第8話 数字の意味を知る者
変化は、必ずしも声高には語られない。
「……この数字、おかしくありませんか」
そう言ったのは、若い役人だった。
名をユーリという。まだ二十歳そこそこだが、書類整理を任される程度には信用されている。
「どこが?」
私は、視線を上げずに問い返す。
「倉庫整備の費用です。
最初の見積もりより、実際の支出が少ない」
私は、そこで初めて彼を見た。
「理由は?」
「……現場で無駄が見つかって、
勝手に判断して削ったそうです」
一瞬、役所内が静まった。
勝手な判断。通常なら、叱責される案件だ。
だが私は、帳簿を見直し、頷いた。
「問題ありません」
「え?」
「正しい判断です」
ユーリの目が、大きく見開かれる。
「重要なのは、“決められた通り”ではなく
“目的に合っているか”です」
私は、数字を指でなぞる。
「今回の目的は、雇用と安全確保。
過剰な補修は不要だった」
ユーリは、しばらく黙り込み――
やがて、小さく息を吐いた。
「……数字って、命令じゃないんですね」
その言葉に、私はわずかに口角を上げた。
「ええ。会話です」
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その日の午後。
役所内の空気が、少し変わっていた。
「この支出、来月に回せませんか?」
「先にこっちを処理した方が、無駄が出ません」
質問が、増えた。
誰もが答えを知っているわけではない。
だが、“考えよう”とし始めている。
マルセルが、小声で言った。
「……あんた、やっちまったな」
「何をですか」
「考える役人を作った」
私は、肩をすくめる。
「必要だったので」
「王都じゃ、嫌われるやつだ」
「でしょうね」
その言葉に、私は迷いなく頷いた。
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夕方。
市場の視察に出ると、商人の一人が声をかけてきた。
「……あんたが、例の監査官か」
「はい」
警戒の色は消えていない。
だが、敵意も薄れている。
「給金が遅れなかった。
あれは……助かった」
「当然のことをしただけです」
「それでもだ」
商人は、視線を逸らす。
「数字の話は分からん。
だが……悪くはない」
私は、それ以上を求めなかった。
(理解は、徐々にでいい)
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夜。
執務室で一人、帳簿を閉じる。
(変わり始めている)
制度でも、契約でもない。
人の、意識が。
だが同時に、別の感情も芽生えていた。
(……全員を救うことは、できない)
理解する者が増えれば、理解できない者との差は広がる。
それは、必ず摩擦を生む。
机の上に、未処理の書類が残っている。
旧来の役人からの、曖昧な申請。
私は、それを見つめて――静かに線を引いた。
(次は、選別だ)
感情ではない。
合理でもない。
制度が、そうさせる。
窓の外、辺境の街には灯りが増え始めていた。
小さく、確かな変化。
そして同じ頃。
王都では、その変化を埋め合わせるために、
別の歪みが静かに生まれ始めていた。
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