も引かなかった。


「じゃあ、あなたの言う『勇者』って何なの?」

「……みんなを導くリーダーで、強くて、かっこよくて……正義感に溢れてて、弱い人、困ってる人、誰一人見捨てない。そんな……」

「そんな人間、いませんっ!!」


 アリスの叫びが夜気を裂いた。

 その瞳には怒りと、そして涙が滲んでいた。

 あのアリスが、感情をむき出しにするのをクリスでさえ見たことがない。


「いたんだよ……! 昔話で、物語で、ちゃんと! そうやって伝わってきたからこそ、俺は召喚されたんだ! 勇者なら――一人残らず救えたはずだろ!!」

「いくら伝説の勇者でも、それは無理だよ!」

「無理じゃない!」

「無理です!!」


 ――まるで、子どものような言い争いだった。

 でも、その幼さこそが、雄矢の()()()()()を浮かび上がらせていた。


「どうしてそこまで、自分を責めるの……? あなたは、みんなのために戦ってきたじゃない!」

「俺が一体、何を――」

「私もアリスに同意よ。雄矢」


 レヴィが穏やかに言葉を挟む。

 その声は、荒ぶる嵐に一滴の水を落とすように静かだった。


「あの広場、覚えてる? 紫の魔物たち。あれを一掃したのは、アンタでしょ」

「それが……なんだよ」

「あの中にはね、半分以上、魔法でしか倒せない個体が混ざってたの」

「え……?」

「もし私が一人であれを相手してたら、何人死んでたかわからない。 でもアンタは、お得意の魔法で全部まとめて吹き飛ばした。それはね、雄矢。アンタにしかできない芸当。そうね、アンタだったからできた芸当だったのよ」


 それは事実だった。

 マジックスライム――物理を無効化し、魔法を吸収する紫の魔物。

 倒すには、奴らの許容量を超える膨大な魔力を一撃で叩き込むしかない。

 それを可能にしたのは、無尽の魔力を持つ雄矢ただ一人。


「ほら、雄矢にしかできなかったことが、ちゃんとあったじゃないですか」

「でも……」

「あなたじゃなきゃ救えない人がいた。あなたがいたから、救えたんです。他の誰でもない――あなただったから!」


 アリスの声が震えた。

 泣きながら、それでもまっすぐに雄矢を見つめている。


「でも……こんなの、勇者じゃない……」


 雄矢は唇を噛み、俯いた。

 涙が地面に落ち、土に吸い込まれていった。


「俺の目指してた勇者は……こんなんじゃ、なかったんだよ……」


 アリスは少し考えた後言った。

 彼女は泥に膝をつき、雄矢の顔を見上げるようにして言った。


「――私は、あなたが勇者だと思ってるよ」

「……何、言ってるんだよ。言っただろ、俺は何も救えてない、何も」

「何度だって言うね。救えたよ。たくさんの人を。今日だって、みんなあなたに助けられたの。でもね、雄矢。勇者って、全部を救える人のことじゃないと思うの」

「……そんな綺麗ごと、言うなよ。俺は――」

「綺麗ごとでいいの。私はそれで救われてる。あなたが私たちを信じて、前に進もうとしてくれたから、みんなここにいるんだよ。その力は、きっと勇者の剣よりも強い」


 アリスの手が、そっと雄矢の頬に触れた。

 彼の指先が震える。崩れ落ちそうな心を、かろうじてその温もりが繋ぎ止めていた。


「雄矢。あなたはね、強くなろうとしてるだけで、もう立派だよ。どれだけ泣いても、悔やんでも、それでも立ち上がろうとしてる。そんなあなたを見て、私は……何度も勇気をもらったの」


 夜風が吹いた。燃え残った家々の火が、ゆらゆらと揺れる。

 その光がアリスの銀髪を照らし、まるで天から降りた月明かりのように雄矢を包んだ。


「もう、無理して『勇者』でいようとしなくていいの。雄矢として、泣いて、怒って、苦しんでいい。それでも、あなたは――私たちの希望だから」


 その言葉に、雄矢の肩から力が抜けた。

 何かが音を立てて崩れ落ち、そして、静かに――涙が零れた。

 嗚咽の中に混じったその涙は、悲しみではなく、確かに救いの色をしていた。

 アリスはそっと彼の頭を抱きしめ、耳元で囁いた。


「大丈夫。あなたは、一人じゃないから」


 アリスの囁きが、夜の闇に溶けていく。

 その余韻を断ち切るように、雄矢がぽつりと呟いた。


「……でも、みんな俺が『勇者』だから着いてきてたんじゃないのか?」


 その言葉に、沈黙が落ちる。

 けれど最初に口を開いたのは、思いがけずクリスだった。


「バカなことを」


 彼女の声は、冷たくも、確かな温度を帯びていた。


「私はアリスに着いてきただけだ。お前が勇者だろうが凡人だろうが、そんなことはどうでもいい。だが――お前だから、アリスはここにいるんだ。そうだろう?」


 アリスは、何も迷わずに、勢いよく頷いた。

 その瞳は涙で潤んでいたが、光を失ってはいなかった。


「それに……私も、お前のことは……悪くないと思っている」


 照れ隠しのように言い放つクリスの横で、レヴィが腕を組み、少しだけ笑う。


「まったく。アンタは腐っても弟子だからね。師匠として、最後まで面倒みてあげるわよ」

「二人とも……」


 顔を上げた雄矢の目に、ようやく光が戻り始めていた。

 燃え残る家々の火が、まるでその瞳の奥で小さく揺らめくようだった。


「私は、いつまでも着いていくよ。だって私は……どんな時でも正義の心を持っているあなたに、惹かれたんだから」


 アリスの言葉は震えていた。

 それでも、確かに届いていた。


――それに……あなたは、きっと。


 その先の言葉は、喉まで出かかったが、アリスはそっと飲み込んだ。

 胸の奥が痛いほど熱かった。


「いいのか……? もう、なろうとしなくて……」


 雄矢が掠れた声で問う。

 アリスは静かに首を縦に振り、微笑んだ。


「ええ。よく頑張りました、雄矢。今までずっと」


 その声は、祈りのように優しかった。

 アリスは彼の頭をそっと撫でる。

 あやすように。守るように。まるで壊れかけた勇者を包む母のように。


「これからは――好きに、やりたいように生きて。それが、あなたという()()()()()()()の物語になるから。一人目の伝説をなぞるだけじゃない。あなた自身の勇者譚が、今ここから始まるの」

「うっ……俺は……俺はぁぁぁぁ……!!」


 嗚咽が夜に響いた。

 積み上げた後悔が、涙となって零れ落ちる。

 それは絶望ではなく――確かな解放の音だった。

 アリスは何も言わず、ただ彼を抱きしめた。

 雄矢もまた、その細い腕にしがみつき、子供のように泣き続けた。

 夜風が、静かに二人を撫でていた。

 


 勇者として召喚され。

 勇者としての資格を見せるために努力し。

 勇者として旅に出て。

 勇者として行動した。


 周囲からの重圧、伝説の勇者の再来を望む声に応えようと、今まで彼は必死に伝説の勇者を演じつづけていた。

 呪いに苦しむ人がいれば解呪に奔走し。

 魔物の被害にあうならば魔物を討伐し。

 小さな少年や少女、老人から若人まで、さまざまな人間と交わした約束も、その大きさなど関係なく必ず果たしてきた。


 必死に。


 ただ必死に。


 言われた通りに。


 望まれたように。


 らしく、あろうとした。




 前の世界でそうしていたように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ