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第1話 レポートは消えてくれ

「え……?」


 将斗が目を開けた瞬間、世界は暴力的なまでに真っ白だった。

 光源が見当たらない。けれど、周囲を包む光は柔らかく、境界線すら曖昧にどこまでも続いている。

 手を伸ばしても、掴めるものは何もない。空気の質量すら感じられない虚無の空間。


「んん……?」


 目がその白さに慣れてくると、ようやく違和感の正体に気づいた。

 この空間には四隅がある。広さは八畳ほど。ワンルームマンションのような閉塞感。

 しかし、家具が一切ない。


 現実が受け入れられず、将斗は目を擦って、瞬きをした。


「えっ?」


――白一色の視界の中に、自分と同じくらいの背丈の女性がいた。


 作り物めいた美しさだった。

 柔らかな金色の髪は、陽の光を繊維の一本一本に閉じ込めたように輝き、深い青の瞳は、底の見えない湖のような透明感をたたえている。

 頬は瑞々しく、陶器のように滑らかだ。人間特有の「生々しさ」が欠落しているようにさえ見えた。


 女性は優雅に腰を折って一礼した。頭を下げた際に揺れる金髪が、残像のように白い光を弾く。

 自然と、自分が彼女とは『解像度の違う』存在であると感じさせられた。


 白い部屋に、人ならざる雰囲気を携えた存在。この展開はまるで――


「もう大体わかりますよね?」

「え?」


 突然投げられた問いの答えを将斗は持っていない。

 首を傾げていると、彼女は言った。


「異世界転生してもらいます」



******************************



「レポート無理すぎる……」


 渡将斗ワタリマサトはシャーペンを投げると、スマホ片手にベッドへ倒れ込んだ。

 親元を離れて一人暮らしを始めてもう三年。

 大学生活には慣れたが、「友人」と呼べる深い仲の人間はいなかった。


 おかしい。思い描いていた大学生生活キャンパスライフは、朝まで仲間と飲み明かし、ナイトプールでパーリナイのはず。

 一方現実は、バイトと退屈な講義、そして締め切り間近のレポートと格闘する日々。

 思わず滲みそうになった涙をグッと堪え、現実逃避のためにスマホを叩く。


 しかし、こんなことをしている暇はない。

 今日のレポートは本当に危ないからだ。期限は明日、教授の部屋前ポストまで。10時まで。期限厳守。交渉不可。必修科目。落とせば留年。


「ああーこんな生活クソだ……」


乱雑に積まれた教科書の隙間から、今にも雪崩を起こしそうな就活パンフレットが目に入る。世間一般的には、そろそろ「自分探し」とやらを終えて動き出さねばならない時期だ。


 しかし、将斗はベッドの上でスマホの液晶を擦ってばかりいた。

 来年もこうして空虚に過ぎていくのなら、卒業と就職は、ベルトコンベア式にやってくるだろう。ふと目を開けたら、そこには無表情な面接官がいるかもしれない。

 『夢に向かって』。パンフレットに踊るそのキャッチコピーを、将斗は死んだ魚のような目で見つめた。


「やりたいことってなんだよ」


 そもそも、何かに熱中したり、心から魂が震えるような感動を覚えた記憶がない。

 喜びも悲しみも、どこか薄い膜越しに見ているような、他人事のような感覚。

 だからこそ、就活の準備を始めるべきなのに、将斗の胸に広がるのは焦燥感ではなく、ただの「無」だった。


 ずっと答えを求め続けている。

 塾だって、スポーツだって、進学先だって、自分で決めたことはほとんどなかった。

 親に言われたか、周りに合わせて「正解」を選んできたのだ。でも、それでいいと思っていた。


 今は、その生き方を突きつけられている気がする。

 今度は何に合わせればいい。

 

 クラゲのように波に乗っている。そんな不安定で頼りない感覚を、ずっと味わっている。


「あー……やめやめ、休憩だ休憩」


 思考放棄。

 レポートは数時間後の未来の自分に託すとして、ひとまずは休憩だ。

 検索フォームの打ちかけの『就k』をバックスペースで消し、小説投稿サイトを開く。

 異世界転生タグをタップして、今日もまだ見ぬ新作の発掘に勤しむ。


 将斗は異世界転生ものが好きだ。

 ここではないどこか。現実よりも刺激的な物語の世界。勇者が魔王を倒す王道や、平凡な少年がスキル一つで成り上がるサクセスストーリー。

 自分に特別な才能はないし、目標もない。

 もしこの世界に行けたら。そんな空虚な希望に、ほんの少しだけ胸が弾む。


 そうして将斗は、暗い部屋でひたすらにスクロールを続けていた。


『これが俺の生きる意味だ!』


 とある物語の最新話。物語も佳境、クライマックス。主人公の魂の叫びに、ふと指が止まる。


「生きる意味――」


 無意識のうちに呟いていた。


「生きる意味なんてあんのか?」


 この呟きは誰に向けたものだったのか。

 その時だった。


「――あ」


 右手が空を掴む。

 仰向け操作における最大の敵。手汗でスマホが滑り落ちた。

 

 これは痛い。

 脳が未来の痛覚を予期して身構える。

 角から落ちてくるか、画面から落ちてくるか。


――最悪


 そんな二文字を浮かべた頭の上から、金属とガラスの塊は重力に従って真っ直ぐに落下し、無防備な顔面へ――


 グチャリ。


 嫌な音が内側で響いた気がした。

 しかし、痛みは訪れなかった。

 痛みを感じるはずの回路ごと、スイッチが切れたように。


「あれ?」

 

 次に目を開けると、そこには白い空間が広がっていた。



********************



 ――ここまでは覚えている。


「びっくりするほど手掛かりがない…………」


 将斗は歯噛みした。

 異世界転生などと言われ、あまりに現実離れした状況に眩暈を覚えたため、過去を振り返ったのだが、特にこれと言って伏線めいたものは見つからなかったからだ。


「あの、ドッキリか何かだったり……?」


 そう言うと、彼女は先ほどまでの所作からは想像もつかない、大きなため息をついた。


「白い部屋、どう見ても神様。異世界転生好きなんですよね? 説明しなくても散々読んでたんですから、流石にスッと受け入れてくださいますか?」


 神様を見たことはないため、()()()()()という点については納得しかねる。

 しかし、状況だけ見れば確かに、念願の異世界転生ではある。

 胸が少しずつ高鳴ってきたが、すぐに冷静さを取り戻し、首を振った。


「い、いやいやいやいや。あり得なさすぎますよ。あるわけがない」

「ハァ……時間もないので、単刀直入に申し上げさせていただきます」

「なんで俺が怒られてる感じなの?」

「これからあなたには異世界へ、おつかいに行ってもらいます」


 将斗は、念の為に頬を強く抓った。

 痛い。ちゃんと痛みがある。

 これが現実リアルだということは確かだ。


 となると残された可能性は、彼女がかなり力の入ったコスプレイヤーというものか、本当に神様のどちらか。


「コスプレイヤーとかではないので、とりあえず信じていただけますか? 本当に急いでいるので」


 神様の瞳が、一瞬だけ冷たく細められた気がした。

 まるで、実験動物を見るような、あるいは未熟な子供を憐れむような目。


 女性経験が乏しく、将斗は突然不機嫌になる彼女に慌て、大人しく黙って話を聞くことにした。


「今回ちょっと私では手に負えない案件があり、急遽あなたにお願いすることにしました。しばらくの間、よろしくお願いいたします」


 神様は事務的に言った。


「よ、よろしくお願いいたします」


 思い描いていた展開とはかなり違うが、彼女を信じるのであれば、異世界転生ができるということになる。

 せっかくのチャンスを逃すわけもいかないので、将斗は律儀に挨拶を返した。


「あ、あの」

「なんですか?」

「いつ帰れますか……?」


 全貌は明かされていないが、数日は違う土地で過ごすことになる。

 そのままその世界で暮らすというのも手だが、問題はもし帰れた場合だ。

 明日期限のレポートを出せないとなると、戻ってきた時に留年が確定しているのは避けたい。

 ましてや、他の世界に行っていました、など言えるわけもない。


「留年の件は心配いりませんよ?」

「あ、もしかして、元の世界の時間はゆっくり流れてる系のやつですか?」

「あなたは、もう死んでいますから」


 将斗は一瞬、頭の中がホワイトアウトした。

 神様は嘘を言っているように見えない。事実確認をする役人のような口調で淡々と告げていた。


「え、じゃあ今の俺は幽霊……?」

「んー、まぁ……部分的にはそう……ですね」

「な、なんでそっちがよく分かってない風なんですか。神様なんですよね。というか死んだって何なんですか」


 実感がない。この体には温かさもある。死んでいるとは思えない。


 大体、死因は一体なんなのか。

 将斗は最後の記憶をもう一度掘り起こした。


 この部屋で気が付く前の――そうだ。あの一瞬の衝撃。

 ()()しかない。


「お、俺、スマホに殺されたってことですか……?」

「う……まあそれは置いておいて」

「今なんかめっちゃ動揺してませんでした?」

「してません」


 神様は事務的に続けた。

 しかしながら、何か彼女にとって聞かれたくなかった部分だったのか、汗が彼女のこめかみを伝っているのが見えた。 


「そんなあなたにお願いする()()()()ですが――」

「あの、するならするで、少しくらい異世界転生っぽくして欲しいんですけど?」


 神様は将斗のツッコミも華麗に無視して言い放つ。


「転生者からスキルを返してもらうこと、です」

「……なんて?」


 この時の将斗はまだ知らなかった。

 それが、理不尽な世界への第一歩であることを。


5年前くらいに書いてたやつをちょっと書き直してみました。

覚えている方がもし万が一いたら、またよろしくお願いいたします

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