第15話 理解できない者たち
変化は、抗議ではなく沈黙として現れた。
「……この書式、やはり無理です」
執務室の入口で、年配の役人がそう言った。
声は荒れていない。ただ、疲れ切っている。
「覚える気は、ありますか」
私は、椅子から立ち上がらずに尋ねた。
「……正直に言えば、ありません」
少しの沈黙。
それから、彼は続ける。
「数字を追うより、人を見て判断する方が性に合っている」
「このやり方では、間違いなく足を引っ張る」
逃げではない。
自覚だ。
「分かりました」
私は、即答した。
「では、今後は現場管理に回ってください」
「判断は、他の者が行います」
彼は、驚いたように目を見開いた。
「……責めないのですか」
「適材適所です」
それ以上の言葉は、必要なかった。
彼は、深く一礼し、部屋を出ていった。
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同じようなやり取りが、何度も繰り返された。
「難しすぎる」
「前の方が分かりやすい」
「失敗したら、責任を取れない」
私は、誰も引き止めなかった。
説得もしない。
結果として、役所は静かになっていった。
人数が減ったわけではない。
だが、“判断する席”に座る人間は、明らかに減っている。
「……思ったより、早いな」
マルセルが、低く呟く。
「ええ」
私は、帳簿を閉じる。
「制度は、説明しても伝わらない人を切り捨てます」
「冷たいな」
「正確です」
私は、淡々と答えた。
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午後。
ユーリが、少し困った顔でやってきた。
「……質問が減りました」
「良いことです」
「え?」
「理解できない人が、判断から離れたということです」
ユーリは、少し考え込み――
それから、はっとしたように顔を上げる。
「……責任が、集中しますね」
「はい」
私は、頷いた。
「だから、あなたには権限を渡します」
「ぼ、僕に?」
「あなたは、説明できる」
私は、彼を見た。
「それは、十分な理由です」
ユーリは、しばらく言葉を失っていたが――
やがて、覚悟を決めたように頷いた。
「……やります」
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夕方。
エドガー辺境伯との短い会話。
「随分、人が減ったように見えるな」
「判断する人間が、です」
私は訂正する。
「作業する人間は、変わっていません」
エドガーは、腕を組み、少しだけ笑った。
「……組織が、軽くなった」
「ええ」
私は、そう答えた。
「重かったのは、人ではありません」
「“決められない構造”です」
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夜。
帳簿を整理しながら、私は考える。
(これで、後戻りはできない)
制度は、一度走り出すと止まらない。
止めれば、今度は混乱が起きる。
(残った人間は、もう分かっている)
それが、救いでもあり――
少しだけ、寂しさでもあった。
窓の外、役所の灯りは減っている。
だが、消えてはいない。
理解できない者たちは、去った。
追い出されたわけではない。
ただ――席を替えただけだ。
そして残った者たちは、
もう「前に戻る」という選択肢を持たない。
制度は、今日も静かに選別を続けていた。
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