第3話 即席監査、一日目
グラウフェルト辺境伯領の役所は、静かだった。
正確には、音はある。
紙をめくる音、咳払い、椅子の軋む音。
だがそこには、生きた組織特有の緊張感がなかった。
「……どこから手を付ければ」
役人の一人が、呆然と積み上がった書類の山を見つめて呟いた。
年号の書かれていない帳簿。項目が途中で消えている決算書。なぜか三冊に分かれている同じ年度の記録。
私は外套を脱ぎ、机に置いた。
「去年の帳簿をください」
「え?」
「去年の“収入と支出が両方書かれているもの”です」
しばらく探して、埃をかぶった一冊が出てきた。
それを受け取り、ページをめくる。
……予想通り。
(赤字じゃない。致命的なのは、そこじゃない)
「税収はありますね」
私の言葉に、役人たちが顔を上げる。
「はい。一応……鉱山税と通行税が……」
「“一応”という言葉がつく時点で、問題です」
私は淡々と数字を追いながら続ける。
「鉱石の産出量は減っています。でも、それ以上に輸送費が異常に高い。倉庫維持費も、用途不明の支出が多すぎる」
マルセルが、隣で小さく息を呑んだ。
「……そこまで、見るか?」
「帳簿は全部、喋ってます」
私は顔を上げた。
「この領地は、稼げなくなったんじゃない。“稼いだお金が、途中で死んでいる”だけです」
役人たちは、誰も反論しなかった。
反論できるほど、理解していない。
「今日やることは三つだけ」
私は指を立てる。
「一つ。輸送契約の再確認」
「二つ。倉庫の実地確認」
「三つ。今月分の“現金の流れ”だけを抜き出す」
「そ、それだけで……?」
「十分です」
帳簿を閉じ、私は言った。
「完璧な改革は要りません。
今日は、“どこを止めれば血が止まるか”を見るだけです」
その言い方に、役人の一人が思わず笑った。
乾いた、半ば諦めの笑いだった。
だが私は、本気だった。
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昼過ぎ。
倉庫は、想像以上にひどかった。
使われていない鉱石。
古い契約のまま放置された荷車。
管理費だけが発生し続けている空間。
「誰が、この契約を?」
「……前の前の代官です。更新されて、そのまま……」
「では、今すぐ止めます」
「え?」
「“止められない理由”は、ありますか?」
役人は黙った。
ない。誰も責任を取っていないだけだ。
---
夕方。
机の上に、紙を三枚だけ並べた。
「今日の結論です」
役人たちが、固唾を呑む。
「この領地は、来月から資金繰りが改善します」
ざわ、と空気が動いた。
「理由は単純です。
無駄な輸送契約を一つ切る。
倉庫を一つ閉める。
支払い時期を三日ずらす」
「……それだけで?」
「それだけです」
私は淡々と続ける。
「王都なら、“前例がない”で却下されるでしょう。でもここでは違う」
帳簿を指で叩く。
「ここに、許可はもう書いてあります。
“数字として”」
沈黙。
そして、誰かが小さく呟いた。
「……助かる、かもしれない」
私は、その言葉に反応しなかった。
(助かるかどうかは、結果が決める)
私はただ、次のページをめくる。
(そして――これは、まだ初日)
帳簿は、まだまだ多くのことを語ろうとしていた。
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