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第10話/1話 勇者じゃなくて雄矢です

「どこだここ……」


 目を開けた瞬間、視界が真っ白に染まっていた。

 眼孔の奥を突き刺されてるように思えるほど眩しい光に男は目を細めた。

 どこまでも続くような柔らかい光は、触れれば暖かさが伝わってきそうなほどだが、手を伸ばしても掴めるものは何もない。

 よく見ると四角い部屋にいるらしい。

 一体ここはどこなのか。

 この状況、どこかで――男の記憶のどこかに、強烈な既視感があった。


「こんにちは」


 背後から聞こえた澄んだ声に、雄矢は振り返った。

 そこに立っていたのは、光そのものが人の形を成したような女性だった。

 柔らかく輝く金の髪、透き通る青の瞳、汚れを知らない白い衣。

 その全てが、ルネサンスの絵画から抜け出してきたように整っている。


 ――けれど、雄矢は驚かなかった。

 恐怖も、混乱もなかった。

 彼はただ、震える唇の端を吊り上げ、笑い出したのだ。


「……あ、あは……っ、マジかよ……」


 頬の筋肉が痙攣するように震える。

 視界がぼやけていく。

 胸の奥から、熱く煮えたぎるような何かが込み上げてきた。


「これ……本物か? 本当に……来たのか、俺……」


 ぽたり、と大粒の涙が白い床に落ちた。

 それは恐怖の涙でも、死を嘆く悲しみの涙でもない。

 純度百パーセントの、『歓喜』の涙だった。


「うそ……こんなの……ずっと夢見てたやつだろ……! いや、待てよ……この感じ、光り輝く美しい女性……完全に神様じゃん!」


 両手で顔を覆い、しゃくり上げながら笑う。

 涙と鼻水が止まらない。

 彼は顔をぐしゃぐしゃにしながら、興奮で裏返った声を張り上げた。


「ありがとうございますっ! マジで、ありがとうございますっ……! 俺、ずっと、こういうのに憧れてたんです! 異世界転生とか、勇者召喚とか、全部……本当にあるんだ……!」


 神のような女性は、目の前で突然泣き喚き感謝を捧げる男の様子に、一瞬だけ戸惑いを見せた。

 けれど、雄矢はそんな女神の微妙な表情の変化になど気づかない。

 彼の意識は、もう完全に「物語の主人公」として、この劇的な世界観に酔いしれていた。


「うわ……やば……この空間、神域ってやつ? マジで演出完璧じゃん……! 俺、ホントに、選ばれたのか……!」


 血走った目を輝かせ、荒い息を吐きながら言葉を繋ぐ。


「なぁ神様! これ、転生のやつですよね? チートスキルとか……選べる感じですよね!? うわ……夢みたいだ……ほんとに……! 願ってもなかった……!!!」


 男の声は歓喜に震えていた。

 頬を伝う涙は、彼にとって「選ばれし者」の証だった。

 現実世界での冴えない日常。誰にも認められなかった日々。だが、長い間信じ続けた夢が、今まさに報われたのだ。

 彼の心は、これ以上ないほどに満たされていた。

 夢を信じ続けた少年の自己愛は、いま、神の御手によって確かに肯定されたのだ。


「ようこそ()()()()様……あなたには、ある世界を救っていただきます」

「ですよね! そうこなくちゃ!」


 涙を乱暴に拭いながら、彼は満面の笑顔で女神に向けてグーサインを突き出した。

 少年の名は――鈴木雄矢。

 これが、彼の『物語』の始まりであった。

 


************************************



「――あいつ、魔力量が異常よ。あれが同じ人間? 冗談でしょ」

「まさか……」


 グレンは、隣で震えるレヴィの顔を見て絶句した。

 王国最強の天才魔法使いである彼女が、顔面を蒼白にして声を震わせているのだ。

 それが、いつものふざけた態度からくる冗談だとは、到底思えなかった。


 グレンだけでなく、周囲を取り囲む近衛兵たちも、目の前で無邪気にはしゃぐ不審な青年を前に、誰一人どうすればいいかわからず剣を下ろせずにいる。広間には、重苦しく奇妙な沈黙が満ちていた。

 その中で、最初に動いたのはレヴィだった。

 彼女は、魔法使いとしての本能――恐怖よりも好奇心が勝ったのか、その得体の知れない存在に向かって、恐る恐る声をかけた。


「お兄さん、言葉わかる?」

「は、はい。わかります!」


 あまりにも素直で、屈託のない返事に、グレンはわずかに安堵した。

 レヴィをこれほど怯ませた存在が、もし意思疎通すら不可能なバケモノだったら……想像するのも恐ろしい。


「そう……よかった。あなた、名前は?」

「えっと、スズキ ユウヤです」


 その瞬間、広間が一気に騒然となった。


「勇者?!」「やはり勇者様だと?!」「成功したんだ!」「ああ、神よ! これで国は救われる!」


 極限の緊張状態にあった兵士たちが、安堵と歓喜のあまり口々に叫び、武器を掲げて儀式の成功を祝福し始める。


「え、あ、すいません! ユウシャじゃなくて、ユウヤ、です!」

「静まれ! 失礼だぞお前たち!」


 ユウヤの訂正と同時に、グレンが聞き間違いではしゃぐ兵士たちを一喝し、無理やり場を鎮めた。


「ごめんね、えっと……」

「あっ、ユウヤのほうが名前です」


 姓名の順序に一瞬迷ったレヴィに、ユウヤがニカッと人の良さそうな笑みを浮かべて助け舟を出す。

 そのあまりにも自然で「普通」すぎる反応に、レヴィは一瞬だけ息を呑んだ。

 目の前の青年は、どう見てもただの人間だ。

 それでも、彼女は背筋を這い上がる悪寒を悟られないように表情を整え、再び異世界から来た青年をまっすぐ見つめた。

 

――これが勇者……。


 レヴィの眼に映るのは、あまりにもおぞましい光景だった。

 本来、人間の体から魔力が外へ漏れ出すことはない。魔力とは体内に留めておくべき生命力の一部だからだ。

 だが彼の場合、体内で生成される魔力があまりにも膨大すぎて、肉体という器に収まりきらず、堰を切ったように空間へと垂れ流され続けているのだ。

 真っ黒な魔力の奔流が、青年の周囲で渦を巻いている。

 意識して()()()()()()しなければ、三半規管が狂って、その場で嘔吐してしまいそうだった。


「すごい魔力量……それ、一体どうなってるの?」

「ああ、これですか? スキルの『無限魔力インフィニティ』によるものです。ほら、これ」

「ちょっ?! 他人に見せていいものじゃ――」


 彼は、自らのステータスウィンドウを空中に呼び出すと、一切の躊躇なくレヴィの目の前に突き出した。

 この世界において、自身のステータスを他人に晒すなど、己の急所を教えるような非常識極まりない行為だ。

 レヴィは慌てて顔を覆うが、指の隙間から見えてしまったその一文に、再び息を呑んだ。


無限インフィニティ 無限の魔力を生成し続ける 常時発動 gΛ2f8mk0』


「……無限の魔力を生成? 吸収じゃなく、生成って……何それ……意味がわからない……」


 さらにレヴィの目を引いたのは、最後尾に羅列された意味不明な文字列だった。

 それは彼女の知るどの魔法体系、どの古代言語にも属していない。

 見たことも、法則性を感じることもできない、完全なる()()だった。


「レヴィ殿。その者は……勇者なのか?」


 王の声が静まり返った広間に響く。

 レヴィは振り返り、力強く言い放った。


「勇者に決まってる! スキルは『無限魔力インフィニティ』! 常に無限に魔力が溢れ出て、尽きることがない! この子なら、私を超える……何だったら、一人でもこの戦争を終わらせるかもしれない!」


 興奮に頬を紅潮させるレヴィ。

 魔法使いとしての尽きせぬ知識欲と、未知なるバケモノへの恐怖。相反する感情がぐちゃぐちゃに混ざり合い、その笑みはどこか歪んでいた。


 レヴィの断言に兵士たちが一斉にどよめく中、王が手でその場を鎮める。

 そして、王は静かに前へ進み出ると、ひょろりとした体躯の雄矢を見下ろした。


「ユウヤ殿といったな」

「はい」

「貴殿を呼んだのは、他でもない。この国に――」

「危機が迫っていることは神様から聞きました。ぜひ、僕の力をお使いください」

「……! そうか……心強い」


 王は、青年の言葉に深く感動していた。

 この荒れ果てた絶望の時代に、恐れを知らぬ者がまだいたのか、と。

 民を守るため、幾千の兵を前線へ送り出してきた。だが、残された兵の目に宿るのは、過労と死への諦めばかりだった。


 だが、いま目の前に立つこの青年の瞳は――まっすぐで、一切の濁りがない。

 そこにあるのは、死への恐怖でも、権力への打算でもない。

 自分が世界を救うのだという、純粋で無垢な「信じる力」だけだった。


 王はふと、自らの若き日の理想を思い出していた。

 剣を掲げ、自分の力で誰かを救えると無邪気に信じていたあの頃。

 それが王冠という現実の重みに押し潰されてから、どれほどの年月が経っただろう。


 ――だが、彼なら。

 この恐れを知らぬ少年なら、きっとその失われた理想をもう一度形にしてくれる。

 そんな確信にも似た想いが、王の老いた胸を強く打った。


「失礼を承知で頼もう。ここで其方の『無限』の力、見せてはもらえぬか?」

「……フッ、わかりました」


 雄矢はぐっと拳を握りしめ、前に出た。

 胸の鼓動が高鳴っていた。

 ついに、自分の異世界無双が始まるのだ、と。


「よしっ……じゃあ、やりますね!」


 王の言葉を受け、兵士たちが一斉に息を呑み、防御の姿勢を取る。

 広間の空気が、ひりつくほどにぴんと張りつめた。

 ――スズキ・ユウヤ、異世界での初陣。


「フレイムボール!」


 その詠唱にレヴィは防御魔法を展開しようと構えた。

 しかし……何も起きない。


「……え?」


 雄矢は手のひらを見つめ、もう一度腕を高く上げる。


「ファイアボール!!」


 ……変化なし。

 広間には、松明の爆ぜる音だけが空しく響いている。


「……詠唱が違うのかな? じゃあ、フレイム・バーーーースト!!」


 沈黙。

 あまりにも痛々しい光景に、近衛兵の一人がポツリと漏らした。


「……なかなか派手な掛け声だな」

「こ、声は出ているわね」

「火力は、喉から感じた」

「……い、いや、たぶん今のは肩慣らしなんで!」


 周囲の生温かい視線に焦った雄矢は、両手を顔の前で交差させ、目をギュッと閉じる。

 頭の中に深夜アニメの最高にカッコいい名シーンを思い浮かべながら、全身全霊で叫んだ。


「我、天地の理を越えし者――メテオ・インフィニティ・フルバースト・デストロイヤァァァ!!」


 ――圧倒的な、静寂。

 風も音も消えた。

 全員が完全に固まる。

 魔法の暴発を恐れて盾を構えていた兵士たちは、リアクションしていいのか分からず、困惑顔で互いの顔を見合わせた。

 耐えきれない居たたまれなさが広間を満たす中、王が静かに、そしてひどく気まずそうに口を開いた。


「……うむ。たいへん……迫力のある詠唱であった。レヴィ殿、彼への指導を頼みたい」

「うん、雄矢ごめん。もうちょっと早く止めた方が良かったわね」

「〜〜〜〜〜〜っ」


 雄矢は、耳の先まで真っ赤にして顔を覆っていた。

 グレンが「これが……本当に勇者なのか……?」と怪訝な顔で頭を抱え、兵士たちはどう慰めるべきかという微妙な空気に包まれていた。


 しかし。

 ただ一人、雄矢だけは顔を上げると、真っ赤な顔のまま拳を握りしめ、眩しいほどの笑顔を浮かべた。


「っしゃあ! 失敗フラグも異世界あるある!! 最高かよこの世界ッ!」


 そのあまりにも前向きすぎる笑顔に、誰もが一瞬だけ、毒気を抜かれたような何かを感じた。

 あまりにも眩しく、そしてあまりにも痛々しいその姿に、誰もツッコむことができなかった。


 そして誰も知る由もない。

 ――これが、のちに世界を恐怖で支配する狂王の『最初の詠唱』であったことを。

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