第14話 数字を言語にする
説明する役を、私は手放した。
「……では、ここまでを整理します」
会議室の前に立っていたのは、ユーリだった。
まだ少し緊張した面持ちだが、声は震えていない。
「この表は、予算と実支出を並べて書いています」
「差が出た場合、“誰かが悪い”と決めるためではなく……」
「理由を特定するため、です」
数名の役人が、戸惑いながらも頷く。
私は、部屋の隅で腕を組み、その様子を見ていた。
口は挟まない。
(言葉にできるなら、理解している)
それが、最低条件だった。
「つまり……」
別の役人が、恐る恐る口を開く。
「数字は、報告ではなく……会話、ということですか?」
ユーリは、一瞬こちらを見てから、頷いた。
「はい。
怒られる前に、分かるようにするためのものです」
小さなどよめき。
だが、空気は悪くない。
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説明が終わった後。
数名が席を立ち、数名が残った。
「……正直、ついていけない」
年配の役人が、低い声で言う。
「今までのやり方で、問題はなかったはずだ」
私は、その言葉を遮らなかった。
否定もしない。
「そう思うなら、無理に変える必要はありません」
静かな返答に、彼は逆に言葉を失った。
「ただし」
私は、続ける。
「判断が必要な場には、関われません」
それだけ告げると、私は視線を外した。
彼は、何も言わずに部屋を出ていった。
(これでいい)
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午後。
ユーリが、執務室を訪ねてきた。
「……勝手に、説明してしまいました」
「正しい判断です」
私は、即答した。
「あなたの言葉で説明できるなら、
それはもう、あなたの制度です」
ユーリは、驚いたように目を見開いた。
「で、でも……」
「私が説明し続ければ、私がいなくなった瞬間に止まります」
私は、帳簿を閉じる。
「それでは、意味がありません」
彼は、しばらく黙り込み――
やがて、深く頭を下げた。
「……分かりました」
その声は、もう迷っていなかった。
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夕方。
エドガー辺境伯との短い打ち合わせ。
「最近、君が前に出なくなったな」
「必要がなくなってきました」
私は、そう答えた。
「それは、良いことなのか?」
「良いことです」
即答だった。
「制度は、人に依存してはいけません」
エドガーは、少しだけ笑った。
「……だが、人は制度を信じる」
「ええ」
私は、頷く。
「だから、“誰が言うか”は重要です」
ユーリの顔が、頭に浮かぶ。
(次は、彼らの番)
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夜。
一人、帳簿を見直す。
(説明できる人間が、増え始めている)
それは、嬉しいことでもあり――
同時に、少しだけ怖かった。
(私は、必要なくなる)
その考えが浮かび、すぐに打ち消す。
(それでいい)
必要とされ続ける制度は、欠陥だ。
人が育てば、役割は変わる。
私は、新しい項目に線を引いた。
「……権限委譲、第一段階」
数字は、静かに並んでいる。
だがその裏で、人が動き始めていた。
制度は、紙の上だけでは生きない。
言葉になり、人を通じて、ようやく根を張る。
そしてその中心から、
私は少しずつ、外へと退いていった。




