第4話 辺境伯は、数字を信じなかった
「……つまり、あなたは“追放者”ということですか」
グラウフェルト辺境伯、エドガー・ハルフォードは、困ったように眉を下げてそう言った。
年の頃は三十代半ば。体格はいいが、武人というより文官寄りの雰囲気だ。
応接室は質素だった。
豪奢さはないが、無駄もない。――悪くない。
「はい。形式上は左遷です」
私は事実だけを述べる。
感情を混ぜる必要はなかった。
「……それで、その」
エドガーは、机の上に置かれた三枚の紙に視線を落とす。
今日まとめた、簡易監査の結果だ。
「この領地が“来月から”持ち直す、というのは……」
「正確には、“現金不足で倒れる可能性が下がる”です」
私は訂正した。
「黒字化ではありません。ただ、呼吸はできるようになります」
エドガーは、しばらく黙って紙を見つめていた。
理解しようとしている。だが、完全には掴めていない。
……それでいい。
「正直に言います」
彼は、視線を上げた。
「私は、数字が得意ではありません。帳簿を見ても、安心できない。だから、これまで――」
「放置してきた」
私が言うと、彼は苦笑した。
「否定できません」
沈黙。
だが、居心地は悪くなかった。
「だからこそ、判断は早い方がいい」
私は淡々と続ける。
「このままなら、領地はゆっくり死にます。
手を打てば、立て直せます」
「……条件は?」
エドガーは、逃げなかった。
「全権をください」
即答だった。
「少なくとも、会計と契約について。
結果は、数字で示します」
一瞬、部屋の空気が張り詰める。
役人たちが、息を呑むのが分かった。
普通なら、あり得ない要求だ。
追放者に、領政の中枢を任せるなど。
エドガーは、目を閉じた。
そして、短く息を吐く。
「失敗したら?」
「その時は、私を切ってください」
感情は込めなかった。
事実として、それが最も合理的だった。
「……分かりました」
彼は、ゆっくりと頷いた。
「あなたに、会計と契約の全権を委ねます。
私は――責任を取る役に徹しましょう」
その言葉に、役人たちがざわめく。
私は、初めて小さく頭を下げた。
「ありがとうございます」
それは、礼だった。
信頼に対する、最低限の。
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会議の後。
廊下で、マルセルが小声で話しかけてきた。
「……よくやったな。普通なら、即追い出されてる」
「数字が、嘘をつかなかっただけです」
「いや。あの伯爵、腹を括った」
彼は、少しだけ笑った。
「で? 次は?」
私は歩みを止めずに答える。
「明日から、契約を洗い直します」
「荒れるぞ」
「ええ」
私は頷いた。
「でも、大丈夫です。
この領地には――まだ、余地があります」
窓の外には、寂れた街並みが広がっている。
だが、数字の上では、まだ死んでいない。
(問題は、山ほどある)
私は、頭の中で次の手順を組み立てる。
(だからこそ――やりがいがある)
辺境伯領の帳簿は、静かに待っていた。
次に、どこを切り取られるのかを。




