第11話/2話 勇者だから
「だーかーーらぁーーーー!! なんで! こんな! 初歩中の! 初歩が! できないの! 一体何回言ったらわかるのよ!!」
「ごめんなさいぃー---!!」
風が気持ちよく吹き抜けるのどかな草原に、鼓膜を破らんばかりの怒号と情けない悲鳴が響き渡った。
「だから! 魔力の流れをよく見て! それを形にす・る・の!」
「その魔力を形にするってのが感覚的すぎてよくわかんなくて……」
「こんの……! ああああああ! ……もう一回だけ。もう一回だけ洗脳魔法かけるからそれで感覚つかみなさい! ……次はないわよ」
「は、はいっ!」
王国最強魔法使いレヴィは、目の前の少年――鈴木雄矢に魔法を教えている最中だった。
……が、その出来があまりにも絶望的だった。
彼は『無限魔力』という『無限の魔力が生成される』スキルを持っておきながら、『魔法』を一つも知らなかった。
最初にそれを聞いた時、レヴィは「まぁ、異世界の人間なら仕方ないか」と思い、じゃあ基礎から教えればいいと張り切って指導に臨んだ。
だがまさか、基礎の基礎の、そのまた基礎で詰むとは想定外だった。
「火球くらい、子供でも出せるのよ!? なんで出ないの!?」
「だ、だって……僕、理系なんで!」
「リケイ? よくわかんないけど多分関係ないわ!」
「待ってください、ここまで出かかってるんで、もう本当あとちょっと出そうなんで」
「手から出しなさいよ!!」
レヴィはこの状況と、その原因であるポンコツな彼に苛立ちを覚えていた。
雄矢は魔力を操る力だけは持っていた。
思い通り魔力を体の端から端まで移動させる程度の能力はあったようで、幸先良いなとレヴィは思っていた。
しかし、魔法に変換する段階が超えられない。
生活で使う程度の『火球』。それすらも作り出せないのでは話にならない。
――魔力とは魔法を使うために消費するもの。
魔法が使えないのに魔力だけがとめどなく溢れ出てくるなんて、レヴィからしてみれば宝の持ち腐れでしかない。
特にレヴィは魔法への探求心に溢れている。生きている時間はほぼ全て魔法の研究に費やしたいとさえ思っているが、王宮魔法使いと呼ばれる今でも、魔力量に限界が存在する。
彼女からすれば、今の彼は底の抜けた壺のようなものだ。
「火球!」
雄矢が勢いよく手を突き出す。
次の瞬間、手の先からバスケットボール大の火の玉がふわっと飛び出した。
ぽとりと落ちたそれは、地面を焦がす程度でおさまる。
「はい、覚えた?」
「うーん……」
レヴィはこめかみを押さえた。
今の魔法は確かに彼の手から放たれた。だが、意図的にではない。
正確に言えば、彼女が洗脳魔法で操って撃たせたものである。
洗脳魔法――相手の体の自由を奪い、時に思考までも支配する危険な術。
それを開発したのは、他ならぬレヴィ本人。
微妙な感覚操作など、彼女にとっては朝飯前だった。
雄矢には体の自由だけを奪い、意識と感覚は残した。
その状態で魔法を使わせれば、感覚で覚えられる――というのがレヴィの狙いだった。
「はい、やってみて。今度は自力で」
「ファイア!」
……何も起きない。
レヴィは魔力の流れを観察し、即座にため息をついた。
魔力は確かに動いている。しかし、それが火に変換される気配が一切ない。
「……ぅ」
「う?」
「うぅぅぅうううああああああああああああああ!!!!!!!!!」
「ひぃぃぃぃぃぃ!!!!」
レヴィの絶叫が草原に響いた。
獣の咆哮さながらの怒号に、雄矢は反射的に頭を抱えてしゃがみ込む。
「なんでできないのよ! どうなってんの! 不器用にもほどあるでしょ! こうよ! こう! こうこうこうこう!」
レヴィが苛立ちのあまり髪を振り乱しながら手を突き出す。
爆炎が何発も放たれ、馬車一台を軽く包み込むほどの火柱が連続で生まれる。爆風によって彼女の黒髪が大きく揺れている。
着弾地点にあった青々とした草原は、一瞬で炭化した灰色に変わった。
この草原が王国の世界百景から外されるのは、きっと来年の話だろう。
「ごっごめんなさいっ! 全然わかんないです! ていうかレヴィさん、ファイアって言ってないのに火出してましたよね!? 言葉いらない系ですか!?」
「ハァ? ……詠唱のこと?」
人々は魔法を使用する際、その魔法の名前を唱える。
その行動を『詠唱』と呼ぶ。
「詠唱なんて魔力操作の補助みたいなもんよ。私はよっぽどの魔法じゃないと使わないし、普通の人なら相当練習しないとできな……って、あんたには1000年早いのよ! だから! 早く! 火の玉一個くらい出せ!」
「ごめんなさいぃーーーーー」
再び、怒りの炎が再燃した。
怒号と悲鳴が草原に木霊する。
――その日の午後、草原の一割が黒く染まり、レヴィが王にめちゃくちゃ怒られたというのは、また別の話である
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半月がたった頃――。
「ファイア! ファイア!」
草原を照らしていた日は傾き、空が徐々に黒く染まりつつある。
東の空にはぼんやりと光る月が登り始めていた。
雄矢は未だ魔法を発動できていない。
日が経つにつれ、雄矢の顔には焦りが見えてきている。
毎日こうして朝から晩まで練習しているのに結果が出ないのではそうもなる。
彼が初めの頃見せてくれた無邪気な笑顔も、次第に曇っていた。
レヴィは付きっきりで教えているが、彼の魔法に改善は見られなかった。
「やっぱ、指導者向いてないのかな……私」
王宮魔法使いになってから、彼女に指導を求めるものはいたが、皆早い段階で去っていく。
魔法が使えている時点で彼女の理論は間違っていないのだが、凡人には彼女の感覚が理解できず、後をついてくる者はいなかった。
次第に弟子を取ることは無くなっていたのだが、今回は王からの直接の依頼。
断るわけにはいかなかった。
だが、請け負った以上、成果も上げなければならない。
「……今日はもう終わりでいいんじゃない」
「まだ、やれます!」
雄矢の声は力強い。だが、その手は疲労で震えていた。
魔力操作には膨大な集中力を要する。
朝から通しで続けていれば、脳への負担は相当なはずだ。
「私がやらせてなんだけど、無理してもしょうがないわよ」
「でも! 俺は勇者だからっ」
「……じゃあ、休憩にしましょう」
「……はい」
水筒を彼に手渡し、座らせる。
少し遅れて、彼女も隣に腰を下ろす。
言葉は交わされない。ただ、風と虫の声だけが草原を撫でていく。
レヴィはかける言葉が思いつかず、夕日の角度が変わっていく様子をただ観ていた。
魔法は感覚の世界だと、レヴィは考えている。
何度言ってもできないのであれば、雄矢は魔法に変換する感覚そのものが欠けている。
催眠魔法で何度も感覚の再現をさせた。それでも結果は出ない。
となると、変換する感覚が欠如していることになる。
しかしそれでは、魔法は使えないということになってしまう。
「そろそろ……やります」
「まだ休んでなさい。無闇にやったって意味が――」
「もともと意味なんてない!」
珍しく声を張り上げた彼に、レヴィは目を見開いた。
雄矢は立ち上がり、握りしめた拳を震わせていた。
「俺が魔法を使えないと、意味ないんですよ!」
声が掠れていた。
焦りでも、悔しさでもなく――どこか『自分への怒り』に近い響きだった。
立ち上がる彼の握り締めた水筒から、中身が溢れている。
成長のない自分にもどかしくなる気持ちは、レヴィにもわからなくはなかった。
「こんなに魔力があるのに……意味がない。俺は勇者だから、早く戦えるようにならないと」
「どうして、こんな何も関わりのない世界のためにそこまで頑張れるの?」
レヴィは問いながら、ふと自分の過去を思い返していた。
彼はまだ十六。自分より四つも年下だ。
その年の自分は――世界のことなんて考えもしなかった。
魔法の理論に没頭し、寝食を忘れて魔法陣を描いていた。
誰かのためなんて、きっと一度も思ったことがなかった。
ただひたすらに、自分のやるべきことだからと、魔法とのみ向き合い続けてきていた。
「私はこの国の王に恩があるから、アンタを指導してる。雄矢が頑張る理由は何?」
「それは……」
言葉が途切れる。
沈黙が草原を包み、風が二人の間を通り抜けた。
召喚されてから半月。
毎日、朝から晩まで、彼は欠かさず訓練を続けてきた。
休日を与えても、彼はその日も一人で鍛錬し続けていた。
その原動力がどこにあるのか、レヴィはずっと不思議に思っていた。
「俺は勇者だから」
その声には、迷いがなかった。
一切の震えもなく、ただ真っすぐに放たれた言葉。
「俺が強くなって、魔王を倒せば世界が平和になるんですよね。だったら俺はそのために頑張りたい」
「雄矢に何の得があるのよ」
「皆が幸せなら俺はそれでいいんです」
その横顔が、夕陽に照らされていた。
赤く、橙に染まる光の中で、彼の瞳だけがまっすぐに輝いている。
それは嘘偽りのない光。
レヴィは、何か胸の奥を掴まれたような感覚に襲われた。
――この子は、本気だ。
この見知らぬ世界を救うために、本気で自己を犠牲にしようとしているのだと、彼女は錯覚した。
「本気なの?」
「本気です」
レヴィの問いかけに対し、間を空けずに答えが返ってくる。
その言葉の奥に、迷いのない熱があった。
レヴィは小さく息を吐くと、空を見上げた。
夜の始まりが、群青色の空を飲み込みはじめている。
この少年の『純粋な真っ直ぐさ』が、捻くれて生きてきた彼女には少しだけ眩しかった。
「……わかった。付き合うわ。すっごい魔法使って、皆を飛び上がらせてあげましょ」
「――! よろしくお願いします!」
振り返った彼の笑顔が、沈みかけの陽を跳ね返した。
その光が、ほんの少しだけ、レヴィの頬を温めた。
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夜闇が草原を覆う中、レヴィが宿へ戻った後も、雄矢は孤独に立ち尽くしていた。
漆黒の闇に手を突き出し、声を張る。
「ファイア!」
だが、虚空にこだまするだけで、何も生じない。
「……ファイア! ファイアァッ!」
魔力の奔流は渦を巻き、彼の体を震わせる。だが、形にはならない。
内奥に押し込められた熱情が出口を求めて軋み、全身を苛む。
「……なんでだ……なんで、できないんだ……」
拳を握り、地面を叩く。草原が微細な振動に揺れる。
無限に湧き上がる魔力が大地を震撼させる。
だが、それでも火は現れなかった。
「俺は勇者だぞ……!」
声には戦慄が混じる。怒りでも悲哀でもなく、形容しがたい異形の感情。
「できるはずなのに……なんで……!」
無窮に湧出する魔力が、呪縛の如く彼を縛り上げる。
世界が自分を拒絶し、この現界が自らの使命を剥奪したかのように思えた。
雄矢は拳を握り、力を込める。
胸中で渦巻く感情――憤怒、焦燥、期待、そして昂ぶる肥大化した自尊心――が魔力を震わせた。
「俺は……勇者だ。魔法なんか撃てて当然だろ!?」
理屈なんていらない。
俺が撃てると言えば、撃てるんだ。
詠唱? 手順? そんなの知るか。
俺の望み通りに動け、魔力!
世界を救うためではない。ただ「魔法を使う特別な自分」を証明したいという、醜いまでの自己愛。
そのエゴの決意が一点に凝縮されると、全身を駆け巡る魔力がついに形を成した。
手先から迸った光は、小さな火球を空間に出現させた。
無為に流れ続けていた魔力の奔流が、初めて意思を帯びた形を得た瞬間だった。
――世界が間違っている。
なぜ勇者たる自分に、魔法がすぐに使えぬ試練を課すのか。
その不条理に抗うかのように、雄矢の心は炎の如く揺らめく。
勇者として当然持つべき力を封じる世界――それを憎悪と呼ぶには、まだ温い。怒り、焦燥、驚嘆、歓喜、すべてが一度に押し寄せる。
消えゆく火花はゆらりと宙を舞い、草原に着弾して小さな閃光を散らす。
「俺の思い通りになった」という達成の高揚と、「俺を苦労させた」世界に対する漠然たる憤怒が、同時に胸を支配していた。
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翌朝。
朝靄に包まれた草原に、先の夜の痕跡が残る。
レヴィはその光景を見て立ち止まった。
焦げた草、湿った土、微かに香る煙。
その中で、雄矢は振り返った。
髪は乱れ、瞳はわずかに疲弊しているが、確かな笑みを湛えている。
ようやく……――湧き上がる感動から、レヴィも自然に笑顔を返す。
しかし彼の瞳の奥に、ほんの一瞬――傲慢で冷酷な不穏な影を見た気がした。
今思えば、この時既に『狂王』の種は何かが芽生え始めていたのかもしれない。




